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2021-01-25 33:12

「千利休と天下人たち」 エピローグ 作者対談

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ボイスドラマで学ぶ日本の歴史全編の演出を行い、しかも今回のシーズン3「千利休と天下人たち」の脚本も担当しました演出家「岡田寧」さんにお越しいただき、千利休という存在を通して新しい戦国の見え方といったものをお話をして頂きました。


●出演:  演出家:岡田寧
 ナビゲーター:熊谷要子
●プロデューサー:富山真明
●制作:PitPa(ピトパ)

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00:01
皆さんこんにちは。ボイスドラマで学ぶ日本の歴史。
ナビゲーターの熊谷陽子です。
3人の天下人。
三好永吉、織田信長、豊臣秀吉。
この3人とともに戦国時代を駆け抜けた千利休こと千僧益の物語。
シーズン3、千利休と天下人たち。
いかがでしたでしょうか。
まだお聞きになっていないという方は、ぜひ本編もお聞きいただければと思います。
さて、今回はそのシーズン3、千利休と天下人たちの脚本も手掛け、
このボイスドラマで学ぶ日本の歴史の演出もされていらっしゃいます。
岡田康史さんにスタジオにお越しいただきました。
岡田さん、よろしくお願いいたします。
初めまして、岡田康史です。よろしくお願いいたします。
お願いします。
岡田さんですね、まずはちょっと岡田さん自身のことをお聞きしたいと思うのですがよろしいでしょうか。
ありがとうございます。
このボイスドラマで学ぶ日本の歴史を前作で演出も行っていただいたということですけれども、
今回は脚本もされているのですが、今回どういった経緯で日本の歴史の演出をされるということになったかお聞かせいただけますでしょうか。
これまでテレビドラマを中心にですね、演出をプロデュースをやってまいりました。
それで今自分の作品をドラマ化することを準備しておりまして、
自作の小説を書いたんですけれども、時猫というファンタジーノベルなんですが、
それを2018年にボイスドラマ化しまして、
そのことをプロデューサーの富山さんにお話ししたらですね、
ぜひ歴史ドラマをやってみませんかというお誘いをいただきまして、
今回参加させていただくということになりました。
なるほど、多岐にわたっていろいろご活躍されているということで素晴らしいですね。
今回はこのリキューの作品に取り組まれたということですけれども、
ドラマの中で語り尽くせなかった歴史の小話なども、
今日はいろいろお聞かせいただければと思いますのでよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
では早速なんですが、順番に質問をさせていただきます。
今回の千利休ですね。
岡田さんが脚本を手掛けるということになったわけですが、
この千利休に対して何か特別な思い出というのはおありでしょうか。
03:03
千利休というよりは、私は大阪の堺市出身なんですね。
じゃあリキューと同居ですね。
同居なんです。
なのに全然リキューのことを知らなかったんですね。
お茶のおじいちゃんというぐらいのことをしか知らなかったんですけれども、
ドラマでですね、阿部の生命のドラマをやったことが、
恩明寺という作品を手掛けたことがあるんですけれども、
阿部の生命もお母さんが堺の出身で、
そうなんですね。
リキューとは非常に縁があって、
呪楽廷にあったリキューの官邸は、
阿部の生命の生命神社の今あるところにあったと言われているんですね。
そうなんですね。
一条戻り橋のそばなんですけれども、
それでなんとなくリキューは気にしていたんですけれども、
ちょっと巨大すぎてですね、存在がわからない、つかめない人なんですね。
富山プロデューサーからお誘いいただいたときに、
調べてみようということでですね、
資料に当たってみたんですけれども、
50代ぐらいまでは何をしていたのかさっぱりわからないと。
そうですよね。
