1. 名盤ラジオ
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2021-09-09 32:11

#10-1 激動の『Jealousy』レコーディング前後のエックスを時系列で振り返る

今回から複数回に分けて『Jealousy』X(1991)を取り上げて話をしていきます。初回はエックスのメジャーデビュー『BLUE BLOOD』(1989)後の活動、91年の激動な『Jealousy』レコーディング、そしてそのリリースから「破滅に向かって」までについて時系列で振り返っています。

(※1.5倍速再生推奨)


『Jealousy』X

1. Es Durのピアノ線

2. Silent Jealousy

3. Miscast

4. Desperate Angel

5. White Wind From Mr. Martin ~Pata's Nap~

6. Voiceless Screaming

7. Stab Me In The Back

8. Love Replica

9. Joker

10. Say Anything


《CD&配信情報》

●Amazon

https://amzn.to/2YuFWh5


●Spotify

https://open.spotify.com/album/0Ovje6WfzEyr6Vl9kMuOFB?si=DPF4O0_-RpSr2RY56InzQA&dl_branch=1


●Apple Music

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■『名盤ラジオ』とは?


3人の音楽好きが古今東西あらゆる名盤から1枚をピックアップし、お酒を飲みながらダラダラと語っていく番組です。

※自由気ままなトークです。内容に一部誤りがある可能性がございますので予めご了承ください。


00:01
名盤ラジオ。
こんばんは、名盤ラジオです。
この番組は、僕ら音楽好き3人が好きなアルバムについて、お酒を飲みながらダラダラと語っていきます。
名盤ラジオ、今回もよろしくお願いします。
たくやです。
こんばんは、えぬぞうです。
こんばんは、ひできです。
名盤ラジオ、今年の5月から始めてますが、今回のアルバムで、なんと10枚目です。
そうなんだ。
10枚目です。記念すべき。
記念すべき10枚目ですか。
10枚目。で、前回9枚目がエックスのブルーブラッドで、かなり色々エックスについて話をしてきましたけど、今回はまた続いてエックス、ジェラシーです。
10枚目にふさわしい。
10枚目にふさわしいですね。
また今回も長くなりそうですが、ジェラシーが1991年7月1日リリースなので、ちょうど30年前ですね。
30年前。
30年前ですからすごいですよね。
ちょうど30年前。
30年前は1991年ですけど、結構いろいろ洋楽の名盤含め出ていて、有名なやつだとネイバーマインドですよね、ニルバーナの。
あとレッチリのブラッドシュガーセックスマジックも91年。
30年前なんだ。
あと91年はインディーズのルナシーが出てますね。
そういう時代ですね。
その頃にもジェラシー作ってるんですよね。すごいなぁ。
その頃にLAでレコーディングしてるっていうのがまた面白い。ちょうどそのムーブメントがあっちの方でも起きてた時代だと思うんですけど。
だからレッチリとかニルバーナと同じ近くでやってたかもしれない。
そういうことだよね。
すごいな。
今回はそんなXのジェラシーにフォーカスして話をしていきたいと思いますが、
まずは初回なので、前回ブルーブラッドが出たのが89年4月21日に出たわけですけど、
今回はそのブルーブラッドからジェラシーに至るまでっていうところを時系列に振り返っていきたいなと思います。
89年にブルーブラッドが出るわけですけど、レコーディングを終えてからXはメディア露出とかツアーやったりとか、
いろんなライブイベントに出たりとか、そういったことをやってた感じですね。勢力的に。
