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2024-07-11 15:59

結婚して地元を離れて孤独だった理由

結婚当初、旦那の地元に新居を構え住み始めてから、今までの気持ちの変化。

10年近くかかって分かった気持ちの変化の理由。

自分として見られていない孤独感。

いつも旦那や旦那家族の後ろにチョコンとついているオマケ感が辛かった。

 

 

#声日記

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2024年7月11日、お昼11時前です。
とにかくアウトプット!母のひとりごとラジオ、
子園日記を残していきたいなと思います。
今日は朝起きて、無事息子も登園していきました。
最近、その前子園日記で話してた、
登園を嫌がるっていうのは、
嫌っていうのは続いてるんですけど、
それを即座に口に出す時と、
何も口には出さずに、思ってるやろうけど口には出さずに、
ちょっとずつ用意して朝行けるっていう日が半々くらいかな。
だんだん何も言わないようになってきたかなっていう感じがしてます。
今日は無事登園して、
登園時間のすごい前から起きて、
列に並んで待つっていうのが息子のルーティーンみたいな感じになってて、
そうするとやる気も出るみたいで、
なので、そんな朝早く出んでも家で色々朝やっていきたいことあるのになって思いつつ、
息子がそれで機嫌よく行ってくれるならってことで、
朝ちょっとかなり早めに出かけて、
幼稚園の駐車場とか門の前で待つっていうふうな過ごし方をしています。
それで、今日を残しておきたいなって思ったことなんですけど、
私は結婚して、後投資で10年目かな、10年目になるんですけど、
実家から離れて、今旦那の実家がある、
旦那の実家の隣に住んでるんですね。
ちょっと市を跨いでるんで、同じ県内ではあるんですけど、
実家と今の家が県内ではあるけれども、
車で1時間、高速やと1時間弱ぐらい、
下道やと1時間半ぐらいかかるってところに、
新居を構えて住んでるっていう感じなんですよ。
同じ県内やから、
全く知らん感じの土地でもないし、
結婚する前から来たこともあったし、
全く未知っていう感じではなかったんですけど、
でも、未知の作りが違ったりとか、
人の話し方、喋り方が違ったりとか、
ちょっと雰囲気が違うなーみたいなのはあったんですよ。
で、やっぱり私運転がすごい苦手なんで、
運転しやすいとかいうのもかなり重要なことになってくるんですけど、
運転がすごくしにくくって、今住んでるところが、
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今更そんなこと言っても道帰れないからね、
山、高低差があるところなんで、合流して道に入ったりとか、
ちょっと変わった方向に左折レーンがあったりとか、
ちょっと分かりにくい道が多いなーっていう印象だったんですよ。
で、それはお友達とかにも言われたりとか、
そういうのもあったりとか、
そういうのもあったりとか、
そういうのもあったりとか、
それはお友達とかにも言われたりもするし、
あと来てくれる友達にもね、
ちょっとこの道気をつけてとかいうふうにお伝えしたりしてるんですけど、
なので、道っていうのも私の住みやすさに関わってくるかなって思ってるところなんです。
で、今日何を結局話したかったかっていうと、
私はずっと結婚してから、
なんか馴染めないっていうか、
自分が疎外感みたいなのをすごく感じてて、
絶対的にこれやっていう一つの答えにたどり着いたわけじゃないんですけど、
なんか孤独を感じてて、
ずっとそれが自分ペースでうまく生きれてないみたいなのは感じてたんですけど、
寂しかったっていうのがすごくあって、
寂しかったなっていうふうなのを考えてたんですけど、
結局最近少しだけちょっと分かったことがあって、
それについて話したいなって思いました。
なんかこう自分の住んでる感じがしないみたいなのとか、
いつもこうなんか寂しい感覚が残るみたいなのが続いてて、
それって何なんかなって思ってて、
ようやくもう本当最近ですよ、
9年目10年目ぐらいで分かったっていうことがあります。
それはさっきお話ししたんですけど、
私は旦那の実家の隣に住んでるから、
