1. 二番経営 〜組織を支えるNo.2の悲喜こもごも〜
  2. #29 新選組・近藤勇と若き日の..
2024-09-18 22:43

#29 新選組・近藤勇と若き日の邂逅。「鬼の副長」土方歳三編①

▼今回のトーク内容: 

新選組を扱った映像作品は多数/司馬遼太郎「燃えよ剣」は始祖/新選組は京都で活動/幕府の治安維持を担う/土方歳三は新選組の副長(No.2)/規律違反に厳しい「鬼の副長」/1835年、現在の東京・日野市生まれ/幼くして両親を亡くす/11歳で上野の呉服商に丁稚奉公へ/店と喧嘩しすぐ辞める/姉の嫁ぎ先に転がり込む/そこで剣術「天然理心流」を習う/のちに出会う新選組隊長・近藤勇はこの流派の師範/近藤は現在の東京・調布市生まれ/天然理心流は西東京で強大なネットワークに/周辺の豪農は各道場のパトロン/近藤勇は新宿の本道場に住む/土方はそこに通い詰める/歳がひとつ違いの信頼関係

▼番組概要:

COOや副社長などの「組織のNo.2」。その仕事をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、仕事の面白さ・大変さなど「No.2の悲喜こもごも」を語っていく番組。製造業に特化したコンサルティング企業、オーツー・パートナーズ取締役の勝見靖英と、幻冬舎「あたらしい経済」編集長の設楽悠介がMCを務める。毎週水曜日配信。

▼番組ハッシュタグ:#二番経営

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▼MC:

勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ 取締役)

1971年生。慶應義塾大学文学部卒。ジャパンエナジー(現ENEOS株式会社)、PwC、デロイトトーマツコンサルティング、日本IBMなどを経て、2015年7月よりオーツー・パートナーズに参画、2018年4月より取締役。製造業を対象とした戦略策定、業務改革、ERP/PLM等大規模システム導入等のプロジェクトを多数経験。プロジェクトマネジメント、チェンジマネジメントを得意とし、現在は経営企画/会計/人事総務/組織開発/IT/マーケティング広報等を管掌。HCMIコンソーシアム RX 推進人材・高度ロボットSI エンジニア育成事業技術委員会RX 推進人材育成分科会技術委員。

設楽 悠介(幻冬舎「あたらしい経済」編集長) ⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/ysksdr⁠⁠⁠⁠

1979年生。明治学院大学法学部卒。マイナビを経て幻冬舎に。同社でコンテンツビジネス局を立ち上げ。電子書籍、コンテンツマーケティングなど新規事業担当。2018年にブロックチェーン/暗号資産専門メディア「あたらしい経済」を創刊。幻冬舎コミックスの取締役を兼務。「Fukuoka Blockchain Alliance」ボードメンバー。ポッドキャスターとして、Amazon Audible original番組「みんなのメンタールーム」や、SpotifyやAppleにてWeb3専門番組「EXODUS」など配信。著書に『畳み人という選択』(プレジデント社)。

▼ディレクター:

関岡 憲彦

▼プロデューサー:

野村 高文 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/nmrtkfm⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼制作:

Podcast Studio Chronicle ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://chronicle-inc.net/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼カバーデザイン:

松嶋 こよみ ⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/kymmtsm⁠⁠⁠

サマリー

このエピソードでは、新選組の副長である肘方俊三の生い立ちや彼の厳格な性格、さらには新選組の概要について話されています。また、肘方に影響を与えた人物や彼が剣術を学ぶ経緯も紹介されています。近藤勲と土方歳三の出会いが掘り下げられ、剣術の道場での関係やその背景が探られます。近藤の剣術才能と、両者の絆が後の新選組結成にどのように影響するのかについても語られています。

