1. 二番経営 〜組織を支えるNo.2の悲喜こもごも〜
  2. #14 兄は天下人・豊臣秀吉。戦..
2024-06-05 28:38

#14 兄は天下人・豊臣秀吉。戦国時代の究極No.2、豊臣秀長①

▼今回のトーク内容: 

豊臣秀吉の弟・秀長/秀吉の天下獲りを支えた名No.2/30年間にわたり戦の武功/元は農民/20代で侍に”転職”/兄は「無茶ぶり上司」/30代で頭角/織田信長の戦記に名前が登場/本能寺の変で突然トップがいなくなる/兄・秀吉を信長の後継者に押し上げる戦い/名実ともに秀吉のNo.2に/兄が病気の時は総大将に/秀吉=せっかちなトップ/兄の様に派手な戦いはしないが「負けない」/名軍師・黒田官兵衛とは好対照/野心の官兵衛/愚直の秀長

▼番組概要:

COOや副社長などの「組織のNo.2」。その仕事をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、仕事の面白さ・大変さなど「No.2の悲喜こもごも」を語っていく番組。製造業に特化したコンサルティング企業、オーツー・パートナーズ取締役の勝見靖英と、幻冬舎「あたらしい経済」編集長の設楽悠介がMCを務める。毎週水曜日配信。

▼番組ハッシュタグ:#二番経営

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▼MC:

勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ 取締役)

1971年生。慶應義塾大学文学部卒。ジャパンエナジー(現ENEOS株式会社)、PwC、デロイトトーマツコンサルティング、日本IBMなどを経て、2015年7月よりオーツー・パートナーズに参画、2018年4月より取締役。製造業を対象とした戦略策定、業務改革、ERP/PLM等大規模システム導入等のプロジェクトを多数経験。プロジェクトマネジメント、チェンジマネジメントを得意とし、現在は経営企画/会計/人事総務/組織開発/IT/マーケティング広報等を管掌。HCMIコンソーシアム RX 推進人材・高度ロボットSI エンジニア育成事業技術委員会RX 推進人材育成分科会技術委員。

設楽 悠介(幻冬舎「あたらしい経済」編集長) ⁠https://twitter.com/ysksdr⁠

1979年生。明治学院大学法学部卒。マイナビを経て幻冬舎に。同社でコンテンツビジネス局を立ち上げ。電子書籍、コンテンツマーケティングなど新規事業担当。2018年にブロックチェーン/暗号資産専門メディア「あたらしい経済」を創刊。幻冬舎コミックスの取締役を兼務。「Fukuoka Blockchain Alliance」ボードメンバー。ポッドキャスターとして、Amazon Audible original番組「みんなのメンタールーム」や、SpotifyやAppleにてWeb3専門番組「EXODUS」など配信。著書に『畳み人という選択』(プレジデント社)。

▼ディレクター:

関岡 憲彦

▼プロデューサー:

野村 高文 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/nmrtkfm⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼制作:

Podcast Studio Chronicle ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://chronicle-inc.net/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼カバーデザイン:

