スピーカー 2
宮本さん、今から4年弱ぐらい前に、話題になったブログがあるんですけども、
東洋哲学本50冊読んだら、本当の自分とかどうでもよくなった話。
スピーカー 3
この記事、見たことありますか?覚えてますか? 僕は見たことないです。
スピーカー 2
あのね、偶然の、これノートにね、公開されたんですけど、2000いいねぐらい、もう見たことないぐらい付いてる。
いいねが付いてるやつがありまして。
すごい。
それを書いたしんめいさんがですね、しんめいさんって言うんですけども、
僕らのね、実は共通の知人がいっぱいいまして、ネクフトコモンズラボ絡みで。
スピーカー 3
そうですよね。僕もお名前は、はい、伺ったことがあって。
あ、本当ですか。
スピーカー 2
そのしんめいさんが、なんとあの、本を書く書くと言ってたんですけど、ついに3年半ぐらいかけて書き終わって、
で、出版即10判がかかる。
おお。
もう1万5千部ぐらいすってるんじゃないか。
すごい。
すごいですよね。
すごいですね。
スピーカー 3
すごいですね。
スピーカー 2
ということで、これなんかお話聞きたいなと思ったんですけども、内容的にこれ突撃隣の自己啓発にぴったりなんじゃないかと、ひらめきましたね。
スピーカー 3
おお。はいはい。確かによく自己啓発コーナーで哲学ってやっぱ見ますもんね、キーワードとして。
スピーカー 2
見ますよね。
で、このコーナー突撃隣の自己啓発自体は、自分を変えた一冊みたいなのを台所に上がり込んでいって教わるみたいな企画なんですけども、これ一冊じゃないと、どうやら千冊以上読んだらしいみたいな。
スピーカー 3
そっか、それでその上でできた一冊と言いますとね。
スピーカー 2
そう、なので今回はかなり力を入れた回として、しんめいPさんにお話をね、伺ってみようと思います。
メディアヌップ。
こんばんは、佐々木隆です。
スピーカー 3
こんばんは、宮本です。
スピーカー 2
というわけで今日は早速なんですけども、ゲストの方をご紹介していきたいと思います。しんめいPさんです。よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 3
よろしくお願いします。
スピーカー 2
じゃあしんめいPさん、早速なんですけども。
はい。
もうなんか最近たくさんのポッドキャストとかYouTubeに出られてるから、自己紹介し飽きてるかもしれないんですけど、改めてですね、メディアヌップのリスナー向けに、ちょっと簡単に自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
スピーカー 1
そうですね。自分がないって本を書いてるんで、自己紹介がすごくしんどいんですけど。
そっか、そっか。
スピーカー 2
いきなりその入りがいいですね。
じゃあこう聞いてもいいですか。根性において自分というものをかろうじてつなぎ止めている何か。
スピーカー 3
すごいもう始まってますね。
スピーカー 2
それをちょっと、それを何か、自分ないと思うんですけども、一応その他者に自分と認識されるもの、なんかそれつなぎ止めてる何かをご紹介いただけないでしょうか。
スピーカー 1
そうですね。今この場において、皆さんとの関係性の中で自然と湧き上がってくる自己像をあえて出すとすると。
最近本を出させてもらって、佐々木さんとお友達で宮本さんと初めましてで、今でも特に何かしてるわけではないので。
本書いたけど、かなり無職に近い状態の新銘Pです。P、新銘Pって自分で言うのめっちゃ嫌なんですけど。
はい、新銘。ここでは新銘で言っちゃいます。すみません、新銘で。なんか恥ずかしいから。
苗字なので、はい、新銘です。お願いします。
スピーカー 3
お願いします。
スピーカー 2
まずはご出版おめでとうございました。
スピーカー 1
おめでとうございます。
ありがとうございます。
スピーカー 2
本一冊書き上げるってとにかく大変なことですから、どんな本にも限らず一冊のパッケージにして、もう二度と変更が加えられないものを世の中に出すってすごい大変なことなんで。
とにかくそれやり遂げたってことで、僕からすると千日の業を成し遂げた人みたいな感じなんで。
まずはお疲れ様でしたとおめでとうございましたという感じで。
僕早速もう初日に予約したやつが発売日初日に来て、もうその日のうちに読んだんで。
