00:05
こんにちは、横浜で15年以上犬の保育園の先生を行っているなおちゃん先生と申します。
今回も世界一周の船旅にお付き合いいただきありがとうございます。
それでは、船旅の続きへ出かけましょう。
6月18日
霧の都大都市ロンドンを後にして、そのまま対岸のオランダへ。
ネーテルランドの映画を2枚に伝える大都市アムステルダムへ。
オランダの首都はハーヴですが、アムステルダムは事実上の首都といっても過言ではないほど、世に知られた大都市です。
アムステルダムに入港したのは翌日6月19日。出港から49日目の18時近くと日記にはありました。
町中に運賀が巡らされている美しい都市アムステルダムは、13世紀頃には小さな漁村でしたが、17世紀にはネーテルランド、連邦共和国の文化や北海貿易の中心地として映画を極めました。
町中にはその時期に敷かれた運賀が網の目のように張り巡らされ、実はそれらの数は水の都、ベネツヤに勝るともいうことから、北のベネツヤとも称される。
下船して早速アムステルダム中央駅を目指す。さすがは北海貿易で栄えた都市。
海からのアクセスは今でも抜群で、中央駅までは港から徒歩15分ほどの距離というので、早速友人と連れ立って町へ出る。
まず驚いたことは、車道、歩道、自転車専用道路と完璧に3つが3つに分かれているということだ。
オランダは自転車をエコな交通機関として勧めているらしいとは聞いていたけれど、本当にすごい数。
それもそのはず。アムステルダムの海抜は0メートルよりも下の場所にあり、町中がほぼほぼ平らで、自転車移動がとてもしやすいのだ。
電車やバスにも自転車を持ち込める。人口よりも自転車の台数の方が多いというのも納得できる。
ちなみに自転車の種類も様々あり、サービスも様々。
半年以上前になりますが、オランダアムステルダム在住のマゲウさんとアムステルダムに関してコラボライブをしています。
よろしければこちらも聞いてみてくださいね。
アムステルダムは中央駅を要に扇状に広がっている。町中に運河がはみり巡らされて、バス、メトロ、トラム、通常バスといった公共交通機関も本当に充実していて、市内は共通の回数限で何でも乗ることができる。
03:08
日本は今や他の国でもICカードがあればどんな公共交通機関にも乗ることができるけれど、20年前にこの機関を左右している都市は日本では少なかったのではないでしょうか。
アムステルダム中央駅は知る人は知っている東京駅のモデルとなった駅舎です。
レンガ作りで左右対称の駅舎はなんだか懐かしさとそして違和感を覚えさせました。
ちょっと待って、あれはないぞ日本には。
中央駅の真ん中にドドンとついている時計が止まってる。
日本だったらまず東京駅のど真ん中の時計が狂ってるとか止まってるなんてありえない。
一番わかりやすいし地元横浜では乗ったことがないという理由からトラム路面電車に乗ることに挑戦しました。
まずは15回分の回数券ストリッペンカールドを購入しアンネフランクの家へ。
アムステルダムには見どころがたくさんあるが第二次世界大戦の生んだ悲劇の一つであるアンネの物語は、
遠く離れた私たち日本人も忘れてはいけない記憶として知っている人も多い。
私もここは必ず訪れたいと思っている場所だった。
大丈夫かな、行きたいとこに着くかな、降りられるかなとドキドキしているとアンネの家と英語のアナウンスが聞こえ、
周りの乗客がここがアンネの家よと教えてくれた。
俺を置いて降りると目の前に小柄な少女の像、これがアンネの像だ。
像から少し文化像に入ると実際にアンネたちがナチスドイツの追跡から隠れるために住んでいた家のあるアンネの父親の会社、その工場がミュージアムになっている。
日本語のガイドブックの流れに沿って展示物を追っていく。
工場の裏に作られた8人住まいの隠れ家。
アンネの部屋は私たちのオリビア号のキャビンよりも少し狭いくらい。
けれど一目をしのんで昼はトイレの水も流すことができないという生活は本当に多感な時期の少女にはどれだけ精神的にも苦しいものだろう。
隠まっている人々も生きた心地がしなかったに違いない。
アンネの日記では隠れ家からこっそり外を盗み見るとユダヤ人の友達の家族が収容所へ連れて行かれるところを目撃してとても苦しく悲しかったという記録がある。