松嶋 こよみ ⁠https://twitter.com/kymmtsm⁠

00:01
スピーカー 2
二番経営 No.2の悲喜こもごも、この番組では、なかなかおもてんでない会社の二番、No.2をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ大変さんなど、No.2の悲喜こもごもをリスナーの皆さんにお届けします。
スピーカー 1
こんにちは、株式会社オーツーパートナーズ、勝宮すいでです。
スピーカー 2
現当社新しい経済編集長の、しだるゆうすけです。
二番経営第14回、今回のテーマは、戦国時代の究極No.2、豊臣秀長編、前編です。
はい、ということで今回のテーマは、またちょっと人物、No.2の尊敬できる人物に光を当てたという内容のコンテンツになっておりますが、今回はちょっと時代を遡ってかなり、豊臣秀長。
スピーカー 1
さかのぼりましたね、豊臣秀長です。
豊臣秀長という人物ですね、No.2界隈というか、実は結構な有名人なんですけれども、豊臣秀長、名前の通りですね、豊臣秀吉の弟ですね、No.2補佐役としての超重要人物ですね。
秀吉の天下取りに最も貢献して、豊臣政権の柱と言われて、領地は114万国、大和ダイナゴンと呼ばれた豊臣政権の名実と思うんですね、No.2。
もう一人の天下人、信長、秀吉、家康に続くもう一人の天下人とも言われた、それぐらいですね、戦国武将の中のトップクラスの人なんですけども、でも知らないですよね、実はね。
スピーカー 2
僕も弟がっていうエピソードはちょっと聞いたことあるぐらいで、あとなんかあんまり学校とかでもそんな深くここの部分は裂かれてないなっていう気がする。
いわゆる歴史の教科書とかに出てこないなっていう印象があるので、具体的なエピソードが浮かばないっていうですね。
スピーカー 1
そうなんですね。具体的なエピソードが全然浮かばない。
スピーカー 2
浮かばない。
スピーカー 1
秀吉と言えばですね、その部下の方たちでも有名な人っていうのはいろいろいらっしゃってですね、過去の大河ドラマの主役でも黒田寛兵衛、前田利家、三浦幸村ですね、三浦信家。
あと徳川家康が部下というかですね、信家に就いた時もありましたし、あとはドラマの主役じゃなかったとしても石田三成とか加藤清雅、福島雅則、森てるもと、などなど。
戦国好きの方はですね、パッと浮かぶようなお名前たくさんあると思うんですけど、その中でもおそらく豊臣秀長を挙げる人ってのはほとんどいない方だと思います。
なんですが、2024年ですけれども、2026年のNHK大河ドラマ、主人公が豊臣秀長なんですね。
そうなんだ。
豊臣兄弟びっくりマークという大河ドラマになります。
おお。
しかも脚本がですね、八津博之さんですよ。ご存知ですか、八津博之さん。
03:03
スピーカー 2
ちょっとごめんなさい、僕あんまり。
スピーカー 1
八津博之さんは最近で言うと美番。
スピーカー 2
そうか。
スピーカー 1
はい、下町ロケット。
スピーカー 2
ああ、すごいですね。
スピーカー 1
半澤直樹。
あら。
もう期待のヒットメーカーですね。
スピーカー 2
ええ、それで大河が決まってるんだ。
スピーカー 1
決まってるんですよ。再来年ですね。
再来年。
なので、もう実はちょっともう2年間先取る感じで。
スピーカー 2
いや、そうですね。もしかしたらこのドラマを買って告知では、僕らの番組が一番やすくなってるかもしれないですけど。
スピーカー 1
ポッドキャスト界では不動のエース古典ラジオさんがですね、7月から秀吉家康編だったかな、2024年の7月から多分放送されるので。
はい。
それの予習になるかわからないですけど。
ああ、なるほどなるほど。
なんか周辺の知識として、ナンバー2、2番系できるんですね。ちょっとお伝えできればと思っております。
はい。
ちなみにですね、豊臣秀長がちょっとマイナーな人物かもしれないんですけど、主人公の小説っていうのは過去、私が確認したところだと5冊ぐらい出ています。
1冊はいくつかの主人公がいる中の1人っていう感じの書き方だったんですけれども、その中でもですね、1985年に坂井八太一さんが出された豊臣秀長がある補佐役の生涯というBHP研究所から出された本がですね、一番メジャーな小説ですね。
結構分厚いですけど、非常に面白い本になっています。
なるほど。
ちょっとマイナーでもありながらもう1人の天下人っていう感じだったんですけど、何がすごいのかというところなんですけれども、
気になる。
