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スピーカー 2
いや、めちゃくちゃ楽しみですよ。
スピーカー 1
シェランさん、中心蔵といって思いつくものとか、
どんな話とかでご存じのこととかってどんなことあります?
スピーカー 2
そうですね、歴史にあまり詳しくない僕もですね、
中心蔵に関しては何度もドラマで見ていたりとか、
それこそそれをちょっとパロディにしたものとかの派生作品とかもものすごい出てるなっていう印象があって、
やっぱり松野老化のシーンから始まって、
仕返しというか返しというか、
仇を取るみたいな、子供ながら昔から見てて、
こういう話が日本においてある意味親しまれてきてたというところも含めて、
やっぱり結構日本人のコアな部分、武士道とかにつながると思うんですけれども、
そこを揺さぶる何かを感じる物語だなと思っていて、
個人的にはアウトロ映画とかドラマも好きなので、
まさにじゃないですか中心蔵って、そこに引き継がれてるんだよねみたいな、
現代にあるみたいなところもあるので、
ちょっとそういった中心蔵に関してはイメージを持って、
僕もだから結構何パターンか見てるみたいな感じですね。
スピーカー 1
本当にドラマでも映画でも枚挙にと間がないほど扱われていて、
いわゆる中心蔵といったら、今おっしゃっていただいた主君の仇討ちをするストーリーみたいな感じですよね。
朝野巧の神っていうお殿様が江戸城内で、
喜良光助の助にちょっと切りつけて、
切腹することになって、老い家も断絶と。
残された部下たち、家臣たちが大石倉之助を筆頭に、
喜良光助の助を討ち入ってですね、復讐を果たす。
そんなストーリーっていう感じで、
本当は日本人の方皆さんご存知っていう感じのお話だと思います。
中心蔵、中心蔵というふうに私も今申し上げているんですけども、
実は中心蔵という言葉自体はですね、歴史の史実としては使われなくてですね、
中心蔵っていう言葉は、この事件、あえて事件というふうに言いますけども、
歴史上では阿光事件と言われています。
阿光版の話なんで、阿光事件のですね、事件の後47年後にですね、
人形浄瑠璃で扱われて、その後歌舞伎の演目にまでなった、
奏本中心蔵っていうお話があるんですけども、
そこから取って中心蔵と言われています。
この人形浄瑠璃とか歌舞伎の中の話っていうのは、
実はこの、本当の阿光事件の名称だったり、
そういうものをまんま使うんじゃなくて、
当時はですね、1700年代だったんですけれども、
時代を14世紀、だから1300年代、室町幕府の時代っていうふうに置き換えてですね、
主人公の名前も円谷半賀っていう人だったり、大石倉之介ではなくて、
大星裕之介っていうふうに名前を変えてですね、上演をされて。
スピーカー 2
なるほど。分かるようにでも変えてるみたいなことなんですね。
そうなんですよ。
当時の人にとっても、なるほど。
スピーカー 1
そうなんです。見てる人は、ああこれ大石倉之介のことだなとか、
こっちは平小助之介だなっていうのを分かって見ている話なんですよ。
倉之介っていう言葉が入ってないんですけども、
その宿に対して中心の倉之介の話。
なので中心蔵っていうふうに名付けているというストーリーです。
なるほど。
これはかなり長時間にわたる演目だったみたいですけども、
この中で仇役になる平小助之介をモチーフにした河野室直だっけな。
役名忘れましたけども、その人がまあ悪いわけですよ。
浅野匠の神のモチーフにした人の奥さんにですね、
声をかけて振られたらですね、その腹いせに旦那いじめるっていう、
もうなんか意味わかんないようなこととかをもう散々パラやって、
