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宮本拓海
そっか、こういう人が、
まあこういう場所があって、
こういう人がいましたみたいなことで、
しゃべってるってことですね。
sasakill
うん。
宮本拓海
うーん。
そうっすよね。
確かにこの場所も、
でもその、
選んでよかったそうなんですよ。
アテレを検証する会の方が、
清水寺にお願いしたら置いて、
あの席を、
ぜひ立てましょうっていうことになって、
で、場所はどこにしますかっていうところから、
会話が始まったらしい。
sasakill
どこでも選べたら。
宮本拓海
そうなんです。
なのでこう、
みんなで相談して、
清水寺の方と、
そのアテレを検証する会の方たちとかで、
こう選んだ場所がこの、
本当にこの真下の場所というか。
sasakill
へー。
宮本拓海
そうやって聞きましたね。
えー、すごい綺麗ですね。
なんか写真送ってもらってみたんですけど、
やっぱり桜もすごい綺麗で、
今なんかすごいちょうど良さそうな季節ですね。
sasakill
なんか、うん。
桜の一番いいシーズン、
1週間ないぐらいのピークの時に、
たまたま当たっちゃって。
宮本拓海
はいはい。
sasakill
でもね、なんか平日、
月曜日だったんだけど、
月曜日の昼間に、
そこを歩いてる日本人、
俺と修学旅行の中学生と、
歴史の先生しかいなかった。
あともう、
95%は外国籍の方々で。
宮本拓海
へー。
不思議な。
確かにすごい行きたいです。
見に行きたい。
sasakill
最近はいつもあのオープニングトークで、
アテレの近況について。
宮本拓海
話すような。
sasakill
そうですね。
アテレの近況。
アテレの近況。
話す感じになってますけども。
歴史の話を。
でね、今回のテーマとしてはですね、
宮本拓海
はい。
sasakill
前回、宮本さんが話を切り出してくれた、
編集論みたいな。
編集論。
宮本拓海
はい。
sasakill
で、俺それに食いつきまして、
なぜなら宮本さん肩書きが、
編集者の宮本ですってこう言ってるんで。
宮本拓海
はいはい。
sasakill
あ、そうだな。
宮本さんの実存に関わるタイトルだなと思って。
宮本拓海
そうなんです、そうなんです。
なので、なんかこの間その文章にまつわる、
まあ編集とか構成みたいな部分で、
ちょっとこうお話を一緒にしましたけど、
なんかまあそれ含めてこう、
編集ってすごいこう、なんだろう、
抗議的な意味でもこう使ってる方がいらっしゃるなと思っていて、
なんかこう、最初考え始めたのは、
あの僕、個人事業主になって、
多分5年、5年目とかになるんですけど、
最初こう名刺を作るときに、
肩書きをなんてしたらいいかみたいなのをすごく迷って、
で、自分が何の仕事をしてるのかみたいなことを名乗るときに、
なんかライターとか編集者って言ってしまうと、
なんかまあそれをする人みたいな感じもするけど、
なんかそれだけじゃないことにも興味持ちそうだなと思って、
企画編集執筆っていう、
なんかこう、こういうことをやりますっていうのを並べたんですよね。
なんていうか、何々者とか何々する人みたいな意味じゃなくて、
もうポンポンポンって3つ、
自分のやりそうなことを並べて、
あの個人事業主としてスタートしたんですけど、
まあ今度はその法人化みたいなのも考えていく中で、
なんか改めて、
改めてその自分が何をする人なのかとか、
何の会社なのかみたいなことをこうふと考えてたときに、
まあ編集って言葉はすごく思い入れがあって、
大事にしたいなと思っているのと、
企画っていうのもなんかこう合ってるなと思ってたんですけど、
なんかそもそも企画と編集って分けてるけど、
何が違うんだろうみたいなこととかを最近すごく考えていて、
なので、でもそもそも編集ってなんだみたいなのもすごく考えたりもするんですけど、
なんかそのあたりをささきるさんにも聞いてみたいっていうか、
なんか僕的には結構ささきるさんも編集者的なイメージがあるんですよね、勝手に。
なんか僕が編集って言葉を使うときの役割っていうか、