いろんな記録が残っています。ただその記録といっても思い浮かぶエピソードというよりも、それだけ天下人のような方だったので、いろんな方が語っているそういう内容があります。
なるほど。
日本に来ていた宣教師でルイス・フロイスという方がいらっしゃったんですけども、その時に秀吉とその宣教師の人が話をしたら、秀吉がですね、その時に日本の国内統治、全国統一を目前に控えたタイミングでこうおっしゃったそうです。
日本国内を無事安納に統治したく実現した上は、この国を弟の美濃殿に譲り、よ自らは先進して朝鮮と品を征服することに従事したい。これは後に朝鮮出兵のことをその時に言っていたんですけども、その前にこの国は弟に預けるんだということをおっしゃって。
あとですね、奈良の僧侶の方の日記の記録の中には秀吉は王になり、もうこの王っていうのは天皇のことですけども、秀吉は王になり、最小殿、これ秀長のことなんですけども、最小殿は漢伯になり、家康は将軍になると予測されているぐらいですね、天下人ムーブが起きているような感じですね。
すごい。
06:00
スピーカー 1
一つよく聞き合いに出されることで、当時九州がまだ秀吉の支配下に入ってなかったときに、いろいろな揉め事があって、大友総理という武将がちょっと助けてくれませんかっていうので、秀吉に越見を大阪城に求めて行ったときに、いろいろ勧退を秀吉がするんですね、九州の武将を。
そのときに秀長がですね、いっぱい人がいる前でですね、その大友総理の手を握ってですね、打ち打ちの義は宗益に、公事のことは最小存じ候。どういうことかっていうと、秘密のことは千利休に相談してください、政治のことはもう全部私めにおっしゃっていただければ大丈夫ですよっていうことを言いました。
なるほど。
ちょっといきなり千利休が出てきちゃったんですけれども、千利休を置いておくと、この国の政治のこと、統治のことっていうのは秀吉さん殿ではなくて、私に聞いていただければまあ案状うまくやるんでご安心くださいっていうのを番人の前で言う。それぐらい点が取ってるって感じですね。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
あと、豊臣秀長っていうのは最終的にですね、諸領が114万国という分をですね、領地として持っていたんですけれども、114万国っていうのがどんぐらいすごいか。
確かにね。
100万国って言葉として書かれたことあると思うんですけども、100万国以上領地として持っていたのは当時ですね、秀吉と家康しかいなかった。
家康の転換になって江戸時代になるとですね、実は100万国を超えてる家っていうのは前だけかが100万国でいたしますけれども、前だけの103万国だけですね。
他に島津73、伊達53とかってあるんですけど、ほとんどなくて。幕府としては400万国っていうのを持っていたそうなんですけども、それぐらい100万国アップっていうのはもうその後の歴史でもですね、ほとんど出ないくらいすごい領地を収めていた。
まあそんな人物ですね。この豊臣秀長なんですけれども、先ほど来出ているようにですね、豊臣秀吉の3歳下の弟さんです。
これは弟なんですけども、同じお父さんの兄弟っていう説と、それからお父さん違いの兄弟っていう説と、2つあって、諸説あるって感じなんですけれども、兄弟であることにはもう間違いないです。
お母さんは同じお母さん。1540年に生まれて1591年に亡くなられています。
去年52歳ということで、今の私と同じぐらいの時に死んでしまったという感じでございます。
この方なんですけれども、これまで戦国時代の武将ですので、実際にその52歳で亡くなるまでですね、戦の歴、武功っていうのは30年間。
09:02
スピーカー 2
すごいな。
スピーカー 1
30年間ってすごいですよね。一方ですね、52歳で亡くなって30年間の戦績、武功、これどういうことかっていうとですね、52から30を引くと22じゃないですか。
スピーカー 2
ですね、はい。
スピーカー 1
つまり22から武士始めましたって人なんですよ。秀吉が貧能の生まれで天下人になり上がったっていうのは有名です。
秀吉はですね、これも最初の頃はよくわかってないんですけれども、おそらく10代の半ばぐらいから武家奉公を始めたと。
信長の前にも他のところに奉公やってたっていう記録もあるようなんですけれども、秀吉は10代の頃から武士になろうとして頑張ってきましたと。
ところがこの秀中はですね、22歳までバリバリの農民やってました。22歳からですね、全く未経験で転職をしたんですね。