今日の収録までの間におよそ2週間ぐらいの時間があったんで。
今日まで感想をずっと溜めてたんですね。どこにもネットにも発表せず、本人にも言わず、今日まで溜めてたんで。
まずはちょっとこの心感ですね。自分とかないからですね。
ちょっと感想を述べさせていただきたいんですけども。
これちょっと例え話で恐縮なんですけど、みんなでカラオケ行った時に、声が綺麗なやつとか歌が上手いやつとかいますけど、
そういう中で言うとしんめいさんのこの本が声出てるやつっていう感じがしまして。
とにかくその日一番声出てたね。喉が開いてて。
ドーンって声出たって感じがして。上手いとか声が綺麗じゃなくて。
スピーカー 1
ブルージャニアンの初期の頃の大みたいな。
音がデカいみたいな。
スピーカー 2
音がデカくて、やっぱり上手くなったり綺麗に書いたりすることっていろんな時間経てばできると思うんですけど、
声出てるかどうかって、その時にしか出せないデカい声が出てて、もう最高だなと思って読んでました。
スピーカー 1
ありがとうございます。
嬉しいです。
スピーカー 2
たとえ2回繰り返すんですけど、小道の先生って小学生とりあえず太い字書いたら止めるじゃないですか。
スピーカー 3
本当ですね、確かになるほどそういうことだ。
たとえばっかりでむしろ何が本に書いてあるのか、むしろ触れられてないんですけどね。
スピーカー 2
これあれですか、一回本の内容をご紹介しないとね。聞いてる人、太いとかデカいとか。
スピーカー 3
なんであんな自己紹介だったのかみたいなことがわからないまま。
スピーカー 2
これちょっとどんな内容の本なのか、しんめいさんにご説明いただいてもよろしいですか。
スピーカー 1
そうですね、この本は東洋哲学というジャンルがありまして、
西洋哲学とはちょっと違う日本の、日本人の方が聞いてる方多いと思うんですけど、
日本のその一つの文化を作ってきた基礎の部分にある、実はあるんだよっていう哲学を、
もう一回現代人の承認欲求なり自分探しに苦しむ人間が、
一患者としてその東洋哲学という薬を取り入れて処方されてみた結果、
どんなふうに回復したとか、気持ちが楽になったよっていうことをエッセイ風に書いた本です。
一応7人の東洋哲学者を紹介していて、インド、中国、日本それぞれから紹介してるんですけど、
まずブッダとリュージュという人ですね。ナーガールジュナとも言うんですけど、この2人がインドから。
中国からはロウシソウシが2人ですね。プラスダルマ太子というか禅ですね。禅の哲学を紹介して、
日本からは最後に神蘭と空海、この2名の哲学、合計全部で7人を紹介するという構成になっております。
スピーカー 2
これなんか最初に本の冒頭だけに書いてあったかと思うんですけども、
いわゆる学者でもなく宗教者でもない自分が、なぜこういう本を書かせてもらえるのか、書き得るのかみたいなことで、
患者ですと、こういう服用をしたと。その服用をしてどうなったかっていうのを素直に書きますっていうことを宣言されてて、
今まさにそういうことをおっしゃられたと思うんですけど、まさにこの7人の話が順番に出てくると思うんですけど、
スピーカー 2
時代的には古い人から順番に出てると思うんですけど、
しんめいさんがこれ読まれていったのもこの順番だったんですか?
それとも一気にいろんな順番でこういうことが起こったんですか?
スピーカー 1
なんかすごい同時ではありましたけど、本当にきっかけというか、
一つ起点になっているのは、鈴木大説の仏教の大義という結構短いペラッとした本があるんですけど、
それをもともと持ってて、大学時代に買ってたんだと思うんですけど、
多分全く意味わかってなくて。
スピーカー 2
かっこいいから買ってみたみたいな。
スピーカー 1
本当そうです。完全にファッションで買って、鈴木大説とか読んだらかっこいいでしょうみたいな感覚で、
やっぱちんぷんかんぷんだったんです、18、9の時は。
僕も当時2歳くらいですかね、32歳くらいになって、離婚して無職になって実家に帰ってきたみたいなタイミングで、
自宅の本棚に物置みたいに昔の自分の本が置いてて、鈴木大説ちょっと今暇だし無職だし読んでみるかと思って、
読んだ時にうわーみたいな結構衝撃を受けて、これめっちゃ今めっちゃ刺さるじゃんみたいな。
そういう意味では入り口としては、やっぱこう全仏教とか、鈴木大説はやっぱ全の人なので、