なんか働きみたいなのをささきるさんもしているような気がしていて、
なんか編集って何だと思いますかっていうのをすごい聞いてみたいなと思ってました。
sasakill
それが前回言いかけたやつですよね。
宮本拓海
あ、そうですそうです。はい、最後に言ったのがそれなんです。
sasakill
そう言われてあの後考えたんですけど、
僕が編集者って名乗ってたっていうか、
事実編集者だったのキャリアの最初の2年間ぐらいなんで、
もう20年ぐらい前なんですよね。
宮本拓海
はいはいはい。
sasakill
だからもう僕全然編集者じゃないと思って、
たし宮本さんの方が編集者的としてはもう長いんだと思うんで、
まあそういう狭い意味では僕も編集者ではないと思うんですけど、
まあおそらく宮本さんが今言ってるのは、
そういう職業として肩書きとしてじゃなくて、
やってることとして編集者みたいなことしてるんじゃないですかみたいな。
宮本拓海
あ、そうですそうです。はい。
sasakill
確かにそう言われてみれば、
最近どんどん編集者になっててますむしろ。
逆に言えば。
宮本拓海
はいはい。
sasakill
あの編集者辞めて時間が経てば経つほどどんどん編集者になっててますね。
宮本拓海
えー。間が空いてくれば空いてくるほど編集者になってる。
sasakill
だってあの去年作ったホドボラ稲荷神社の寄付金集めのパンフレットとかも、
あれはもう完全に編集者としての仕事ですよね。
宮本拓海
そうですよね。確かに確かに。
sasakill
そう言われてみると、なんかああいうの作ろうって企画をして、
写真と文章を集めて、
まあ編集者ですよね。
確かにね。
宮本拓海
まあだからそういう意味で言うとなんというかこう、
sasakill
うまく成功する商品として責任を持つみたいなことなんだけど、
なので作り始めるときは、
企画とか製造に責任を持っててとか関わって、
だんだんそれをマーケティング、流通、販売するみたいなとこ、
製品が出来上がってくれば、
そういうとこもやり始めるみたいなことで、
プロダクトマネージャーって言うんですけど、
編集者ってメディア?
パブリケーション?出版物に関するプロダクトマネージャーだと思うんだよね。
それが新聞の場合もあれば雑誌の場合もあれば、
それこそポッドキャストだってメディアだから。
そっか、そうですね。
そして素材を集めて撮影収録したり編集したり、
最後それを流通配信するとこまでやるっていうことだと思うんで、
別な言葉を使えば、
パブリケーション、出版物のプロダクトマネージャーだと思うんですけどね。
宮本拓海
はいはいはいはい、なるほど。
そうですよね、だからすごい僕もなんかこう、
プロジェクトごととか、
制作物ごとには編集者って言葉がすごくしっくりするタイミングもあって、
なんかそういうときは違和感なく編集者って言えるんですけど、
自分の自己紹介をするときに編集者ですって言うと、
なんか甘いって言われそうっていうか、
お前なんか編集者じゃないって誰かに言われたことがあるわけじゃないんですけど、
すごいそう言われそうなイメージがあるというか、
sasakill
それはね、わかるというかね、昔はもっとそうだったよ。
例えば、
宮本拓海
そうなんですね、はい。
sasakill
編集者って言った瞬間に、みんな自ずと紙の編集者のことを思い浮かべて、
雑誌とか書籍とか。
宮本拓海
はい。
sasakill
で、なぜならそれが製品としてすごく売れていた時代があって、
で、なおかつそのメディア時代で、
その編集とは何かって言うことができるじゃないですか。
宮本拓海
そうですね。
sasakill
で、編集者とは何か、編集論みたいな本が山ほどあるのは、
その論を書く紙自体を彼らが作ってるから、
宮本拓海
そっかそっか。
sasakill
自分が言いたいことと、それを言いたいことを載せるものが一体化してるから、
ますますその発言力が強まるみたいなものがあるんですよね。
だから僕、キャリアの序盤で編集者やったっていうのも、
紙の編集は経験したことがなくて、
ウェブ媒体の編集者だったんですよね。
で、共通する技術はあれども、
やっぱりお金を生み出してるのは紙の方で、