もう千利休というとおじいちゃんというイメージ、
生まれたときからおじいちゃんなわけじゃないのに、
千利休はもうすでにおじいちゃんというイメージ、すごい強いですよね。
そうなんです。
で、私は演出家という職業柄、
その資料をもとにですね、
人物をプロファイリングしていくんですけれども、
千利休に関しては、
なんでそういう生き方をチョイスしたのかという、
事実と動機がですね、
符号していかないんです。
プロファイリングできないんですよ。
なるほど。
なんかミシングリンク、巨大なミシングリンクがこの人にはあるんだなと思って、
どんどん興味を持って調べ始めたというのが、実際のところです。
なるほどね。
今回ですね、私初めて出会った歴史的人物、三好永吉。
はい。
これ確か、私歴史好きなんですけれども、
学校では習ってないですね。
このですね、ミステリアスな前半生の、
この三好永吉、紐解くことによって、
今回ですね、ちょっとうっすらと、
私の妄想がですね、
若い頃の李旧がムクムクと私の中で生まれたって感じなんですけれども、
この辺ですね、三好永吉と千利休の関係性とか、
結構、歴史的な史実として残っているものとかあるのかなと思うんですけれども、この辺は。
歴史的な史実としてはですね、
06:02
研究者の方はいらっしゃるんですね。
提供大学の今谷明先生など多くの歴史学者がですね、
早くから二人の関係性には着目されているんですけれども、
歴史的な事実としてはですね、
李旧と三好永吉のお墓なんですけれども、
京都の大徳寺と南州寺に、
二人とも二箇所お墓があるんですね。
しかもその大徳寺の方も南州寺の方も、
二人のお墓が並んでいるかのように立っているんです。
どちらのお寺もですか。
一箇所だと単なる偶然ということなんですけど、
二箇所あると。
ですのでやはり二人は、ただならない関係であったのかなと。
三好永吉と、幼少期千久間ですよね。
千久間と李旧、吉郎。
これはですね、子供の頃同じ学びというか、
同級生って言うんですかね、今で言うとね。
そういう間柄だったっていうことでしょうか。
これは歴史的事実とは言えないんですけれども、
かなりそうではないかという創作でございます。
なぜそういう創作をしたかというと、
二人とも1522年に生まれているんですね。
同い年。
同じ時期に堺にいました。
千利旧は徒徒家という、
干し魚の倉庫業を営む商人の息子。
永良は堺幕府の重鎮の後取りであると。
二人は共に南州庵というですね、禅寺ですね。
この禅寺で大輪相当という皇宗に禅を習っていたんですね。
同じ時期に二人がそこに通っていたという証拠はないんですけれども、
先ほども申しました通り、
二人のお墓の並び具合等を見ていると、
やはりこの二人は幼い頃から
共に相手を見知っていたではないだろうか。
いやもっと言うと、
筑波の友だったんではないだろうかという想像の下に、
今回ドラマを開けてみました。
歴史学者のご研究によると、
千利旧が三好家の政省としてのし上がっていった堺という町が
三好家の営業部であったというのが、
歴史学の最前線だというふうに。
ということですね。
堺という町は商人の町として今でも歴史を受け継いで、
そういった文化が根付いていると認識しているんですけれども、
堺幕府という表現がありますけれども、
09:04
商人の町堺だとすごいイメージ的にあれなんですけど、
堺幕府と言われると、
その当時の堺って一体どういう町だったのかなというふうに思っちゃうんですけれども。
よく自由都市ですとか、東洋のベニスですとか言われているんですけれども、
読んで字のごとく堺は境界という意味なんですね。
節、河、地、泉の三つの国が隣接する境界に堺を巡らしまして、
ある種独立国家のような存在として周囲にその存在を認めさせていたと。
その養人房として三好家がいたという構図になっていたわけですね。
なんでそんなことが堺にできたかというとですね、
天然の良好ですね。
今もうコンビナントになってしまいましたけれども、
その天然の良好とそれから大和川水系の海運ですね。
大和川は今奈良盆地の方から大阪と堺の間を通っていますけれども、
かつては大阪市内の方に流れていたんですね。