03:00
その頃にはどれぐらい世の中的に認知されてたか。相当すでにダイブレイクな状態だった。
ダイブレイクまではいかないんじゃないかな。なんかすごいのが出てきたなみたいな。
出てきたなみたいな感じ。
そんなに全国的にというか、そういう音楽を全然聴かない人までっていう感じではないんだろうなって。
ブルーブラッドからのシングルカットが、紅が89年の9月1日で、エンドレスレインが12月1日なので、
多分そういう曲でミュージックステーションとか音楽番組に出てたのって、多分シングルに合わせてってことだと思うんで、
そうすると結構、秋以降なのかなって気はするので、とはいえメジャーでソニーがから出してるってとこなんで、
それは話題にはなってたと思うんですけど、いわゆるお茶の間レベルっていうところまではまだなんじゃないかなって気はしますね。
でもあれだね、Xが割とまともな活動をしてたっていうか。
そうですね。
普通のバンドのペースでやってた頃ですかね、その辺は。
この辺のライブスケジュールとか見るとすごいですもんね。よくこんなにやってるなっていう、今から考えると。
その辺だけだよね、ちゃんと出来ただろうって。
そうですね。
もうジェラシーくらいからもうダメだったもんな。
そうですね。もう吉木が爆弾を抱えちゃってるとやっぱりいろいろ制限されちゃうから。
ジェラシーのレコーディング中に爆弾爆発しちゃったみたいな感じ?
厳密にはその前。
その前。
89年の10月とかからもうライブ前に倒れたりとかして、徐々にライブ延期になったりとかっていうのが出てき始めて。
11月23日の渋谷公会堂のライブ前に吉木が倒れたのが、これが結構決定弾になって、それ以降のライブがすべて延期になってみたいな。
なるほど。
それが89年ですね。
世に出た頃にはもうすでにちょっとボロボロな状態に爆弾を本当に抱えた状態だよね。
そうですね。
あと89年でいくとちょっと戻るんですけど、7月ぐらいにちょっと休暇と撮影も兼ねて海外に行ってますね。
吉木はロンドンからパリに行って、パリにちょっと滞在して、その後にニューヨークへ行っていて。
パタとヒデとタイジは3人セットみたいなんですけど、まずLAに行って、そっからニューヨーク。
06:03
で、トシはいきなりニューヨーク。
で、そこでビデオの撮影とかして、って感じですね。
それがあの、刺激っていうビジュアルショック2に入ってると。
なんかインタビューで言ってるよね、それのビデオかな。
そうですね。
やっぱLAでしょ、みたいな。
ヒデとかタイジとか、やっぱLAでしょ、つって。
そうですね。
どこ行きたい、みたいな、言われたんだよね。
そうですね。この辺はLA行きたいって言うだろうなって感じしますよね。
吉木はヨーロッパ派。
吉木はヨーロッパ派。そうそうそうそう。
吉木はヨーロッパ派みたいな。
吉木は本当はジェラシーのレコーディング自体もヨーロッパでやりたかったっていう。
一人ヨーロッパ派ですからね。
クラシックがルーツにある人はそっち行きたがるだろうな。
ですよね、確かに。
11月に吉木が倒れて、以降ライブが延期されて、年が変わって、
2月4日に初めての日本武道館ライブをやっているんですけど、
ここが復活ライブになってますね。
でも本当この頃からもうXのライブって言ったら、
なんかもうちゃんと幕が開くのかみたいな、
多分そういう常に心配するような感じだったんだろうなって。
当時はちょっとリアルタイムではわかんないですけど。
開演時間がどんどんオフしたりとかも。
この武道館の後にシングル用のウィークエンドをレコーディングしてるみたいですね。
ウィークエンドは何パターンもあるっていうか、
グルーブラッド版とシングルスの方のやつ?
スタジオバージョンはその2つですね。
ライブだともっと変わって、
ギターソロが簡単になってくる。
大きな変化としてはXジャパンバージョンですよね。
あれが半音上がってレギュラーチューニングになってっていう感じですけど、
イントロも変わって。
シングルバージョンはここでレコーディングして、
