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お疲れ様です。
薩摩訛りの耳毒ラジオ
この配信は
人検索の時代、地方の名もなき
イラストレーター
私みやけんの人となりを
知ってもらうべく
日々の気づきやマインドを
発信している
雑談ポジショントークチャンネル
です。
朝顔をね
育てて
育ててるというか
子供が放棄した
世話を
水をやるだけ
っていう形で
僕は続けてるんですけど
あの
あれは
僕調べてないけど
朝顔ってああいう特性なんですかね
鶴って
日陰の方に
伸びるんですか
なんか
普通植物ってこうね
土の当たる方に伸びるのかな
と思ってたんですけど
朝顔のやつは
鶴がですね
伸びちゃ枯れ伸びちゃ枯れ
しながらいまだに元気に一応
伸びてはいるんですけど
どの鶴も
日陰の方に
ベランダから外向きじゃなくて
家の方に向かって
伸びてくるんだけど
ああいうもんなのかな
カゴシマの日差しが熱すぎて
調べようとしてるのかな
ちょっとよくわからないけど
まあ調べろって話だよな
でおなじみの
君のイラストスキルを高め
自己肯定感を高めたい
イラスト講師
イラストレーター
NFTクリエーターの
クリエーターの宮剣です
本日の
耳読ラジオもよろしくお願いします
では行くぜ
今日はですね
カゴシマには
寺が少ないっていう
話をします
火曜日
昼12時から
毎週定期で
スタイフライブを
やっております
マイクロヒーローズという
NFTを
一応作り続けているんですね
作れてないけども
プロジェクトを
一応継続しているんです
その
一番の活動が
このライブなんですけどね
ファンダーのチカラさんと
一緒にライブでしゃべる
っていうことをやっておりましてね
その中の最後の方で
ですね
リブラ先生が
カゴシマに寺少ないのって言われたんで
確かにこれね
すごく特徴的なんですよ
カゴシマの
これを
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しゃべってみます
はい
えっとね
そもそもね
僕自身の
また僕自身の話から入るんですけど
僕自身が
寺の
文化がよく分からなくて
育ってたんですよ
物心ついた頃からだから
よく分からなくて
テレビとかねアニメとかで
出てくるお寺
っていうのが
全然カゴシマで見たことないから
あれなんだろうなぐらいに
思ってたんです
なんかお坊さんがいてお墓があって
あのお墓に棒が立っているとか
あの棒が立っているお墓なんかないですよ
カゴシマ
多分僕が知る限りは見ないですね
うん
なんとかって言いましたけどねあの棒ね
えっとねなんです
お墓はねだから基本的に
家が管理しますね
なんか
他の地域はお寺が
管理するらしいですけどね
カゴシマはもう家で
管理します
特徴的なのはお花とかをやたら
飾るっていうのは特徴だと
バスガイドが言うておりました
だから結構どこのね墓地
墓地ってのがあるんですよ
共同墓地みたいなのがね
どこの地区にも
そこに行くと
綺麗なお花が上がっている墓は
必ずありますね
それぐらい墓参りは家の人がやる
で定期的に行く
っていうのが
決まりというか
習慣になってますね
お年寄りの方はね本当にね
毎日のように週1で行くとかは
ザラにやってると思いますよ
今でも
僕らの代になるとねもうさすがにそこまで
はいかないですけどね
だから結構住宅地の
ところにボンポツンって
お墓があったりするんですよ
うちの実家のお墓も
ですね
区画整理はされたものの
区画整理のされた綺麗な住宅地のところに
一角だけ昔のまんまのスタイルの
お墓ポチが
ポンってありますね
お墓の数あそこ何個ぐらいあるんだろう
20基ぐらいあるのかな
すごく狭いところであるんですけどね
そこにはですね
もう何回もよくわからない
大昔から墓石が
ゴロゴロ転がってるんです
だから相当ね大昔からそのお墓使ってると思うんですけどね
そんな墓地が
あったりします
各地にありますね
っていう感じで個別に管理してるんですよ
お墓はそもそもね
お寺がないと
なぜないかっていうのが
一つ一番大きい原因は
明治維新の頃に
いわゆる
廃物希釈って
言われてますよね
あれで
お寺を打ち壊したみたいなのがね
あれはもともとは
神仏融合
だったかな
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政府が出したのは
神社
神社の神と
寺のお寺を
一緒にしようよっていうのが
始まりっていうか
命令なんですけど
それを勘違いしたというか
なんだろう
間違った解釈というか
世の中の
風潮がそうだったっていうところ
からか
お寺を打ち壊せ
みたいな流れになって
いわゆる廃物希釈
っていうことを言われた騒動
なんですよね
これは全体の歴史的な話ですよ
で
えーと
鹿児島は
あの
要するに
お寺に対する反対勢力が
ごめんなさい
まだ全国的な話ですけど