ですのでこれを利用すると大阪市内から京都の入り口まであっという間に水路を使って移動できたと。
そういう物流の拠点であったということが堺に物資が集まり、金銀財宝が集まったという条件が揃っていたんだと思います。
なるほど、そういう地乗りっていうかそういうものですね。
堺っていう町は当然経済力的にも格段に他の地域と違うということですよね。
そうですね、そういう地乗りがあったので、いわゆる官豪貿易ですね。
日民貿易やあるいは南洋からさらにはヨーロッパから物資が持ち込まれてですね、
それを取り扱う金銀が堺に集中したと。
そういうことで、ある種独立国家のような存在として商人たちが繁栄を築いていったという。
なるほどね。
そして小田信長は、垣内がわかる武将という言葉が印象的でとても耳に残っているんですけれども、
この当時の戦国武将と垣内っていうのは、どういう関係、どれぐらい深い関係があったんだろうかなっていうふうに考えるんですか、どうでしょうか。
そこがまさにその革新的なご質問だと思うんですね。
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戦国の歴史というとですね、皆さんその武家の精髄士のように捉えがちじゃないですか。
大河ドラマとかでも川中島の戦いだとか、長篠の合戦とかそういう武家の精髄士として戦国を捉えるんですけれども、
実はですね、この戦国時代というのは、中世的な封建制度から、
貨幣経済あるいは物流革命によって、近世へと移行していく過程の旧体制側と新体制側の戦いなんですね。
そう捉えると、主役となるのは武士というよりは商人であったり、もっと言うと農民だったりするんですね。
今回はその商人の主役として堺を取り上げまして、農民の方は一騎という形で取り上げて、
その二つがぶつかり合う堺を挟んで商人たちと一騎軍が、十万の一騎軍が退治するというシーンから今回物語を始めてみようと。
そしてですね、本能寺の辺ですが、この辺はですね、様々な説もあって分からないところがたくさんあるというのも認識しておりますけれども、
今回この本作の中では天能寺や僧牛、この絵咲久、この辺りが黒幕というような形でほのめかしている場面もありますけれども、
岡田さん個人としての見解は、こうだったら面白いなと思うところは、どのように本能寺の辺を見ていらっしゃるかというところをですね、お聞かせいただけたらと思います。
あくまで想像の域を超えません。
はい、もちろんです。
個人的にはですね、明智光秀は単なる実行犯だと思っています。
光秀の動機としては、本編でも少し語りました四国支配をめぐる三好一族との核執ですね。
それが光秀の動機というか引き金を引いたんだろうなというふうには思います。
じゃあその光秀をそそのかしたのは誰かということなんですけれども、本編の中ではこの絵咲久ではなかろうかというふうに描いています。
それはなぜかというと、信長をおびき出せるポジションにいたということですね。
本能寺に茶会を開くので、本能寺に来なさいよみたいなわずかな手勢だけで信長をおびき出すことができたのが、
その友人でもあった小野絵咲久ではないだろうかなと。
なるほど。
彼の動機としてはやはり朝廷側の人間ですので、小野絵咲久は太上大臣であった人ですので、朝廷と信長とのその距離感ですね。
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信長がどの方向へ行こうとしてたのかというのはちょっと史実的にも謎なんですけれども、
織田幕府を開くのか、あるいは漢幕にあるのか、いずれにしろそことの距離感が信長と朝廷の間でそこがあったのではないかなと。
ですので、小野絵咲久がプロットを描いて、光秀が実行したというのが真相ではないかというのが、岡田の勝手な説です。
あとですね、徳川家康なんですけれども、本能寺の時に飯森山にいたんですね。
これは私は偶然だとはとても思えないですね。
その事前に明智の動きを察していた堺州、あるいは三好一族と連動してですね、飯森山に陣を張っていたんだろうなと思います。
結局は逃げるんですけどね。水が越えで逃げるんですけれども、飯森山というのは先ほど言いました大和川水系の水路と交通の要所でもあるんですね。