仲の良かった友人が目の前で連行されること、それを息を呑んで見つめるしかないなんてどんな心地がすることだろう。
06:06
そんな気持ちを味わうことなく生きてきた今までの人生を何より恵まれた人生だと幸せに思わなくては。
そう思った。
アンネの隠れ家から実際に外を見て彼女もこうして窓からこっそり外を眺めていたんだろうと思った。
アンネの家族ともう一組の家族は終戦直前についに密告されて収容所へ連れて行かれてしまう。
しかも家族はバラバラに。
そして収容所から静観したのは父親たった一人だった。
彼は悲しみの後に小説家を目指していたアンネの日記と、彼女が隠れ家で書いていた他のショートストーリーを集めてアンネの日記を観光した。
一番最後の部屋にもあったけれど、世界中の何十カ国で発行されているこの物語。
その何十カ国後の本を見ているうちに涙が止まらなくなっていた。
これだけ世界中の人が読み、涙を流すのにどうして戦争にまつわる悲しい出来事はなくならないんだろう。
アンネのように日々身に迫る不安と戦いながら小さくなって生きているような人々が一体どのくらいいるんだろう。
みんな悲しいことは同じ、苦しいことも嫌なことも同じなのに。
そんなことを考えたら本当にやるせなく切なくなった。
入場料はちょっと高かったけれど、やはり入っておいてよかった。
ミュージアムのすぐ横に西教会。
教会の前の木のベンチが素敵で思わずシャッターを切る。
アンネの家からダムステルダムの中心地、王宮とダム広場へ。
王宮は素晴らしく大きく壮麗な建物である。
ダム広場の一本裏にはスーパーがあって、
スーパー好きの私と友達は大興奮しながら中に入った。
いきなりずらっと並んだパンコーナー。
オーブンもあるらしくて焼いているいい匂いが。
レーズンがぎっしり詰まったパンがとてもおいしそう。
このマンモス級に広い広いスーパーにはなんとアジアやメキシコ、
ヨーロッパ各地の調味料や食材がずらり、
他にもナッツやドライフルーツぎっしりのパウンドケーキの数々。
おいしそうなシリアル。
そしてさすがはオランダチーズの山々。
すごい全部おいしそう。
散々迷ってから小さめにカットされたゴータチーズを買い、
クラッカーを付け合わせに購入。
それとオランダ名物キャラメルがサンドされた薄焼きのワッフル。
これはおいしそう。
今では日本でもメジャーになったこのワッフルサンド。
私はここで初めて見た。
マグカップに入れた紅茶やコーヒーの上に蓋のように置いて、
キャラメルを溶かして食べるのがおいしいらしい。
09:03
先ほどまでのしんみりした気分はどこへやら、
キャーキャー言いながらスーパーを巡り、
その後は応急正面のダブル広場へ。
とにかく人の多さに驚く。
自転車も多いし、トラムとバスが中央無人に走っているので、
相当注意しないと危なくて仕方がない。
信号は全く当てにならない。
なぜなら電気が通ってないので真っ暗なんだ。
飲食店が立ち並ぶカルフェ通りを目指すのもいまいちよくわからない。
お腹が減ったので何か食べようということになり、
ピザ、ステーキ、そして中華といった看板が目につく。
だけど世界一周名物食べまくろうツアーの私たちとしては、
なんとしても名物料理を食べなくては。
と、ポランダ名物を探して歩きました。
ガイドブックにも載っていたポランダ風クリームコロッケに出会いました。
自動販売機みたいなもので売ってます。
おお、まずはこれを食べておこう。
1個1ユーロは高い気がするけれど。
中はとってもクリーミー。
コロッケの中身というよりはクリームシチューを入れた感じだ。
チーズとスパイスが効いていてとろーり熱々。
ふーふー言いながら食べた。とても美味しい。
さらに街中を放浪していると何やら怪しいところに入ってしまった。
一本裏通りで行き交う人々は大きな男の人たちが連れ立って歩くばかり。
コーヒーショップ、セックスショップといった派手な色彩のネオンが目につく。
薄暗くなってきたしこれはちょっと怖い気がする。
と思って早めに明るい方、人通りがたくさんある方へと歩いて戻った。
結局は初めに見つけたパン屋さんで野菜とチーズの入ったホットサンド、
小さなシュークリームを買って立ち食いすることに。