キャリアが長いのも紙の方で、
で、そうすると当然実力的にもキャリア的にも発言力が高いみたいな、
ウェブの編集者はまるで編集者と名乗れないみたいな雰囲気があるわけですけど、
今それから20年ぐらい経ってみて、
雑誌の売れ行きとウェブの読まれっぷりを比較したときに、
ウェブ全然ダメたものじゃない規模になってるのは、
何年も、十何年も前からそうだと思うんで、
今さら言う必要ないと思うんですけど、
そういうふうになったときに、
インスタグラムとかTikTokの編集がうまいとか、
YouTubeとかウェブで読まれる文章の編集がうまいことって、
卑下するものじゃないものに特訓になってるじゃない。
だから本来編集者って言ったときには、
紙とかは特に関係ないはずなんだけど、
いろんなことのはずだけど、
昔はもっとそれが強くて、
とても言い出せなかったですよ、編集者って。
宮本拓海
いや、それをすごい、勝手に僕もすごい感じてますね。
確かに、はい。
急に編集者って名乗れないとか、
自信がなくなる、
誰に対して後ろめたさを感じてるのかが全然わかんないんですけど、
編集者ではないですとか、
みたいな気分になっちゃいますね、確か。
その名残を僕も感じてるんでしょうね、雰囲気として。
名残。
sasakill
伝わってきて。
名残。
そうね。
宮本拓海
はい。
sasakill
名残みたいな。
宮本拓海
いや、伝わってきてる感じはすごくしますね。
sasakill
まあでもね、現にそういうので積み重ねた、
なんか知見とか、なんとかはあるんだと思うんですけど。
宮本拓海
はい。
sasakill
でもなんかね、今にして思えば、
紙の出版物以外の編集っていうもの、
宮本拓海
メディアっていうものにあんま触れてないときは、
sasakill
その知識とか技術がもうちょっと絶対だなと僕も思ってたときがあったですけど、
あ、そうでもないんだなと思ったやっぱり一番のあれは、
ウェブって作った瞬間にもう世の中に出るじゃないですか。
それで検索エンジンから人が来るとか、
SNSで話題になって人が来るみたいなこと、
つまりどれぐらい読まれるか、どういうふうに届けるかみたいなことっていうのが、
その作って出した瞬間にもういきなり問われますよね。
宮本拓海
はい。
sasakill
でも紙の出版物の場合って大きな出版社になればなるほど、
編集して作った後にそれを書店に流通させる人とか、
書店に営業するとか、コンビニに雑誌を並べてもらうために営業する人とか、
なんか別のセクションだったりするから、
宮本拓海
はい。
sasakill
編集者ってなんかちょっとアーティストになりやすいというか、
どんぐらい読まれるか、どんぐらい流通するかってことに当然なんか責任あるはずなんだけど、
宮本拓海
はい。
sasakill
これはなんか編集長の仕事で、
うん。
特集を担当してる編集者の仕事は、
なんかクールな、なんていうんだろう、
いいものを作ればいいみたいなところで留まることが多いというか、
宮本拓海
はいはい。
sasakill
でもウェブの編集者だとそんな規模じゃないし、
編集長と編集者が複数人の体制とかでもなく、
全部自分でやって、最後どうやって話題になるか、
どうやって人が来る、目的としてる人に届けるようになるかみたいなところまで責任持ってるから、
結構流通まで全部責任取るんですよね。
宮本拓海
はい。
sasakill
責任取るというか、責任取ることを想定して、
それをイメージした企画を立てるとか、
それをイメージした編集をするみたいなことを。
そうですね。
うん。
だから、なんかこういい写真をディレクションするとか、
尖った企画を立てるみたいな、
そういうスキルばっかりがすごいもんだって僕若い頃思ったけど、
宮本拓海
あー。
sasakill
一方で流通させる技術とか持たなかったりするんでね、
そういう偏りがあるというか。
だから自分がやってること、あとディレクションもできないかもしれないし、
尖った企画も立てないかもしれないけど、
でも少なくとも、最後末端の読者というか、
エンドユーザーに届けるためのことは知ってるなとかね。
なんかそういうことは思いましたね。