大和も見渡せますし、大阪平野も見渡せると。
それから北側には京都の入り口も見渡すことができるという、まさに天下の見渡せる場所なんです。
ですので、そこにポジショニングしていたのは偶然ではないですね。
もう既に考えてここにいようと家康は決めていた。
家康が黒幕だとは思いませんけれども、家康は知ってたんではなかろうかと思います。
家康がわざわざ堺まで行って、それで飯森山に戻ってきているんですね。
信長が茶道、お茶の頭と書いて茶道ですね。茶道として李旧を採用するわけじゃないですか。
こういった信長とか秀吉にその後月がれていくわけですけれども、
いわゆる茶道ってお茶会のホストみたいな感じじゃないですか。今で言ったら漢字みたいな感じですかね。
そういうことをお願いする、一回の堺の商人にお願いするわけじゃないですか。
このすごい大天下人がですよ。それってどうしてなんでしょう。
なんでこんなに李旧って重宝されたのかな。何が他の人と違うのかなっていうのをすごい感じるんですけれども。
信長は李旧が欲しかったというよりはですね、堺のおそらくナンバーワンである天皇寺屋が欲しかったんだと思うんですね。
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李旧は当初英豪州にも入ってなかったですし、戸戸屋さんという干し魚の倉庫業を製業として営んでたんですけれども。
これもまあそんなに小さくはないんですけれども、天皇寺屋は資産2兆円、今の金で2兆円と言われるぐらいですから、
当時の国家屋さんの100年分ぐらい資産を持っているわけですよね。
しかも当時流通を支配していたんですね。北欠州流通経路、そういうものを天皇寺屋は抑えていたんです。
三好とのパイプも非常に強い、一皇州とも付き合いがあるということで、天皇寺屋を抑えるということが、
莫大な経済力、それから実質的な軍事支配につながっていくわけですね。
野村がどうしても天皇寺屋を身内に引き込みたかったんですね。
天皇寺屋遭遇を岐阜城に招いたときに、自分でお釈迦までして、ご飯のおかわりまで装いに行く。ありえないですよね。
そうですよね。
今の僕らの知っているタイガードラマ的な時代劇観で捉えると、「え?」って思うんだけども、そうではなくて、商人というのはこの時代そこまで力を持っていたんですね。
そうなんですね。商人の地位って下の方っていうイメージがあったんですけども、全然違うんですね。
全然違うと思います。だから僕も調べてみて目から鱗だったんですけども、やはり武家が武力によって領地を広げていくということよりもですね、
貨幣経済、ビジネスによって人々を従わせていくというパワーの方がこの時代は強いんですね。
なるほど。
だから信長はそのパワーが欲しかったので、天皇陛下を駆動するために利休の助けを必要としたという、そういうポジションだったんじゃないかな。
なるほどね。もう現代のビジネスマン的なビジネス感みたいな感じですね、信長がね。
まさにそうだと思いますね。
すごいですね。
ちょっとね、幼少の頃から表仙家の茶道を親しんできたんですけれども、いろいろ千利休の利休百種というのを稽古の時に学んで、利休が表なしの心とかそういうものをすごく基本となっているものがあって、
床沼の花とかも、薔薇とか百合とかではなくて野に咲く花、和びさびっていうんですかね、そういうものを非常にいろいろ学ばせていただいたんですけれども、派手派手な天下人たちはやっぱりそういうところに惹かれるのかなとか、私も勝手に思ったりとかしてるんですけれども、
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まあですね、この利休はそうやって派手さもなく、商人でありながらこういう武将たちにすごく重宝に使われて、最後はなぜか武士でもないのに切腹という死に方がなぜなんだろうっていうところがいろいろ言われてますけれども、岡田さん的な見地はどういったところなんでしょうか。
切腹ですか。
まずその、利休が武士でないのに切腹したという点につきましてはですね、確かに珍しいケースではあると思うんですが、利休は扇町天皇から利休という孤児号を頂戴しているんです。
