1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. 人間の特性の多様性と幅広さ~..
2021-08-17 27:17

人間の特性の多様性と幅広さ~味覚→聴覚→群れと承認欲求→何故か漫画の毒手の話まで…

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「美味しいについて」の第2回!

幼い頃はspiderのdが聴こえず、モスキート音は老いると聴こえなくなる…

群れることによる生存確率増加から承認欲求を考えたり、

食べ物の好みが真逆に変わるような、人間の体の自由度の高さから、

今回は毒を扱った漫画の話にまで突入していきますw


収録日:7月29日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

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この番組は、文字通り、シュウとショウの日が向いた時に、適当に好きなことを話しながら、未だ知らないことわり、つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、下手をしたら、二人の文字通りを探すだけの気のままな旅。ゆるーくお付き合いいただけたら、嬉しいです。
前回からの続き
感じ方として、そのインプットになるような可能性を深いにさせる。そういうふうに捉えたりもできるのかなぁと思ったりが、今ちょっとふと思ったんですね。
一方で、蚊の音というのは、大人になったら聞こえなくなるじゃないですか。なるらしいじゃないですか。
そうなんですか?
モスキート音って知ってます?
いや、さっきも一瞬チラッとおっしゃったけど、プーンっていう音のこと。
そうですね。ただ、最近プーンっていう音とかって、シュウさん聞かれたことあります?
どんどん聞こえてますね。
ほんとですか?
じゃあ、個人差とかあるのかもしれないですけど、蚊にもよるのかな。いわゆる人間年齢重ねたら、高周波聞けなくなるらしいんですよね。
あー、そっちの話。
それで、一時期モスキート音みたいなのが流行って、これ聞こえなかったら年齢が言ってるみたいな。
なんかそんなのがあったんですけど。年齢によってそういうのが聞こえなくなるのも関係するのかなと思ったんですけど、それは今ピントはこうなんですね。
子供の時は不快に感じて、大人になったら不快に感じなくていいっていう風なことも別にないんで。
そこはなんか、そこもなんかいろいろ理由があるのかないのかそこもわかんないんですけど、子供本当に聞こえ方が全然違うみたいで、大人は蜘蛛のことスパイダーって聞こえるじゃないですか。
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英語で聞くと。英語でスパイダーってDが聞こえるじゃないですか。あれって子供にはDほとんど聞こえないみたいなんですよ。
スパイダーみたいに聞こえるらしくて。
そうなんですか。
ほとんどそこの大人にはスパイダーって聞こえてるやつを子供に聞かせて発音させると、Dで発音しないんですよ。
この前ちょっとそれで衝撃受けて。
そうなんだ。
っていう風にやっぱり聞こえ方っていうのが年齢でだいぶいろいろ変わるみたいですね。
いいかいいかちょっと余談が過ぎるな。
いやいや全然全然余談まくりでいきましょうこの番組は。
で、さっきの話にちょっと戻すと、そういう美味しさ、というかさっきの話では甘さっていうところだったり、
美味しさって言うのか、美味しさ、ん?さっき僕甘さで言いましたかね?
甘さで言いましたね、フィードバックは。エネルギー効率がいいとか。
フィードバックはそうでしたね、はいはいはい。
エネルギー効率がいいとかっていうようなところでは甘さで。
で、果の話もそういうフィードバックの話だと。
で、美味しさはまた別問題だよねっていう風な感じではちょっと思ってて。
で、一旦そこの話を置いとくと、例えば人間が不快に思うこと。
感情的に不快に思うことは人間がその行動を避けようとするじゃないですか。
だからその不快に思うっていうことは人間が生活していく、生存していく上で、
デメリットだなみたいな風に自覚したことがフィードバックされて、
脳内でそういう不快な感情を出すように調整されていったとするならですね。
その歴史で一番最初、人間は狩猟していたり農業をやっていたり、
群れで過ごしていたわけじゃないですか、最初。
というか、群れないと生きれなかったというか、群れた方が生きれる可能性が高かったですよね。
自分がその日必ず狩猟に成功するかもわからないし。
基本的にあの時代っていうのは群れた方が生存戦略としては良くて、
だとすると強調すること、群れることみたいなのはできる限りそうするように
その感情が調整されているんじゃなかろうかと。
