スピーカー 2
すごいな。
スピーカー 1
30年間ってすごいですよね。一方ですね、52歳で亡くなって30年間の戦績、武功、これどういうことかっていうとですね、52から30を引くと22じゃないですか。
スピーカー 2
ですね、はい。
スピーカー 1
つまり22から武士始めましたって人なんですよ。秀吉が貧能の生まれで天下人になり上がったっていうのは有名です。
秀吉はですね、これも最初の頃はよくわかってないんですけれども、おそらく10代の半ばぐらいから武家奉公を始めたと。
信長の前にも他のところに奉公やってたっていう記録もあるようなんですけれども、秀吉は10代の頃から武士になろうとして頑張ってきましたと。
ところがこの秀中はですね、22歳までバリバリの農民やってました。22歳からですね、全く未経験で転職をしたんですね。
スピーカー 2
そういうことですね。
スピーカー 1
異業種の転職22歳。今の22歳ぐらいとはまたちょっと違う。
スピーカー 2
寿命を考えると、もうちょっと縮めて考えると中堅クラスまで農民をやってそこからキャリア転職するみたいなイメージに近いかもしれないですね。
スピーカー 1
そうですね。今の感じで言うと30歳から35歳ぐらい油乗ってて、もうその仕事は完全に自分任されてたっていうタイミングで。
これもどのタイミングでお兄さんのところに行ったのかっていう記録は残ってないんですけども、おそらくお兄ちゃんにスカウトされていくことになったんだと思います。
未経験から、しかも35歳から全然違う仕事を始めましたっていうところで、最初の10年15年っていうのはおそらく地獄のような感じだったと思いますね。
未経験の仕事で、もう兄が上司なわけですね。で、お兄ちゃんも無茶振り上司です。で、別に全然偉くもないですよ最初は。
確かに。
勤労から足軽をやって、足軽大将みたいになって、足軽大将って言っても本当に一番最下層の武士ですからね。
こう槍持ってバーって走る、そういう組頭みたいなところなので、誰に尊敬されるわけでもないぐらいの感じですと。
その中で、そういう武士としても最下層にいる兄が上司になって、そこの下にも部下はおそらく組頭なんで何人かいると思うんですけれども、
10代の頃から武士をやっていたような方、わがままで言ってみればろくな人いないぐらいのところから始まってですね、
どんどん出世とともにその組織、秀吉組がですね、大きく成長していくと。
その時でも2人とももともと農民上がりですので、ずっとですね、抱えてた部下いないわけですよね、家臣も。
2人だけ。でも組織が大きくなってくると、どんどん部下が増えますと。
で、どんな人が増えるか。織田信長の部下が秀吉の部下になっていくみたいなことも起きるわけです。
親会社の社員が、ちょっとくだらないですね。子会社のところに社員としている。
スピーカー 1
うん。
言ってしょうがねえなやってみっていうので。
結局ですね四国を治めるのに50日で四国を閉廷します。
2ヶ月弱でですね四国を治めるっていうのはなかなかの手腕なんですね。
それをやってので。
今度四国が東地下に入って張曽加弁もどっちかというこれも大戦国武将ですけども
秀長の配下に加わります。
そして最後の舞台になるんですけどもこの九州ですね。
薩摩の方に島津がいます。
そこを攻めていくんですけれども。
ここではですね秀吉と秀長と2つの軍でもってイメージするとですね。
秀吉が福岡から入って佐賀を通って熊本を下って鹿児島に入る。
なるほど。
秀長がですね福岡から大分宮崎鹿児島っていうですね東回りのルートです。
これでこう両方から脅威していくというところなんですけども。
ここもパパパパッとこう2人でですね。
秀長が大活躍をしてそれで九州の平定となりました。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
この時点で日本はほとんど統一されていたんですけども残っていたのが関東。
それから欧州ですね。
欧州は伊達正宗がいます。
関東は沢原のあたりに北条氏が残っている。
この2つを統一すればもうおしまいってところなんですけども。
秀長としては九州平定の後病気になっちゃってですね。
その後小田原攻めには参加せずその後病気で亡くなるということになるんですけれども。