これは正式に財家でありながら、仏法に旗揚げしているという正式な身分ですので、切腹ということもあり得たのではないだろうかというふうに思います。
そういうことですね。
これが江戸時代であれば法制度として切腹、武士以外の人間が切腹するというのはなかったと思うんですけれども、そういう法整備される以前の話ですので、利休の切腹は別に不思議ではないというか。
そうなんですね。
なんで利休は武士でもないのにって言われている場面とかすごいいっぱい見てきたような気がしたんですけど、そんなに珍しいことではないと。
そうですね。名誉の死を選んだということは、切腹という形に関しては不思議ではないんですけれども、じゃあなぜ名誉の死を選ばなければならなかったというのが不思議なんですね。
あれですよね、銅像でしたっけ、下を通った、秀吉が侮辱されたみたいなのがあったとか。
単なるちょっとした行き違いみたいな感じに思うんですけど私は。
大きな原因として挙げられているのが大徳寺の山門に利休像を、しかも切腹を這いた利休像を設置してしまった。
利休が設置したんじゃなくて、大徳寺が山門を寄進してもらったお礼に、その山門を寄進してくれた利休の像を置いたんですけれども、大徳寺は織田信長の墓所でもありますので秀吉もその下を通るということで、因縁をつけてきたわけですね。
ドラマの中では因縁をつけてきた相手は石田三成というふうにしてますけれども、もしかすると秀吉本人だったのかもしれません。
ただそのことだけでですね、言ってみれば豊臣株式会社の副社長ですよ。
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秀長という副社長がいますから、その次ぐらいですかね、ナンバー3ぐらいのポジションにいる人間をいきなり切腹させるかと。これは非常に謎です。
ですので相当その恐怖があったんだろうなと思うんですね。
秀吉自身が。
秀吉自身なのか、あるいはその秀吉の側近としてのし上がってきた三成田の、いわゆる武行派閥なのかがわからないですけれども、利休に対する恐怖。
それはなぜかというと、やはりその三吉とのコネクションですね。物流、それから経済、実質台所を握っているわけですね。
ですので味方であるうちはいいんだけれども、その堺という勢力がいつひっくり返るかわからないと。
敵に回った時に本当に恐ろしい人たちだという恐怖があったんですかね。
そういうことか。
三吉と利休の関係といいますか、三吉一族と堺の関係は、例えばですね、例えばあんまり良くないかもしれないんですけれども、マフィアの口座のストラってあるじゃないですか。
血の千切りを結ぶ、そういう千切りで結ばれた、固い絆で結ばれているんだけれども、裏切りは許さない。
逆にね。
そういう、ある種同盟だったのではないか。
それに対する秀吉側の恐怖というか、一旦は三吉将冠とかどんどん取り込んでいくんですけど、取り込んでも異物のままなんですね。取り込めないんですよ。
なるほど。
ですので秀吉は三吉将冠に秀次を養子に出すんですけれども、その養子に出した秀次も利休が死んだ後に切腹に追い込んでいくわけですね。
そうなったんだ。
ですので三吉的なもの、そういうものに対する恐怖というのが秀吉側にあったんじゃないでしょうか。
最後にですね、お聞きしたいんですけれども、利休の自生の句ですね。
人生七十、利器生きとつ、我がこの法権、粗物共に殺す。これ自生の句でしょうか。
はい。ゆいげと言われていますね。
ゆいげ。
はい。禅寺の皇相が自分の死後に残す言葉を陰文帳で残したものをゆいげと呼んでいるそうです。
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そうですよね。利休って。
そうですね。利休は大徳寺に起家していましたので。
七十歳にしてですね、力をみなぎる法権は祖先や仏も殺すほど、その人たちを天に投げ放つというのは、和美茶を極めた人。
失踪な和美茶の人とは思えないような豪傑な印象を持つんですけれども、岡田さん個人としての見方はどう思われますでしょうか。
このゆいげの言葉の中にあります、法権という言葉から広げまして、平家の隠れ座という法権探しのエピソードを思いついたわけなんですけれども。