スピーカー 2
そういうことですね。
スピーカー 1
異業種の転職22歳。今の22歳ぐらいとはまたちょっと違う。
スピーカー 2
寿命を考えると、もうちょっと縮めて考えると中堅クラスまで農民をやってそこからキャリア転職するみたいなイメージに近いかもしれないですね。
スピーカー 1
そうですね。今の感じで言うと30歳から35歳ぐらい油乗ってて、もうその仕事は完全に自分任されてたっていうタイミングで。
これもどのタイミングでお兄さんのところに行ったのかっていう記録は残ってないんですけども、おそらくお兄ちゃんにスカウトされていくことになったんだと思います。
未経験から、しかも35歳から全然違う仕事を始めましたっていうところで、最初の10年15年っていうのはおそらく地獄のような感じだったと思いますね。
未経験の仕事で、もう兄が上司なわけですね。で、お兄ちゃんも無茶振り上司です。で、別に全然偉くもないですよ最初は。
確かに。
勤労から足軽をやって、足軽大将みたいになって、足軽大将って言っても本当に一番最下層の武士ですからね。
こう槍持ってバーって走る、そういう組頭みたいなところなので、誰に尊敬されるわけでもないぐらいの感じですと。
その中で、そういう武士としても最下層にいる兄が上司になって、そこの下にも部下はおそらく組頭なんで何人かいると思うんですけれども、
10代の頃から武士をやっていたような方、わがままで言ってみればろくな人いないぐらいのところから始まってですね、
どんどん出世とともにその組織、秀吉組がですね、大きく成長していくと。
その時でも2人とももともと農民上がりですので、ずっとですね、抱えてた部下いないわけですよね、家臣も。
2人だけ。でも組織が大きくなってくると、どんどん部下が増えますと。
で、どんな人が増えるか。織田信長の部下が秀吉の部下になっていくみたいなことも起きるわけです。
親会社の社員が、ちょっとくだらないですね。子会社のところに社員としている。
12:04
スピーカー 1
あそこ人足りないからお前行ってくれって感じで、行ってるって感じですね。
かつそこで、店長なのか福祉社長なのかわかんないですけども、その人は最近仕事始めたばっかりの、右も左もわかんない、そういう人がいる。
で、ずっとリスキリングしまくってるわけですね。
スピーカー 2
っていう状態で10年間、15年間、ひたすら頑張っていく。
スピーカー 1
で、最初おそらくすごく後悔したんだと思うんですけども、歴史の中にですね、秀長の言葉が出てくるのは、1574年になります。
1574年っていうのは、どれくらいかというと30代半ばなんで、もう十数年、武士になってから経ってっていうところです。
で、このタイミングではですね、伊勢長島の一皇一騎という、反乱というか、争いがあったんですけども、
それを戦う戦法の章として、名前が「慎重功記」という信長の戦の記録が残った書籍があるんですけども、そこの中に初めて出てきます。
なるほど。
そこで30代半ばですので、おそらくその前の歴史っていうのは相当苦労されてきてると思います。
で、記録に残る章ですので、一定の活躍もされてきたんじゃないかなというふうに思うんですけども、
おそらく活躍し始めたのは1570年頃、30歳ぐらいですね。
阿財仲政とか朝倉家っていうのと信長が戦った時にですね、ちょうどこう歴史の中では登場してきてですね、将として秀吉と一緒に戦って、
秀吉が北大海という今の滋賀県の北北部をですね、統治した時にですね、ずっとそこの朝露の統治なども秀長が実際にやっていたんじゃないかというふうに言われています。
なるほど。
その後もですね、秀吉について中国方面ですね、兵庫県、それから岡山、広島とどんどん秀吉が攻めている時にですね、そこで大いに活躍しながら、
ただ秀吉の陰になりながらですね、ずっとじっと頑張っていた、そういう時代があります。
これがですね、持ち破りの転職をしてから20数年間ずっと。
なるほど。
20数年間なんで、さすがに転職したての新人というわけではないですけれども、下積みがあって何とか仕事ができるようになってきた20数年間ですね。
なるほど。
この期間何かというと信長が全国統一戦争をやっていた時代。
ここからですね、ご存知のように信長本能寺の変というのがあって、そこでいきなりですね、天下一位トップがいなくなるというところがあります。
ここからは秀長がどんな戦績になっていくかというと、信長の後継争いの戦いですね。
ここは明智光秀を破る山崎の合戦、柴田勝家と戦う地図がたけの戦い。
15:04