お寺に対して不満を持っている勢力が
多かったんですよね
当時だから神仏融合って
言ったのに
お寺はもう潰せ
あいつら血管から潰せっていう人が
全国的にも多くて
お寺を壊すっていう方向に
流れたんですよね
で
鹿児島は特に
これが強かったと
いうことなんです
だからね
もともと鹿児島は
お寺よりも
神道
仏教よりも神道の方が
強い都市柄です
田んぼには他の神様
地の田んぼの神様が
必ずどこも祭って
あったりとかね
やっぱ神社が強い
六月堂っていう
お祭りがあるんですけど
これはですね
鹿児島の夏祭りなんですけど
鹿児島の八坂神社
っていうところがね
祇園神社系ですよね
そこが
まず最初にスタートして
そして
毎週
八坂神社スタート
毎週今週はこの神社
今週はこの神社
今週はこの神社
毎週神社で
六月堂というお祭りを
やって
それが1ヶ月か1ヶ月半ぐらい
続くんですよ
これは今でも鹿児島ではね
っていうぐらい神社が強い
神社が強いですね
だから僕も子供の頃から
夏祭りといえば
六月堂っていうね
鹿児島弁では六月堂って言いますけどね
六月堂に行くっていう
もう一つ面白いのがこれ六月堂あるのね
七月なんですよ
六月堂
灯篭の灯ですね
六月堂っていうのにね七月にあるっていう
これね不思議だなってずっと思ってたんです
でも実はですね
鹿児島って
江戸時代ですね
えっと
小読みをね勝手に作ってね
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鹿児島だけね
フレックスタイムじゃないですけど鹿児島語読み
っていう薩摩語読みっていうので
生活してたらしいんですよ
これもね子供の頃には全くは
分からなくてなんでいろんなの
ずれてんだろうなって文化的なものが
思ってたんですけど
大人になって分かりましたね
薩摩語読みっていうちょっとずれた
小読みで鹿児島は薩摩は
生活してたらしくて
七夕
今も違うのかな七夕は
もう八月ですもんね
七夕祭りは八月
八月ですもんね鹿児島
あれなんで八月なんだ
一個ずれるから
六月堂が七月にあって
七月あそうそうそうそう
一ヶ月後ろにずれるからか
そう鹿児島ね七夕は祭りは八月にあったんですよ
今はねさすがにね
情報がもう全国
画一化してきているんで
七月なのかって言いますけど
地元のあの愛護会とかの
あのお祭りは
八月でしたね
八月なのかに花畑祭りやってましたね
十五夜もずれてた気がする
そんな感じで子供の頃
全く意味がわからなかったけどね
鹿児島はね薩摩語読みっていう
ずれたカレンダーで
要はお祭りごとが行われていて
それがね僕は
子供の頃は完全に
まだ残ってました
六月堂だけは今も
七月にやってますね
七月からスタートしてますね
そんな感じそういうやっぱ
信仰性が非常に強いんで
特に仏教じゃなくて
神道神社の方が
力を持っていた
という状況の中で
神仏融合
そして廃仏帰着ってなったもんだから
もちろんお寺も
あったんですよ
あったらしいんですよ
でも徹底的に潰されましたね
鹿児島市内には
多分当時の寺はほぼないと思います
あとからやっぱ力のあるね
東本願寺西本願寺とかが
新しくガーンってでかいのを
建てたりして今もありますけどね
ていうのは僕の
実はの出身地元
はですね
あの地区名が阿佐名というかね
あの
地区名がですね不動寺っていうんですよ
これ完全に
お寺の名前なんですけどでもね
地元の人はね不動寺っていうお寺が
どこにあったのかとか
全く知らないんですね
あったらしいです
これは廃物希釈前に
無くなったのかもしれないですけどね
広徳寺
っていうところもあります
広徳寺はまだ遺跡がちょっと残ってるらしいですけどね
ていう風にね
ちゃんと土地名になってるから
寺はあったとは思うんですけど
今ね本当に土地名ばっかりで
そういう地元らしい名前の
お寺は全くないですね
我々も子供の頃から
お寺に全く触れないで
いました
ただね
地方はまだそこまでなかったのか
うちの妻はちょこちょこ言いますけど
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ものすごく大墨半島の
奥の田舎の方なんで
鴨屋とかね
鴨屋はそれなりに都市なんですけど
さらに
鴨屋の実家っていったらもっと
高山とかね
高熊とかね
名前出してもわからない人の大人なんですけど
めちゃくちゃ山の中なんですけど
そういうところではね
お寺があるみたいで
僕もそこで妻と結婚して
法事があるみたいな
法事とかもなかったですからね
僕らは
法事ってあるんだと思って
初めてお寺に行って
何もないのに
葬式でもないのにお経をあげるみたいな
経験をしましたね
ごめんなさい
自分の体験といろいろ混ぜちゃって
申し訳ないんですけども
歴史的にも
話でもう一回言うと
その廃物希釈
みたいなのが行われたときに
神仏融合が行われたときに
結局ね
薩摩藩自体も
神道なので
積極的にやっぱお寺をね
潰しにかかったんですよ