新選組の概要と肘方俊三の誕生
スピーカー 2
二番経営 No.2の悲喜こもごも。
この番組では、なかなか表に出ない会社の二番、No.2をテーマに、
トップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ、大変さなど、
No.2の悲喜こもごもを、リスナーの皆さんにお届けします。
スピーカー 1
こんにちは、株式会社オーツーパートナーズ 取締役の勝宮すいでです。
スピーカー 2
現当社新しい経済編集長のしだれゆうすけです。
二番経営第29回、今回のテーマは、新しいテーマになります。
新選組鬼の副長、肘方歳三に見るNo.2論です。
スピーカー 1
はい、歴史シリーズ。
スピーカー 2
歴史シリーズですね、今回。
スピーカー 1
はい、肘方歳三新選組ですけれども、
しららさん、どうですか、新選組肘方歳三、この辺りは。
スピーカー 2
そうですね、おはずかしながらなんですが、
以前の歴史会の時もお伝えしたんですけれども、
本当に受験勉強ぐらいのですね、歴史感覚しかない僕でございますので、
ドラマ家とかもいろいろされてたりするじゃないですか、映画とか。
そういったのをチラチラ見た記憶があるんですけれども、
かなり掘り下げられてないというかですね、ところでございますので、
僕も今日ちょっと学ばせていただきながらという、思っている次第でございます。
スピーカー 1
はい、ちょっと学んでいただくには恐れ多い感じなんですけれども、
新選組って非常にドラマチックな部分もあって、
映画とかドラマ、小説なんかもすごく多いテーマですよね。
ちょうど今から20年ぐらい前に、NHKの大河ドラマで、
三谷幸喜さんが脚本を書かれた新選組っていうのが、
加取慎吾さんが主役で。
スピーカー 2
ああ、はいはいはい。
スピーカー 1
というのがありました。
加取さんが主人公の近藤勲役をされてですね、
肘方俊三役は山本浩二さんが。
スピーカー 2
なるほどなるほど。
スピーカー 1
やられていらっしゃいました。
スピーカー 2
自面誌で、最近ちょっと。
そうですね。
スピーカー 1
山本浩二さん本当に当たり役で、
この後で結構最近令和に入ってたと思うんですけども、
朝ドラかなんかでも肘方俊三役で確か出られたみたいなんですけども、
それぐらい当時もですね、すごく印象的でしたし、
いろんな役者さんがやられた肘方俊三という役ですけれども、
本当当たり役だったかなという。
それ以外にも浅田二郎さんの小説で、
三部義司伝という小説もあって、
こちらも中井圭一さん主演で、
映画になって私もすごく大好きな作品なんですけれども、
そういうですね、新選組を扱う小説、
ドラマっていうのは非常に多いです。
スピーカー 2
はい、そうですね。
スピーカー 1
それのですね、大元になるかどうかわからないんですけども、
たどっていくとですね、
柴梁太郎さんの萌えをけんという小説があってですね、
最近だと岡田純一さんでも萌えをけん、
映画化されてましたけれども、
その柴梁太郎さんの小説のイメージがかなり強くてですね、
肘方俊三像っていうのを世の中に作られていると思います。
柴梁太郎さんは他にも、
龍馬が行くで坂本龍馬のイメージとかっていうのを、
すごく日本人に印象付けたという作家さんでもありますけれども、
近年というか、この10年20年ぐらいは、
この柴梁太郎さんの柴士漢っていうのとまた違う、
本当はこうだったんじゃないかというような意見もいろいろ出ています。
ちょっと冒頭にですね、言い訳地味た感じになっているんですけれども、
今回の2番Kで扱う新選組のNo.2肘方俊三さんのことをですね、
調べるにあたって、
なるべくですね、当時の方が書いた書物であったりとか、
手紙とかそういうのを研究されている、
学者の研究者の方たちの書籍っていうのを参考にさせていただきました。
なるほど。
ですので、ひょっとしたらイメージとあんまり大きくは違う印象は持たなかったんですけれども、
違う部分ですとか、書説あるところをですね、
一部の説を使わせていただくということもありますので、
そのあたりはちょっとご了承いただければと思います。
では早速なんですけども、
まずその新選組肘方俊三さん、それぞれの概要ってことなんですけども、