宮本拓海
はいはいはいはい。
確かに。
そうですね。
そういう意味で考えていくと確かにその通りかもしれないんで、
なんかその雑誌の、
前僕あの1970年代、80年代とか、
それぐらいの東京に憧れてた時期に、
その当時の雑誌とかをすごい読んでたりとか、
当時の本を読んだりとかっていうのをすごくしてましたけど、
なんかその時ってやっぱりこう、
編集者ってすごい、確かに一人のアーティスト的な感じというか、
有名、著名人みたいなイメージをすごい受けましたね。
編集者の方たちから。
sasakill
なんか華やかだよね。
宮本拓海
はい、華やかなイメージがすごくあったので、
宮本拓海
なんかこう、本当にこう優れた人物がこうリーダーとしてされていたのか、
もしくはこう、なんていうかその象徴的な人がリーダーなのであって、
分からないですけど、例えばアテルイとモレで言ったら、
急にモレって出てきますけど、
うん。
もしかしたらそのモレが、なんて言うんですかね、
すごいむしろこう、いろいろ全て策略的なことを考えていた人で、
うん。
最後の最後に出てくるけど、
アテルイは実はこうあがめられていただけだったみたいなこととかも、
もしかしたらあるのかなとなんとなく思っていたりもして、
なんて言うんだろうな、
なんかこう、何を持って王様なのかみたいなことも、
うん。
出てくるともっと面白いんだろうなと思ったりもしていて、
sasakill
なんかいくつか考えられそうだけど、
なんかあの、体が大きいとか声がでかいみたいなのは、
宮本拓海
そうそうそう、はいはい、それはすごいありそう。
sasakill
もしかしてフィジカルな理由なのか、
あるいはね、有名な戦国武将にもそういう身体的に恵まれなかった人とか、
あの、背が小さいので有名なね、戦国武将とかいっぱいいますけど、
もしそういうんじゃなくて、
生まれ?生まれっていうか、
宮本拓海
あ、そうですね。
sasakill
家っていうかね。
宮本拓海
はいはい。
sasakill
そういうものなのかもしれないし。
そうなんですよ。
宮本拓海
なんか勝手にこんなにこう思い入れを持って勉強してると、
いい人なイメージになっていっちゃうんですけど、
sasakill
そうなんですよ。
宮本拓海
すごい嫌なやつだったのかもなとか、
sasakill
うん。
宮本拓海
まあなんかそういうのもすごい、まあいろいろ知りつつ、
でもなんか本当にこう、まあ基本的にやっぱり面白いなと思ってるのも本当にさっきキルさんが言ってたように、
なんかこう、それを通して見えてくるものとか、
こう自分の感覚が変わってより楽しむ、
なんかこの場所を楽しめたり様子を楽しめるみたいなのが、
やっぱり歴史はすごいいいですよね。
sasakill
いやいいよね。
最近、最近というかの、
闘争のフリーレンが漫画もアニメも流行ってるから、
宮本拓海
はいはいはい。
sasakill
長命種、たとえば500年とか1000年生きる生命体のことを、
最近みんなよく考えてるんじゃないかと思うんだけど。
宮本拓海
はいはい。
でも、すすききりさんも見てるんですね、そうそうなフリーレン。
sasakill
うん、あとね、漫画は読んでなくて、アニメだけ。
宮本拓海
はいはい、アニメ、僕は漫画はそう読んでて、
sasakill
途中までなんですけど、
あのアニメっていうか、あの漫画か、原作含め、
いいところいっぱいあると思うんですけど、
宮本拓海
はい。
sasakill
やっぱりこう、みんながアレ漫画説明するのが、
ロールプレイングゲームのクリアし終わった後の世界っていうのが面白いんだよね。
そういう説明する人はあると思う。
そういう説明がよくされると思うんですけど、
でもみんながたぶん本当に面白いと思ってるのは、
1000年とか生きる人間の価値観。
人間というか生命体。
それよりも短い生を受けた生命体の、
そのギャップをたぶん、なんていうかな、
ギャグにもなるし、
でも本質的な問いにもなってるみたいな、
あの辺をみんな楽しんでるんだと思うんですけど。
宮本拓海
はいはいはい。
sasakill
だから歴史とか民族学とかなんかあの、やってても、