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なので逆に独りぼっちになるような群れから逸脱するような行為は不快に感じるように感情が調整されている。
それはただあの頃、あの頃から昔からなんでそういう風なのがあったと。
ただ社会は変容してきて、現代に至ります。
ただまだ人間の遺伝子的にはそういう部分は根っこに残っていて、
そういう意味で現代で群れから逸脱するっていうのはすごく不快なことを感じやすい。
でも今は別に群れずとも生きれるじゃないですか、社会構造上。
群れてなくても全然この食糧とかに困るわけでもないし、
今は全然一人でも何かしら物理的に群れの中にいなくても何か社会の中で活動ができる。
大きな目で見たらその社会の群れの中の一部ですけど、
もう本当に何かこの絶対群れにいないと生きれないという状況じゃないと思うんですよね。
だからそういう意味ではそういう感情みたいなのが人間に元来あるけども、
そういったところの感情は今もしかしたら邪魔になっているのかもしれないし、
その群れたい、逆に群れたいって思うっていうところはその群れの仲間に承認されないといけないじゃないですか。
自分がその群れの一員でちゃんとその群れのためになっているだとか、
そういう必要があるから承認が必要なわけですよ、群れの中には。
そういう意味で承認欲求みたいなのはあったり、
そういうところが根本にあるんじゃないかっていうのをちょっと感じたりですね。
だから今その承認欲求っていろんなところで言葉出てて、
そこに囚われてたりとかっていう話もありますけど、
その囚われる根本っていうのは遺伝子的に組み込まれているのがあって、
そこを冷静に今考えたら別に承認されずともやれる方法というか生き延びれる方法っていうのはあるので、
その承認欲求っていうのから脱却する一つの考え方の一つになるのかなと思ったり。
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なるほど。
なんかちょっとそんなふわっとした話なんですけど。
僕が今その話聞いて率直に感じることで言うと、
生きるってそもそもなんだっけっていうところがなかなか深いというか。
そうですね。
さっきもですね、ちょうどほんのこの収録を始める直前に僕がツイートした言葉があるんですけど、
ご飯じゃなくてもしかしたら愛情を食べてるだけかもしれないってツイートしたんですけど。
その今日ちょうどおいしいについてのテーマだったんで、
ちょっとしょうまさんがお話しした文脈とはずれるかもしれないんですけど、
僕、赤ちゃんが離乳食を経由して物を食べれるようになる経緯っていうのが、
すごく人間が人間らしくなっていく経緯を見ているような感じがあって、
離乳食を口の中に入れてあげてもちょっと口を動かしてベーって吐き出すような機関ってなかったでした?
ありました。
うちの子はそれがあって、だから何かしら確かめるようにしながらその時の味覚で判断してっていうようなことをしてるのかもしれないんですけど、
どういうアレだったっけな。
ちゃんと栄養として育つはずのものを与え続けていても、
お母さんがそばにいなくて、
例えばその瞬間にだけ看護婦さんが栄養として必要なものを与えていても、赤ちゃんは死んでしまうっていうようなことを聞いたことがあるんですね。
で、なのでほとんどの人は、
あと、もう一つ、僕がこういうなるべくお金を使わない生活を目指していく中で、
えーとですね、ちょっとお名前忘れたんですけど、
お母さんが、
お母さんが、
お母さんが、
お母さんが、
お母さんが、
お母さんが、
お母さんが、
お母さんが、
ヤマで小屋の生活をするっていうので、
ヤマで小屋の生活をするっていうんで、
本を出されたりした方がいらっしゃったんですね。
本を出されたりした方がいらっしゃったんですね。
僕よりも若い方だったと思うんですけど、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
1ヶ月に何万円で、
ゆうゆう小屋暮らしみたいな感じの。
ゆうゆう小屋暮らしみたいな感じの。
ちょっとね、
ちょっとね、
ちょっと出てこないのが、
で、その方がでも
その方がでも、
その本がまあ結構売れたりして人気が出たりされた方なんですけど 本当に山の中で小屋で一人で暮らしていて
何年か後5年後とかだったか忘れたんですけど もううつみたいになっちゃったんですよ
12:04
要は誰とも接しなかったんで もうなんかこう健康精神特に精神面を害してしまったと
だから生きるっていうのが 単純に食物を摂取するだけでは
そもそもできないのかもしれないなみたいな感じがあって だからその群れでいることのメリットというのはもちろん生存確率を上げるっていう意味合いもあるんでしょうけど
その愛情の交換というか平たい言葉で言うと そういうものがそもそももともと
組み込まれていると言うとちょっと言い方があれなんですけど そういうものなんじゃないか
もっとちょっとチャチ言い方になっちゃいましたけど いやいやわかりますね
うーん なんかそういう感覚も最近あって