スピーカー 2
全仏教が割と入り口だったかもしれないです。
一応このお話だとすごくその、おちゃらけたテイストで軽く書いているんだと思うんですけど、
一応その流れがちゃんとあって、最初そのブッダの無我の話があって、で次クーの話があって、そのタオの話があって、
なんかこう結構順番通りに進んでて、で最後自分なんてない、世の中全部フィクションだから、
フィクションならどんだけでも自分を大きくできるから、その無我が大我に繋がるみたいな、割と最近の話まで、
割と順番を追っているので、なんかそんな風に読んでいったのかと思ったんですけど、そうじゃなくて再構成したっていうか、
してあるっていう感じなんですかね、この。
スピーカー 1
そうですね、再構成だし、再構成ですね。
まあなんかあの音楽好きな人も最初なんかポップスから入るじゃないですか、なんかわかんないですけど、
ブルースとかに行くんですけど、まあ本格的にはブッダみたいな、そういう感じです。
スピーカー 2
なるほど、その例えめちゃめちゃいいですね。じゃあこのブッダっていうのが、いわゆるブルースで、
クロスロードで悪魔に魂を売ってブルースを生み出したロバート・ジョンソンみたいな、なんかそういうのがいて、
それからロックができて、ビートルズが途中で出てきてみたいな。
スピーカー 1
まあ最後キップホップになってるっていう。
スピーカー 3
そうっすよね。でもだからやっぱり読んでると、やっぱりなんでそれぞれこう、そういうのが考えみたいなのがやっぱり出てきたのかみたいなのがすごく、
やっぱりまあそもそも読みやすい文体みたいなのとか、すごい所々本なんですけど、
やっぱ元がノートっていうのもあるのかわかんないですけど、画像もすごくたくさん、写真とか図とかもすごいたくさん入ってるので、
スピーカー 1
なんか本当にこうスッと流れが入ってくるとか、そんな感覚がすごくありました。僕も読んでて。ありがとうございます。
スピーカー 2
例えば65ページとかだと、
みんな言葉の魔法にかかっていると、
ロボスの世界で縛り合っているというか、
しめさんがノートでも本の中でもたびたび出してますけども、
風景写真見せて、
どっからが山で、どっからが山裾で、
どっからが川で、どっからが海でとか、
言葉で区切っているだけで、
実際にはその境目なんてほとんどないと。
その言葉の魔法が生み出している幻虚構の中で、
こう生きているみたいな話の中で、
その彼氏彼女っていうのも、
いわばその幻だと。
彼氏であるって認めてくれている存在と関係性があって、
自分は彼氏であって、
同様に彼女も僕がいて彼女であるみたいな。
それも言葉であってみたいな。
そういうのがこの2章の空の龍二のところでほとんど出てくると思うんですけど、
だから僕らが、僕がか。
少なくとも僕が独協的、東洋哲学的だなと思うものが、
全部大体この辺の中に入ってて、
この人すごい人だったんだなと思ったんですけど、
合ってます?
龍二ってすごい人なんですか?
スピーカー 1
龍二めっちゃすごい人で、
一番すごい割に知名度ないランキング、
過小評価ランキングで一番すごい人。
スピーカー 3
そうですね、僕初めて聞きました、本当に龍二さん。
スピーカー 1
特に日本、この本、結構いっぱい気使うことがあって、
やっぱ宗教扱ってるので、
例えば空海さんとか新蘭さんとか結構いじるんですけど、
めっちゃ信者さんいるわけじゃないですか。
いじり方めちゃくちゃ気使うんですけど、
龍二は多分誰も知らないし、
多分日本人で信仰してる人いないから、
結構雑にいったところがありますね。
一番すごいくらい。
でも実際そうで、
漢字の読み方は確実かどうかわからないんですけど、
八宗の祖っていう風に言われてて、
八の神言宗とかの宗ですね、八宗。
つまり、いわゆる大乗仏教、
我々が触れてるような仏教は全部、
たどれば、仏陀ももちろんなんですけど、
基本流儒に行き着くっていう。
スピーカー 2
私知らなかったです。
スピーカー 1
音楽で言うと誰とか言えないんですけど、
そういう人ですね。
スピーカー 2
仏陀の生涯って比較的よく知られてると思うんですよね。
王族に生まれて20代後半まで、
宝刀山脈じゃないけど、周りも環境も含めてそういうのやってて、
ところが過酷な現実とかを見て、
修行に出て苦行に出てとかっていう、
それよく知られてると思うんですけど、
流儒ってどんな人だったんですか?
