1. ムカツキノタネ〜明日を耕すタネ〜
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2025-03-02 31:18

#14.私物化-所有ってなあに【物集まらざるは恥なり。 集めた物を己の物とするも恥なり】

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サマリー

このエピソードでは、所有や私物化についての考察があり、物の価値や集まり方に対する意識が語られています。特に、西田添子の「物が集まらざるは恥なり、集めて己のものとするもまた恥なり」という言葉を通じて、社会における所有の意味が再考されています。また、所有の概念や人間の不安についても考察されており、物を私物化することの影響や、成長を求める社会の中での幸せについても深掘りされています。

私物化への疑問
ムカツキノタネ、たまです。
たいきです。
この番組は、日々の生活で出会ういろんなムカツキノタネに、いつか花が咲くことを願って、明日を耕すように、あれこれ話していきます。
よろしくお願いします。
お願いします。
さて、では、たいきくんがXにポストしているツリーの中で、ちょっとどこまで話したかを思い出せないんですが、
そうなんですよね。
えっと、ちょっと今回しゃべろっかなーって思ったのが、この私物化って書いてあるやつかな。
これは、私物化に対してムカついていたの?
そうだね、私物化に対してムカついてたのは、まあなんか、
私物、その、所有、所有みたいなことを考えていたときに、
私物って私のもの?と書いて、私物なんですけど、
なんでしょう、この、例えばなんかお店で買ったものが自分のものとして今使ってますけど、
そのお店で買ったときのお金は、僕のお金というか、なんというか、
みんながお金と思っているからお金として機能して、それを交換券としてゲットしたから、
なんでしょうね、僕のものと今されてますけど、法的にはこのコップは、本当に僕のものかわかんないし、
もっと言うとその、お店に売ってた段階で本当にお店のものかどうかも、わかんない。
作った人がその卸売業者にどうにかしてお金を使って売って、
卸売業者が商品棚にお金を使っておく作業をして、みたいなことを考えていたときに、
所有って何?別に所有しなくていいんじゃないか、みたいな感じからムカついてます。
物の回りと価値
私物を私物、私のものなんだけど、私のものかのように振る舞う自分にムカついてて、
それは自分にない。
でも派生して、お前もお前もお前もって多分なってますよね。
政治とか見てたら、お前もかってあるよね。
それはそもそも私物じゃないだろうっていうのもあるけど、
それは確かにね、私物か、そうそうそう、それは普通にムカつきますね。
それっていうところではなく、一般的に自分のものって思っているお金だったり、手元にあるものっていうのが、
本当に自分のものかって問いかけてみたら、そうでもないよねっていうのは、すごくわかる気がする。
なんか私もすごい、ものが回っているみたいな感じで、ちょっと思っているところがあって、
結構着物とかで古着を買うみたいなところも、
前の人の思いみたいなところとか、
ものに乗っているものをそのまま、なんかこう、なんか違う形で私が受け継いで、
またなんかそれが違う形に変わっていくかもみたいな、
やっぱりに自分のところにやってきましたみたいなイメージが結構あって、
それは中古品みたいなのをよく買うみたいなところもあるし、
あとは子供関連のものとかも、
子供の服とかおもちゃとかサイズアウトとか、時期が過ぎるみたいなのがすごい多いから、
新品をわざわざ買うっていうことに全然価値を私は感じていなくて、
回り物感を持っていて、多分お金も一緒かなっていう。
確かにね。
回っているから、
必要なときにやってくるかなぐらいの感じで、
スタンスで結構いる気がしますね。
それはそうですね、めっちゃわかるな。
私はたまたま夫がしっかり働いているから、
自分がそんなにまがっつり働かなくてもいいっていう状況があるけど、
でもそうじゃない状態でも、
生きていて人と関わっている中で、
人の仕事を大きなっていうよりも小さな仕事をちょっともらう。
それでちょっとやっていけるみたいな感じのやり方を結構してきたから、
タイミングがあれば人からそういう話をもらったりとか、
ありがたくいただいて、また次の必要なところに回すみたいなイメージがすごくありますね。
めっちゃわかるな。
なんか固定したくない思いがあるのかもしれない。
うんうんうん。
私が通っていた伊藤園っていう教徒の学校の創立者、
まあ学校を建てた人ではないんやけど、
西田添子っていう人が言ってた言葉で、
物が集まらざるは恥なり、集めて己のものとするもまた恥なり、みたいなのがあって、
物が集まってこないっていうのが恥であって、
集めたものを己のものにするのもまた恥であるっていうのを言ってあって、
多分私は結構そういう環境の中で育ってきてるから、
なんかそれが結構染み付いているっていうのもあるんだろうと思うんだけど、
命と物の関係
なんか、
集めた状態にしておくっていうのが滞っている感じがしてしまうかもしれない。
その2個目の己のものとするものの恥なりは、
めっちゃわかるというか、僕がさっき言ってたことにすごい近いと思うんですけど、
集まらないと恥っていうのはどういうあれですかね、人望的な?
