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2023-11-29 23:25

ながらcast3/115 「さらば宇宙戦艦ヤマト」の苦い思い出

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1978年8月に公開された「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」。当時ファンだった私(多分中3)も公開早々に見に行きました。地球を救うためにヤマトと共に敵に突っ込んで行く主人公古代進、沢田研二の歌と重なって自己犠牲/特攻の美学に大感動したことを覚えています。ところが、それを根底からひっくり返すような文章に出会ったんです…

サマリー

当時中学生だったささゆきは、友人たちと宇宙戦艦ヤマトにはまり、特攻精神を賛美する映画に感動していますが、雑誌の評論によって批判され、自分の感動に疑問を持つようになりました。そこから、感動させる作品には別の意図があるのではないかという疑いを持つようになりました。サラは宇宙戦艦ヤマトのメンタリティ、特攻の美学みたいなものに酔いしれてしまった自分、絵の反省であり不信感みたいなものを今も引きずっています。

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はい、sasayukiです。ながらcastを始めます。 この番組は、自分大好き60歳の私、sasayukiの声のブログ、声の日記です。
通勤途中に歩きながら収録してますので、息がハァハァ上がったり、周りの雑音、騒音、 風切音などが入ったりしますが、何とぞご容赦ください。
今日ね、いつも録音に使っているSHOXのイヤホンが全然繋がらなくて、
昨日ね、このiPhoneと自宅のテレビを繋げたんだよね。 そのせいじゃないかなと思うんだけど、全然繋がらなくて、
いつも自宅から駅まで2つ撮るんだけど、全く撮れてなくて、 今電車の中でずっと
やってて、結局ね、Bluetoothのペアリングを全部削除して、 iPhone再起動して、
SHOXもペアリングモードにして、ようやくね、自動接続するように戻りました。 良かった良かった。
さて、昨日ですね、そのゴジラマイナス1について結構ダラダラと喋っちゃいました。
まあちょっと、聞いて欲しいような、欲しくないような内容になってますけども、
ちょっとそこからもう少し話を繋げていきたいなと思います。 主に、さらば宇宙戦艦ヤマトの話をします。
宇宙戦艦ヤマトへの感動
じゃあ行ってみよう。僕が中学2年の頃ですね、 ヤマトが流行ったのは、当時のクラスメイトたち、
仲が良くなった4人グループでヤマトにハマって、 それこそ
第1作の劇場版は、 もう夜中に映画館に向かって自転車で一生懸命
恋で行ったりした思い出もあります。 その後ですね、あの
2年後になるのかな?
さらば宇宙戦艦ヤマト。 79年の夏なのかな?ちょっとごめんなさい、今
調べた資料がパッと出てこないんだけど、 おそらくそうですね。
79年の夏。 ここはそんなに重要じゃないんだけど。
公開されて、やっぱりそれを、 ちょっと記憶は曖昧だけど、多分その連中と一緒に見に行ったと思います。
もう話も何も覚えてないんで、さっき wikipedia で見たりしたんだけど、 いやーよく覚えてないんですよね。
ただ、よく覚えているのは最後。 主人公である古代ススムが、ヤマトと共に
その敵に向かって、いわゆる特攻的な行為をして、
地球を救うっていう話だった。 そんな風に覚えてます。
この時のキャッチコピーが wikipedia に載ってるんですが、
君は愛のために死ねるか? 他人のために自分を犠牲にできるか?
もう一つが、永遠の愛とロマンを乗せて、 ヤマトは今最後の戦いが待つ宇宙の彼方へ。
という感じのコピーが付いています。 そして取材歌はエンディングに流れたと書いてあるんですけども、
澤田賢治さんが、
さらば宇宙戦艦ヤマトというね、 タイトルの取材歌を歌ってた。
そんな感じでした。 さてその、さらば宇宙戦艦ヤマトを見た当時、
中3だったのか高1だったのかもしれないんですけども、 まあやっぱりかなり感動したんですね。
まあその、 今のさ、澤田賢治の歌が流れるわけですよ。
まあとにかく、なんだろう、
感情的に訴えかけるような、 美しい自己犠牲、
みたいなもの。でもこっちはさ、 最初のヤマトも見てるわけで、
まあアニメ、テレビアニメ版も見てるしさ、 すごいある意味、
感情移入できる状況は整ってるっていう中で、
まあそういう悲劇的な詩が、 すごくなんだろうね、
感動させようと思って向こうも作ってる。 そんなのでさ、すっかり