ナン・アルジュナンの生涯。
スピーカー 1
流儒は、そうですね、
僕はこの本で一言で言うと、
ヒロユキみたいな人です、みたいなことを。
スピーカー 2
そう、書いてましたよね。
スピーカー 3
見た目がちゃんと比較されてるんですよね、しかも。
スピーカー 1
まず、生涯っていう意味でいくと、
ヒロユキさんに風評比があるぐらい結構ひどくて、
最初、10代とかすごい若い時から、
めちゃくちゃ頭いいことで、
名前がすごい知れ渡ってたらしいんですね。
広い範囲で。
分かりやすくめちゃくちゃ調子に乗ってたらしくて。
とにかくみんなことみたいなバカで、
俺は最強で、みたいな。
俺は最強だって思ってる天才4人の仲間うちで
つるんでたらしいんですけど。
たぶん、もうこの世界で、
俺らは最強だからやることなくなったから、
違うことやろうぜ、みたいな感じで。
勉強できるタイプって、
古今東西ある程度同じかもしれないですけど、
全然モテなかったらしいんですよね、リュウジュって。
モテないというか、
性的資本が全然ないみたいな感じが。
それでこじらせたのが、
王族の、王族じゃないですよ、王旧か。
王様の、王旧の、
言葉難しいですね、皇旧。
女性がたくさんいらっしゃるハーレムみたいなところに、
透明人間の術を覚えて忍び込んで、
ここら辺はインドなんであんまり突っ込んじゃダメなんですけど、
インドのミッタシマの透明人間とかすぐ出てくるんで。
そのハーレムの方をみんな犯してしまうみたいなことをして、
めちゃくちゃ半端ない犯罪をしてるわけなんですけど。
それで、王様にキレて、
王様がめちゃくちゃキレて、
透明人間誰どこにいるかわかんないけど、
剣をみんなで振り回すみたいな感じで、
友達3人殺されちゃって、
自分だけ生き残って、
うわぁ、欲を持ったらマジで滅ぼしちゃうな自分をみたいな。
欲持ったら良くないなみたいなことを、
すごい悟り方するっていうのが。
スピーカー 2
すごい悟り方しますね。
スピーカー 3
確か反省みたいな感じじゃないですね。
悟りなんですね。
スピーカー 1
自分ってなんてアホなんだろうみたいな。
なんでこんなことになっちゃったんだみたいな。
大失敗みたいなところから、
仏教に入っていくっていうところがあり、
めっちゃ頭いいんだけど、
本当に人として終わってるみたいな。
ひろゆきさんはこんな感じじゃないですけど。
そこから、頭いいので、
仏教の本とかめちゃくちゃ読めるわけですよ。
自分がいかに愚かだったかっていうことがどんどんわかっていって、
最終的に、
当時、仏陀が死んで700年くらい経ってたんですけど、
仏教ってめちゃくちゃ学者がやるものになっちゃってて、
学者がいろんな仏教の論理とかを、
とんでもない量の論文とかで示してて、
庶民がなんもわからないものになっちゃってたんですけど、
琉磯って結構原体験があるんで、
自分がめちゃくちゃ愚かだった。
だから、学者がめちゃ頭良さそうに言ってるんだけど、
それってなんかちょっと違うくない?みたいなやつを、
全部論破しちゃって、
論破して、論破して、論破して、結論、
言葉っていうもの自体が、
その本質的な、そもそも虚構であるみたいな、
西洋の哲学者でいうとウィトゲンシュタインみたいな結論に足して、
ウィトゲンシュタインにも1000年以上前ですね、
に足して、
つまり学者が何らかの議論をするっていうこと自体が、
本質的な意味でブッダの言ってることと、
勝ち合うというか、矛盾してるよねっていうところをついて、
もう一言で、
スピーカー 3
全然何が東洋で何が西洋か、
人の名前で言われたら、確かになるほどみたいに思うんですけど、
もともと全然分かってなくて読んでたんですけど、
クーのところで言うと、クーのシチュエーション、
どういう状態がクーかみたいなの、
一番3つ目の飲み会中なんだけど、
自分はどのグループにも今も会話に混ざれてないみたいな状態に、
一歩冷静になってみちゃうよみたいな、
あの状況がクーみたいなこととか、
そういう、僕も確かにクーだなってすごい読みながら、
はっきりと認識できる例えみたいなのが、
本当にすごいなと思って読んでました。
でもあれまさに、まさにって僕クーは知らないけど、
クーな感じはしますね。
スピーカー 1
そうですね、僕もあれはもう個人の感想です、
米印みたいな感じで書いたもので、
あれはクーですっていうのは、
大垣のメディアの場ではとてもじゃないけど、
ロジックが出るとしたら、やっぱり言語で世界を構築する。
例えばこの3人で話してるということが、
メディアヌップですっていうたてつけなわけですけど、
でもみんなそうであるっていうふうに、