多分そうだと思う。
なんか必要なところに必要なものって集まるもんだよねっていうことなんだろうと思う。
欲してる人がいるのに、そこにものが集まらないのは、その人にとって恥というか、
社会としてそんなのおかしいよっていうことなんですか?
そうなんだろうな、そこの恥の主体がわからないけども、
なんか私が思ったのは、
自分が本当にそれを望んでいるのか、みたいなところを問われているのかなと思った。
あー、その時の感情とかみんなが持ってるからとかで欲しいと思っちゃってませんか?みたいな話ね。
うんうん、なんとなくそれも問われているかなって思って、
なんかこう、
それを言うと、こう、ご責任みたいに聞こえるかもしれないんだけど、なんかちょっと、
どこか違う気はしてて、難しいが、
でも、なんて言うんだろう、
物が回ってくるっていうのってあり得るのかなっていうのは、
物かもしれないし、金かもしれないし、なんか人の思いかもしれないし、
うんうん、
でも、
その執着的なところを手放した先には、
なんかこう、物が回ってくるっていうのってあり得るのかなっていうのは、
物かもしれないし、金かもしれないし、なんか人の思いかもしれないし、
結局、人間が生きていくっていう中で、人に頼らないっていうことはできないし、
何らかの形で支えられているっていう、
その気持ちかもしれない制度かも、
制度はちょっと、そこにどのくらい含まれるかわからないけど、
なんか、そのようなことを、
ちょっと思いましたね。
だから、なんか、
で、あの、
ちょっと発生すると一個思ったのが、
この間、コッテンラジオの、
クルー特典の音源が、
5枚ぐらいかな。
で、深井さんとヤンヤンさんと樋口さんと3人で話されているテーマで、
いつ死にたいですかっていうのがあって、
で、深井さんが、いつ死んでもいいと思っているみたいなことを言っていたので、
私も結構そうだなって思ったんですよね。
で、それも多分、
なんか、今たまたま命をもらって、何かからもらって、
存在しているんだけど、
それがどこかで尽きるっていうのって、
自分のどうこうできるものではないなっていうのもあるし、
なんか、
それもこう、周りのじゃないけど、
結局は、
いつ尽きるかもしれないものであるっていう感じもあるし、
なんとなくそのものが誰かのところに留まらないっていうのと同じ感じで、
命ももしかしたら長いかもしれない、短いかもしれないけど、
今あるっていう。
なんか、そこを私はたまたま生きている。
っていって、
今たまたまもらってここで生きているなら、
なるべく楽しんだりとか、自分がいいなと思う生き方をできるといいなっていうのはある。
そうですね、確かに。
でもなんかそれが終わったとて、
社会にとってどういう影響があるかもわからないし、
それはどうでもいいのかなっていう。
できるならばいい影響を与えられる状態で終われるといいのかなと思うけど、
それが結局いい影響なのか悪い影響なのかみたいなのも多分ジャスティはできないんだろうなとも思うし、
長い目で見てな。
結果的にいいか悪いかって、どのタイミングで決めるかってなりますもんね。
結構、終わったなら終わったでいいかなっていう感じがあるけど、
それをちょっと書き込んだりしてみたときに反応ないわと思って、
もしかしてこれってどうでもない人も多いんかなとか、
逆に反応しづらいテーマなんかなとか思ったりもして。
マシですからね。