藩自体もね
だから行政もそれをやったし
地元民も
それをやったし
本当にお寺ないんですよね
でね
僕これは別なところから
一説昔聞いた話なんですけど
明治維新のときに
薩摩藩が結構やったじゃないですか
あれの資金
資金とか
武器を調達するために
神仏融合霊とかが
出る
もうちょっとその前ぐらいから
すでにお寺の方は
文章を潰したりとか
要は藩がね
島津県自体が
積極的にそれをやり始めてたっていう話を
聞いたことがありますね
それをすでにやり始めて
要はどんどん金属類を
強出させたりとか
あれはお金をね
税金を取ったりとかして
要は明治維新のための
資金にし始めてたらしいですね
それに
加わって
神仏融合廃仏希釈っていう流れができたから
藩を挙げて
徹底的に寺を潰して
全部強出して
地元の人たちも
そういう話も聞いたことがあります
まあね
要するにね
薩摩藩って
江戸幕府の
反発して
ずっと来てるんで
他の藩は
江戸幕府を
お手本にして
政治とかも
進めてたんじゃないかなと思うんですけど
薩摩はやっぱ独自
ですもんね
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勝手に中国
琉球を併合して
いや併合してませんよ
って言ってみたりとか
その琉球を通じて
中国と
密輸入
取引勝手に
してたりとかするし
とにかく言うこと聞かない
勝手に小読みを作るしね
まあこれね
一つは薩摩藩の天皇家との
繋がりも結構あったりもしたので
まあまあなんやかんやで
力は持ってたんですよね
幕府とかに対しても
だから勝手に
小読み作るのも許可
やっぱ許可が
他の藩では認められないこと
らしいんですよね
小読み作るとかね
薩摩合意に推し進めて
やっちゃったりとかね
とにかく言うことは聞かない
勝手にだから母大寺とかは
持たずに
島づけで母大寺なかったっけ
ちょっとごめんなさい
ここちょっとうろ覚えですけど
とにかく有名なのは
神神社っていう
神社ですね
大きな神社がありますんでね
だからそういうところに
神様として祀られたりとか
してますからね
お殿様はね
神道をとにかく
メイン宗教としていた
藩はそういう
藩だったのでね
廃物希釈強かったんですよね
まあそんなこんなでね
寺は解体されて
寺は解体されて
お坊さんとかもね
ゲアじゃなくてなんて言った
まあ忘れましたけど
漢族か
賢族か
まあ属性に戻されたんですけど
やっぱりね
浄土神宗とかの信仰は残ってて
これも聞いた話ですけど
鹿児島って
シラス大地で
平地が少ない
カルデラの
山の形してるんで
鹿児島市とか町があるところは
結構平地は
面積狭くてすぐ山なんですけど
でうちもね
山が近くにいっぱいあったんですけど
その山がねシラス大地って言って
掘りやすいんですよね
砂が柔らかいから
だからねこの山
道路走ってて山手を行くとね
結構ね白壁が
多くて
その白壁にね
穴を掘ってるのがめっちゃあるんですよ
で
これは太平洋戦争時代の
防空壕です
一つは
一つは防空壕っていうのもあるんですけど
実はその防空壕として使われる以前から
そうやって白壁に
穴を掘って洞窟を掘ってるのが
結構あったらしくて
それが何かっていうと
明治維新辺り以降から
あのお寺を
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潰された後に
神徒が密かに
そのホラーの
奥でお経をあげたりしてた
場所だったっていう
話も聞いたことがあります
奥にちっちゃな仏壇を置いて
仏様を置いて
よなよな
あのね
浄土神宗ですよ
鹿児島ではねそうやって浄土神宗が
弾圧された時代があるらしいんですよ
うん
全国的にはないと思うんですけどねそんなの
という話も聞いたことが
あります
ちょっとだからここは審議のほどはよくわからないです
もう経験がないですし
うーん
というような感じですね
それぐらい
とにかく鹿児島は神徒
神社です
昔から寺はあったけど
勢力的にはそんなに強くなかった
のに明治維新の頃の
廃仏希釈で本当に徹底的に
90何パーセント
って確か資料で見た気がしますね
うん
なのでこれがね鹿児島に
お寺がないそして僕自身も
そうですしあんまり寺の文化
というものがあのなじみがない
理由です
本当にねテレビ
とかでねお寺とかね
お墓参りのシーンとかもね
やっぱ全然違うんですよ鹿児島
とは
なんかねドラマとかでもお墓参り
行ってたらお寺に行ってこう
ねお墓お寺の中に
お墓がバーっと並んでて
で木が立ってて木って
さっきから言ってるけど
そこでこうして住職に挨拶
したりとか住職が羽ばいてたりとか
いう映像を子供の頃から
見てたけどそんなの全く
見たことなかったですね何だろう
あれぐらいな感じでしたね
はい
というのが実は鹿児島は
そういう
ことになっております
はい
以上です
長くなりましたが今日も
誰よっと声ずる聞いてくれっせ
孫て愛が父さんよも知った
ほいならまたね
宮剣でした