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少し前に、YouTubeで完璧主義に関する動画を投稿したのですが、その時に伝え忘れたことがいくつかあったので、その続きとして今回このエピソードを投稿しています。
なので、YouTubeを見ていない人は、ぜひYouTubeの方もチェックしてほしいのですが、やはりこの完璧主義というものが、ものすごく足を引っ張ってしまって行動できないとか、行動スピードが遅いという人が多いので、この問題を解消しないと、
実際に知識を持っていても、全然行動していないから、そもそも結果が得られないという風になるわけですが、この完璧主義という話をする時に、ちょっとエピソードをシェアしたいと思います。
うちはですね、知っている人もいると思うんですが、妻が精神的な色々問題があるんですが、そもそもすごく性格的に貴重面で、よく言えば貴重面、悪く言えば神経質みたいな感じなんですね。
僕はどっちかというと大雑把みたいな感じで、大型ですかって言われるんですが、AB型なので、大型で大雑把というわけではないんですけど、大雑把というよりはどちらかというと雑ですよね。
そういう家事とかに関して、自分ではちゃんとやっているつもりでも、きっちりしている人間、妻とかからすれば全然不十分みたいな感じになるわけですね。
だから、僕は全く気づかないようなことに気づいたりするわけですよ。自分は綺麗にしたつもりでも、ちょっと汚れが残っていたりとかね、若干雑になっていて、それが目に留まってまた怒られるみたいな感じになっているんですけど、
その時にですね、僕が思ったのが、僕は気づいていないわけですよ。自分ではもう綺麗にしたつもりだというふうに思っている。要するに見えていないわけですね、自分には。
自分には見えていないけど妻には見えているみたいな。だから同じ状況にいて同じ景色を見ているにも関わらず、目に入ってくるものとか認識しているものが違うわけですね。
なんでそういうふうになるかというと、そもそもの価値観の違いというか、僕はそういうものは全く気にしないタイプの人間なんで、存在しているけど目に入ってこないわけですね。
逆にそういう何事も細かく貴重めにきっちりやる人間からすると、そういうのが目に入ってきたりとかするわけですね。
そうなった時に、もっと丁寧にやれとか言われるわけですけど、この時にですね、ちょっと気づいたことというか、これって完璧主義に似てるなって思ったんですね。
全てにおいてきっちりやらないといけないというふうに思っていると、とにかくちょっとでも何か雑な部分があったりするともう許せないわけですよ。
許せないから相手をさばいてしまう。そういうふうに今回のケースであれば、そういうふうに相手を激しく叱責してしまうとかということがあるわけですね。
だから完璧主義の人って多分許せるものが少ないんじゃないかなと思うんですね。
許せるものが少ないからちょっとでも、こうね、何か乱れがあったりとか自分が理想とする形になっていなかったら、それがすごく嫌みたいな感じになるわけです。
だからそういうのってある意味すごく苦しいと思うんですよ。
だって目に入ってくる光景、いろんなものが今視界に映っているじゃないですか。
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その中のちょっとでも何か乱れていたら、それで嫌な気分になるというのであれば、とにかくいろんなものが気になってしまうわけですね。
だからやっぱりメンタル的にもちょっと不調を起きたしてしまったりというのはあると思うんですけど、その根本原因は何かというと、やっぱり許せないっていうところだと思うんですね。
完璧、そのちょっとでも乱れがある、自分の理想とする完璧とする姿から乱れることは許せないっていう。
だからこれを許せばですね、もっと楽になれるわけですね。
だから視界に入っているものが許せないものだらけになっているのが全く気にならなくなるみたいな感じになるわけです。
だからそういうところを変えていくと、要するに僕たちが認識している現実っていうのは、同じ状況にいてもね、認識している世界が違うとさっき言いましたけど、
だから一人一人現実が違うわけですよ。
で、その現実を作っているものっていうのは自分の内側にあるんで。
この外側の世界が僕たちの現実を作っているんじゃなくて、それをどう解釈するのか認識するのかっていうのは僕たちの価値観とかね、内側が決めているわけですね。
だからこっちを変えないと結局その外側の世界はね、変わらないっていう風になるから、そこを変えていく必要がある。
完璧主義の人もおそらくそうなんじゃないかなと思うんですね。
絶対こうでないといけないっていう風に、許せないから相手を責めてしまうっていうね、それに近いような感じかなと。
何か商品を作るとか、ページを作成するにしても、ここの部分がこういう風になってないともう許せないとか、っていう風になるわけですよ。
じゃあその許せないっていう価値観を手放してあげるとか、っていう風にしていけばもっと楽になれると思うんですね。
で、この許せないことの先にあるものですけど、まあこれいろいろあると思うんですね。
一つはまあ価値観。自分がそういう価値観を持ってるから、そういう自分の価値観にそぐわないものを見かけたときに許せない。
だから他人をさばいてしまうのはそういうことですね。
自分の正義で他人をさばいてしまうから、いざこざが起こるわけであって、そこを何もね、自分の正義を相手に押し付けなければ何の争いも起きないわけですよね。
一つは自分の価値観。もう一つはその先にある恐れだと思うんですよ。
それが起こることによって、何かね、恐怖を感じさせるようなものがある。
例えばそういうちょっと乱れるところを見せることによって、なんか他人からね、悪く思われるとかだらしないと思われるのが嫌だとか、
その先にある恐怖を避けたくて、それが許せないとかね、っていう風になってしまったりっていうことがあるわけです。