どうしてもね、どうしても何かされたとかされたないとか関係なく、
やっぱりそのどこかの家族にポツンと来る、
アウェー感がすごいあるっていうのがあるんですね。
例えば全然旦那さんの家族がいないような新しい団地とかに住んだら、
そういう変なアウェー感ってのはなかったかもしれないけど、
それは分からないから何とも言えないんですけど、
そういうのもあって、
いつも常に常にそちらの家に無意識に会わせてた。
無意識に我慢して、
でもこれは我慢じゃないって思うほどのこととかを積み重なって、
自分っていうものをあんまり出せなかったっていう風なところが苦しいというか、
ちょっと自分を活かせてないとか、
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自分が自分じゃない感じがしてた原因かなっていう風に思ってるんですね。
なので本当に今は全然思ったこととかもちゃんと伝えられるようにしてるし、
良い人と思われたいみたいなのがやっぱり無意識にすごく私に根付いてて、
そういうものも少しずつ手放して、
今は本当にもうちょっとつけた方がいいんじゃないかなっていうぐらい、
全然何て思われても平気な感じにはなってます。
あと実家がずっと恋しかって、
今はこう進んでる土地が馴染めなかった理由は、
全部を自分主導で回せなかったっていうことで、
ちょっと言葉が曖昧なんですけど、
なんていうのかな、
ここの地に突入できて、
最初にギリのお母さんと一緒に挨拶回りみたいなのを行ったんですよ。
多分同じ地区、めっちゃここ田舎なんで、
集落みたいな感じになっててね、
何軒かあるんですけど、
多分同じ班、田舎なんで、
班、一班、二班、三班とか、
何班まであるかわからないんですけどあって、
多分その同じ班の人のところに挨拶したと思うんですけど、
男性もずっと前だし緊張もしてるから、
ほとんどその時のこと覚えてないんですよ。
でも確かに何回も行って挨拶して、
お母さんが用意してくれたちょっとしたものを渡しして、
っていうのを何軒かしたんですよね、
10軒くらいかな、
見事に覚えてないんですけど、
田舎だからね、めっちゃ苗字一緒の人多くて、
全然舌の名前とかで言われたとこでね、
何にも覚えられなくて、
私苗字で覚えてきたスタイルなのに、
そんな舌の名前で急に覚えろって言われても全然覚えれへんくてね、
一挙に説明されても何にも入ってこなかったんですよね。
やってくれたお母さんにはありがたいと思ってるし、
それに全然文句言うつもりは全くないんですけど、
本当に覚えてない状況です。
なんか最初に挨拶回りとかして、
しばらく子供が生まれるまでとか、
子供がちっちゃいうちとかって、
お友達、近所に友達もいないし、
そもそもちょっとうち集落から少し離れたところにあるから、
元々そんな人がいないし、子供がいない、
周りに本当に近いところには子供がいないし、
知らないみたいな状況で、
いつもね、誰々さんとこの息子さんの嫁かとか、
誰々さんのおじいさんの、旦那のおじいさんなんですけど、
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おじいさんとこの、あそこのとこの子か、みたいなんで、
いつもね、誰かの何か、誰かの何、みたいなのを言われてたんですよ。
はいはいはい、みたいな。
絶対にその方をたどらないと私にたどり着いてくれない、
みたいな言われ方をすることがほぼだったんですよ。
特に年配の方とか、おばあさんとかおじいさんとか、
たくさんいらっしゃるけど、
誰々のところの何、はいはいはいって言われてて、
熱音って言われてた当時とかね、
子供がちっちゃい時に赤ちゃんとか、2,3歳とかその頃に、
祭りと行ったりとか、地域のなんか行ったりとかすると、
そうやって声をかけてくださって、
当時私はすごいそれをうれしいって感じてたんですよ。
何か繋がれた、みたいな。
覚えてもらえた、とかね。
子供のことすごい可愛い目で見てくれた、
なんかうれしいなって思ってたんですけど、
結局私の名前を覚えてくれる人っていうのは全然いないっていう感じ。
だから結局いつも旦那とか旦那の家族繋がり、
あるいは子供を見てもらうっていう感じで、
私を見てくれる人って全然いなかったんですよね。
だから寂しさの原因とかっていうのは、
なんかそれだったなって今わかったんですよ。