ディスコードで多摩さんが書いてるのは見たんですけど、
正直僕はまだその古典クルー特典を聞いてないんですね。
聞いてないから反応できないなって思ってて、
まだ聞いてないから何も言えないんですけど、
僕も多分多摩さんと似てて深井さんとかと似てて、
いつ死んでもいいなって思ってますね。
これ言うと、じゃあ死んでくださいって言われたら、
もちろん今死にたくはないし、
自分の命を自分から断つことはすごい失礼だと思うので、
社会に対して失礼だと思うので、死んでくれって言われても死にたくはないんですけど、
明日死ぬことが決定してますって言われたらもう受け入れれそうではあるけど、
実際言われたらどうなるかはすごいもがく可能性もありますけど、
いつ死んでもいいなって思いがありますね。
でもなんか実際に死にますよって言われたら、
ちょっとやり残したこといっぱいあるし、
今月の振り込みとかまだ終わってないし、
いろいろSNSとかログアウトしておいたほうがいいのかなみたいな、
そういう思いはありますね。
いつ死んでもいいみたいなところに、今を生き切るみたいな、
今できる限りの最善を尽くしているっていう。
だから幸せを、後になってられる幸せはもちろんあるけど、
先延ばしにしないみたいな。
老後の楽しみにこれをとっておくみたいなことで、
かいさんが後半幽霊に対してめっちゃ怒ってたんですけど、
未練を残して死ぬなっていう。
未練があるっていう状態を今に作らないっていう。
なるべく今やった決断は、他の選択肢があったかもしれないけど、
とりあえず今私はこれを最善として選んだっていう納得感を持っておくみたいな。
そこがあったら、いつ死んでもいいんかなって思える気がしました。
確かに、納得感ね。はいはいはい、そうですね。
なんか、当然未来があることが確定しているかのように生活しているじゃないですか。
まあそう、それはそれはそう。
なんかそれが、僕も実際未来あるって無意識に思ってるんですけど、
思いすぎてる人を見ると、何でしょうね。
これそのさっきの私物化の月のムカつきが、ライフデザインとかいっちゃってっていう、なんか。
それなんですよね。なんか。
そうなんや。
将来設計とかしてるのってなんか、もったいなくない?って思うからムカつきっていうよりも、
ライフってデザインするもんじゃない。
なんか将来設計って、そう組み立ててうまくいくもんじゃないから、今やっちゃいなよって思う。
ライフデザインのイメージがあんまりないけど。
例えば、今何歳で収入が何だから、何年後には収入どれぐらいにしたいからこうするみたいなとか、
老後にいくら必要だから、これだけ貯めるためには月こんだけ貯金、毎月こんだけ貯金するみたいなの。
を、まあよくライフデザインっていう文脈で聞くんです。
ライフって、人生って、デザインするものなのかって。
そんな、決めれないだろうって思う。
ある意味それが多分大事な時もあるだろうし、それが例えばモチベーションになるとか、いうこともあるかもしれない。
なるほど。
なんかそれは、それとしてなんか、私がそういうのを全然考えれない人だから、
ある意味、我が家は夫がどっちかというと、現実にさっきのことも一応想定して考えれるみたいな。
で、私がこうやってても大丈夫みたいなところあるのかもなーとかいうのを今そう思ったりもしたけど、
でもその、例えばライフデザインって、先のために今こうしておきましょうっていう、今それで苦労する?
