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みんなの才能研究所バージョン2、略してみんラボ2の配信をスタートします。
この番組は、才能という言葉を再定義し、個人の才能、チームの才能、組織の才能、社会の才能などについて追求していく番組です。
本日はゲスト編ということで江川美人さんにお越しいただきました。江川美人さんはですね、街づくりだったりとか、個人の創作活動、絵画といったものを通してアーティスト活動をされていらっしゃる方です。
21歳という若さで、僕がですね、先週ちょうどお会いして、この才能は何なんだろうっていうところにすごく気になり始めまして、本日はゲストにお呼びいたしました。
彼の考えている思考だったりとか概念だったりといったところが、とても精密で、とても複雑なことを複雑なまま捉えたまま人間というものを理解しようとする姿勢にですね、とても魅力を感じています。
そんなエピソードを今日は聞いていただければなと思いますので、どうぞお聞きください。
ゲストの江川美人さんです。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
今日はゲストなんですけれども、タメ語で話そうということで、ここからはタメ語で展開していこうと思うので、よろしく。
はい、よろしく。
そしたら、江川美人さんの自己紹介から聞いていきたいなと思っていて、どんな人なのか教えてもらえるかな。
はい、自分は2000年生まれて、今21歳です。
育ちと生まれは東京で、杉並区の小井窪というところでずっと育ち、高校は新宿で、大学は今横浜の大学に通っています。
そこで、そこに合わせて今年の6月、自分自身で起業をして、まちづくりのビジョン策定と両輪として動かせるようなプロジェクトをやっています。
そこで、そこに合わせて今年の6月、自分自身で起業をして、まちづくりのビジョン策定と両輪として動かせるようなプロジェクトをやっています。
自分自身で起業をして、まちづくりのビジョン策定と両輪として動かせるようなプレイヤーの人たちの対話を生み出したりとか、あとは防御形成を手伝うようなツール開発を行って、その提供というのもまた同じく、日本のいろんなところでやっています。
あとは生活と趣味と仕事の間くらいでずっとやっているのが、絵を描いたりとか、あとは折り紙を折ったりとか、平田区といえばアートっていうのをずっと生まれたからやっている方たちになります。こんな感じです。
ありがとう。すごい濃いね。21年間でどんな濃い人生を歩んできたのかがすごい。
いやいやいや。
会話見れるけど、僕がミト君と出会って、まだ実は1週間くらいなんだけれども、ミト君の話を聞いて、やっぱり概念について突き詰めて考えるという力がすごいなと思っていて、そこがミト君の絵を見てもすごい感じ取れるし、創作活動の中でも感じ取れるし、今やっている地域のまちづくりというところでも会話見れるなと思っていますと。
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そんなミト君はどうしてこれまで地域のまちづくりというところに着手してきたのかな。そこになぜときめいたのかなっていうのをもう少し聞かせてもらってもいいかな。
本当にさかのぼりで結構長いストーリーにはなっちゃうんだけど、始まりは自分の母親が油絵画家で、ずっとその下で育ち、小学生だったりとかの時はずっと何かを作っていて、
例えば版画を作ったり、彫刻を作ったり、陶器を作ったり、絵を描いたり、いろんなことをずっとしていて、自分の中での将来像というか、自分はこういうふうに生きていくんだっていうのは完全にアーティストというところで固まっていて、
ただその反面、大人になって自分で生きていくためにはお金を稼わないといけないというのを中学生になったくらいで感じ始め、そのお金が必要という感覚は結構生活環境が影響していて、
その中学生の時に本当にライフラインが止まっちゃうくらいな貧乏さになって、死と食べるものがないなとか、お風呂1月だけどお湯が出ないなみたいな、本当に体に痛みを伴うような、
そういうお金の中を感じて、その時にお金は本当に稼がないとまずいぞっていうのを本能的に感じ取り、そこでちょっと夢の軌道修正というか、変えていかないとまずいぞということで、その時は建築家を目指してました。
ものすごく雑魚としたイメージで、例えばお医者さんは給料が高いとか、そういう感じのイメージが建築家に自分はあって、社会一般的にもあると思うんだけど、そういうので結構建築家っていうのを目指せば自分がやりたいアートっていうのもできるし、
かつその時の認識としても自分アートが得意っていうのがあったから、その得意も生かせるし、かつその上でお金も稼げるっていうので、建築家最高じゃんっていうので、建築家を中学高校と目指していて、結構自分はアイドルにおいても作品と作品を作る人っていうののセットとしてものすごく見ている感覚があって、