いろんな側面から考えられるなっていう
なんかそれは確かにそうですね そう思います僕も
なんか多分そういった側面も含め僕が言った範疇も 含めかわかんないですけど
人間に何がしかの理由でプログラミングというか組み込まれている その群れ対っていう感情みたいなのがあったとして 僕が言ったような捉え方からだとそこを意識しなくても
そのやっていく方法っていうのは現代でもあるよねっていうふうな考え方に立てば 必要のないその
群れる行為というかなんかゲイゴーするような 何にでもちょっと同調をとりあえずやっちゃうっていうふうなこと
っていうのを不要意にはなんかそれが悪いというわけじゃないんですけど 不要意にそういうことに何も考えずに
やっちゃうということを避けられるかなというふうに思ったんですけど シュウさんおっしゃったようなところも確かにあってというか
その組み込まれていて それゆえそういう群れ対という欲求があって 群れ対というか他人と関わりあって生きるっていうためのそもそもの
そういう仕組みがあるなら そういったのは必要ですしそういったところの群れっていうことだったら全然
何というか必要だと思ってるんですよね むしろこうやってシュウさんと話すのも僕にとってそうですし
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古典コミュニティっていう群れに属しているのもそれなので そこっていう何かしらやっぱ自分と何かを交換する
さっきおっしゃった言い方と愛情を交換するというような コミュニティみたいなそういったものは絶対必要で
だからこそさっきおっしゃったように子供の頃にそういうところを欠落すると 生きれない実際に死んでしまうみたいな話にも繋がって
そこはやっぱりそういう根本的にそういうのがあって 実際今自分もそういうところは確保確保というかそうしたいっていうのがあるなというふうにちょっと感じましたね
その承認欲求の出どころとしての一要因としては僕もそれはありえるかなって しょうまさんの話聞いて感じたんですけど
でそれが全てというよりは一要因っていう捉え方を今はしてるっていう
すごい複雑に絡み合ってるし 因子が多いかなと思っていて
その美味しいと感じるものが変わっていくっていうのも 小さい頃に甘いものが好きっていうようなものとはまたこう
次元が上がっていくって言うとちょっと違うかな 因子が多くなってきてそういうことまでできるようになってくるっていうような感じもあるんですよね
そういうとこまでできるようになってくるっていうのは 美味しいものが変えられるというか
前に嫌いだったものを逆に好きになっていったりとか そういうことまでできるようになるっていうのは
やっぱり年数をかけていろんな因子が絡み合っていく中でそういうふうになっていく っていう感覚がちょっとありますね
なんかその美味しさの話に絡むと今 修さんがおっしゃってた濡れていろんな人たちとの交流が必要だっていうところも
愛情っていう言い方が僕も好きなんですけど そこをあえて情報みたいな言い方をすると
いろんな情報のやり取り 愛情も一つの感じる情報かなっていうふうに思ったり
関わることで何かしらの情報をやり取りしていると そこの情報のやり取りをするっていうのは
やっぱりそこにいろんな情報があった方が多様性があるので 多様性があれば適応力が増すので
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生きやすいというかそういうふうな側面はあるかなと そういうふうな意味合いでは美味しいっていうのも結局この
いろんな味覚の多様性というか そういうバランスのいいようないろんな味覚がこううまく調和したような状態
そういう状態っていうのを美味しいというふうに感じるようにフィードバックされていく っていうそもそもの人間の仕組みみたいなのがあるとすると
食べ物としていろんなこの情報を取り入れる っていうところがもともと組み込まれているような
感じもしますね。小さい頃で例えば甘いものとかを食べ過ぎて食べ過ぎたらそれは全然多様性もないから
甘いもの逆に嫌いになっちゃうとか で多様性という意味では苦味っていうのは敬遠しがちだけど
それを含めたところで美味しく感じるような場合もあるし だからなんかちょっと多様性というところのキーワードが今浮かびましたね少し
そうですね もともとそういう因子が多くてってさっき表現僕使わせてもらったんですけど
そういういろんなことが受け入れられるような幅の広さみたいなものをもともと
持っているかもしれないと思ってるんですけどその食べたものも 必要なものだけ取り込んであとはうんちとして出ていくっていうのがそもそもある
そこをなんかうまい具合にいいところだけ取り込む中で
あまりにも無理があるバランスが例えばその毒っていう話をしたときに 毒性っていうのは何も本来含まれていてそれが多すぎると毒になるんだっていう
ところでそれもだから極端な話 徐々に徐々に慣らしていったらそれすら耐性がついていくような