スピーカー 1
小牧永手の戦いというので、織田信長の息子である織田信勝プラス徳川家康という織田徳川連合と戦うという。
そういうのを経てですね、なんとか秀吉が信長の後継者として認められていくと、その地位を確立していくというふうになっていく戦いがあるんですけど。
これで2年間ぐらい繰り返されます。
その最後の織田徳川軍と戦うというのが信長後継戦争の最後なんですけども、このタイミングで秀吉の妙大として交渉に当たるのはこの秀長になるんですね。
豊臣政権のナンバー2っていうのを織田家徳川家としてやると。
これでグッドな名前があって。
その最後の戦いのターンというのは、今度は秀吉の全国統一戦争ということですね。
信長がまだ全国を統一しきってない残りがいくつかありましたので、そこを秀吉が一生懸命戦っていきます。
スピーカー 2
そのときの中心人物になるのがこの秀長になります。
スピーカー 1
奇襲に今の和歌山県のあたりを攻めています。このときの副将をやります。
副将なんですけどもトップが秀吉ですので、実際には現場の最高司令官ですね。
軍事の統率者を務めます。
このタイミングっていうのが一番大きい。
そういう軍隊を率いるタイミングの最初だったと思うんですけども。
その後、四国を併定しに行きます。
ここで初の総大将になってくるんですけども、
ちょうど秀吉が病気をしていたんで、代わりにお前が四国をちょっと抑えてこいっていうので行きます。
このときなんですけども秀吉が病気だったので代わりに秀長が四国の併定に行くんですけれども、
秀吉の病気が治っちゃったんですね。
10日ぐらいで。
なるほど。
病気治ったと。
そういえば弟を四国に行かせてたなと思って。
四国ちょっと治まったのか。
まだ10日なんでまだです。
そこからまた10日待ちました。
四国何とかもう終わったのか。
いやまだです。
20日間ですね。
ちょっとまだかよ。
スピーカー 2
もういいや俺行くわっていうのを言い始めたのが四国攻め始めた20日後。
スピーカー 1
はあ。
スピーカー 2
これあの前回トップはせっかちっていう話ちょっとありましたけども。
スピーカー 1
いやせっかちですねこれ。
いやいやいやって感じなんですけども。
スピーカー 1
四国って広いですからね。
俺行くわみたいな感じだったらしいんですよ。
うん。
あの今から行くんでっていう手紙を秀長に送ったら、
いやほんとマジちょっと待ってください。
めちゃくちゃ頑張ってきてるんで。
今ここで来られちゃうとほんと総代称やって。
私の面目も失っちゃうし。
何よりも殿の意向に傷がつきますと。
うん。
ここまでやってきたところ横からかさらうみたいな感じ。
スピーカー 2
あーなるほどね。
スピーカー 1
ちょっとあんまりよろしくないと思うんで何とか私に任せていただけませんかと。
18:00
スピーカー 1
うん。
言ってしょうがねえなやってみっていうので。
結局ですね四国を治めるのに50日で四国を閉廷します。
2ヶ月弱でですね四国を治めるっていうのはなかなかの手腕なんですね。
それをやってので。
今度四国が東地下に入って張曽加弁もどっちかというこれも大戦国武将ですけども
秀長の配下に加わります。
そして最後の舞台になるんですけどもこの九州ですね。
薩摩の方に島津がいます。
そこを攻めていくんですけれども。
ここではですね秀吉と秀長と2つの軍でもってイメージするとですね。
秀吉が福岡から入って佐賀を通って熊本を下って鹿児島に入る。
なるほど。
秀長がですね福岡から大分宮崎鹿児島っていうですね東回りのルートです。
これでこう両方から脅威していくというところなんですけども。
ここもパパパパッとこう2人でですね。
秀長が大活躍をしてそれで九州の平定となりました。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
この時点で日本はほとんど統一されていたんですけども残っていたのが関東。
それから欧州ですね。
欧州は伊達正宗がいます。
関東は沢原のあたりに北条氏が残っている。
この2つを統一すればもうおしまいってところなんですけども。
秀長としては九州平定の後病気になっちゃってですね。
その後小田原攻めには参加せずその後病気で亡くなるということになるんですけれども。
ちょっと今長々とですね戦績の話をしてしまったんですけども。
秀長っていうのは目立たない感じで全然エピソードも浮かばないし。
例えば桶狭間の戦いとかなんとかの一夜情みたいな感じの先行の何かっていうのは何もないんですけども。