あの、 感動しきってたわけです。
ところがですね、 その後ですね、
当時、僕たちその4人組は、結構漫画が大好きで、
それこそ漫画少年っていうね、 雑誌を読んだりしていて、
漫画評論士としてその頃あった、 最初はダックスっていう名前だったんですけど、
途中でパフっていう名前に変わったんですけどね、 そのパフっていう雑誌を
結構好んで読んでいた。
特集も作家ごとに特集していて、 諸星大次郎だったり、増村博史をやったり、
僕の好きな木村実さんの特集もあったりとかね、 そういう感じで結構読み応えのある
漫画雑誌っていうところでね、 結構一生懸命読んでたんですね。
批判と疑問
で、そのパフに白石雄さんっていう方が連載していて、
ビアンコエネーロっていうね、今でも覚えてるんだけど、 白と黒っていう意味らしいんだけど、
そういうので、映画評を、 漫画雑誌なんだけどね、映画評を載ってる感じなんだけどさ、
そこで、 そのサラバ宇宙戦艦ヤマトを
結構こっぴどく批判してたんですよ。 ちょっとね、今その号を僕は手元にないので、
もうちょっと記憶になっちゃうんですが、 今僕が手元に持っているのはその次の号ですね。
1979年の2・3月合併号で、 増村ひろしの世界っていう特集号なんですけども、
そこにはですね、白石さんの連載も載ってて、
その前からの流れで 書いてるのね、白石さんは。
つまり、 前回、白石さんは自分でそのヤマトファンに、ある意味挑戦状を叩きつけた。
結構、本当に しっかり批判してたんだよね。
それに対してね、 大した反論もなかったんで、
私はちょっと拍子抜けしちゃったみたいなことが書いてあるんですね。
多分そういう内容、どういう内容だったかというと、結局のところ、
要は特攻精神みたいなものを賛美する映画じゃないのかっていうような内容だったと思うんですね。
ちょっと今階段上がったらハァハァしてる。
それはそれでね、ふわっとしか覚えてないんだけど、
その僕が持っているマス村ひろしの世界っていう特集号には、
読者からの意見として、やっぱり結構しっかり批判をしている文章が掲載されてるんですね。
しかも驚くべきことに、その文章を書いている人、16歳っていうね、
高校生、自分と同じ年齢の人間がほぼ同じ、
結構きちんと論を汲み立てているっていうのも驚いたんだけども、
その内容をね、ちょっと今ここで細かく言うことができないんですけども、
とにかく、特効的に花々しく散っていくっていうあたりの賛美するっていうのもそうなんだけど、
要は戦いっていう道を選んでしまう。
相手が悪であって、要はそれが変わらない。
もう敵は敵であって、愛を入れる余地はないんだ、みたいな世界観でやっつける。
それが愛なのかっていうね、そこに愛はあるんかっていう話で、
自分たちの愛のために、敵をやっつけるっていう。
それって、昔と変わってないよね、みたいな批判だったのね。
こっちは感動している側だからさ、その意見に対して、
結構、何?みたいな、くそー何言ってるんじゃ?みたいな感じに当時はなったんだけど、
でもね、何度も結局読んでいるうちに、確かにその通りだなって思うに至ったんだよね。
そんなわけで、詳細は忘れちゃったりもしてるんですが、とにかく自分が
すごく感動した映画に対して、そういう意見があるっていうのを知って、
本当最初は受け入れられなかったし、なんか腹も立ったんだよね。
こんな良い映画をなんでそんなけなすんだっていう気持ちにもなったんだけど、
結局は確かにそうだなって、俺も納得したわけよ。
なんでそうやって言ってくれた白井さんて方も、あるいはその投稿してくれた高校生にも、
感謝っていうのかな、こうやって教えてくれてたんだなっていうのを、そんなスッとは受け入れられなかったけどね、
結構それなりに俺時間かかったと思うんだ。 でも最終的にはやっぱり確かにそうだなと思ったのね。
作品への疑念
そこでつくづく思ったのは、
なんだろう、そういう
人の感情をエモーショナルに
突き上げてくるようなもの、
お涙ちょうだいっていうのと近いかどうかわかんないんだけど、
そうやって感動させる物語の中に
忍び込んでる何か、
別の意図のものがあるかもしれないっていう、
なんか疑いを持たなきゃいけない
だなって、その時に思ったんだよね。
単純に感動したから良かったとかさ、面白かったからいいっていうだけでは済まされない
ものっていうのもあるし、
そういうものを何かね、 注意深くこう見ていかないと
見逃しちゃうし、自分もまた
別の作品で、
また別のさらば宇宙戦艦ヤマトに感動しちゃう可能性があるなっていう。
サラは宇宙戦艦ヤマトのメンタリティ
そういうなんか、 自分への疑いみたいなものを
持ってないと、自分が怖いなって。
だから多分、