ちょっと今長々とですね戦績の話をしてしまったんですけども。
秀長っていうのは目立たない感じで全然エピソードも浮かばないし。
例えば桶狭間の戦いとかなんとかの一夜情みたいな感じの先行の何かっていうのは何もないんですけども。
指揮官として率いた戦いっていうのにほとんど負けたことはない。
なるほど。
地味で確実な堅実な戦い方をするんですけどもとにかく負けない。
これが農民出身で最初はキャリアなかったところからもうひたすら20年間叩き上げてですね。
周りには有名な軍師で竹中半兵衛っていうすごい軍師の方がいたんですけども。
有名って言っても当時は秀吉の弟?元農民?何それ?みたいな感じで相当見られてたと思うんですけども。
食らいついてですね学んでそれで一生懸命努力をしてすごい成果っていう感じじゃなかったかもしれないんですけども。
でも着実に先行遂げるような武将に育っていったのであろうという。
スピーカー 3
なるほど。
スピーカー 1
最後ですねちょっと長くなってしまったんですけども育成の話をいろいろしてきたんですけれども。
スピーカー 1
求む将来のCXを候補とか。
あるいはなんか自分を高く食ってくれる将来有望なベンチャー企業とかスタートアップないかなっていうのを探してる優秀な人っているじゃないですか。
そんな感じだったんじゃないかな。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
有望なのは自分も分かっているし会社としても多分ちょっと社員になってくれだと来てくれないぐらい将来の幹部候補CXを候補っていうので来てなんか入ったけどこいつ俺のCEOの席狙ってるんじゃないかなみたいな感じで思われちゃうようなタイプ。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
一方秀永の方はですね創業者社長にお兄ちゃんとりあえずちょっと手伝って最初無休で働かされてですね。
なんか分かんないけどだんだん会社でかくなってきたみたいな感じで。
でもお兄ちゃんに言われたんだから頑張るって言ってひたすらついてくる。
なるほど。
本当に家族がゆえにっていうところで補佐役として全うしたと。
そんな違いが黒田寛美の比較をしてみるとより濃くですね。
そんな感じですね。
スピーカー 2
なるほど。
よりだからそのお話聞くとなんかピュアなナンバー2感っていうのが秀永ののが伝わってきますよね本当に。
スピーカー 1
これがピュアっていう言葉も当てはまると思いますし本当に愚直なっていう感じですかね。
おそらくなんか黒田寛美が見えた世界っていうのはなんかあったと思う。
はい。
喧嘩だったりとかビジョンだったりとかっていうのは。
ただ秀永はもうお兄ちゃん見るのが精一杯なんですよ。
ものすごいビジョン見ちゃってるのでもう自分は何とかそれについていく。
お兄ちゃんもいろんなところをもう食い散らかすんですね。
あっち行ってわーっと行ってでこれぐらぐらっとやって。
あとじゃあお前よろしくって言って次のとこ行く。
これわーっとやってあとじゃあお前よろしくって言って次のとこ行くっていうのでどんどん出世をしてその後地固めをしていく。
なんかそんなことを秀永がやってきたんじゃないかなっていう感じがしますね。
スピーカー 2
なるほど。
いやなんか今までの戦歴とかエピソードを聞いていると確かにすごい派手さないんですけど
結果としてはなんかちゃんと出しているしちゃんとそのナンバーワンの意図に沿って動いているしっていうのはわかりますし
それで冒頭に勝美さんが言っていただいたような結果としては100万国もう日本でも歴史で何人しかいないみたいなぐらいの領地を持っていたし
で評価されているんですよね。まあ秀吉からはもちろんですけれども周りからも多分そこが評価されていると。
まあ当たり前なんですけどインターネットとかない時代においてちゃんとでもそれは当時やっぱり評価されたんだなっていうところもちょっと驚きですし。
スピーカー 1
ああそうですね。
スピーカー 2
そうで今の歴史の教科書とかには多くは削かれてないと思うんですけど
とはいえこういうエピソードが残ってるってこと自体がすごいなと思いました。