シングルとしては90年の4月21日にリリースされてますね。
なのでこの辺でもまたライブをツアー再開してやって、
5月の終わりまでライブツアーとかイベント出演をやっていたみたいですね。
そこで活動休止、次回作の制作に取り掛かると。
ジェラシー?
はい。
なので89年の4月にグルーブラッド出てますけど、
09:01
そっから1年ツアーとかいろいろやって、
5月の終わりにそういうライブ活動とかを停止して、
次回作の曲作りとかアレンジ制作とかの期間に入るという感じです。
そっから入ってでも91年に出すんだね。
そうですね。
今から考えると信じられない話なんだけど。
91年7月1日に出てるわけなんで。
その6月から次回作作るぞってなるわけですけど、
まずは日本で曲作りとかアレンジ詰めたりとかをしてたみたいですね。
レコーディングする前は日本でやった?
そうですね。
この頃にサイレント・ジェラシーとかもそうですけど、
アート・オブ・ライフもこの頃に吉木がすごい作ってるんですよね。
大きい倒れて全部その後のアレがなくなってっていう、
結構大きい入院とかした時にできたんだよね。
そうですね。
病気失礼みたいな。
そうですそうです。
さっき言った89年11月の渋谷公会堂で倒れた西洋中に原型というか、
サビの部分とかが出て。
そうだそうだ、サビのあれから作ってんだよね。
そうですね。
結構バラード料理っていうか。
そうですね、最初は。
で、そこからどんどん肉付けされてったというか、いろいろ。
肉付けしまったね。
最終的に30分なってるから。
それでもう割と早い段階でデモテープができてたっていうんで、
なかなかすごいですよね。
だから曲としてはかなり早く書き上げてんだなっていう。
そうだね、だって89年って原型はあったっていうことか。
そうですね。
リリースされたのが93年とかって考えると、
なんか本当にその間いろいろあったんだなって思っちゃいますね。
ちょうどそのXにハマってリアルタイムで、
一番最初にそのリアルタイムでXを感じたっていうか、
それを体験したのがアート・オブ・ライフ。
アート・オブ・ライフ出るときだったの。
自分がハマって最初の曲が30分で、
全部英語詞で。
めちゃくちゃ戸惑いますよね。
なんだよこれと思った。
これが普通なのかみたいな。
なんか普通のアルバムを出してほしかったなとか、
12:04
当時思ってたね。
こんな30分1曲の全部英語の曲で何言ってるかわかんねぇし。
そうですね。途中ピアノソロめっちゃ長いし。
そうそう。なんだよこれと思った。
わかります。
確かに。普通のアルバム望んでたところにこれ来たら。
なんだこりゃと思って。
そうですね。
当時はちょっとよくわかんなかったですね。アート・オブ・ライフは。
いきなりはきついっすね。
買ってないもん俺、アート・オブ・ライフは。
その後ティアーズで初めての。
シングルというかは。
予約して買うんだけど。
アート・オブ・ライフはちょっとわかんねぇなと思って。
なるほど。
その夏も結構いろいろあったみたいですけど、
7月にはよしきが1回関西方面に失踪したとか、
自分で自分の曲が怖くなったって言って、
なんかちょっと1回いなくなったみたいです。
どういうことなんだ、怖いって。
怖いってどういうことなんだろうな。
ちょっともう僕らには理解できないです。
関西に逃げた。
あとは、8月にはよしきが腰を痛めて2週間リタイアして、
9月にはパタが持病の全息をこじらして1ヶ月リタイアしたりとか。
全息で1ヶ月リタイアって相当多くね。
すごいですよね。なんかちょっと肺炎になりかけてたみたいな。
そんなひどい全息持ちなんだ。
それはジェラシーのバンドスコアに書いてありました。
マジで。
だから本当は7月下旬にアメリカに行く予定だったらしいんですけど、
それもずるずる遅れてしまって、
結局11月24日らしいので、
もうその時点で相当遅れてますよね。
そこで渡ったんだ、向こう。
そうですね、都北。
体調の悪いバンドだよね。
そうですね。
みんなボロボロじゃん。
ボロボロですよね、本当に。
9割が対応してきたけど。