それまでは、
自分の感覚、
自分の感受性みたいなものを
全く疑ってなかったんじゃないかなって。 今になって思えばね、その中学生から高校生にかけて
すごく、ある意味純粋だし、
無垢だったんじゃないかなと思うんだけど、
それが、自分の
感覚とか
だけだと、
危ういなというか、
自分の見方が甘かったり浅かったり
するっていうことがあるんだなぁっていうことをね、
その時、本当に痛感して、なんか物の見方が割と
大きく変わった気がするんだよね。 だからまあ、
自分の見方、 物の見方、捉え方、感じ方っていうものが
まあ、 信用できないというか、
危ういなっていう感じかな。 だから気をつけてなきゃいけないなっていう気持ちになった。
そんな感じですね。
はい、そんなわけで今日はちょっと懐かしい、 昔の話ですけども、
僕が中高生の頃にサラバ宇宙戦艦ヤマト、 愛の戦士たちかな?
を見て、
いろいろあったっていう話をしております。 これはね、
一言で言うと、昨日そのゴジラマイナスワンについて、 かなり苦言を言ってしまったその理由を
実は話している回だと思ってください。 なんでその辺に敏感なのかっていうあたりの話をしております。
ちなみになんですけども、あの wikipedia で調べたところ、
この、要は特攻ですよね。 古代進むが
することで、 まあ解決するっていうエンディングに対して
松本玲司さんは
言ってる言葉があって、
読みますね。
松本は、現実世界の戦争の記憶の残る時期に、
発表された前作において、 ここからセリフかな?目的を果たし生還する。
というメッセージ性を強く意識しており、 ゆえに彼は本作の結末が、
特攻を美化するとして良しとせず、 生き残って再建の苦しみを描くべきと主張した。
そのための地に大和2が 制作されることになる。
というふうに wikipedia には書いてありました。
松本玲司がそういう、 何だろう、考えていたっていうことは、
僕にとってはなんか、 嬉しいというか、
まあでもちょっと嬉しいし、 ああそうなんだ、やっぱりそうだったんだっていう気持ちですね。
ああいうエンディングに持ってたのは、 一体誰なのかっていうことはまた別の話になるし、
僕は詳しくないんですけども、 ここにはっきり書かれている、
特攻を美化する、 っていうことですね。
そしてその前段の目的を果たし、生還する、 というメッセージ性を強く意識しており、
この辺りは今回のゴジラ-1とも繋がる部分、 重なる部分だなと思いますね。
結果的には、主人公の四季島は、 生きて帰ってきたわけだし、
それはその整備兵、整備校の立花からのメッセージ、 生きて帰ってこいということが、
脱出装置に込められていたっていうことだと思うんですけどね。
ただ、昨日の繰り返しになるんだけど、 結局それはサプライズ的に最後にわかることであって、
その直前までは、ひたすら特攻していく主人公を クライマックスに持ってきて、
やっぱりそれを美化しているっていう感じが どうしてもしてしまう。
だから俺としては、 サラは宇宙戦艦ヤマトの二の舞とは言わないんだけど、
あれは本当にそれで終わっちゃうんだけど、 今回は生きていたからいいじゃんって話なんだろうかって思うんだよなぁ。
少なくとも観客の気持ちをそこに、 クライマックスを持ってきたっていうあたりは極めて悪どいなって俺は思うんだよな。
逆に生きて帰ってくることの大事さを 言いたいんであれば、
もっと描くべきものはあるんじゃないかと思うんだけどね。 これはね、
アフターシックスジャンクションでライムスター宇多丸さんが言ってたのを聞いたんだけど、
特攻の美化に対する不信感
例えばその格納庫で修理してた時に、その橘が四季島に対して、
このレバーを引けば、お前は脱出できる。
で、これを引くか引かないかはお前の判断だって、 例えば言わせるっていうシーンを入れるだけでも意味合いは全然違ってきたなって、
俺もそれを聞いて本当そうだなって思うんですよね。
結局、四季島が生きることを選択したっていう、
主体的にそれを決めたっていうところが描かれてないんだよね。
だからその辺のメッセージ性がものすごいモヤモヤとしちゃってるっていうあたりが、
納得できない部分なんだよなぁ。 というわけでね、何だかまた昨日の話の続きになっちゃいましたが、
今日はね、昔見たサラは宇宙戦艦ヤマトのメンタリティ、
特攻の美学みたいなものに酔いしれてしまった自分、
絵の反省であり不信感みたいなものを今も引きずっているっていう話をしてきました。
最後までお聞きいただきましてありがとうございました。ではまたね。
ちゅうさむ
23:25

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