それで最後に浅野匠の神が、もうあえてそのままの名前で言いますけども、
腹を切る直前ですね、大石倉之介に俺の恨みを晴らしてくれって言って、
死んで復讐を遂げるっていう歌舞伎状のお話でした。
それがですね、あたかも史実のようにずっと語り継がれていて、
ドラマにも映画にもなっているという感じなんですね。
実際のこの阿光事件っていうのは、実際今の歌舞伎の話人形浄瑠っていうのは、
スピーカー 1
ほぼ創作の世界になっているので、実際の史実は違うというのがあります。
それをなぞったものもあるんですけれども、
なのでちょっと二番系的にはですね、歴史の事件としてあったことは間違いないので、
登場人物も変わっていないので、そこをちょっと一回史実として確認をしながらですね、
二番系的にちょっと見ていければというふうに思っております。
じゃあこの阿光事件というものなんですけれども、どういうふうに起きてきたのかという外観をですね、
いつもの二番系はメインのストーリー入るまで第1回とか2回とか使っちゃうけれども、
タイムリーに今日ちゃんと打ち入りまでなので、
説明をさせていただきますけれども、
阿光事件というのは大きく2つのパートがあります。
2つのパートとその間の準備期間みたいな感じなんですけれども、
1つは電柱で認定をする、江戸城内で切り付ける事件、
それからもう1つがメインとなる喜良邸の打ち入りですね。
この2つです。その間に調整準備期間があるという構成になっています。
スピーカー 2
調整準備期間、そうですね。
スピーカー 1
結果的に見ると、この阿光事件が起きた時代背景、
簡単に言いますとこれも元禄時代と言われている時です。
元禄時代というのは1688年から1704年まで、
これを元禄元年から元禄15年、この15年間を元禄時代と言われるんですけれども、
この時には将軍は徳川綱吉です。
お犬様とか言ってた徳川綱吉さんの次世ですね。
その頃日本では特に神方を中心にですね、
文化的にも経済的にも非常に活気のあった時代と言われています。
それが元禄時代なんですけれども、
一番のポイントはですね、1704年まで続くんですけれども、
1704年というのは100年前、1603年に江戸幕府というのが出来上がっていますので、
江戸幕府が出来てから日本中戦国の世が終わってですね、
平和な時代が100年続いたところの時代。
そこで起きたのがこの阿光事件というもの。
そういう背景があるというところから始まるんですけれども、
まずこの阿光事件の最初、伝柱認証、何が起きたかというと、
これは元禄14年、1701年の3月14日にですね、江戸城内で起きているんですけれども、
この3月14日っていうのは何があった日かというと、
ここは江戸城ですので将軍様がいる都教都内ですね。
そこで朝廷天皇と上皇、天皇のお父さんですね、上皇陛下がいるんですけれども、
その朝廷からの使いの方を勧退している期間というのが、
3月12日から14日までの3日間行われていて、
その勧退期間の最終日だったんですね、3月14日っていうのは。
最終日何をやるかというと、将軍が直々にですね、
その朝廷の使いの人に挨拶をする、そういう儀式が予定された、そういう日でした。
その日にですね、場所は江戸城内の松野廊下っていう言葉が聞かれたことがあるんですけど、
松野廊下で起きます。
松野廊下っていうのがどんな場所だったかっていうと、
今申し上げた朝廷の使いの人に挨拶をする儀礼会場に行く廊下だったんです。
その儀礼会場っていうのは江戸城の中でもですね、
特別な場所とされている白書院っていう場所。
ここはですね、300畳の広さがあってですね、
