1. 毎日お祝いしよう!
  2. #110 しょーまさんと雑談する..
2022-02-07 48:00

#110 しょーまさんと雑談するとこうなります。Part3

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Mo
Mo
Host
前置きにムスコの声。ゲームでエキサイティングして叫んでいます😭/ 平野さんと磯野さんの対談. 死なない他者とわたしらしさのゆくえ https://k-hirano.com/articles/wiredconference2021
深澤直人さん多摩美術大学教授、日本民藝館館長、プロダクトデザイナー
“美しい考え方” “気づける人”
https://youtu.be/9PxAGUJ3n2M

美しい考え方Moのツイート
https://twitter.com/moanthropology/status/1482983932853637122?s=21

牛を忘れる 愛とコミュニケーション1 & 2
https://open.spotify.com/episode/5cdSGpUUhqIyRFVZhBqrlT?si=3ecBOoD2Q2WwvT0WqTUxjw

https://open.spotify.com/episode/23gJgRStitJ1hvGwuIjH4F?si=90JLL3cURj6MxFN17fgoQg
00:01
こんにちは、Moです。おはようございます。こんばんは。
みなさんお元気ですか?
私はおかげさまで元気です。いつもありがとうございます。
しょうまさんとの対談最後、今日パート3なんですけど、
編集をしながら何度も聞いて、
私の話の情報量があまりにも少なすぎるということを反省しております。
このポッドキャストは、今までご近所のおばちゃんが話している雑談みたいな感じで聞いていただこうということで、
本当に何も見ないで話せる内容をだらだらと話してきたわけなんですけど、
最近、しょうまさんとお話しさせていただいたことも通したりして、
ポスト資本主義の動きとか、みんなで地球を守ろうみたいな動きが本当に良いことだなと思って、
私もできることから何かしたいなと思っているんです。
今日はそういうことで、台本という感じでノートを作りました。
それを読みたいと思います。
いつも雑談とか、自分で喋っているといろんなものを忘れちゃうので、
ここに今ノートに書いたので、それを読みますね。
できることを考えた時に、自分の人生を振り返って見てるんですけど、
一応半世紀なんとなく生きてきて、なんとなく家族にとってもいい感じに生きてこれてるんですよね。
これからもこんな感じで生けたらいいなと思ったりするんですね。
どうしてこんな感じで来れたのかなとか、旦那と話したりするんですけど、
お互いずっと出会ってきた人を大切にしてきたことっていうのがあります。
残念だけども、仕事を一緒にする人にしても、一緒に何かを活動する人にしても、
限られた人数としか近しいというかね、間柄になることはできないので、
そういう時にね、どうしてもどういう人とお付き合いしていったらいいのかっていうことをね、
なってきちゃうんですよね。
そういう時にやっぱりたくさんいる中でだったら、正直な方、賢明な方っていう方をね、
一緒にいた方が、一緒に時間を過ごした方が、やっぱり生きやすいというかね、
のもあるので、そういうところでやっぱり、来るもの拒まず、去るもの追わずっていうね、
コンセプトでいつも生きてはいるんですけれども、
そういった目もね、何か問題があった時に、どういう方を信頼していくべきかみたいなのはね、
03:11
養ってきたんじゃないかなって思ってるんですね。
これはね、私たちお互いにそうなんですけど、自分がね、生まれた国、育った国ですね、
20歳すぎぐらいまではね、その国を出て、それぞれ外国で過ごしてますから、
いろんな人たちも会ってきたし、全然国籍の違う人たちも仕事をしたりとかしてきて、
そういった中でね、やっぱりもうこれサバイバルスキルなんですよね。
その目と感覚を信じてこれまでも生きてきたんで、
なんでこの前置きが必要だったかというと、
松間さんとお話ししている中でね、私がね、何度も志のある学者さんたちや勉強されている方々が、
もうね動いてるよとかって何回も言ってるんですけど、
コロナ禍ね、私がやっぱりたくさんの方の講演や動画をすごい拝見することができて、
どういった方が未来に向かって動いてくれているのかっていうのがね、
なんとなく感じることができたんですよね。