肘方俊三の成長と剣術修行
スピーカー 1
そもそも新選組って何なのかっていうところなんですけども、
江戸時代の末期、いわゆる幕末と言われる時代ですけども、
その頃主に京都で活動した武士団と言われています。
幕府の警察組織、京都における警察組織の機能を果たした、そういう集団です。
その彼らは京都の治安維持ですとか、当時幕末の反幕府勢力の取り締まりなども行って、
もともと農民の方ですとか商人の方ですとか、
武士以外の方でも構成されているというちょっと変わったグループというか団体ですね。
特に京都での活躍というのがいろんなドラマになったりしているんですけれども、
実際に活動した期間は6年間ですね。
そのうちの5年間は京都の警護をしています。
その中でどんな事件とか活躍があったのかというのは、
今日はこの後触れていきたいと思います。
その中で肘方俊三さんという方なんですけども、
こちらの方は1835年に生まれて1869年、35歳で亡くなるんですけども、
この新選組という組織の副長、ナンバー2ですね。
新選組のトップというのは後半ほとんどですね、
近藤勲と方が局長、総長をトップをやっていたんですけども、
その方の実務面で新選組を支えたそういう人物が肘方俊三さんです。
よく言われるのは厳格な規律違反に対する言罰主義、徹底していたということで、
鬼の副長なんかとも言われています。
こんな新選組と肘方俊三さんというところなんですけれども、
特徴と言いますか、今回の肘方俊三さんが活躍する新選組という舞台なんですけども、
新選組自体が6年間の活動というふうに申し上げたんですけれども、
肘方俊三さん35歳、34歳という数え方もあるんですけども、
その最後の6年間、28区から34区までこの時代の話をしていくことになります。
新選組というのは先ほど申し上げたようにですね、
武士の方だけではなくて農民の方ですとか商人ですとか職人、
そういった方たちいろんな職業の人たちが集まってできたグループというかですね、
だったんですけども、そこにも影響してくる話になりますので、
肘方俊三さんのまず老いたちですね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
どんな生まれだったのかというところらへんからちょっとお話をしていきたいと思います。
新選組の設立と肘方の役割
スピーカー 1
肘方俊三さん1835年に生まれています。
1835年というのは、天保6年とも言われた年なんですけども、
武蔵野国多摩郡石田村生まれと。
なんとなく多摩の方かなっていうのは多数あるんですけれども、
日野市の辺りですね。日野の辺りということになります。
この生まれたご実家なんですけども、
この辺りの農家としては豪農と言われるような名家になります。
その肘方家の4男6人兄弟の末っ子に生まれます。
6人兄弟なんですけども、その前にちょっと早くにお兄さんお姉さん亡くなった方もいらっしゃって、
10人兄弟だったという説もあるようです。
農家小田区さんみたいなイメージありますけれども、そういう一家でした。
末っ子ということでもあるのかもしれないんですけども、
肘方俊三さんが生まれる直前にお父さんを亡くして、
6歳でお母さんも亡くされています。
6歳ですと今で言うとまだ小学校上がってない年長さんぐらいですけども、
その時に両親を亡くしているという状態ですね。
ちょっと昔っていうイメージもあるんですけども、
幼少期に両親を亡くすっていうのは、どんな時代でも結構なインパクトがあったんじゃないかなというふうに思います。
実際に長男の田目三郎さんというお兄さんに育てられていました。
そういう肘方家ですね。
農家なんですけども、肘方っていう苗字があるんですね。
肘方俊三っていうのにちゃんと名前があるっていうのは、
昔農家だと苗字とかではないのが普通だったんですけども、
それがあるぐらいの名家だったということになります。
そういった豪農に生まれたんですけども、
なんといっても四男ということで、
後次は長男なり次男なりというところになりますので、
そこから下の子供たちっていうのは家を出されていくんですね。
としぞう少年もですね、11歳ででっちぼうこうに出されます。
出されたのがご福祉なんですけれども、