特別なイベントにしか使われないような、超ビップ用の客間みたいな感じですね。
将軍もいて、朝廷の方もいてっていう最上位の場所という、
そこに行くための廊下だったんですけども、
そこでですね、阿光藩主、朝野巧之神が皇家筆頭、皇家っていうのは高い家と言いますけれども、
将軍家、武士の集団ですね。
そこと朝廷と結びつける役割を担っていたのがこの皇家という役職です。
そこの貴族担当者みたいな感じですね。
そこのトップが平耕介です。
皇家筆頭、平耕介。
朝野巧之神が平耕介に、
いきなりですね、その末廊下で後ろから刀を持ってですね、切りかかったことが起きました。
突然起きたそうです。
通常なんか刀を持ち出すときには、
てめえぶつかったなといったザコザコがあるとか、
口論とか一切なくですね、いきなりですね、
刀を持った朝野巧之神が平耕介を切りつけたと。
後ろから切りつけて、で、はっと振り返って、
で、またこう、もう一回人たち浴びさせられたと。
で、おでこに傷をつけたというところです。
平耕介の方には、刀でやってるんですけど、
自分も武士で、大刀、刀を持ってはいるんですけども、
刀に手をかけるわけでもなく、手で押し返すわけでもなく、
手向きも一切しない状態でやられたというまま。
で、朝野巧之神が周りの人に、後ろから歯がいじめにされて、
電柱でござるっていう。
スピーカー 2
有名なシーンがありますよ。
スピーカー 1
まあ、そんな感じで抑えられたというところですね。
その時に朝野巧之神が、この間の意向を覚えてあるか。
この恨み覚えてるかって言って、切りつけたって言われているんですけども、
実際にそういうセリフが入ったかどうかっていう真偽は一切不明だそうです。
なるほど。
スピーカー 1
いずれにしても、刀で切りつけて、結局大きい傷にはなっていないんですけれども、
実際にこう、体に刀が当たってて、
そこの畳っていうのは血で穢れてしまったという状況です。
これからですね、VIPを呼んだ艦隊の関将軍が来るっていう、
超VIP会場の入り口が血で汚れたっていうことで、
これでもその儀式の会場を別のところに変えなきゃいけない。
スピーカー 2
ああ、そうか。
スピーカー 1
もともと300畳のところから、この190畳、ちょっと狭いところですね。
しかも日常の行事をする場所に変えるということが当然ですけども、行われました。
その時の将軍、実際にVIPの対応することになっていた将軍は、
先ほど話した徳川綱吉、後代将軍綱吉、もうブチ切れですよね。
スピーカー 2
まあそうですよね。
スピーカー 1
当たり前ですけれども。何してくれてんじゃんっていう感じでブチ切れて、
でもその儀式っていうのは、とどこおりなく大役が立ってですね、やったわけですけれども、
その大激動を受けて、朝野匠の神っていうのはその幕から即日説服を言われて、
しかも御家も取り潰した。
赤尾朝野家はもう取り潰しっていうのは即日決定されました。
斬りつけられた方の平小月之介っていうのは、
斬りつけられて抵抗も何もしてない、討論もしてないということで、
一切おとがみなしで終わったという感じ。
なるほど。
今5W1H的に言うと、When, Where, Who, What, Howみたいな感じの話を申し上げたんですけども、
じゃあなんで朝野匠の神がいきなり刀で斬りつけたかっていう理由なんですけども、
これは実は不明なんです。
スピーカー 2
ドラマとかでは意地悪されたみたいなこととか、色々なエピソードがありますよ。
スピーカー 1
ありますよね。確かに意地悪されていた模様は色んなところで分かるんですけれども、
そこは全く分かんないんです。
斬られた方の斬らさんに、治療中に聞きました。
なんで斬られたんですか?