それでね、どういうふうに目と感覚、自分が持っている感覚を使っているかというと、
マスメディアにはいろいろな余計な力が働いていると思っているので、
なるべく大学とかの名前とかね、その組織の名前を借りずに、
個人で活動されているような先生や学者さん、
あとは大企業とかの支援も背負っていないで、団体の活動に意識を向けるようにしています。
今回ね、例えば2021年のワイヤードジャパンのカンファレンスとか、
JWAVE、イノベーションワールドフェスタなどの、それぞれが3日とか2日とか、
結構1日中やっていたものなんですけど、そういうのを配置をして、
話に感銘したね、登壇者の方々のお、
あとその登壇者の方々の活動内容とか、記事、書籍とか、
目を通してどのような展望を持っていらっしゃるのかを、
なんとなくね、受け取ってきたつもりでいます。
そういった方たちが、私が言っている、たくさんの方が動いているよっていう話だったんですけど、
その人たち、例えばですね、JWAVEのイノベーションワールドフェスタでは、
もちろんね、コテンラジオの深井隆之介さんも登壇されていたし、
あと政府のね、デジタル庁がね、頼りまくっているようなね、
落合祐一さんとか、今注目の生物学者の福岡新一さんとかね、
06:00
去年のグッドデザイン大賞を受賞した、
織姫っていう分身ロボットのね、吉富士織姫さんも登壇されてたんですよね。
その話とかも、私もすごい聞いて、よかったなと思ってるんですけど、
ワイヤードジャパンのコンファレンスには、文化人類学の小川さやかさん、
タクラムの渡辺孝太郎さんがね、よくお話に出している、
情報学研究者のドミニクチェーンさんとか、
あとみんな好きなね、人身性の主本論の斉藤さんもね、登壇されていたし、
あとは、文人とはの著者の平野圭一郎さんと、
人類学者の磯野真帆さんとか、対談されてたりしたんですよね。
平野さんと磯野さんの対談は、
死なない他者と私らしさの行方というタイトルで、
記事が残っているので、概要欄に貼っておきます。
他者とケアの問題とか、AIと他者、
自分の問題、自分というものの問題とかをね、
いろいろ提起して話ししてくれています。
それで、もうちょっと例を挙げると、
私が尊敬してやまない文化人類学者の松村先生がね、
文化人類学の思考法という書籍を、学生だけじゃなくて一般向けに出版しよう、
前置きというか、そのところで言ってらっしゃるんですけど、
それにつながって、最近の書籍のクラシノアナピズムの出版記念の、
何週間にも及ぶね、いろんな対談をね、
毎週結構ほとんど聞いたんですけど、
それでもね、先生が本当により多くの人にとって、
より生きやすくできるようにね、
何かこう、人々が思考を変えていくのがいいんじゃないかっていうね、
思いで、こういろんなお話をされているということをね、
感じずにはいられなかったんですよね。
で、本当そのね、受け取った、このいろんな方たちが受け取った、
いろんな方たちから受け取ったものがね、
きちんとね、雑談の中では、
お名前とか出してお話することができなかったんですけど、
こういった方たちのお話を本当、
この2年間いろいろたくさん聞いてきて、
他にもたくさんいるんですね、そういうふうにも、
未来に向かって、
アクションを起こしている方々がね、
だから、そういう方たちと同じようなことはできないけれども、
できることがね、やれればいいなと思っています。
では、引き続き、
松間さんとの雑談をお聞きください。
09:00
どうぞ。
ちょっと今、置く、
愛の表現がちょっと難しいですけど、
そうだよね、愛って何かなってわからないこともあるから、
一つの意味では、
ムーロンさんがおっしゃってたやつはすごいしっくりしたんですよね。
コミュニケーションとして、
人間関係としてのこの愛っていう意味からすると、
一つの定義にはなるなとは思うんですけど、
相手をコミュニケーション可能な人、
ちょっとしっかりした文出てこないですけど、
そのコミュニケーションを取ろうとしている相手のことを、
コミュニケーション可能な相手と満たすことが愛だっていう表現をされたんですよね。
そこをどんなに相手とコミュニケーションが取れなくても、
諦めちゃうじゃないですか。
かなりもう全然コミュニケーションが取れないみたいな、
それでもやっぱりコミュニケーションを取ろうとして、
やれるっていうことは、やっぱりそれは愛だなっていうのは思いますし、
ある意味での、
ただ結構抽象的な表現なので、
愛っていうのがいろんな意味合いもあるんで、
一つの表現ができるかって言ったらあれだし。
その先があると思わない?