指揮官として率いた戦いっていうのにほとんど負けたことはない。
なるほど。
地味で確実な堅実な戦い方をするんですけどもとにかく負けない。
これが農民出身で最初はキャリアなかったところからもうひたすら20年間叩き上げてですね。
周りには有名な軍師で竹中半兵衛っていうすごい軍師の方がいたんですけども。
有名って言っても当時は秀吉の弟?元農民?何それ?みたいな感じで相当見られてたと思うんですけども。
食らいついてですね学んでそれで一生懸命努力をしてすごい成果っていう感じじゃなかったかもしれないんですけども。
でも着実に先行遂げるような武将に育っていったのであろうという。
スピーカー 3
なるほど。
スピーカー 1
最後ですねちょっと長くなってしまったんですけども育成の話をいろいろしてきたんですけれども。
21:01
スピーカー 1
秀吉戦でナンバー2と言ってですね。
実は秀長以外にも名前が浮かぶ人っていうのがいます。
先ほどの竹中半兵衛もそうなんですけども一人ですね黒田勘兵衛ですね。
軍師勘兵衛という存在があるんですけども。
その軍師勘兵衛との比較をして今日はちょっと終わりたいと思うんですけども。
この黒田勘兵衛黒田義隆と言いますけれども。
秀長の6歳年下になりますね。
おそらく最初に会った時には秀長が30過ぎて黒田勘兵衛が20代後半ぐらいの時に初めて会っています。
その時にはですねもうなんか最初からもう黒田勘兵衛っていうのはもう出世したくてですね。
なんかムンムンしてるような雰囲気を持ってただめちゃくちゃ頭が良いと。
めちゃくちゃ頭が良くて出世欲がめっちゃ強いと。
周りからちょっと疎まれてるって感じぐらいの存在だったみたいですね。
でそれをただ秀吉がしっかりとグリップしてですね。
この才能を何とか生かそうということで。
当時黒田勘兵衛に当ててですね。
こんなこと言ってます。
ちょっともう言い訳しますけども。
あなたのことは弟の秀長と同じように信頼してますよっていうことを書き残しています。
当時ですね自分の家族と同じようにあなたを思ってますっていうのは相手のことを信頼してるってことの表現の一つとしてよく使われたらしいんですけども。
そこで弟の名前をこういう名刺を出して言うっていうのは結構珍しかったみたいですね。
それぐらい秀長当時は小一郎と言ったんですけども。
弟の小一郎同然にっていうふうにこういう名刺を出すぐらいですね。
弟イコール信頼してる俺の分身みたいな感じで言えたのは珍しかったと言われてます。
で黒田勘兵衛なんですけども軍師で戦略家でとにかく頭がいいと言うのは大河ドラマでもありますしいろんな小説にも書かれてるんですけども。
よく言われているのは本能寺の編の後ですね。
秀吉のところにさっと行って殿これで天下取りへの道が開けましたなっていうセリフが入ったっていうのがちょっとエピソードとしては有名ですけれども。
とにかく天下取りの野心がめっちゃ強いと。
でそれができる力があるということを秀吉も認めていましたと。
つまり超有能で自分も天下が取れる器。
で閃光がとにかく欲しいと。
言ってみれば次のナンバーワンに俺もなりたいっていうのがなんかあるんですよね。
なるほど。
つまりナンバー2補佐役ではないんですよね。
次のナンバーワン狙いたい。
まあ殿が天下取ってくれればもう全然いいけど以上終了じゃなくて自分もチャンスがあればっていう風に思われてる方。
まあ少なくとも秀吉にはそういう風に映ってその後遠ざけられたりっていうことが。
スピーカー 2
そういうことですよね。
スピーカー 1
これなんとなく今の感じで見てみるとこの黒田寛美黒田義隆っていう人はスタートアップ企業とかですね。
だんだん成長してるときに求人票ですね。
24:02
スピーカー 1
求む将来のCXを候補とか。
あるいはなんか自分を高く食ってくれる将来有望なベンチャー企業とかスタートアップないかなっていうのを探してる優秀な人っているじゃないですか。
そんな感じだったんじゃないかな。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
有望なのは自分も分かっているし会社としても多分ちょっと社員になってくれだと来てくれないぐらい将来の幹部候補CXを候補っていうので来てなんか入ったけどこいつ俺のCEOの席狙ってるんじゃないかなみたいな感じで思われちゃうようなタイプ。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