そしたら、いや分かんない。
ご乱心だったんじゃないかと。全然理由分かんないです。
っていうふうに斬られた側は言うんです。
朝野匠の神が捕まった方です。
切腹の前に取り調べっていうのがあって、
その時に本人が言うには、死的な異婚がありました。
異婚があったので、前後も考えず人情に及びました。
自分は乱心ではないっていうふうにはっきり言ったそうです。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
精神異常を起こしてとか、そういうことではなくて、恨みがあってやったんだってことを言っています。
この時に幕はどういうふうに考えたのかっていうと、
まずはこれは喧嘩ではない。
片っぽが斬りつけられただけでした。
斬られた方は異婚なんてそんなの知らない。
私には何の覚えもない。乱心だ。
斬った方は乱心じゃなくて恨みがあったんですって言ってるんですけど、
どんな恨みがあるのかっていうのは一切朝野匠にも言っていないんですね。
もし恨みがあるっていうことは、斬りつけるぐらいなんですから相当なことをされたんじゃないか。
そこまで含めて明らかになっていれば、両者の喧嘩っていう話ですけれども、
そういう事象っていうのが確認できないということで、
この斬りつけたことは喧嘩ではない。
江戸城で喧嘩喧嘩って僕は申し上げているんですけども、
この時代に喧嘩両制覇っていう天下の大法っていうのがあったんです。
これはどっちがいい悪いじゃなくて、
喧嘩したら必ず両方を罰せられなきゃいけないっていう絶対的なルールみたいなものがあったんですね。
今回に関しては幕府で喧嘩ではなくて、一方的な。
スピーカー 2
襲撃であるみたいな。
スピーカー 1
はい、襲撃であるというふうにしました。
後にですね、そうは言っても異婚って言ってるけど、その異婚は何なんだっていうことはいろいろ言われました。
浅野匠の神が賄賂をキラに渡さなかったとか、
何かをやるときにお金かけるべきところをかけてないからセコいんじゃないかっていじめられたとか、
この浅野匠の神の赤男犯っていうのは塩の田んぼ、遠伝経営がすごくうまかったので、
その情報をよこせって言ったのに渡さなかったからだとか、あるいは女性問題じゃないかとか、
浅野匠の神がめっちゃいい男だったらしいんですよ。
なので男色問題。
二人の色恋だったんじゃないかっていう説まであった。
この時代とかいろいろありますからね、そういうのね。
そういうのが一切不明の状態でした。
そこでは斬りつけました。
斬りつけた方が即刻切腹。
バックから命令を受けました。
斬りつけられた方は別におたがめない。
ただの被害者で異常種っていう状況がまず電柱の印象というところでありました。
ここまでが最初の事件ですね。
スピーカー 1
ここから先ほど申し上げたところでは調整準備期間みたいな感じなんですけども、
その後打ち入りまでに何が起きていたのかっていうところなんですけども、
アコウ犯自体が劣りつぶしっていうことが即日決定されました。
このアコウ犯が亡くなるってことはアコウ城ですね。
アコウっていうのは今の兵庫県の南西ですね。
瀬戸内海に目立つ大変になるんですけども、
そこにあるアコウ城というお城を分け渡さなければいけない。
3月14日に認証事件が起きて、分け渡しは4月の15日というふうに決まります。
そのときにですね、部下、家臣たちはいっぱいいるんです。
家臣団約300名とも言われているんですけれども、
当時の日本中にいた各藩主、お殿様たちっていうのは、
だいたい藩主は江戸に住んでることが多かったんですね。
今回も江戸城で起きた事件です。
アコウ犯の藩主が江戸城にいました。
国元、このアコウ犯では過労が国の政治を取り仕切っているという状態です。
江戸に住めている家臣団、これが約70名。
230名はアコウの国にいますという状態なんですね。
このアコウ犯っていうのは、五万石という国高を持つ藩だったんですけども、
この五万石っていうのは、全国で270ぐらいある藩の中のベスト100位ぐらい。
ほんと超ちっちゃいってわけではないんですけども、決して大きいわけではない。
うまいことやっているという感じの藩でした。
そこを差し出しなさいと言われたところで、
まず家臣たちはどうするか考えるわけですね。
それで幕府の命令を受けないといけない。
けど、うちの大将死んじゃった。
そのときに、普通はうちの殿様が人を斬りつけて人を謝めようとした。
悪いことを言った。だから罰せられたって感じなんですけども、
家臣たちはそう思わないんですね。
喧嘩じゃん。喧嘩って両性罰。なんでキラーのほうにお咎めがない?