非常にお坊さんらしくない。
そうですよね。
荒々しいと言いますか、何か訴えたいという意図を持った言葉ですね。
どんな意図があったと思われます、岡田さんは。
難しいですね。これは難しいです。
なるほど。
これは正直わからないですね。
でもやっぱり岡田さんも思いますよね、これ。すごい荒々しいっていうか。
いやおっしゃる通り、理休のキャラに合わないですよね。
ワビサビをたっ飛ぶ芸術家としても、あるいは仏法に気えする禅寺のお坊様としても、豊臣株式会社のナンバー3としてもですね、キャラが合わない印象があります。
そうですよね。
何かよほどのことを抱えていたんだろうというふうに感じます。
そうですね。きっと理休はたくさんの思いを抱えたまま、それをベールに包んで人生を終えて、こうして後世の私たちを楽しませてくれているような気がするんですけれども。
このですね、私も戦国時代大好きなんですけれども、今回初めて出会った三好、長吉、三好家。
これですね、本能寺の編においては明智と三好の関係、豊臣政権の時のナンバー3であった理休と三好。
この辺が様々な鍵を握っているのではないかというところが、とってももう今私の妄想がムクムクとですね、盛り上がってきて。
なんだ、戦国を理解するには今まで全く知らなかった三好、長吉を知らなければいけないんじゃないかっていうので、早く帰って三好、長吉を調べたいっていうぐらいのですね、今思いでおりますけれども。
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いかがでしょうか、この三好、長吉についてですね、もうちょっと締めていただければと思うんですけれども。
そうですね。三好、長吉をもって最初の天下人とは必ずしも言えないと思うんですね。
彼が統一したのは五旗内、それと自分の本国である阿波の国なんですけれども、他は全くノータッチだったんです。
当時その天下をという言葉を五旗内を指したというようなことをおっしゃる方もいるんですけれども、ちょっとそれは奇弁であって、五旗内を統一した武将という言い方が正しいのかなと思います。
ただ三好、長吉という人がいなければ、おそらく小田信長や豊臣秀吉も違った形になったであろうということは想像に固くないですね。
信長はどうもやはり長吉に対して非常なリスペクトを抱いていたようです。
ですので三好、長吉が新しい戦国を理解していく上での新しいミッシングリンクになっていくのではないかなというふうに感じています。
そうですね。
ぜひタイガドラマをやってほしいですね。
そうですね。タイガドラマ三好、長吉でやればいいじゃないですかね。
やってほしいですね。
誰に言えばいいんだろう。みんなで言っていきましょう。
今日は本当に盛りだくさんに、たくさんのお話、長い時間お聞かせいただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。
最後にですね、岡田さんから最近のご活動やリスナーに向けて一言ございましたらお願いいたします。
ちょうど今ですね、シーズン4の編集を絶賛やっておりまして、シーズン4はですね、素材が中心倉ですね。
はい。
そうなんですね。
声優さん10人で打ち入りをやるかっていう。
できるのかということですが、もうすでに収録は終わっておりまして、編集作業に入っております。
素晴らしいですね。中心倉ですね。またググっと時代が戻ってまいります。
わかりました。
じゃあこのシーズン4ですね、皆様ぜひお楽しみにお待ちいただきまして、
今回シーズン3、千利休と天下人たち。
一度お聞きになった方ももう一度このエピローグをお聞きいただいた後にですね、振り返ってもう一度聞いていただけたらと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
それでは、ボイスドラマで学ぶ日本の歴史。
次回シーズン4も配信準備着々と進んでおりますので、お楽しみに。
今回は岡田さん、お話ありがとうございました。
どうもありがとうございます。失礼します。
33:12

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