ご福祉の伊東松坂屋というところに出されます。
こちら現在の松坂屋上野店になるそうですね。
ちなみに私は松坂屋上野店のあたりを通勤中いつも通るので、
ここにでっちぼうこうに来たんだ。
スピーカー 2
すごいですね。
スピーカー 1
最近は思いながら前を通っておりました。
ただ11歳ででっちぼうこうして通常は10年ぐらい修行することがほとんどらしいんですけども、
その年にお店の人と喧嘩して出戻ったというような記録があります。
11歳ですから小学校4年生とか、
小4がお店の人と喧嘩してやってられるかって言って、
その店を出てくるっていうのも何なんだろうっていうぐらい、
ちょっとカチキな子だったという感じですね。
そのカチキなところの証明にもなるかもしれないですけども、
上野でやってられるかって言ってやめてですね、
その後日の間で36キロあるんですけども、
夜中の道を一人で歩いて帰る。
スピーカー 2
すごいですね。
なかなかナイトウォークをして帰っているという。
スピーカー 1
当然道路もないような時代ですし、
何があるかわからないところを歩いて帰る。
スピーカー 2
そんな小学生が歩いて帰るんですかね。
スピーカー 1
本当に信じられないですけどね。
その後なんですけども、一回実家に戻って、
数年後また縁止めの方向をしたようなんですけども、
今度17歳で方向先に行くんですけども、
そのお店の女性店員さんに手を出して即刻解雇になるという感じです。
この頃もうめちゃくちゃいい男。
スピーカー 2
そうなんですよね。
写真が残っているのを僕も見ているとやっぱりイケメンですよね。
スピーカー 1
めちゃくちゃイケメンですよね。
スピーカー 2
なんかもう差もありなんという感じなんですけれども、
スピーカー 1
17歳で2回目のその方向もダメだったんですけども、
その頃にですね、実は彼のですね、
敏蔵さんのお姉さんが戸継いだ先っていうのがあるんですけども、
そこ佐藤家という家だったんですけども、
そこが日野のですね、日野っていうのは宿場町だったんですけれども、
そこの名主をされている佐藤彦五郎さんというところに
お姉さんがお嫁さんに行ってましたと。
そこにお世話になるんですけれども、
そこではですね、結構自衛のために剣術をやらなきゃいけないということで、
その名主の佐藤さんがですね、自宅に道場を作って、
剣術の先生を呼んでみんなで習うっていうことをしていました。
そこに彼と一緒に行ってですね、そこで剣術修行を始めます。
そこで将来は自分も農家の生まれなんだけど無事になって、
名前を天下にあげたいっていうふうにちょっと思うようになってきたと。
そのときに習った剣術っていうのが、天然利伸流という流派で、
これが後にですね、近藤勲が出てくる。
その近藤勲が師範をしている、その流派だったんですね。
この後で出てくる近藤勲っていうのは、
剣術の先生として走り合ってるっていう感じですね。
ただ年はですね、肘型都知事と近藤勲っていうのは一切違いですので、
ほとんど兄弟のように仲が良かったという記録もあります。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
で、実際に鉄地暴行からですね、女性問題で戻ってきて、
剣術の修行だけやってるというわけでは、武士ではないので行かなかったんですけども、
家業でですね、石田山薬っていう薬を作って売っていたそうなんですね。
おそらくですけれども、いっぱい緑があるところで野草をいっぱい取ってきてですね、
それを干して粉にして、打ち身とか念座とかそういうものに効く薬として売られていたようなんですけども、
その行商をしながら剣術修行をしたと。
よく神聖組のドラマとか映画のときに、一番最初のところでは肘型都知事とって、
道場に行くっていうような映像がありますけども、そんな感じですね。
この石田山薬っていうのは肘型家業だったようなんですけども、
行商してということで売り歩いているというイメージなんですけども、
ある説ではですね、実際に野草を取ってきて、それを干して粉状にするっていうふうに、
何人かの働いている人たちをマネジメントするっていうようなことも、
肘型都知事は17、18歳の時にやってたんじゃないかっていう説もあります。
スピーカー 2