で、その時に建築家の人たちのストーリーっていうのを結構いろいろ調べあたって、本で見る電気だったりとか、あとはネットで検索してインタビューの空気だったりとかを結構見ていて、その時に常に終着点というか最終的な目線としてあったのが、建物を決して一つとしては見ずに、
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地域っていうネットワーク、地域っていう空間全体にある、もしくは社会っていう概念的な物理空間ではない経済学的空間にある一つの建物として、ことして成り立つためには全体に属していなきゃいけないって考え方に触れて、建物を一つっていう風に見てたんですよ、もともと建物は一つ独立したような空間として見ていたけど、でもそれが全てが繋がったような感覚というか、
その時に自分家にいたんですけど、その家っていうものが家の根っこからグワーッと広がって、自分自身が世界と結びついたような感覚になって、もう恐怖に近かったけどゾワッとしたんですよ。
で、そのゾワッとした感覚っていうのが自分の根本にグワッと根付いていて、その時に建築家になって、その後ゴールとして都市計画家になるか、もしくは都市計画家に先になるかっていうのは決まってなかったけど、でも最終的に自分が目指して本当にやりたいと思っているのは都市計画、街づくりっていうことだなっていう風に高校生の時に気づき、
大学では今都市工学とか都市計画とかを学びながら、そういう最終的な自分のやりたいことに向かいつつ、そういう都市計画、街づくりっていうのを実際に業務としてもいろいろいろんな街で実践しているっていう途中ですね。
すごいね。まず1回目のお金がなくなった経験、ただ見て感じた経験の瞬間に、まず圧倒的な欠乏感を感じてたのかなっていうふうに思っていて、その欠乏感のタイミングがあまりにも早かったから、考えるようになったのかなってちょっと思っていて。
実は僕の友人で、中学校の時に本当にど貧乏すぎて、家賃1万円以下の家に住んでる友人がいて、彼はもうお金がないって決まったからこそ、どうやってお金を得るかっていうのを中学生からずっと考え続けていて、やっぱりすぐ起業して、今に至るっていう形の人生を歩んでいるんだけれども、
やっぱりあまりにも欠乏した瞬間に、今自分が何ができるんだっけ、自分がやりたいこととどうやって結びつけるんだっけっていうことを考える方って多いなって印象が受けていて、そこからやっていきたいことがどんどんいろいろとチャレンジしていくと欲求が変わっていたというか、新しい世界が見えてきて、自分のやりたいことがどんどんどんどん精度高くなっていったっていう感じなのかな。
完全にそうで、一番変わったこととしては、本当にどん底の1,2年間くらいが中学1,2,3年であって、その時期が人生のターニングポイントというか形であって、その後で大きく変わったことは明らかに一つあって、今でも続いてるんだけど、
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本当に自分は生きたいのか死にたいのかっていうのを自分に問うて、その選択の上で生き続けるっていうライフスタイルというか生き方をずっとしていて、結構初めての人に話すと闇が深いそうな印象というかっていうのを受けられることもあるけど、でも自分にとってはものすごくポジティブな生き方で、それっていうのは。
それがどん底の時期に自分自身が死にたいって思いを持ちながら、それでも生き続けたっていう経験。
その上で、その人生の延長線上として常に今を歩んでいる感覚っていうのの中で考えた上で、自分が今日また24時間始まるけど、そこの24時間生き切るのか死ぬのかっていうのを問うて、それでも毎回毎回生きたいと思えて生きるっていうのが、自分にとっては人生の選択のコンビニになってるなと思って。
それがさっき言ってたように、圧倒的な欠乏から生まれた自分の根本的な生き方の変化だなって、今なんか分析してもらいながら思ったかな。
ありがとう。分析ってほど分析ができてないからね。
いやいや、はい。
そっか、なるほど。今なんか街づくりをこうやっていて、実際にやり始めて新たになんか感じる魅力だったりとか、楽しさだったりとか、なんかそういった観点っていうのはあるかな。
それこそ概念を見るっていうのが自分はものすごく好きで、なので若干地に足つかないだけだったんですよ。
中高生の時は、もう理論理論理論理論。だから好きな科目も圧倒的に数学と物理で、もうあの経時状学的というか、なんかあんまり人間そのものにものすごく興味を持つってことはなくて、