いやいや、キラーはただの被害者ですよ。
いやいや、そうじゃなくて、どっち悪いじゃなくて、
お咎めがないっていうのが、そもそもおかしいでしょっていうことで、
ここでわわわっと皆さんの思いが錯綜するんですけども、
キラーがお咎めないんだったら、俺たちがなんかやったるわって思う人。
あとは、幕府がキラーにお咎めをしなかった。
幕府が悪いから、牢状して戦う。
あこうじょを渡さん。っていう考えかな。
牢状してもどうせ負けちゃうので、ここで討ち死にするっていう。
あとは城を受け渡す前に、家臣団が並んでみんなそこで説服する。
城の前で腹切って抗議するっていう考えですとか、
いろいろ出てくるんですね。
そういう混乱の中ですね、このあこう朝野家っていうのは、
朝野匠の家に弟がいたんです。朝野大学って弟さんがいたんですけども、
弟がいるから、お家取り潰してもワンチャン再興できるんじゃないか。
っていうふうに考えてしまったんです。
なので、今牢状して戦うとか、説服をするって言ったら、
裏で弟が糸引いてんじゃないかって思われちゃう。
そうすると一流の望みのお家再興も叶わなくなっちゃうんで、
慎重にしなきゃだめだよって言って、みんなを収めたのが、
大石倉之助だったんですね。
なるほどなるほど。
みんな落ち着いて落ち着いてと。まずは城を受け渡そうと。
いややってらんないですよっていう人たちをまあまあと抑えて、
城を渡すということをしました。
その城を渡したあとも、家臣団300名弱いたんですけども、
そのあとも城に住めなくなったとしても、
そんな思いでも日本中に散らばって行ったり、江戸に集まっていたりとかっていうのがありました。
京都にも集まる人もいた。
そのときによく言われた文言として、浅野巧の神っていうのは江戸にいましたんで、
江戸に住んでいて、江戸で雇い入れた家臣っていうのが結構いるんですね。
その人たちは浅野巧の神にスカウトされたというか、
使えていたので、浅野巧の神の復讐みたいな感じで思ってる。
個人に使える人たちですね。
一方で大多数の二百数十名の阿公藩にいた人たち。
大石倉之介もこっちですけども、
この人たちは巧の神に使えてたっていうよりも、浅野家に使えてたって感じなんですよ。
だから大事なのは殿様っていう個人ではなくて浅野家。
スピーカー 2
そこに代々従ってきたっていう感じで、浅野家が大事。
スピーカー 1
で、方や巧の神や殿が大事っていうこの2派に分かれて、
で、殿が大事の方が過激派、旧神派だったんですよ。
もうキラヤトラーって思ってる人たちですね。
で、もう片方の方はちょっとまあまあ言ってるかな。
スピーカー 2
まあそうか。目的がちょっと違うんですよ。
復讐と言っても兄貴殺されたからもう今行ってきますよっていう方と、
じゃなくてまあ待てと落ち着けみたいな、
これから俺たちどうしていくか考えた方がいいよっていう。
スピーカー 1
はい。親分じゃなくてこの組の存続が大事なんだみたいな感じ。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
まあそういうところがあってですね。
でも一流の望みとしては浅野大学っていう殿の弟で
御家再興っていうところを期待している
筆頭がろうの大石倉之助がいましたというところなんですけども。
スピーカー 1
この時にですね、もともと300人いた家臣団っていうのは100名になって、それが60名になって、
打ち入り当日には47名になっていったという状況です。
スピーカー 2
そうか、それでその人数なんですね。
スピーカー 1
このあこう事件の今の調整準備期間を長々ご説明したんですけれども、
いよいよメインイベントになる斬邸の打ち入りというのが行われます。
打ち入りが行われたのは元禄15年、1702年12月14日ですね。
それの午前4時という時間になります。
場所は本庄の斬邸、今でいう両国になります。
今でも斬邸跡っていうのが残っている場所ですけれども、
そこで大石倉之介を筆頭とするあこう老子47名が打ち入りをしましたというところなんですけれども、
そうなるべく斬邸のほうにも襲ってくるんじゃないかということで、
直持刑団のような形で老人を雇っていたりとかっていうことはしましたし、
実はこの斬邸っていうのは植杉家ありますよね。
米沢藩の大きい藩の植杉県心を先祖に持つ植杉家の縁者だったんですね。