売ってただけかもしれないですけど、そういうマネジメント力っていうのはそこで培ったんじゃないかっていうような説。
スピーカー 1
その後ですね、そこの剣術修行をした近藤勲、それから同じ同盟の人たちと、
当時28歳の時に老子組という京都に行って、将軍を守りするっていうような名目で集まって、
それが後に新選組になったと。
近藤勲の誕生
スピーカー 1
先ほどありましたけれども、美目清修にしてすこぶる美男したりっていう記録が、
写真見ても今でもわかるって感じですけれども、めちゃくちゃいい男だったと。
身長167センチとありますけれども、当時としては普通に大きめの男性だったっていう印象だった。
スピーカー 2
これが肘型都知事さんです。
スピーカー 1
今度は途中でも出てきたんですけれども、その剣術の先生だった近藤勲の方ですね。
ナンバーワン、トップの老いたちなんですけども。
近藤勲は1834年に武蔵の国多摩郡上石原村生まれ。
これは現在の場所というと長富市に相当するそうです。
近藤勲も肘型都知事と同じように、もともと農家の産南坊として生まれています。
この農家は宮川家といったそうなんですけれども、
先ほどの肘型家というのはかなりの豪農で、
本当にトップ3に常に入っているような大きさだったらしいんですけども、
近藤が生まれた宮川家というのは中の上ぐらいだという記録があるんですね。
86件中、11から14位っていう大きさだったという記録があるようです。
農家の産南坊だったんですけれども、
この近藤は14歳か15歳のときに剣術、
当時先ほどの日野でもそうだったんですけれども、
農家で自衛のために剣術を習うというのは結構一般的だったようなんですけども、
近藤も長富から今の新宿あたりまで出て、
天然利伸流の剣術道場、師衛館というところに入門して、
そこで剣術の修行をしていきます。
これ14歳、15歳の頃かな。
11月に入門するんですね。
その翌年の6月にはもう目録を受けていたということで、
どんだけ剣術の天才だったんだって。
スピーカー 2
センスもあったってことですね、たぶんね。
スピーカー 1
そうですね。
半年でいきなりダンというか目録なんでトップまで行っちゃったっていうぐらい、
非常に剣術の才能があったということで、
その後ですね、農家の生まれなんですけども、
その道場の師範である近藤修介の両親になって、
近藤家の後を続いていくということになります。
これが近藤勲につながっていくということですね。
この近藤勲が入門した天然利伸流っていうのが、
どんな流派だったかっていうところを簡単に触れていくとですね、
もともとの創始者っていうのは、
近藤倉之助長浩という、今でいう静岡の生まれの方だったらしいんですけども、
諸国を修行で行ってですね、
日立の国、今の茨城県でもう剣術の極意を悟った。
当時、茨城県日立の国っていうのは剣術非常に盛んなところでもあったので、
そこでこれだっていうのを悟ったんだと思います。
それで天然利伸流というのを立ち上げたんですけども、
この流派っていうのは剣術と柔術と棒術、
あと気合術っていうのもあるそうなんですけども、
総合武術で本当に戦場で実践的な格闘術ですね。
そこで開眼してその流派を立てた後、江戸に戻ってですね、
いくつかの道場を建てて、そのときに八王子の方にですね、
道場を建てて、そこで門邸っていうのが増えてくるんですけども、
八王子、東京の今でいうか新宿のあたりなんかに比べると、
やはりやや離れているところではあるんですけれども、
そういうところはですね、やっぱり豪農というか農家の門邸の方っていうのも
結構生きているらしくてですね。
この創始者のこの倉之助長寛、以降2代目、それから3代目、
3代目っていうのは近藤勲のお師匠さんになるんですけども、
みんなですね農家の手になってます。
そういう方から養子をもらってですね、後継ぎにしていく。
これも近藤勲までつながっていくという、そういう流派。
なので武士の方ももちろん習われていたようですけども、
いろんなもともと剣術のたしなみがなかったとしてもしっかり習ってですね、
強くなれるそういう流派だったようです。
そこまでマイナーではなくて、意外と北神一刀流とか野球進化流とか、
すごくよく時代劇とかで聞く流派ありますけれども、