そうですね。
ちなみに怪我の話でいくと、タイジも結構怪我してますよね。
タイジはどっちかっていうと、病気とかっていうよりは、
喧嘩で腕を14針縫ったりとか。
すごいね、ロッカーだよね。
どこで喧嘩するんだっていう。
確かになんか。
タイジらしいエピソードですけど。
話を戻しまして、
15:01
レコーディングとしては、
11月終わりにロサンゼルスへ渡って、
そこからレコーディングするぞっていう感じになってたところですね。
もともと今回の新しいアルバムについては、
みんなの曲を入れようっていうのは割と最初から決めてたみたいな話ですね。
LA、海外でっていうところについては、
隔離されたかったからっていうことみたいですね。
そうなの?音がとかそういう感じよりもそっちなの?
音も多分あったとは思うけど、
日本だといろいろやっぱ、
ほっといてもらえないというか。
もう有名人だから。
とかね、いろんな仕事が入ってきたりとか。
この頃、30年前だからインターネットとかもないし、
そうだよね、確かに。
電話も国際電話とかなるから、
そんなに頻繁に多分できないと思うんで、
多分もう海外行ったら本当に今とは比べ物にならない、
その距離感があったんだろうなってとこなんで、
やっぱり専念するっていう意味合いが強いんじゃないかなって思いますけど。
あとは、これもソニーの須田さんが引き続き、
共同プロデュースみたいな感じで関わってますけど、
須田さんが言うには、
サイレントジェラシーとSay AnythingとArt of Life、
この3曲を格となって作っていこうというのがあって、
それでいくと2枚組だよなみたいな感じのが当初の計画みたいですね。
Art of Life1枚に無理矢理入れたらもうえらいことになる。
他の曲は全然入んなくなっちゃうから。
全然共存できないしね。
2枚組計画でしたけど。
それも実現してたらすごかったかもしれないね。
そうですね。
で、10日目かな。
12月3日、Stop Me In The Backのドラムレコーディング後に、
吉木が倒れて。
いやー、あの曲は倒れるよね。
これは相当すごかったらしいですけどね。
味わったことない痛みで。
それが人生最大の痛み的な。
そうそうそう。
暴れ狂っちゃって。
暴れ狂って、発狂状態になって、
腕を切ってくれって。
殺してくれってやつね。
そうそうそう。
でも4,5人で押さえつけて、
麻酔の注射打って。
これ旗から見たメンバーも、
やばいっすよ。
えーってなるよね。
うまえーってなるよ。
えー、やばいでしょって。
それまでもね、さっき言った通り、
何度かもう既に倒れてる中なんで、
18:01
でもそれでも多分、
なんとなくこの時はただ事じゃないなって思ったんだろうなって気はしますよね。
そういう話聞いてると。
結局そこから2ヶ月の療養ってことになって、
結局ヨシキが復帰したのは2月の中旬らしいので、
もう相当スケジュールは。
かなりの代償を負ったね、この曲。
スタッフインザバックね。
いやこれはでも鬼早いですからね、ほんとに。
200だっけ?
200です。
200はやばいです。
1分間にドラム800回近く叩いてる。
すごいよ。
いやこれはもうすごいですよね。
純粋にすごいですよね。
スタッフインザバックをさ、
あの速さでさ、
忠実にやってくれって言われたらさ、
もういやもう死にますよ、この人に。
殺してくれって。
腕を真っ直ぐ切ってくれ。
やってって言われただけで。
やってた。
秀木くんさ、スタッフインザバック叩いてくれない?って。
腕を今すぐ、今すぐ切るよ。
今すぐ切ってくれって。
叩いてもいいのに。
ほんとですよ。
どういうこと?
いやーこれでも周りのスタッフとかがほんと、
もう大変だったと思いますね。
そのスケジュール管理とか。
確かに。
どうすんだみたいな。
でもどうしようもないし。
このアルバムはもうあれですよね。
完全に締め切りが決まっている中で、
やんなきゃいけないっていう状況ですよね。
そうですね。
どのアルバムもそうだと思うけどね。