愛の先が幸せを感じることだったと私は思っていて、
コミュニケーションを取りたいときって共感できたら、
そこに生まれるのが幸せな気持ちだと思ってるんだけど、
だから愛を感じたら、
やっぱり愛を感じたりとか、
それが溢れてこないと幸せって感じれないんだよね、たぶん。
幸せだなっていう心持ちにならないんだよね。
そういう気持ちになりたいから、
愛がある、愛を与えたいと思う人とコミュニケーションを取りたくなるし、
それが返ってこなかったら悔しい思いをするし、
それを誰かに取られちゃったら嫉妬したりすると思うんだけど、
それは1対1とかの場合だったんだけどね。
でも自分がそういうコミュニケーションを取れてて、
共感が得られて、
自分もそれを同じようにいろんな人にしてあげられると、
心がだんだんワクワクっていうかしてきて、
そうすると、
それが家族も、はじめは家族とか周りの人とか、
一番近しい友達とか、
それがだんだん本当に一個ずつがちゃんと
コミュニケーションっていう言葉を使うと取れてくると、
それがなんか、ああ、愛を感じてるな、
お互いにそう思ってるなってなって、
12:01
それが幸せっていう風な気持ちになってくるのかなって思うんですけど。
今、愛自身を捉えきれてないところがあるので、
今聞いた話からすると、
愛みたいなのが、
いろんな感情の変化、揺れ、動きから生まれてきたり、
そこの彩りの中で表現されるものだという風に考えると、
やっぱり感情っていうものが根本にあるなとは思うんですけど。
感情のところは、
チョイスをしてる個人がね、
チョイスをしてるときに、
違和感のあるチョイスと、
この前ね、統合デザインの話をしてたときに、
違和感のあるチョイスと、美しい考え方のチョイスしかないんですよね。
美しい考え方だけをね、チョイスできるような環境にいれば、
自分にも愛が生まれたりする。
なんかリスペクトも生まれたりとかする。
だけど、違和感の方に、
僕、違和感の方に行っちゃってるな、
ダメな人間だな、やっぱりここでチョイスがきちんとできないんだな、
美しい方を選べないんだなって思った時点で、
自分への愛がなくなるじゃない。
だから、アクションとしては、
美しい考え方をなるべくなるべく取るようにして、
自分への愛を深めていって、
そうすると、それも外に出てくるんじゃないかなって思ったりするよね。
これちょっとね、途中であれだけど、
私ほら、感情不倫言だから、
白黒とかで物事がはっきり言えないタイプでしょ。
しょうまさんは、それをなんとか数式みたいに当てはめようとしてくれてる。
すっごく面白いよ。
聞いてる人はどっちかだからね、絶対。
聞いてる人はどっちか、大体どっちかだから。
だから、私はしょうまさんが何を迷ってるのかよくわかんないけど、
すっごい面白い。
僕は逆にそう言ったら、肩にはめがちなので。
言葉の定義をどうするかってことで、
綴る言葉が変わってくるからですね。
その愛っていう位置づけをどうすべきかなって。
今僕が頭で迷ってるのは、
美しいと愛。
美しいと愛と幸せとかがあるから。
この辺の言葉が今抽象的すぎて、
どう使っていいかわかんないなっていうのを考えてたんですけど、
もさんがおっしゃりたいことは受け取れてます。
だから私もそれはね、
違うものだと思って一生懸命、
15:01
言葉の理解がないなって思ってる、
そういう後ろめたい気持ちがあるから、
考えるわけじゃないけどね、
やっぱり最近いろんな人が言ってるのは、
その言葉と言葉の間のものとかを、
私たちは受け止められるらしいんだよね。
だから言葉には合わせない。
だから美しいって言っても、
みんなにとって欲しいは別なわけで、
私もだから美しいものについて書いてる人とかのことを、
ちょっとちょっとだけしか読めてないけど、読むと、
深い美しさだなって、
でもそれはそのものに対しての愛が生まれてるんじゃないかって、
次に愛が出てくるのよ、言葉として。
感じれはするんですよね。
感じれはするから、
それこそ極力言葉はいらないんですけど、
感じれはするけど、
言語化できないと理解できないんですよ。
感じてるでしょ、でも。
感じてるけど、感じてるのと理解は違うと思うんですよね。
感じてるのは、
広い言い方すればわかるんですけど、
理解できてないんですよ。解きほぐせてないというか。
でも理解しないといけないの?