例えば今やりたくない苦労をする?
分かった。先の不安害を想定するから嫌なのかな。
確かに。
こうなったら嫌ですよねっていう。
なんか私も保険とかも実はすっごく嫌で、
不安感とワクチン接種の影響
うんうんうん。
そうなったらそうなった時に、
ないリスクを見つけられてきてる感じ。
そう、考えたらいいじゃないって思っちゃうけど、
でもその不安感を刺激してくるみたいな。
これも言っていいか分からないけど、言っちゃうとワクチン接種とかもそう思ってる。
かかるかかからないか分からない病気のために、一応打っておくっていう。
で、その一応打ったことで、ある意味今の体にはダメージは一応あるわけで、
で、そのダメージを取るのか先にかかるかもしれないっていう。
でもかからないかもしれないっていう。
で、そのかかった時にちょっと軽減してくれるっていうことやけど、
私はかかったならもうかかった時に苦しみますよっていう気持ちでいたりもする。
でもまあワクチンの難しいところは多分他の人もそうなった時に、
全員がそうなったら社会がもしかしたら病気が蔓延しやすくなるみたいなことはあるから、
私がこう言ってるのは多分ある程度それを懸念して、
なるべく広がらないようにしてくれている人がいるからだなっていうのはすごい。
自己向上とモチベーション
人類全体で滅亡はしないからだよね。
けど、でもなんて言うんだろう、
積極的にそれをこうしにいく不安に対しての投資?なんて言うんだろう。
不安を消すための行動みたいなのをするよりは、
今を充実させる行動をしたいなって思った。
確かに。それはそうですね。
先の不安みたいなのがすごい私は嫌なような。
あるかどうかわからないものをあると確定してというか、
ほぼあることが事実決まったかのようにぶつけられますもんね。
とはいえ保険は僕はでも、病気の保険は入ってない。死んだ時の保険は加入してますね。
あと自動車保険は入ってるわ。
社会としてそういうのがないと成り立たないかもっていうのも分かるんだけど、
個人として。
いや、成り立つんじゃない?成り立つよ。
なかったらなかったでなんとかなるか。
なんとかなる。なんかそうなんとかはなる。なんとかはなるけど、
例えば自動車事故で相手がいたらすっごい損害だからどうにもできないけど、
なんとかはなるんでしょうね。
病気とか感染症とかだったら自分が死ねばそれでいいけど、
相手殺しちゃったりすると殺すって言っちゃったけど、相手がいた時の事故とかは確かにね。
難しいね。
難しいけど、確かに不安を売りつけるのは健全ではないですね。
すごくそこをなんか嫌だなーって思っちゃう。
こんだけ想像力が豊かすぎるから我々が考えちゃうんでしょうね。
未来とか見据えちゃうからね。
そうね。
こうなりたいみたいなことに対するその見据え感みたいなのはなんか違和感はあんまりない感じは私はしました。
なんかこうなりたいっていう見据え感ないですね、ないから。
ないし、なんかそれに対するモチベーションってさっき玉さんが言ってたのも自分の中でない感覚だったんで、
なんか、あ、そっか、それでモチベーションがいる人がいるならライフデザインした方がいいパターンもあるのかっていう、なんかモチベーション、まあそうですね。
なんかなんだろう、私はなんかわからないけど、
こう、自分という存在を自分のできる範囲で向上させてみたいみたいな欲があって、
例えば、語学をやります。
で、今、まあ半分ぐらい必要やけど、言ったら英語でなんとかやろうと思えばできるけど、
そこでなんかドイツ語やってみようかなっていうのは、自分どこまでできるんやろっていう。
自分の語学に関してはその語学力みたいなところを向上させるならどこまでできるんだろうかみたいなことを思って、
で、それを私のなんだろう、多分これまでの経験とか成功体験みたいなのがあるからかもしれないけど、
試験を設定するとそこに向かってやるっていうサイクルが比較的、
まあ試験に多少よるけど上げやすいっていうのがあるから、なんかそれで設定するとか、