基本的にはそうですね。
一般的にはそうですね。
一般的にはそうですね。
多分当初も倒れた時とかもそういう話はあったと思うんですけど、
吉木が復帰したのが2月中旬で、
そこからいろいろレコーディング作業を本格的に結局やることになって、
4月の下旬の時点で、
レコード会社ソニーから、
7月のリリースがマストであるというのを伝えられて、
それがソニーの上場とか。
そうだね。
この辺が絡んでて、
結局ジェラシーの売り上げが必要であると。
上場するために。
っていうので、結局吉木とソニーの偉い人でトップ会談とかもして、
21:03
その結果、アート・オブ・ライフとスタンディング・セックスとかもそうですけど、
その辺が外れることになります。
削られたと。
それを入れないで、他の曲で何とか間に合わせる。
ただその代わり、吉木的には、
ジェラシーを100万枚売るためのプロモーションを約束させたとか。
すごいね。
それもすごいですよね。
すげーな。
結局上場とか、僕らには関係ないじゃないですかっていうことで、
それはそうだけど事情もわかるんで、
それを飲むからっていって。
すごいな。吉木的にはだってね、そんなのどうでもいいから、
完璧な作品出させろっていうのは吉木の態度で。
あの吉木が。
そこは売れるから。
じゃあ100万枚売れよと。
そうですね。
すげー。
アート・オブ・ライフがジェラシーと共存するのを拒んだっていう感じに捉えたみたいですけどね。
いい言い回しですね。
なのでそんな感じで、4月下旬ぐらいですかね。
その切り替えて、もうアート・オブ・ライフと2枚組っていう線はなくして、
とはいえめちゃくちゃすごい厳しいスケジュールが残されてるわけですけど、
目標をそこに切り替えてやっていくと。
そうなったんで、5月の7日にLAで記者会見して、
ジェラシー7月に出るよっていうのと、
あと8月に東京ドーム公演やるよっていうのを発表してますね。
まだ出来上がってないんだよね、その時って。
出来上がってない。すごいですね。
で、もう本当にギリギリまでレコーディングというかミックスとか、
特にボーカルの録音はもう本当にギリギリまでやってたみたいで、
それでよしきととしだけちょっと遅れて帰国したりとか、
日本に帰ってきても本当にギリギリまで作業して、
なんとか間に合わせたっていう感じみたいですね。
6月に帰国してると。
7月1日にアルバムジェラシーリリースして、
7月の終わりからもうライブイベントとかに出て、
8月の6日からツアーがスタートして、
8月23日に東京ドーム、1回目の東京ドームをやっていると。
あとはもうそっからツアーをやって、
12月にはX WITH ORCHESTRAがあって、
24:02
翌、92年1月5、6、7、東京ドーム3DAYS、ここが破滅に向かってですけど。
そこではもう大事なあれが決まってたと。
そうですね。
すごいもうなんか激動すぎるね。
激動ですね。
ちなみにソニーとの契約は92年4月20日付けて切れてるらしいです。
なのですごいですよね。
89年4月にBLUE BLOODは出て、
そっからその年はツアーとかやって、
89年の終わりぐらいには吉木が倒れて、
翌90年の前半は復活して、ツアー最後までやり切って、
そっから夏ぐらいは曲作りとかアレンジとかやって、
11月にアメリカに渡って、
そっからまた12月に吉木が倒れて、
2ヶ月ぐらい経ってレコーディングして、
なんとかジェラシー間に合わせて、
7月にリリースしてそっからツアーとかやって、
1月に東京ドーム3DAYSやって、
事実上そこでX1回終わりっていう感じなんで。
凄まじい。
濃すぎる。
濃すぎますよね。
その密度でやってったら持たないでしょっていう感じですね。
それもう限界超えちゃってるよね。
そうですね。
よく出せたな。
ジェラシー本当によく出たなと思いますね。
アート・オブ・ライフはその後か。
あれ?93年でしたっけ?
93年、8月なんで。
ヒースが入って、初仕事がアート・オブ・ライフ。
レコーディングっていう。
レコーディングはヒースが入った後にもう一回再開というか、