いや、そうです。理解しないといけないっていうことはないんですけど、
その理解したいっていう癖があるのと、
理解することで、
理解しようとすることで、
その先が初めてわかるというか、
まだ奥に潜れるのじゃないか。
極端な話、
愛っていう言葉一個あれば、
説明つくわけですよ、全部。
でもそれを言ってる自分は、
分かってるから別に問題ないんですけど、
それを他人とシェアしようと思ったときに、
それだけで分かる人もいれば分からない人がいるから、
できる限り伝えようと思えば、
できる限り伝えようと思えば、
そこを相手に伝わるようにっていうのは、
言葉しかないんで、糸口にするのが。
できる限りそこを深掘りたいというか。
それは趣味だよね?
趣味です、趣味。
それは趣味。
だから、私が言ってる愛とか、
美しいこととか、
幸せだっていうことは、
社会問題なわけ。
私たちが喋ってるのは社会問題だから、
多分ね、
みんなが幸せになった方がいいんじゃないのかなって思ったり、
社会問題を話してたんですけど、
しょうまさんは趣味に、
しょうまさんは感じてるから、
幸せをいっぱい感じてる人だと思ったりするんだよね。
18:02
愛のこととかも分かってるし、
感じてるから。
だから幸せなんだけど、
趣味として言葉を深掘りたい。
そうですね。
趣味として、
僕も問題解決型の思考生なので、
例えば、そういう風に感じない人がいると、
そういう人たちに問題解決策だったり、
どうしたらそこを変えられるかっていうところは、
理解しないと策が練れない。
練れないよね。
一つちょっと挟んで言い始めに。
だけど前提はね、
他の人に何か伝えたくなったっていうのは、
やっぱり自分が前提として結構満たされてるからよね。
そうですね。
あとは自分が誰かとコミュニケーション取りたいと思って、
こういう風に態度で出したりすれば、
きちんと返ってくるから、
ムロさんが言ってたような、
愛のあるコミュニケーションができてるというか、
基本的にはね。
で、その状態っていうのは幸せよね。
愛があって美しい幸せをね、きっと。
はい、じゃあその次に行ってください。
それ確認しました。
そうすると、だからそれを一人伝えたくなるんだよね。
うん、そうです。
しゅうさんの話もですし、
だからその話もなんですけど、
OSを書き換えるって言ったらおこがましいですけど、
いい方向になるように波及していくためにはどうしたらいいか。
ひいては僕はしゅうさんが問題解決をしたいっていう風に明確に思われてるっていう風にはちょっと思ってなかったので、
この前そういう風にあったんで、
問題解決をしたいっていう目的があるとするなら、
僕はどうしてもそこの問題解決に至るタイムリミットを考えちゃうんで、
自己組織化的に広がるのじゃ間に合わないと思うんで、
どうやったら間に合わせられるんだっていう風に思考が行っちゃうんですよ。
うんうん、じゃあそっちやって、しょうまさんがね。
それが全然イメージできないんですよね。
いいじゃん、だからこれをさ、私がちゃんと配信するから、
そうしたらさ、もっといろんな人が聞いてくれるようになるんだ。
それでまたさ、同心になったりするかもしれないけど、
それ以外は考えて、しょうまさんが。
そっち担当、そっち担当で。
みんなそうよね、理系っぽい人が多いから、
みんなそうやってさ、みんな心配になってさ、
それで答えを出したいんだよね。
21:00
答えというか、もう急がなきゃKPIって言うの?
