トーク&トレッキングイベントの開催
今日は8月19日土曜日 岩手県遠野市に来ています。
今はですね、鍋倉山を登って その後奥の桃山の方まで歩いていく
道路を散歩しています。 なんでここ散歩しているかというと
ちょっと話すと長いんだけど、その長い話をするために 今歩いている最中に
レコーディングのボタンを押しました。 そのどこから話し始めるかというと、今度10月15日に
遠野でトーク&トレッキングっていう イベントをやるんですけど、何かというと前半1時間はトークイベントで
伝説と歴史について学んで 後半1時間はその伝説と歴史の場所を実際に歩きながら体験してみる
というトレッキングの 1時間半ぐらい予定してるんですけど
その組み合わせたイベントをやるんですね。 これやろうと思ったきっかけは
遠野物語、正確に言うと遠野物語周囲の中に出てくる
鮭の背中に乗って川を遡って まだ湖だった頃の遠野にやってきて
それが住み着いた最初の人になったという そういう伝説があるんですけど
その伝説が面白いのが その子孫が今は宮家っていう、宮っていう名字ですね
宮家って家だっていうことまではっきり書いてあるというのは面白くて これってなんか天皇家みたいじゃないですか
伝説と現在が直接結びついているというのも ほとんど例がない
ような気がするんで これすごい面白い話だなと思ってたんですけども
私今43ですけど 宮っていうお家はもう私生まれた時には遠野になかったんで
現在あるって言っても実際は今ないよなって 思ってたんですけども
その宮さんというのは最後遠野に住んでた人は誰かというと 宮康さんというんですけど
もう亡くなられてます 生きてたらいくらなんだろう
90か100か それぐらいの
お年なのかな その宮康さんというのは小さい頃
遠野に住んでいて
ご両親を亡くしたことで東京八王子市に引っ越すんですけども その宮さんが
一族年代の資料 それこそたくさんあったみたいですけど
その資料を持っていて あとで大人になった時に
ふと自分の生まれたお家のことが気になって調べ始めてみたら その遠野の伝説、酒の背中に乗った男の伝説の話はもちろんだけど
そこからいろんな家系を遡っていくと 800年くらいまで遡れたんですよね
で何がわかったかというとその宮家、宮さんのお家っていうのは 遠野のですね、前のお殿様
これどういうことかというと江戸時代通じて 南部市っていうところが
遠野を治めてたんですけども その前は阿蘇沼市っていうところが
遠野を治めてたんですね つまりそこで阿蘇沼家から
南部家に政権交代があったんですけども その政権交代が起こる前の最初のお殿様
阿蘇沼ひろつなが その宮さん家の
ご先祖さんなんですよね まあ元を辿るとさらに
今の栃木県の佐野市の後にある阿蘇沼市 そこから藤原の秀平とかすごい繋がっていくんですけども
秀平じゃないか なんだっけ
これちょっとあぶねーよ とりあえずあの遠野においては正確に800年前の
およそ800年以上前の阿蘇沼ひろつなまで遡って そこのお家が
宮さんのとこだということなんですね なので結論から最初に言うとその
遠野に佐家の背中に乗ってきてやってきたっていうのは お話聞くとすごい何千年も前みたいな伝説に聞こえるんですけども
実際にはその宮家に関して言えば800年前に初めて遠野に来た 一族の伝説が変形したやつだっていうことなんですけども
これ面白いのが 800年前って昔のようでいてちゃんと家権はっきり残っているぐらいですから
そんな昔のことじゃないんですよね 昔のことじゃないことがなんでこう伝説に変形したのか
なぜそうなったのかっていうことの そこに面白みがあってですね
なんでかというとさっき政権交代を起こさせたんですけど クーデターによって
裏切りによってその阿蘇沼氏 阿蘇沼
広永というお殿様が追われた そういう事件があったんですね1600年
今から423年前なんですけど
そのクーデターで追われた広永の息子さん
吉政さんと言うんですけど 吉政が
その遠野でそのクーデター追われた側ですから 一族の残党狩り
全政権のお殿様の 着死って普通に呪われますよね
普通に考えて もう一回政権奪取を狙う
一族からするとそれを担いでやりたいわけだから
その着死が山の中に身を潜めて名前も変えて 住んでた場所っていうのが
ホドボラ山という 山の中にある
ちょっと不思議な 身を潜めるのにぴったりな場所があるんですけど
ホドボラ山ってところなんですね そこで4代
隠れ村で 過ごしてたそうです
その後代に宮内由志さんという 人が生まれてですね
これは 阿蘇沼氏が名前を変えたってたんですけど
倉掘りって書いてますね 倉掘り由政 そこから後代後に
道義っていうのが生まれて これが医者として確かな腕を持ってたということで
藩位 南部藩の 医者として
飯抱えられるというか 使えるんですね
つまり南部氏というのは阿蘇沼氏を あと政権に取った
ところなんだけれども その後
よく法納を収めてというか 優和政策を取って
うまく収めたんですよね
その後クーデタにあったその5代後の 人はもうちゃんと南部氏に