誰かの何か、何かに付随してるおまけみたいな感じ?
全然おまけって言われてないんですけど、
やっぱ苦しかった原因っていうのはそういうことかなって思って、
で、なんでそれが苦しかったかなって気づいたかっていうと、
今は私の、この一人の私として見てもらえることができてるからなんですよ。
これは子供が大きくなってきて、小学校ね。
うち娘が2年生で、下の子は年長なんですけど、
子供会っていうのがあって、私のこの地域でね。
子供会に入ると、子供はもちろんやけど、
お母さんたちと繋がりができてきてね。
LINEのグループとかでも色々連絡取り合ったりとかしてるんですよ。
で、そこで自分の子を名乗って、子供の名前を言ってお願いしますっていうところからスタートして、
子供会に入ってから今1,2,3年目か、なんですけど、
やっぱりね、なんか自分主導で繋がってる感っていうのがすごい満たされて、
子供の名前もほぼほぼ、小学校の小学生の子供の名前もほぼ覚えてるし、
どんな子かとかもわかってるし、
そのお母さんのことも全部わかってる。
子供のお母さんの顔とか人となりとか大体わかってる。
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仲良くしてくれてる方とかは、お話を結構してもらったりとかしてね。
本当にその中でも関係が築けてる方とかもいて、
渡したい、本当にそちらのままで関係ができてて、
誰かのっていうのが一切つかなくなった状態で接することができたんですよね。
そうした時に、なんかすごい、いつも私はこの地に突入できて、
いつも教えてもらったり、つないでもらったり、
旦那さんの後ろにちょこんってついていたのが、
今度は自分主導でね、自分から子供の名前を旦那さんに教えたり、
この方のお母さん、この子のお母さんはこの方やって、私が教えれたり。
なんなら私の方が子供会のこととか子供のこととか、
ママとかね、いろんなママ界隈の情報とか、
子供の小学校とかの情報が、私の方が今圧倒的に知れてる状態やから、
なんかね、自分から関係をつなげていける、
自分としての関係をつなげていけるっていうこの環境が、
こんなに満たされるんやって思ったんですね。
で、もちろん自分のね、誰々さんのってつかずにお名前で呼んでもらえるし、
なんかね、こういうことやったんかっていうのはね、
本当にそれをここ最近数年で気づけたんですよ。
なのですっごく長かったんですけど、
最初のその苦しい時間を経て、
今ね、子供会に入って自分として見てもらえるようになって、
本当にね、ここに住むことがちょっと楽になってきた感じがしてます。
なんかアウェー感がなくなってきたっていうか。
まあね、地元は地元で本当にママは大好きやから、
好きじゃなくなるってことは全然ないし、地元はずっと好き。
で、こちらにはこちらの新居、この今住んでるとこには住んでるとこの良さがあるっていう風に、
今思えるかなって思ってます。
なので、いろいろ自分がもやついたりする原因ってあると思うんですけど、
もやもやしてて、すごい時間をかけて気づけたことやなって思ってるんですね。
なので今はね、もうそれこそ今から子供とかママがこの地域を担っていく世代になるわけやから、
パパたちももちろんそうですけどね、パパはパパたちで関係築いていってもらってね、
地域を回していってもらうっていうのはあるけれども、
私たちは私たちママたち、力合わせて子供たちの活動をサポートしたりとかね、
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できるからなんかすごい心強い感じでいますし、
本音を言える方もね、いらっしゃるからありがたいなって思ってます。
もやもやどうしても新しい土地に住んできて、
それがまあどういう環境下にもよりますけど、もやもやすることってあると思うんですよね。
そうした時にすごい時間をかけて、ですけど、分かって本当に良かったし、
なんか今は、今となってようやく旦那さんとフェアな感じでこの地に住んでられるみたいな感覚になりました。
はい、ちょっとこれをね、ずっと恋日記に残しておきたかったんで、
今日は残すことにしました。
はい、ありがとうございました。
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