うーん、そうですね。
アクションプランみたいな。
それ取りたくてしょうがないんだよね。
KPIをしっかり定めとかないと。
本当だよ、いいのいいの。
匂いの匂いがいいなと思うほうで、
うろうろすければいいでしょ。
私たちたぶん、うろうろわりさんのほうだからね。
そうですね、これはどうしようもないんだろうな。
やっぱり特性なので、いい悪いでもたぶんないですし、
ただあんまり問題解決ばっかり走りたくもないなと思うし、
正直、本当に自分の人生を楽しむっていうのが一番大切というか、
そこをどう生きるかっていうところが重要ではあるので、
全然今後の世界がどうでもいいっていう話ではないんですけど、
そこに対しての真剣味みたいなのが足りないんじゃないかなっていうのはあったりはしますよね。
僕は最近、悩みとしては自分はみんなほど真剣味が足りないような気がする。
それを相対的に見ようとしたら、
だから私いつも言うかもしれないけど、
ジャパンハートの吉岡先生とかをいつも私は、
例えば比べたくなった時に人と、隣の人と比べても分からないから、
例えばじゃあ私は人生を投げ打って人を助けるために吉岡先生のように働けるかって言ったら、
無理なのよ、そもそも。
それこそ先生とか、
もうその人のチョイスした生き方をされていて、
っていうことじゃない。
だから私は本当にできることからやるしかなくって、
でもさ、私たちは本当にこれさ、
お金もらってるわけじゃないので、
なんでしゅーちゃんの話しなきゃいけないのよ、もう本当に。
しゃべってはさ、とかさ、
なんなのよ。
おかしいでしょ、私たちだって、これ。
そうですね。
もっと楽しいさ、ふざけたこと話せばいいのに、
私たちは趣味なのよ、これ多分ね、きっと。
そうですね。
そういうことを何か、
いいことしてたいのよね、きっと。
いいことじゃなくて、なんとなく、
自分たちにとってもいいことなんだけど、
なんでそんなことしてないかって言ったらやっぱり、
気分がいいんだよね、こういう話してるほうが。
時間の過ごしかけたりして、前向きに。
そうですね。
スピードは遅いかもしれないけどね、
しょうまさんの理想にしてみたらさ、だらだら。
いや、問題解決ってやっぱ思考に立つと、
間に合わせることが目的なので、
これからした時に、
ちゃんと実現の道が見えないと気持ち悪いんですよ。
24:03
逆に、実現の道が見えないところで、
頑張ってるっていうのがもったいなく思えて、
あとは、結局あんまり良くないんですけど、
そういう自分がちょっと嫌なんですけど、
自分のできるところからっていう感じはあるんですけど、
みんなで協調して、
この道だったらいけそうっていうので、
みんなで一緒に行こうよっていうような状況が、
全体コンセンサスが取れてない中で、
頑張ることっていうのが、
自分がやるっていうのが、
意味がないように思えてきちゃったりして、
そういうのを個人個人でやられてる人たちを
否定する話じゃなくてですね、
すごい素晴らしいと思うんですけど、
自分自身がそういうのをやるのが、
儚いちっぽけなことだなっていう風なのが
思えちゃうと、
目の前の利便性を優先したりとかしちゃったりですね。
そういうところもあるから、
そういうのは嫌だなと思ったりとか、
あとは資本主義社会が良くないなと思いつつ、
再分配みたいなことがされないとなというのもあるんですけど、
まず自分が安心して暮らせて、
やりたいことをやれる、
自分なりにいいと思えることをやれる環境にするために、
今のルールでいけば、
お金が必要という話になってくるので、
そういった意味合いで、
例えば投資とかにしても、
有意義だと思える社会問題を解決しようとしているところに、
全部やるわけではなくて、
そういったところを鑑みつつ、
今のルールベースで自分の環境を整えるために、
資金を投じていたりするところもあるからですね。
そうだよね。
だから、全てを投げ打って、
しゅーちゃんみたいにやれるかやれないかというところを考えると、
極端なこと、私も結構極端にしないと、
自分がやっていることに意義がないんじゃないか、
もったいないんじゃないかと思って、
ついつい全てをやりたくなくなるんだけど、
例えば歴史上の人で、
自分で全てを投げ打って、
社会を変えてしまったような人がいるかというと、
その人が最後まで平和だったかとか思えば、
いろんな人がいるわけじゃない?
そうですね。
だから、その中の一人だから、
急に今日決めて、
しょうまさんが世界を救う人になるわけには、
27:02
ならないわけだから。
そうですね。
僕がこの世界を救うなんて、
自分も思っていないからですね。
でもほら、ちょっと後ろめたい気持ちがあるわけじゃない?