あとは今はちょっとオンラインになってるからちょっと違う感覚やけど、
斧とか日本舞踊とかをお稽古してたときは、あとは金の書道とか、
そういう体を動かすみたいなところに関しても、その稽古を積み重ねるっていうことで自分の体を変革させてどこまでいくんだろうかみたいな。
なるほど、はいはいはいはい。
なんかそこを楽しんでいるというか、自分にちょっと負荷をかけてそこがどこまでいくのかやってみたいなっていう、
所有と幸せの概念
多分それよくないやろうね、がありますね、私は。
なんかめっちゃ自分を観察してますね。
自分をめっちゃ客観的に観察してる感じが。
自分がどこまでいけるかゲームをしてるっていう。
そうそうそうそう。
すごい樋口さん身を感じる。
なるほど、そんなに計画的に過ごせてないですね。
社会は結構上昇していくことを求めるというか、成長を求めるし、
なんか私も半分、一方でそれに抗いながら、それに抗いながら、
自分がどこまでいくのかっていうと、
今の言った欲望はそこに乗るのかどうかちょっと分からないんだけど、
なんかそういう社会はあるなとは思ってて、
成長させるべきだっていう、成長するのがいいっていう。
それは感じますね。
でもそこにもその、この、
この自分がどこまでいくのかっていうのは、
させるべきだっていう、成長するのがいいっていう。
ま、それは感じますね。
ね、でもそこになる必要があるのかっていったら、
自分がそこを求めないんだったら別に、
今、幸せで生きているっていう、
それで全然…
そうだね、そうだね。
いいんだろうなと思う。
うんうんうん、それがいいと思う。
うんうん。
うん。
今、幸せで生きてることに実感できるタイミングが、なんか、なんていうんですかね、増えてほしいというか、
幸せ、すごいありてーなこと言うと、幸せを目指すんじゃなくて、
照れくさいですけど、今、幸せなことに気づいてほしいみたいな感覚が、
他人に対してめっちゃあるんですよね。人に対して。
なんか、おこがましいですけど、おこがましいというか、今、日本人目線ですけど、日本にいるだけでだいぶ多分、
幸せを感じれるんですよね。感じれるというか、感じられるんですよね。
だから、そうですね、なんて言うんでしょうね、成長を
しなさい、を感じてほしくない。
成長を全くしなくていいって思ってるわけでもないんですよ。成長したい人が成長して、
成長を見なくていい人は見ずに過ごしてほしいなっていう感じがします。
なんか、そこに、今あることに気がつくっていうだけで、なんか、
だいぶ幸せ度変わるよね。
そう、そのなんかさ、幸せが何かは、多分、分かんないというか。
でもなんか、多分、それぞれだけど、
外に目を向けて幸せが、
どうか変わるかと言われると、多分そうではなくて、自分が気づくしかない。
なんか、それは何をどんだけ持ってるとか、
だから、そう、ね、ものがどんだけあるとかいうことでは、たぶんない。
さっきのさ、最初に言ってた西田天光さんの言葉で、まさに私物化みたいな話の言葉を発見したけど、
ものそのものは、本来誰のものでもない。すべて全体のものであるっていうのがありましたね。
めっちゃわかる。
それめっちゃわかるな。
でもなんか、そう思っておくと、気が楽になるっていうのもあったりするし、
そうかもしれない。
世界はかっこ借りであるっていう。
そうだよ、なんか勝手に、所有権とかで言って、その人のものって勝手に呼んでますけどもね。
その法律すら人が決めてるだけであり、誰のものでもないって思いたいですよね。
うん。
というところで、今回は終わりにしましょうかね。
はい、ありがとうございました。
はい、では感想はXで、ハッシュタグむかつきの種すべてカタカナでポストしていただくか、
概要欄のお便りフォームにお願いします。
では、ありがとうございました。
ありがとうございました。
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