コミュニケーションスタイルとしても周りの人からかなり拡大されてるような、友達も一人誰しかいないみたいな人で、その反面なんか街づくりのプレイヤーを考えると、今実際働いてて思うのが、周りの人たち全員コミュニケーションのお化けというか、
コミュニケーション能力に特化した人が集まっていて、そこで何だろう、業界と自分っていうのの確立が大きくあって、
それが多分自分にとってこの都市計画街づくりを始めて一番距離を感じた部分でもあるし、それこそ魅力として楽しさを感じた部分で、それが企業にもつながってると思うんだけど、
もともとその都市計画街づくり、それこそトップダウンというか、街づくりってなると大きく似合わせは変わるけど、その都市計画地域経済開発とかっていうのを考えると、結構もう最終的なアクションはあるけれども、その手前の手前のビジョンとか計画とかっていう部分で、理論に終始してしまう危険性があるというか終始してしまうことが結構往々にしてあって、
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ただその中で実際にその計画を実行していく一人一人、計画的な立場から見ると本当に県にしか表せられないような人たちっていうのを自分自身がその地域に出て一人一人に面と向かって話して、その人たちの哲学を聞いたときに一気に世界が膨張してグワッと広がって、
その時に歯車が揃ったというか、なんか都市計画とかそのビジョン作成とかの方だけを考えてた自分っていうのが、実際の人、社会に役立つ効果を発揮できる価値を作ることができるっていう最終的な機能にたどり着くための歯車がそこで揃った状態に近づいた感覚っていうのがすごく明確に強くあって、
それが大きな魅力というか、自分を惹きつけて、今もなんかその仕事をやりながら自然と笑顔が出てしまうというか、なんかすごい毎日ワクワクしながらできてる一番大きな新しく発見した魅力です。
なるほどね。だからこそなんか、これまた別の回で聞きたいなと思ってたんだけど、これからやろうと思ってるところがかなり実心のところに行き着くのかなっていうふうに思ってるんだけど、そもそもでも都市計画ってめちゃくちゃ難易度が高いことなんじゃないかなと思っていて、計画って言うとまあなんか一般的な計画ってこうパッパッパッパって計画を立てることだと思うんだけど、都市計画って多分10年単位ではなくてもっと20年30年単位で計画を立てるものもある。
なんかそういったものをやっていくと思うんだけど、それを基本的にもう少し詳しいのが、ゼロからもう全部水戸くんが設計してどういうふうに作っていけばいいのかってことをやってるってことなのかな。それともなんか一部を委託されてるのかな、都市の一部。
都市計画自体はステークホルダーが本当に無数にあって、主体となって推進力を持って動かしてるのが行政で、その周りに地域の実際にプレイヤーとなるような事業者の人だったり、あとは住民だったり、住民が一番街を使うから、あとはそこに入る都市計画コンサルだったりとか、そういういろんなプレイヤーがぐっと集まって計画策定をやっていて、
一人で作るっていうことは本当に決して絶対になくて、いろんな人たちが集まって、自分の感覚としては都市計画コンサルはまず専門性を持っているというのが得意性で、いろんな地域でそういう計画を作っているので、その知見からのアドバイスっていうのはあるけれども、やっぱりその専門家的なアドバイザリーがあったとしても、
主体は絶対にその地域の行政、民間、あとは大学だったりとか、そういういろんなステークホルダーで、その策定の過程においても、そういういろんなプレイヤーが、例えばワークショップっていう形だったり、委員会っていう形だったり、協議会っていう形で、いろんな計画のピースになるようなものを集めていって、
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例えば交通関係になると、結構専門性が重要視されるから、そういうのはコンサルががっつり入ったりとか、もしくは福祉とか教育とかになると、また違うステークホルダーの人たちが出てきて、そこでそれに関する意見を、また都市計画コンサルが受け取ったり、行政が受け取ったりして、それをぐっと、それこそ概念的なところを抽出したり、まとめ上げたりして、またフィードバックして、
で、また民間の人たちからフィードバックを受けてみたいなのを、本当に3年くらいかけて計画っていうのを最終的に作り上げていくっていう、かなり長い。
すごいね、長いね。いろんな人たちがステークホルダーがたくさんいる中で、どうやってぐちゃぐちゃにならずに都市計画って進んでいくの?なんかというのもなんていうのかな、崩れていっちゃったりとか、なんかみんながそれぞれ全然違う企画を立てれば、街は全然統一化されていかないと思うんですけど、そこを統制させるシステムみたいなのもちゃんと機能してるの?