斬邸の息子が植杉家に養子に行って、そこのお殿様をやっています。
そこの息子、自分の孫にあたる人を斬邸の養子に迎え入れて、自分の後継ぎにしているという感じで、
植杉家とめちゃめちゃ深い仲の斬邸という状況なんですけども、
植杉家が守るんじゃないかっていうことを言われていたり、結局守っていたんですけども、
そういう備えはあったんですけれども、
赤尾老子たちはなるべく人が来ないように抑えながら、それでも出てきた人と戦ってということを繰り返して、
そこの戦いの中では赤尾老子側の死者はゼロ、斬邸側の死者は15人とも18人とも言われています。
負傷者は20人以上とも言われているという。
いきなり朝方襲って来られて、その中でずっとすごく広い家ですから、
探索して回るわけですね、2つのチームに分かれて。
それで平小助之助がおそらく寝ているだろうという寝室に向かって行くと、そこには人がいないと。
でも布団めくってですね、手で触ってまだ暖かい、そばにいるっていうような、
これもドラマでよくあるシーンですけれども、
それで近くを探すと近くに台所があります。
台所の奥の方を見ると物置のような場所があってですね、
そこを開けて誰かいるかと言ったら2人がですね、バッと襲ってきたので、
そこをまずパパッと返り討ちにして、もう1人いるのかということで槍で突くとですね、
老人がまたガッと襲ってきたので、槍で突いて差し殺そうと。
ただその老人が着ていたものが、やたらといい着物を着ていたというところもあってですね、
これが平小助之助じゃないかということで、
そこの平手の治療人みたいな人に、これは小助之助かって言ったら、
そうだって言われたんで、これで打ち取ったということで首を取ってですね、
それでは打ち入りが終わるという感じですね。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
この間1時間とも2時間とも言われておりましたと。
無事ですね、打ち入りを果たして首を取った後なんですけども、
本城両国からですね、一行は戦岳寺に向かいます、港区ですね。
戦岳寺は何があるかというと、朝野巧の神のお墓があるんですね。
両国から戦岳寺まで9.2キロなんですけども、
今で言うと歩いて2時間くらいですけども、当時別に国道もないので、
そっか。
ことかかったかもしれないですね。
血だらけの人たちが行進している姿っていうのは目撃されたりとかっていうのもあります。
ただ誰に咎められるわけでも追手が来るということもなく、
戦岳寺の方に入って防禅に首を備えて全員で昇降するということで、
この仇討ちは終わります。
スピーカー 1
その後はみんな出逃しますので、幕府に出逃していくことになりますので、
4つの江戸飯店に分かれて身柄を確保された状態で、おとなしくなっていくと。
実際に死中死死って言われますけども、
1人武士分じゃない人が逃げたと言われていますし、
後世に伝えるために3つ目を持っていなくなったとも言われているんです。
46名ですね。
切腹は命じられてということで、裁定が下ります。
この切腹っていうのは近藤勲の時には残首で首切られて終わりだったんですけども、
武士としての誇りを守る局形なので、
切腹を命じられたことで涙を流して喜んだというような記録も残っております。
これで桐手の討ち入りが終わったというところなんですけども、
じゃあ改めてですね、彼らは何をやったのか、なぜやったのかっていうのを今更のように話そうと思うんですけども、
何をやったのか。
まあ討ち入りは討ち入っているわけですけども、これを今日のお話の中で、
敵討ち、仇討ち、そんな言葉を使ってきたんですけども、
この討ち入りっていうのは敵討ちなのか、仇討ちなのかっていうと、
そうではないっていうのが一般的に言われている説。
へー、なるほど。
意味わかんない。
スピーカー 2
だってお墓にまで持っていってるからやっぱり仇討ちじゃないかとか思っちゃいますけどね。
スピーカー 1
思いますよね。
冷静に考えてみるとですね、喜良光助之助は何をやったか。
殿様殺してないですよね、朝野巧の神。
むしろ自分の殿様が喜良光助之助を斬りつけたわけです。
斬りつけられた方を、もう一回ですね、部下たちが殺そうとして、
まあ実際に殺してた。
これ例えばですね、喜良光助之助の部下が、
うちの親分に何してくれてんじゃん、ほらって言って乗り込む方がなんとなくわかりません?