でもそれをよくよく考えたら、まあ他人にちょっと悪く思われるぐらいかなっていう風に考えたら、そんな恐るべきことではなかったりするわけですね。
やっぱり完璧主義の人に多いのは、周囲の目が気になるというかね、他人からどう思われるかっていうのを必要以上に気にしてしまう。
それが故にもう何もできない。完璧なものにならない限り一歩も動けないっていう風になるわけですね。
でもそれを変えていかないと行動できないし、行動できないから結局のところ結果は得られないっていう風になるので、その完璧主義の手放していく必要があるわけです。
で、その他人からの批判が怖いっていうのは、まあわかります。人間はそういう生き物で本能的にそういう拒絶に対する恐怖みたいなものを持っているからそれは仕方ないと思うんですけど、
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でもそこって変えられると思うんですよ。自分の考え方一つでね。
で、これ根本的に何かっていうね、本当に深いところでいくと、たぶん自分に対する愛が足りない。自己愛が足りないんだと思うんですよ。
この愛っていうコップが水でいっぱい満たされていたら多少こぼれてもね、そんなにこうなんていうか気にならないじゃないですか。
お金に例えるとわかりやすいですけど、たとえば自分が1億円持ってるとして、たとえば1000円とか2000円なくなってもね、気にならないじゃないですか。
でも自分の所持金がね、たとえば3000円しかないうちの2000円なくなったらものすごい気になりますよね。みたいな感じですよ。
いっぱい持ってたらちょっと減ってもね、気にならない。だからこう、すごい綺麗な水にね、一滴だけ泥水垂らしても全く変わらないじゃないですか。
それに近いような感じですね。それがないから、要するに自己愛がないから、そういう他人の批判に対して傷ついてしまうみたいな。
逆にそういう自己愛でいっぱいになっていたら、多少批判されても気にならないってことですね。
だからそこをまずは自己愛を満たす。おそらく自分に対しても、その無条件の愛みたいなものがないんだと思うんですね。
こうでなければならない。こういう私は素晴らしいけど、こうじゃない私は素晴らしくないみたいな。
要するにその条件付きの愛みたいなものを決めてしまっていると思うんですよ。
で自分はそういう風に慣れてないから自分はすごくないんだとかね、ダメな人間なんだっていう風に思ってしまう。
でも条件付きの愛じゃなくて無条件の愛っていうものは誰でも持てると思うんですよ。
例えば子供のいる人はわかると思うんですけど、自分の子供が勉強できないとか足が遅いとか、そういういろんな欠点があるじゃないですか。
それでも自分の子供のこと愛せますよね。それと一緒だと思うんですよ。
自分にダメなとこがいっぱいあっても愛せるわけですよね。
それをまずは自己愛を満たしてあげると、別に他人に多少何か言われても気にならないっていうのはありますし。
こんなこと言ってますけど、僕もめちゃめちゃ周りには気になるタイプで、
多分これ聞いてるあなたよりもそういうね、周囲からの批判を恐れていたタイプの人間だったんですけど、
気づいたらこういう風にね、変わることができていたんで。
今はもうほとんど気にならないというかね、スルーするスキルみたいなものも身につけたっていうのは大きいんですけど。
例えばね、YouTube編集してないとか、ちょっと喋り方がおぼつかないとか、いろいろあるじゃないですか、言葉遣い間違えるとか。
言ってくる人いるかもしれないですよ、言葉遣い間違えてるとかね。
でも僕は思うのは、なんでお前に合わせないといけないのって思うわけですよ。
僕の世界なんだから僕のルールでやらせるって話です。
なんでお前のルールに合わせないといけないのって思うわけですよ。
別にあなたの世界で生きてるわけじゃないんだからっていう。
そういう風に考えるってことですね。
僕は型にはめられるのは嫌いってよく言いますけど、自分の型はフリースタイルだと思うんですよ。
そもそもルールがないっていうね。
だから動画作る時とか、そういうコンテンツ作る時もそうですけど、絶対こういう風に作んないといけないみたいなルールがないから自由に作ってるわけですね。
でもコンテンツが作れない人とかっていうのは絶対こういう型でこういう風にしないといけない。
編集しないといけない、台本作んないといけないとかね、ここにテーロップ入れないといけないとか。
そういうルールがあるから、それが足枷になって作れないってあると思うんですよ。
だからもうルールを撤廃して、自分の世界なんだから自分のルールでやればいいんですよ。
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これが自分にとって正しいんだっていうものですね。
で、そういうね、そもそもルールに沿ってやらなくてもね、成果は出るわけですよ。
僕自身がそれで成果を出してきたわけだし、全然完璧じゃなくても上手くいくわけですね。
僕なんかもう動画とかね、YouTube昔のやつから見てもらったらわかると思いますけど、
まあダメなとこいっぱいあるじゃないですか。
それでも今でも生き残ってるってことはあれでもいいんですよ。
だから完璧じゃなくても、ちゃんとね、結果を出すことはできるし、ずっとね、生き残ることはできるんで。
だから完璧じゃないとダメなんだっていう発想をそもそも捨てるっていうのがすごく大事ですし。
あとはまあ今回お話したね、自己愛を深めるとか、とにかく許せるもの。
他人を裁くのをやめるってことですね。他人を裁くと自分にも許せなくなってしまうから。
他人を許せたら自分を許せるようになるんで、自分が普段からそういう目で他人を裁くってことをしてるから、
自分にも厳しくなって、絶対守らないといけないっていう風になるから、
そういう許せるものを増やしていくっていうのもそうだし。
あとはまあ自分のルールでやるってことですね。
なんであなたをルールに合わせないといけないのって。
別にあなたのためにやってるわけじゃないんだからっていうところで考えていくとね、
もっと気楽に動けるんじゃないかなと思います。