そうだね、いろんな手法がある中で、例えば少人数で本当に決めてしまうっていうのも一つの手法ではあるし、それをいろんな地域、いろんな世界各国でやられてるっていう現状もあるけれども、それと反面、自分が絶対の正解でもないし、絶対正解するわけでもないけれども、こうしていくのがいいだろうなって今思ってるのが、計画、例えば道路の計画だったりとか、
あとは商業施設をどこに集中させるかっていう話だったりとか、そういうのを決める手前の手前にビジョンっていうのを決めるっていうことが、なんか自分は光だなと思っていて、計画っていうところまで行ったりとか、あとは教育をどういう風に変えていくか、福祉をどういう風に変えていくかっていうのを先に議論すると、どうしてもさっき言ってたような企画と企画のぶつかり合いだったりとか、
あとは視点と視点のぶつかり合いというか、この視点の人はこうしたい、この視点の人はこうしたいっていう感じになっちゃうっていうのがあるからこそ、少人数で決めようって話になっちゃうんだけど、そうじゃなくて、その手前の手前でビジョンっていうのを決めてしまえば、よりスムーズにいくんじゃないかな、かつて全員が納得感を持った形でできるんじゃないかなと思っていて、そのビジョンっていうのは具体的な話は基本的にはせせずに、その手前のこの街はどこを特化させて、
この街はどこを目指して進んでいくかっていうのをビジョンステートメントだったりとか、なので若干コピーライティング的な要素もあって、そういうのをみんなでゆっくり交渉されて、具体的な議論は1回止めておいて、この街ってこれが魅力だよねだったりとか、これ弱み、インパみんな課題として持ってるよねだったりとか、っていうのを1年くらいかけて丁寧に丁寧に整理していって、
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その言葉を作る過程っていうのも、実際に街の人たちと一緒にやって、この街はこういう理想像、将来像を持って街づくりを進めていきますっていうフェーズを経た上で、次のステップに進むと、一番大きな違いは優先順位がそれをもとに作れるんですよ。
で、その優先順位を持つことによって、例えば意見の対立が生まれたときに、その優先順位に照らし合わせて進めていくことで、じゃあこっちの方がベターだよねっていう簡単な形で、ものすごく論理的にその後のプロセスを進められるので、そこがスムーズにもなるし、かつ納得感も生み出すことができるっていうので、そういった形で進めていくのが自分の中ではいい形なんじゃないかなっていう風に、
本当に経験としては2,3年で短いけれども、思っている中ですね。
すごいね、街づくりの2,3年の経験でそこまでもう結構たどり着いていて、素晴らしいね。
なんか今のその街づくりって、今までやってきたアートとどういう観点で重なっていて、なんか今までやってきたアートの力をどういうふうに実際に活かせてるなっていうところは何かありますか。
ちょっとアートっていうものを拡大解釈したいと思っていて、アートっていうのは自分の中では人間がいわゆる創造と破壊として生み出すものの重なり合いだなと思っていて、
なので、絵画とか音楽とか演劇とか文学とかそういう閉じたものではなくて、いろんなものが重なり合ってできているものがアートだなと思っていて、その重なり合いっていう部分が都市計画街づくりにものすごく近いなと思っていて、
というのも都市計画ってものすごい、それこそさっきの話でステークホルダーが山ほどいて、パッと思いつくのが行政の出馬地市の職員だったりとか、と民間の人たちで大企業の市社長さんだったり、あとは住民で地域活動を頑張ってやってる人、一般社会法人代表やってる人、NPOの代表やってる人、あとなんか清掃活動やってる人とか、
でもその人たちってものすごくたくさんの特性を持っていて、住職の人がいたり、普段は自転車の制御やってたりとか、あとは飲食店やってたり、そういういろんな人たちそれぞれの創造活動、破壊活動っていうのがぐっと重なり合う場所っていうのが都市計画街づくりだなと思っていて、
そのことって自分が考える都市計画の本質だなと思ってて、社会をデザインするのが都市計画だと思ってるんだけど、その社会をデザインするっていうのを考えたときに、社会っていうのは人と人が交わる場所、交わる空間、交わるところだと定義すると、その交わり方によって社会を変えることができる、リデザインすることができるっていう風に自分は捉えていて、
そこの観点から言うと、いろんなステークホルダーの交わり合いっていうものをどう捉えるのか、どう向き合っていくのか、そこにどう働きかけをしていくのかっていうのが概念的にちょっとレイアーで見たときに、アートとまるっきり一緒というか、いろんな、それこそ哲学だったり、それこそレイヤーもごちゃ混ぜで、いろんなレイヤーにおけるいろんな重なり合いに対して自分自身がどう向き合うかっていう部分で、
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ものすごくアートと都市計画っていうのがほぼイコールというか、ほぼ等しいものだなっていう風な感覚で向き合ってるからこそ、すごい自分はしっくりして都市計画を楽しんでるのかなって、なんか本当に本能的に楽しんでるから、なんか今話してて思ったのは、だからこそこんなに楽しいのかっていう風にね、思った。