例えばその500年前の人こうしてたとか、1000年前の人こうしてたみたいなのは、
わかることあるんですけど、
その人たちがどう感じてたかって結構わかんないんですよね。
宮本拓海
はい、そうですね。
sasakill
そのね、わかんないのを想像するのが上手い人たちがいて、
織口忍とか中澤新一はそういうのをね、想像するのが上手いんですよね。
宮本拓海
へー。
sasakill
上手いんですよ。
で、時にそこまで言えない、
そこまで言ったらもう科学じゃなくて文学だとかって怒られるタイプの人たちなんだけど、
でもね、
その、今話がごっちゃだけど、
その文学性がなんかこうフリーレンに感じるっていうか、
あーそうですね。
歴史が書けないところのね。
で、逆にフリーレンから逆に歴史のことを考えるようなこともなんかしやすいというか。
宮本拓海
確かに、それすごい。
その漢字も面白いなと思ってやっぱり読んでますね。
なんか全然やっぱりこう、
何百年何千年って生きる、
例えばそういうやっぱエルフみたいになるのと、
でもなんでその人間の進歩が早いかみたいなところが、
むしろその生きられる年数のスパンみたいなところによって、
なんていうか、進化みたいなのがすごく早そうみたいな話とかもすごい中に出てくるんですけど、
時間的な考え方によって、
なんかそういうやっぱり感覚とかが違うんだなとか、
なんかそういうのは確かにあれを読んでてすごく気づきとした、
あーなるほどと思って読んでますね。
sasakill
なんか昔、ちょっとね雑談めいきますけど、
エルフって昔から小説とか漫画とかの作品とかによく出てくる。
昔ね、僕がよく読んでたロードストーセンキーとかの描かれ方だと、
エルフってすごい長い寿命を持ってるから、
生殖行為の本能が弱いと。
むしろ弱くていいんですよ。
強かったら大繁殖しちゃうじゃないですか。
だからエルフは滅多に恋愛したりしない。
人好きになったり子供を作ろうと思うって、
そういう本能がないっていう設定で。
で、人間はそれに対して寿命が短いのでたくさん繁殖するから、
感情の触れ幅が大きくて、恋愛したり子供を作ろうとするみたいなね。
なんかそういうキャラクターとしてはあったんですけど、
フリリエンはさらに、そっからさらに掘り下げがもうちょっと進んでて、
エルフの能力とか魔法の能力を超えるのは次は人間かもしれないみたいな。
なんか会いのも面白いよね、すごい。
宮本拓海
そうですね、はい、そう面白いです。
でもまさにそれもすごい、そのエルフの特徴も言ってましたね、フリリエンが。
sasakill
言ってました?
宮本拓海
言ってました。
sasakill
それはエルフの伝統ですね。
宮本拓海
それはもう伝統なんですね。
確かに、なんか改めてそういうものを通して人間というか人を改めて客観視できるというか、
sasakill
すごいそれは面白いですね。
宮本拓海
本当に雑談ですけど、
なんかまさにその3月31日と4月1日に、
この間もお話ししたかもしれないですけど、
森田雅夫さんって独立研究者、数学の研究から始まった方が岩手に来てくださってて、
遠野と森岡でイベントをしたんですけど。
やってましたね。
そうなんです、森田さんのお話も結構なんかそういう、
僕としては、森田さんとしてはその生命についてとか場所とか身体についてお話をされてるんですけど、
なんかすごいその早々のフリリエンの感じって言っていいのかわからないけど、
なんかこう人とかその自分みたいな、
単純に人間みたいなことをちょっと客観視できるっていうか、
なんかすごいそういう気づきを与えられるような話をすごくしてくださってて、
なんかそれがすごく面白いですよね。
なんか本当に新しく3月23日かなに、
センスオブワンダー、レイチェルカーソンの、
はい、センスオブワンダーの新しい森田さんが訳した本と、
さらにその続きを、
レイチェルカーソンが途中までしか書いてなかったものの続きを、
今度は森田さんが書いてる本があって、
なんかそれも本当にそういう感覚をすごく得られるので、
すごい本当に面白いので、
なんか佐々木さんに読んでほしいというか、森田さんのお話も、
本当に佐々木さんに聞いてもらって、