なんとなくさ。
自分のことをまずはちゃんとしていかなきゃとか。
でもそんなの当たり前で、
次の世代に、
私たちの一番の目的は、
次の世代に受け継いがれるものを残すことだと、
やっぱりちょっと思ってるから、
まずは一番手前の子供のこととかを面倒見て、
その子供たちが、
もうちょっと先の人たちに、
いい感じの影響を与えていくような世界になっていけばいいな、
と、ぼんやりした展望なのよ、私は。
あと経済的なこともさ、
いろんなものが、
ITも当然だけど、
発展していかなかったら、
私たちの生活は、
昔の縄文時代の生活に戻っちゃうわけがないわけだし、
だからそっちはそっちでバランスよく、
お金がある人がお金を使っていったりとかして、
行くしかないし、
ない人はないなりに労働とか、
できることからやればいいっていうような、
そういう社会になっていけばいいかなと思ったりするんだよね。
だから、ちょっとずつやりましょうよ、少しずつ。
子供たちのために何かやったなって思いたいんだよね、やっぱり。
子供たちというか、自分の子だけじゃないけど、
後の世代の人たちに。
そういう思いがありつつ、
一方で、
一方で、これはあんまりいい話ではないかもしれないですけど、
人間自身が知性があるがゆえに、
世界をコントロールできるかのごとく動いてるじゃないですか。
結局、環境問題にしても発展させてきて、
環境問題の問題を解決しようとできるんだ、みたいなところで。
それこそ、人間も自然みたいな感じで捉えていった先に、
本当に止め売るのか、もしかしたら止め売れないのが、
全体の、それこそ自然の流れなのかもしれない、
という風な話も考えたり。
それで滅亡してしまった先に、
もっと違う、電子的な存在というか、
また違う存在みたいなのが流れていくのも、
それが自然の流れなんじゃないか。
どこの立場でいうかで変わるからですね。
30:01
人間、人類の立場からいったら、
環境問題を起こしたのは人類ですし、
人類のために、といったら、それをしない、
防ぐのがいいと思うんですけど、
全部ひっくるめて考えたときに、
本当に防ぐべきなのか、
防ぐべきなのかって言ったらおかしいですけど、
違う立場からいったら、
それもそのままで、
世界はただただ進んでいくものなのかもしれないな、
と思ったりとかですね。
でもさ、それをさ、私もさ、
漠然と、やっぱりもうちょっと前、
子供が生まれたぐらいのときって、
なーんもそんなリベラルアートなんて、
リベラルアートって何ですか、
みたいな感じだったけど、
漠然と心配してたりとかしたんだよね、なんとなく。
そういう話も聞いたことがなかったし、
資本主義で私たちはコントロールされてるから、
こういう思考方法なんだなんていうのは、
よくわかってなかった。
こうするべきだ、みたいなこととか、
わかってなかった。
漠然といろんな社会の問題とか、
災害とか、そういうものとかも、
すごくいろいろ漠然と心配してたけど、
今はさ、もしかしたら、
人間なんかじゃ誰もいなくなっちゃえば、
地球にとってはすごく、
ハッピーだよね、みたいな。
また極端な話になるけど。
じゃあ、今この世の中の人が、
いなくなるわけ、いかないわけだし、
いいか悪いかっていうよりも、
もう無理なわけじゃない?
今までだって、
ヒストリーの中で、
多分、人間はその時にベストだと思ってきたことを、
やってきたんだと思っているんだよね。
私は、それぞれの人は。
それぞれの、さっき言ってた、
自己適応がさ、
自己適応してさ、
やってきたわけじゃん。
今それを、私たちのこの先のことも、
もしかしたら究極、
誰もいなくなっちゃうのがいいのかもしれないけど、
そういうことにいかないから、
自分に、今の自分に立ち戻って、
じゃあ、やれることからやりましょうか、
みたいに、ちょっと私は思っているのよね。
そうですね。
僕もその立場でしょ?