アート・オブ・ライフは…
ドラムとか実はジェラシーのレコーディング中に撮ってるから、
ドラムとかは結局その辺使ってるんじゃないかな。
もともと2枚組でやろうと思ってたんで。
あとジェラシー、ジャケットですけど、
これデザインしたのがスクリーミング・マット・ジョージっていう、
ハリウッドとかでも特殊メイクとかで活躍してるアーティストですけど、
スクリーミング・マット・ジョージ見たことあるよ。
あ、そうなんすか。
割と最近見た。
2、3年前とかかな。
どこにいたんすか。
なんだっけな。どこだっけな。都心の方で。
どこだっけな。渋谷か新宿か、その都心の方で。
27:03
なんだっけな。
普通に街中にいたんですか。
いやいや、なんかね、
なんだっけな。なんか厳重展覧会みたいな、
なんかちょっとしたイベントがあって、
たまたま見かけてあるって言って、
ちょっと面白そうだなみたいな。
そしたらなんか、あれ?なんかすげー派手な外人みたいな。
なんか見たことあるような感じするなとか。
それがスクリーミング・マット・ジョージだった。
スクリーミング・マット・ジョージ、僕もちょっと調べてみたんですけど、すごいんですよね。
スリップノットのマスク作ってたりとか。
そうそうそうそう。
あとマリリン・マンソンのPVやってたりとか。
めちゃくちゃすごいなって。
スリップノット作ってた。
マリリン・マンソンのメカニカ・アニマルズの話を、
2枚目のアルバムとしてこの銘板ラジオでもやりましたけど、
そこでもドープショーとかPVの話ってしてましたけど、
それスクリーミング・マット・ジョージっていう。
あの宇宙人の話。
あるね、宇宙人の話。
あれとこのジェラシーのジャケット同じ人っていう。
ジェラシーのジャケットそうだったんだね。
そうなんですよね。
すげえジャケットだけど、あれも。
すごいジャケットですよね、これ。
改めて見るとすごいですよね、これ。
そうそう、改めて見るとすごいよね、あれね。
よくこれ。
ブルーブラッドの時は、前回も話したけど、
青いやつで、あえてメンバーとか載せずにっていうところでしたけど、
これはもうなんか良識っていう。
かっつり良識。
確かにね。
裸でね。
黒ブリーフでね。
この頃良識めちゃくちゃ裸になってますからね。
いろんなところで。
なんだろうね、ダリアのPVは全裸だったじゃない。
なんだろうな、裸の。
良識といえば裸ですよね。
そういうイメージあるね。
逆に裸じゃない状態でドラム叩いてる姿があんまりもう最近は想像つかない。
違和感あるよね。
結構着込んで叩いてたらすごい違和感ありますよね。
違和感ある。
どうしちゃったんだろうって。
ピアノ弾いてる時は割とこうなんか着てるじゃないですか。
裸になんか羽織ってるじゃん。
30:00
あれでドラム叩かれるとちょっと違和感ありやすい。
あるあるある。
この頃のジェラシーのジャケットの良識も結構痩せてますよね。
まあそんな生活してればね。
激しいドラム叩いたらなかなか体がダメージを受けますね。
でも筋肉は当時からすごかったっていうか。
お医者さんにプロアスリートの筋肉ですよって。
確かにアスリート。
俺じゃなきゃ叩けないよね。
叩けないですね。
いやー叩けないですね。
本当に叩けって言われたら今すぐ腕を切り落としてくれる。
叩いて空にしろよ一回。
こりゃもう痛い痛い痛い。
叩く前から。
痛みを出してから。
叩く前から。
腕切ってくれって。
叩いた後が怖い。叩いた後が怖い。
切ったほうがマシなんだ。
おかしいだろ。
叩いた後が怖いから、叩く前から腕切ってくれて。
そんな腕を切るような思いをして作ったアルバムですと、ジェラシー。
本当すごいですよね。振り返ってみると。
すごいですね。
ということで、次回からジェラシー1曲ずつ話していくわけですけど、
今回はジェラシー作るまでっていうところで、時系列に振り返ってみましたというところです。
次回へ続きます。
32:11

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