多分当時の幕末の江戸だと北神一刀流っていう流派が
坂本龍馬なんかも黒子とっているような流派がすごくトップだったかもしれないんですけれども、
この天然利伸流っていうのはそこそこ4番目か5番目ぐらいにはメジャーな流派だったということですね。
このちょっと長々とですね、その流派の話を申し上げてしまったんですけども、
剣術道場での交流
スピーカー 1
実はこの流派っていうのが八王子とか多摩の方にもいろいろですね、
道場を作ったり、あるいは豪農がですね、自宅に道場を作って、
そこに巡回指導みたいなことをずっとやっています。
豪農っていうのはただの農民よりもですね、非常に裕福な家庭なんですね。
なのでその剣術の道場としてもですね、パトロンのような役目。
なるほど。
なのでこっちの道場にまで来なくても、わざわざそちらに行って指導しますよっていうのは、
多摩で言ったらプライベートな空間ですね。
フィットネスジムのインストラクターを呼んで指導を受けるみたいな感じだと思うんですけども、
そういうところに行っていたのは浮遊僧とのネットワークっていうのをずっと作り続けているという感じですね。
実はこの多摩のエリアの農民の方たちとのネットワークっていうのは、
新選組が京都に行って活躍した後もですね、彼らがパトロンとしてですね、機能するということがあります。
お金を出してくれたりですとか、あとはそのネットワークともですね、
情報共有を常にしているっていう、そういう記録はですね、この後も残っています。
なるほど。
そこの大元っていうのはこの剣術の道場だったっていうところですね。
肘方俊三と近藤勲はですね、その剣術修行の中ですね、
近藤勲はですね、巡回教授に来ていた近藤勲とですね、肘方俊三っていうのは義理のお兄さんの道場であって、
そこでどんどんどんどん親しくなっていて、
信仰すること兄弟のごとしという記録が残っているんですけれども、
そこで教えに来た時に非常に仲がいいだけではなくてですね、
近藤勲はもう新宿にある本部道場に住んでいる状態でしたので、
そこにですね、肘方俊三がずっと通い詰めると。
よくその家に投了していたというような記録が残っています。
常に一緒にいる、そういう関係だったというのが28歳ぐらいまで続いているということですね。
なるほど。
スピーカー 2
だからあれですね、そこで2人は出会って、これから新選組を作るみたいな話になっていくと思うんですけど、
ここまでのお話だと、もちろん先生と生徒っていう関係で、
ナンバーワン、ナンバーツーっていう立ち位置ですけれども、
お二人とも本当にすごいどちらもナンバーワンになるみたいな雰囲気を感じるというか。
スピーカー 1
そうですね。ひょっとしたらこの時期はまず堅実の先生と生徒っていう関係と、
ナンバーワン、ナンバーツーというよりも、
どっちかっていうと先生と生徒を超えて、年がめちゃくちゃ近い、ほとんど同じのですね。
友達のような感じかもしれないですね。
ちょっと1歳上で頼りになるあんちゃんと、すごくなついてくる弟分みたいな、そんな感じかもしれないですね。
スピーカー 2
ひじかたとしぞうの方も、そういう意味ではすごく強い感じがしますしね。
しますよね。
これまでの経歴というか。
なので、ここで2人が出会ってというところで、果たしてこれがどのように、
鬼のナンバーツーってことですよね。
スピーカー 1
そうですね。鬼の副長って呼ばれるぐらい。
スピーカー 2
この切り口っていうのはこれまでなかったと思いますんで、
次回以降またこれから親戚の結成のところからですね、いろいろ解説いただいてと思っております。
2番K、ナンバーツーの引きこもごも、ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
2人の関係性
スピーカー 2
気に入っていただけましたら、ぜひフォローをお願いいたします。
番組への感想もお待ちしております。
ここまでのお相手は、しだれゆうすけと、
スピーカー 1
勝宮水礼でした。ありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
22:43

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