使えるということになって その時に苗字を
倉掘りから宮に変えたと まあでも元たどれば住めましたけど
その時宮に変えたと そこからまた何代か医者が続いて
それで地域の人たちから尊敬集めるというか 医療を施してたそうなんですけども
なんか 悪い噂を立てられて
立てられたそうなんです
全政権の阿蘇沼氏の一族だから 南部氏の人たちに毒漏るんじゃないか
みたいなね なんかそんな話が
あったらしくて そういう悪い噂に腹を立てた
宮井道義が 1回町の方に出てと
南部氏に使えたんだけど もう1回山の中に入って
引っ込んじゃったと その引っ込んだのが一族がずっと暮らしてた
ホドボラさんってところなんですけど 引っ込んだ時に
ホドボラ稲荷神社っていうのを作るんですね やっと出てきたのがホドボラ稲荷神社
やつなんですけど そのホドボラ稲荷神社が
東野の地域の信仰をよく集めてるんですよね
どういうふうに集めてるかというと
婦人病とかね 出産とかそういうのに
霊見があるとか 効果が 効力があるというか
女性の悩み 出産とか
婦人病とかそういうのに効くっていうことを 信仰を集めている場所なんですけれども
それを元を正せば そのホドボラ稲荷神社の
ある場所で 宮家の人たちが
医療を施す その場所に関する
出産とか医療に関するイメージが その後さらに宮家の人たちが
ホドボラ稲荷神社からなくなって 住まなくなって ただ神社だけになった後も
神社周辺の試し歩きイベントの説明
その信仰だけがその場所に対して 残ったということなんですけど
この話の面白いとこは
そうなると 宮家っていうのは 党の中で尊敬を集めている
お家ってことになるんだけど それを遊びましの一族だっていうふうに
ありがたがあると 南部派の政権下ではちょっと
不穏な感じになりますよね 前のお殿様を 崇めることにつながるようなこと
だからおそらくは宮家の人たちのことを 遊びましって言ったんじゃなくて
もっともっとその前からルーツがあるように 伝説に言い換えて
ある種わざとぼかして 遠い伝説にしちゃって
そういう一族なんだよっていうふうに 言ったりしたりして そこで変形したみたいな
やつがあるんですね
これ今私が喋ったことっていうのは いつ何が起こったとかどうしたっていうことに関して
事実ベースなんですけども その宮家の人たちを
あえて伝説にして語りつかれたっていうところを その生まれた心情
心情っていう きっとそういう心情だったんじゃないかっていうことに関しては
当時の人の気持ちに書き残されてるわけじゃないんで 私の解釈 見たてです
なので その部分が新しいところといえば新しいところで
こういうふうな説明を聞いたことのある人 ほとんどいないと思うんですけど
私がそういう説明をしたんです 説明をして
じゃあそれ面白い点で 文章でこの話を読むの大変ですから
聞き手を立ててトークイベントをして
じゃあ実際その阿蘇沼市と倉堀市と 宮城 宮家の人たちが実際に見た風景を
ほんと全部歩ける場所にあるんで どうやってそのもともといたお城を追われて
どこに隠れ潜んで どこに神社を建てて
見るかっていうのをちょっと歩いてみてみようっていうイベントなんですよね その時に
あの 歩くつもりは下見で歩いておかないと人を案内するのに
イベントの歩くコースについて
ちょっとあれなんで ちょっと今下見で歩いてみようっていうのが
今 これです
コースが3コースぐらいあって 時間は短いんだけど直走するから登りが厳しい
コース これがもともと
昔の人たちが参拝に使ってた 一番最短ルートなんですけど
それをねこの間歩いてきて2日前に ただねこれちょっと道が悪くて
イベントで初めて会う人をみんな連れてくるにはちょっと申し訳ない感じだったんで それちょっと
やめまして もう一個ですねあの塔の駅前から登っていける
気持ちの良い サイクリングコースとトレッキングコースを合わせたような道があるんですけど
それを今歩きながら時間を実測しています っていうのが今ですね
鳥の声がします さっき車の音してたと思うんですけども
遠野と釜石をつなぐ高速道路が 山のふもとのところにあって
山のふもとよりも高い位置に このトレッキングコースがあるので
下を車が走っていて その音を拾っています
ちなみに今まで歩いてきた道っていうのは 遠野の駅前にあるですね
博物館があるんですけども 博物館の脇の石段を取りくぐって登っていくと
南武神社
内神である南武神社 松手のところ
南武神社を通って その後
城後ですね 阿部倉城後
山の周りの展望台を見ると
そうすると 塔の
町内を一望できるので お殿様が見た
浅沼氏が見た風景かな というとこからスタートします
そこから歩いてきて
道は歩いてきてですね 山の中をずんずんずんずん
物見山の奥の方に行って 最後物見山を登らずに
右に逸れて 児玉屋さんと呼ばれるような
家に来ると 児玉屋居合神社が
あります
あった これは
いいな この
直島する厳しいルートよりも 最初にお城の高さまで上がって
その後水平移動する感じなんですよね 山の中を
こっちの方が絶対いいな そんなイベントをやろうとしているところです