確かに。
殿様を殺したのは誰か。まあもちろん切腹なので自害ってことなんですけども、
切腹を申し付けたのは誰かというと幕府ですよね。
じゃあ幕府に討ち入るかというと、そういうわけにもいかないという感じですね。
なのでこの康二家の喜良光助の討ち入りっていうのは、
仇討ち、仇討ちとは認めないっていうのが幕府としての正式見解だったんですね。
スピーカー 2
へー、なるほど。
スピーカー 1
まあ仇討ちとは認めないっていうのはどういうことかっていうと、
当時ですね、仇討ちとか仇討ちっていうのは認められていたんですよ。
自分の親類演者とか配偶者。
親とかを。
はい、誰かに殺されたと。
そうするとですね、物資とはいえ誰かを謝るとか許されていないところだったんですけども、
その仇討ちに関しては殺害してもOKっていうようなルールがあったんですけど、
それには該当しないっていうのが正式な最低で出てきています。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
じゃあ彼らがやったのは仇討ちじゃなかったとしたら何なのか。
主君の思いを代わりに遂げたのか。
あるいは幕府が平小月之介にお咎めをしなかったことの抗議なのか。
つまり主君のためなのかどうなのかっていうところが実はよくわかんない。
何のためにみんな討ち入ったんですか。
その後確実に死ぬわけですよ。
スピーカー 2
まあそれ分かってやってるんですよね、もう。
スピーカー 1
分かってやってる。
それが何だったのかっていうのが実はわからないっていうのがこの事件だったんです。
スピーカー 2
すごい歴史のミステリーだな、ある意味。
スピーカー 1
はい。電柱で人情沙汰を受けた、その刀で襲った理由、本当のところはわからない。
討ち入りその理由は何だったのかっていうのも、実はわからないっていうのが正しい説です。
実はこの後ですね、これ1702年に起きたんですけども、100年、200年にわたってですね、
本当の理由はこうだったんじゃないかっていうことが、
いろんな学者の中で江戸時代からもずっと語られてるんです。
だからいろんなバリエーションの中心柄が起きるのはそういうところにも。
スピーカー 2
逆に言うと脚色もしやすい部分ではありますよね。話を変えられるぐらいですもんね。
スピーカー 1
そうですね、おっしゃる通りです。
ちなみにこの後日談なんですけども、
その喜良邸の方、討ち入られて隠居した喜良光月之介の首取られちゃいました。
その時に代を継いでいた喜良家の的取り息子ですね、喜良佐平という人がいるんですけども、
その人は当時20歳だったらしいんですけども、戦ったんです。
あこう老死と。背中にでっかい傷も受けているんですけども、
結果その討ち入りをされたときにうまく対処しなかった。
ということでですね、喜良家が囮潰しになるということになっちゃった。
親父は襲われるわ。
スピーカー 2
すっごく襲われるわ。
スピーカー 1
踏んだり蹴ったりという、お家断絶という感じで。
以上があこう事件の展末でしたことになります。
なるほど。
今の話はですね、前のなじみの歴史をなぞっただけということになるので、
次回ですね、主人公らへん全2回やってるんですけども、
次回はこの討ち入りっていうプロジェクトをリーダーとして聞いたNo.1じゃなくて、
時間を遡ってですね、あこう派のNo.2、
大石倉之介だったり、No.1としての浅野孝明どうだったのかっていうのと、
あとこのあこう事件っていうのはトップ無き後のNo.2層っていうのは、
何を突き動かしていったのかっていうところをですね、
ひも解く回にしたいと思っております。
スピーカー 2
いやーちょっと中心黒は何度も見てるって冒頭に言いましたけど、