アムステルダムの街角にはパンやドーナツ、シュークリーム、サンドイッチのスタンドが至るところにあるんだ。
会計を待つ間に一緒にいた友達がカバンのチャックを開けられそうになったりして
今回の気候地の中では一番危険を感じた街になったかもしれない。
まあ暗くなってきたし若い娘が二人うろうろしているのが悪いんだ。
食べ終えた後は次の目的地、ムント島へ向かって歩く。
暗くなってきたし街中は少し怪しげな雰囲気になってきたので
トラムの走るネオンが怪しくない通りを選んで歩くようにしました。
しばらく歩くとトラムの電線がたくさん交わるにぎやかな交差点にムント島を発見。
1620年という金文字が周りの建物より黒ずんで古びたムント島の歴史を物語っている。
かつては死壁の一部だったというこの島は昔あった火事のために黒ずんでいた。
ムント島の見学の後パラパラと軽い雨が降ってきた。
空は夕焼けで赤紫に染まり雲河沿いのレンガ作りの家々の影を浮き立たさせて素晴らしいグラデーションを作り出している。
12:08
夕焼け空に見とめれているとどうやら道に迷ってしまったようだ。
とにかく同じような雲河に同じような可愛らしいレンガ作りの建物が並ぶだけ。
それに惑わされて方向感覚が狂ってしまったようだ。
道を訪ねるために近くの商店街に立ち寄って目指すマヘレ橋聞いてみる。
これはわからないと言われてしまった。
あんなに有名な観光地なんだからわからないはずないよね。
とりあえずレンブラント広場に戻り迷った挙句ムント島まで戻った。
するとその交差点にしっかりマヘレ橋はこちらと標識が書いてあるじゃないか。
やだもうと友達とキャーキャー言いながら標識の図に従って歩いていくとやや広めの雲河に見えた。
これがアムステルダムの名前の由来となるアムステル川だ。
マヘレ橋は川の向こう側にあり片方はライトが消えているのでガイダブックに見たような光景ではなく
これがあのマヘレ橋であっているのかなと安心半疑の私たちひょいっと顔を上げてみると
あるじゃないですかアムステル川に。
堂々と架かる大きな羽橋。
こちらはしっかり全洋がライトアップされて遠に地平線の向こうに沈んだ太陽の代わりに
夕闇の中でその姿を私たちに照らし出してくれている。
近づいて渡ってみるとちゃんとマヘレ橋と書いてある。
よかった勘違いしたまま終わらずに済んだ。
マヘレ橋に渡り仲良しの乗船客に会った。
雨は上がっていたが今回は目的を果たしたしそろそろ船に戻るとしよう。
なんて言ったって明るくて気がつかなかったけれど時刻は22時半を過ぎているんだ。
オランダは一部のドラッグや売春が合法化されているということもあり
普通にそういったものが取り扱われる店が堂々と並んでいる。
私たちがどこをどう通って悟りついたのかもわからないが
飾り窓は有名な風俗街で
同じような古びたレンガ作りの建物の中に突如現れる。
建物の窓の中には赤やピンクの照明で部屋が照らされて
その窓からは美しい死体をおしげもなく晒した
もはや限りなく全裸に近い女性たちがこちらを見て微笑んでいる。
社会科見学に行くと称して浮き足立った男性陣がたくさん立ち寄ったんだろうな。
私たち女性たちから見てもなんだか不謹慎だったり恥ずかしいというよりは
なんて綺麗な体なんだろうと感動して見惚れてしまったぐらいだ。
ほぼほぼ全裸の美しいお姉さま方がこちらを見て
笑顔でウィングしてくれたことを一生忘れないと思う。
15:01
見せ方のプロはさすがとしか言いようがない。
太陽のある時間は平和で可愛らしい街。
日が沈むと同時に街の様相は全く異なる不思議な街。
アムステルダム。
私たちが街をあてにする間も気性を上げて走り回る人々。
酔っ払いやドラッグなのかタバコなのかわからないものを楽しんでいる人々。
同性のカップルも光線と愛を捧げあっていた。
道を聞くのもはばかられるほどだ。
本当に自己責任の国なんだなぁと初めてのアムステルダムの夜は
他のどの国とも違う刺激的な印象を私に植え付けることとなった。
明日はまたアムステルダムで一日を過ごし出港は午後。
明日も目一杯この腕この奇妙で美しく不思議な街を楽しもうと思いながら
遅い眠りについた。
今回も最後までお聞きいただきありがとうございました。
次回はアムステルダム後編。来週をお待ちくださいね。