一方秀永の方はですね創業者社長にお兄ちゃんとりあえずちょっと手伝って最初無休で働かされてですね。
なんか分かんないけどだんだん会社でかくなってきたみたいな感じで。
でもお兄ちゃんに言われたんだから頑張るって言ってひたすらついてくる。
なるほど。
本当に家族がゆえにっていうところで補佐役として全うしたと。
そんな違いが黒田寛美の比較をしてみるとより濃くですね。
そんな感じですね。
スピーカー 2
なるほど。
よりだからそのお話聞くとなんかピュアなナンバー2感っていうのが秀永ののが伝わってきますよね本当に。
スピーカー 1
これがピュアっていう言葉も当てはまると思いますし本当に愚直なっていう感じですかね。
おそらくなんか黒田寛美が見えた世界っていうのはなんかあったと思う。
はい。
喧嘩だったりとかビジョンだったりとかっていうのは。
ただ秀永はもうお兄ちゃん見るのが精一杯なんですよ。
ものすごいビジョン見ちゃってるのでもう自分は何とかそれについていく。
お兄ちゃんもいろんなところをもう食い散らかすんですね。
あっち行ってわーっと行ってでこれぐらぐらっとやって。
あとじゃあお前よろしくって言って次のとこ行く。
これわーっとやってあとじゃあお前よろしくって言って次のとこ行くっていうのでどんどん出世をしてその後地固めをしていく。
なんかそんなことを秀永がやってきたんじゃないかなっていう感じがしますね。
スピーカー 2
なるほど。
いやなんか今までの戦歴とかエピソードを聞いていると確かにすごい派手さないんですけど
結果としてはなんかちゃんと出しているしちゃんとそのナンバーワンの意図に沿って動いているしっていうのはわかりますし
それで冒頭に勝美さんが言っていただいたような結果としては100万国もう日本でも歴史で何人しかいないみたいなぐらいの領地を持っていたし
で評価されているんですよね。まあ秀吉からはもちろんですけれども周りからも多分そこが評価されていると。
まあ当たり前なんですけどインターネットとかない時代においてちゃんとでもそれは当時やっぱり評価されたんだなっていうところもちょっと驚きですし。
スピーカー 1
ああそうですね。
スピーカー 2
そうで今の歴史の教科書とかには多くは削かれてないと思うんですけど
とはいえこういうエピソードが残ってるってこと自体がすごいなと思いました。
27:00
スピーカー 2
勝美さんが調べると出てくるっていう話じゃないんですけれども
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
特に光が当たらなそうじゃないですか戦国時代とかってナンバーツーに。
スピーカー 1
そうですね。はいはいはいはい。
そうなんですよ。もっと派手な活躍をされた武将ってたくさんいますからね。そういう中ではよく残ってたなと思いますね。
スピーカー 2
だからちゃんとやっぱり結果出してるっていう、まあ結果出してるっていう言い方が適切かわかんないですけど
まあいうところとかもしかしたらそのあれですね人間性みたいなのもあったのかなとかなんかちょっと聞いてて思っちゃいました。
あんまり歴史がすごい詳しいわけじゃないんですけれども。
スピーカー 1
はい。ちょっと人間性についてまた次回ちょっと語ってみたいと思います。
スピーカー 2
はい。ということでそうですね次回ぜひちょっとそのあたりですねまた深掘り後編としてしていければと思っております。
それではそろそろお時間です。
2番Kナンバー2の引きこもごもここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
番組への感想はハッシュタグで2番K全て漢字でXにポストいただければ嬉しいです。
お便り本もご用意しております。
番組の概要欄に記載がありますのでぜひ質問感想などお聞かせください。
もちろんかつみさんと僕の方で全部読ませていただいております。
なおこの番組は週1回水曜日に配信しています。
Apple、Spotify、Amazon、Listen等様々なプラットフォームで配信しておりますのでぜひ皆さんお楽しみいただければと思います。
また番組の方フォローしてない方いらっしゃいましたらぜひともフォローもいただけると嬉しいです。
それではここまでのお相手は、
スピーカー 1
かつみやすいれと
スピーカー 2
しだれゆうすけでした。ありがとうございました。
スピーカー 1
ありがとうございました。
28:38

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