ことすらあり得るのかなと思ってこれもまたそうですね前回みたいにあの漫画の話なんですけど
漫画ですねはいしかも古いんですけどブラックエンジェルズっていう漫画ご存知ですかね
いや知らない 正義の殺し屋集団の話なんですけど
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まあそれに出てくる敵キャラでもうちっちゃい頃から毒を飲まされて育った 殺し屋がいるんですね
殺し屋組織の子供なんでそういう自分の血液が他の人にとっては毒になるっていう毒人間 漫画なんでねそういうのがあって
でだから傷つけられる主人公たちに傷つけられてもその血が主人公たちにとっては 毒になるっていうような
キャラがいるんですよで子供ながらにそのちっちゃい頃から飲まされたからって言って 毒飲まされたらその瞬間に死ぬでしょうって僕なんか思ってたんですけど
いやもしかしたらそれはもう本当に漫画の極端な話ですけど 例えばその毒性が薄い状態から徐々に徐々にっていうふうに増やしていったら
極端な話そういうことも可能になる可能性もあるかなって まあもちろん寿命とかは縮むかもしれないんですけど
そのぐらいでもこう自由度がもともとあるのかもしれないとか思ったりもしていて なんかこう親が美味しいって思うものを子供も美味しいって思うようなところって
ないですか そうでもないですか
うちは結構あるんですけど いやまあなんかそのそれは多分感情的な部分
自分のお父さんお母さんが美味しいって思っているものっていうふうな知覚した状態でとかっていうのもなんか関わってたりだとか
うちの場合はちょっと僕がめっちゃ美味しいと思ってても息子が全然食べなかったりするんで ちょっと全てが全てじゃないかなとは思うんですけど
まあそういうようなところもあると思いますね さっきのその毒の話で言ったら僕ら世代ではあの
バキとかはいはいグラップラーバキあれで出てきてますよねその毒臭ってやつ あ出てきましたっけグラップラーで出てきてないのかな
その後かわかんないですけど結局憲法家の中にてか そもそも多分中国に実際そういうのがあるんだと思うんですけど
僕はあのラーメンマンっていう漫画の中で見ました ガンダムっていうキャラクターがいて
その毒さ、いろんなあの毒虫だったり毒薬だったりいろんなの混ぜ込んだその 毒薬
毒の砂かなの中にこう人をずっと突っ込み続けて みたいなあれはもう手の状態では毒の耐性がある状態でそして毒が
染み付いているみたいな だったり
ハンターハンターとかではそのまさにその ご存知ですかねハンターハンター
中身は知らないですけどはい存在は知ってます あの中に出てくるやっぱり暗殺一家の主人公の親友が
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小さい頃から毒を 飲まされて
多分薄めてですねっていう風なのでこう耐性を作らされて 毒自身が効かないんですよ飲んでも
耐性ができててとかっていうような話があったりだとか だからなんか本当におっしゃってるような感じなのはあると思いますね
やっぱり極端だと本当に体に害を及ぼすけど そこのバランス自身を薄めた状態で徐々になんか変化していったりだとかは
その崩壊しない範囲で起こりうるだろうし
やっぱバランスやなっていうのは常々思うんですけど 過度じゃなければいろんなことがうまくいくし
いろんな多様性という意味でもバランスが良いと美味しく感じるとか いろんな味覚のバランスが良いとこの美味しく感じるとか
そしたらそれを摂取するのを助長するんで ただそればかり食べてたらやっぱり自分に蓄積していくもののバランスが崩れるから
味覚が変わっちゃったりだとか そうですねなんかそんな感じ受けますね
そもそものダーウィン進化論的な もともとそういう特性っていうところもあるとしても
そこから先の人の一生の中で持てる幅みたいな そういう余裕みたいなのがもともとあって
そこに目を向けていけばあんまりそんなに焦らなくてもいいのかな 自分の好き嫌いとかも時間をかければ自分でも変えられるだろうし
逆に味覚以外のことに関してもなんかこう痛みだったり心 まあ体の痛み心の痛み両方あると思うんですけど
痛みだとかもなんて言うんでしょうね 急激な変化とか極端なこう
進路変更とか進路変更ちょっと表現があれですけど そういうふうになんか見ていったらそこをただ緩やかに自分の捉え方を
開催すればいいのかなみたいなふうに僕は思うところがあって それでこう
まったりゆったりっていうところに重視していたり あんまり欲張らなくてもそんなに幸せの度合いが変わんないんじゃないかなっていう普段の考え方になっていったりしてるんですけど
捉え方大事ですよね 僕はちょうど今日その捉え方をガラッと変えた出来事があってですね
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次回へ続く
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