思い込むことによって成立してる虚構なので、
ここに誰か、一人わからないですけどヤンキーとかが入ってきて、
なんかあいつら何喋ってるかわかんねえなみたいなときに、
たぶん同じ状況になると思う。
そのメディアヌップっていうものの虚構性っていうものが、
非常にその人にとっては、
その虚構の中に入ろうという期待がある分、
その入れないっていうことに対する感覚みたいなものがあって、
その言語世界がバッて崩壊するそのモーメントっていうか、
そこに現れてくる何かみたいなものがあるのかなっていうふうに思って。
スピーカー 3
すごい想像できますもんね、そのシチュエーションが。
スピーカー 2
改めて、こうやって仏教東洋哲学の7人をたどって、
割と現在までやるみたいなことを、
僕普段読む機会ないんで、すごく刺激的だったんですけど、
その中で改めて思ったのが、
ジュリアン・ジェインズの神々の沈黙って有名な本があると思うんですけど、
いわゆる人類が誕生して、言葉喋るのが最初にあって、
文字が誕生して、文字によって情報がより圧縮されて長い間残るみたいなことが普及し始めて、
最初の世代、西暦2500年前とか、
紀元前数世紀ぐらいの時に、
言葉について悩んでる人たちをこう考えたらどうだろうと思う哲学者とか宗教者が
ワーッて出てくる時代があると思うんですけど、
まさにブッダとかリュウジュとかが、
リュウジュはさらに700年後ってことなんですけど、
言葉によって悩んだ人類の最初の世代というか、
数百年とか千年ぐらいの世代の悩みの蓄積とか知識の蓄積みたいなものを、
今2500年後とか2000年後とかで味わってると思うんですけど、
同じく本当に言葉で悩んでるなって思いました。
これが今に通じるってことは、
同じように言葉の世界で悩んでるんだなって思いましたね。
スピーカー 3
確かに、勝手にブッダとかリュウジュさんとか空海とかもそうかもしれない。
話を聞いてると、もちろん会ったことない人すぎて、
でも宗教だから、
アグアメ、アクデリルとか信仰されてる方っていうイメージだから、
本当に人なのかみたいなところがあったんですけど、
人だなって思うというか、
そういうのはすごい思いましたね。
スピーカー 2
そういえばこれ、宗教途中は全然思ってなかったんですけど、
やっぱり宗教なんですね、これ。
どう考えたらいいんですか、これ。
スピーカー 1
そうですね、そこら辺は僕もすごいテーマで、
切実なところでいくと、宗教の本ですってなると、
みんな結構抵抗あると思うんですよね。
だから東洋哲学っていう言葉も、
一応偽物としいことが、
鈴木大輔から取った言葉ですけど、
哲学であるっていうところの境目は、
難しいですね。僕も特に結論は出なかったんですけど、
適当に語ることはできます。
適当に語ることはできるんですけど、
どこから宗教でどこから哲学っていうのはかなり、
本当に境界線怪しいなっていう。
スピーカー 2
逆に言うと、さっきウィトゲン主体の話が出ましたけど、
それもまたある種の宗教である可能性もありますよね。
さっき適当にしゃべることできますって言ってましたけど、
僕らが考えている近代的な価値観というか、
個人というものがあって、
つまりこの本が否定していることって、
自分ってあるでしょっていうのに対して、
自分とかないからって言ってると思うんで、
インディビジュアルな存在ってものがあると、
それが社会を構成してるんだっていう考えを
当たり前のように信じてきてること自体が
宗教的であるとも言えそうな気がしてきました。
スピーカー 1
そうですね、結構そこを突き詰めると、
例えば、これメディアヌップですっていうふうに
3人が信じ込んでやってるということ自体を
どう捉えるかみたいな話にも
ミクロに行くときがあるかなとか思ってて、
それを宗教というのであれば、
多分今笹桐さんがおっしゃったことだったら
宗教だし、でもそこに、
とはいえメディアヌップなんだけど、
別の名前でもあり得るみたいな、
その、なんて言うんですかね、
ちょっとシラフ感が乗ってくると、
それが科学だったり、
哲学みたいな感じで言われるんですけど、
そこに無意識に前提とされてるものも
またあると思ってて、
つまり、そんなことを、
例えば言語を使って話してるわけですよ。
だから今、前提っていう言葉だったり、
言語っていうものがあるっていうふうに
信じて今話してるわけで、
じゃあその信じてるという行為は
一体何なのか、それは宗教なのかみたいな、
だからそこら辺で僕は今ちょっと
止まってる感じがします。
ぐちゃーっとしてる感じが。
スピーカー 2
宗教、別な言葉で言うと、