語弊がないように言っておくと、
僕も人類ですし、
人間なので、そういうふうに思っています。
ちゃんとその、
個人個人がやれることをやっていけばいいと思うし、
それで、
リミットのところまで間に合って、
なんか、
独的に、
人類が続いていけばなとは、
思ってるっていうのは間違いなくて。
だけどさ、それをさ、きちんと考えてると、
そういうことも本当はあるかもしれないし、
それが一番ベストかもしれないし、
やっぱりいろんなことを考えてきたりとか、
勉強してきたからわかったことで、
そういうことすらも、
頭の中にないと、
漠然と心配しちゃうし、
今やってることとか、
これでいいのかな、これでいいのかなって、
不安の塊みたいになっちゃうというか、
だから考えることって、
33:01
やっぱいいよねっていう、
話だったんですね。
一方で、
何が正しい考えかっていうのは、
わかんないんで、
一方でそういうふうな考え方も、
もしかしたらあるのかなっていうぐらいの、
想像の話ですね、今のは。
そこからすると、
僕はやっぱり、
人類としてなので、
この前ちょっとその、
インプッターの宴の時に、
善悪の話をちょっと最後投げて、
だと思うんですけど、
個人個人の価値観によるものかもしれないんですけど、
人類っていう主体に立った時に、
人類として、
何がいいか、
みたいなことを考えたら、
生存していくことっていうところは、
間違いなくあるわけで、
そうすると、
人類の全体的な、
主体としての、
良いこと、
みたいなことは言えるのかなと、
地球環境を守るだったり、
全体、
誰しも関係して、
誰しもにとって、
メリットみたいな言い方になりますけど、
あるっていうことだったら、
深井さんがおっしゃられてた、
社会的絶対善、
みたいな風なことを、
ツイートされてた時があったんですけど、
それの意味合いに近いのかな、
っていう風にはちょっと、
思ってて、
そうだとすると、
環境問題に対して、
何かフォーカスするっていうのは、
社会的絶対善、
みたいなことになると、
良い悪いの話になるじゃないですか、
ジャッジメントの。
わからない。
感じるんじゃないかと、
思ったら、
だから、
それが善か悪かとか、
感じない人とかもいるから、
とか思ったのは、
ちょっと違うかな。
僕が言いたかったのは、
そもそも、
地球環境問題にフォーカスするのも、
しないのも、
良いも悪いもないかな、
みたいな風に捉えてたんですよね。
ただ、人類っていう主体に立つと、
それは、
社会的に、
絶対善になり得るのかなと。
それは何で?
それは、
人間が生きていくために、
自然が絶対に必要だって、
人が分かったからってこと?
うん。
人が分かってるからですね。
みんなその認識はあって、
だからこそ、
社会的に絶対善みたいに言えちゃう。
そういう風な環境があるから、
そういう風にOSにインストールされると。
それがあると、
やっぱり、
善っていう言い方になるので、
そうじゃないのは悪、
みたいな感じになって、
ジャッジメントの話になってきちゃうなと。
そうなると、
伊豆田さんが、
違和感を感じられてたじゃないですか。
あれは、
そういう余裕がなくて、環境とか、
前提条件とかで、
36:01
余裕がなくて、
そういう状況にない、
環境の人だっているのに、
ちょっと多分、
違和感を感じられてて、
そういう人たちがいて、
なかなかそういうことの行動とか、
考えることもできない人たちがいる、
っていうことを、
気がかりに思われてたのは、
そういう人たちは、
じゃあ、
悪いのか?
みたいな話だと思うんですよ。
そうなった時に、
良い悪いはないかなと思ってたんですけど、
さっきの話、
社会的に善みたいな感じの、
OSがインストールされちゃってるがゆえに、
やっぱりそういうことを、
やるべきだ、
みたいなべき論だったり、
正義みたいなのが、
社会通念として、
あるから、
だから、
伊豆田さんも、
違和感を感じられたんじゃないかな、
って思うところと、
そういう人たちっていうのは、
難しい。
なんでつらいかっていうと、
社会的っていうのが、
気にかかるんだけど、
結局、人間が生きていくための環境を、
整えるためには、
生物として、
善であるってことだよね。
地球を痛めつけてはいけない、
ということの善だよね。
そうだね。
地球を痛めつけるっていうよりも、
人類が生物的に、
ずっと、
あり続けるっていうのが、
人類全体の、
社会的な、
メリットとしては、
捉えられるのかなと思って、
仮にですね。
仮にというか、
そういうふうに、
捉えてるから、
環境問題が、
絶対的に、
善っていう言い方も、
社会的にできそうだし、
そういう風潮があると、
環境的に、
それぞれの環境的に、
そういったところまで、
気が回せない、
人たちを、
結果、ジャッジメントしてしまう、
っていうことに、
ならないかなって思って、
ならないかなというか、
なる場合があるなというか、
人としてね。
でも、そこで私がすごく違和感あるのは、
結局人間中心で、
いるわけなんだけど、
私ね、最近やっぱりいろいろ、
なんか考えてると、
私たちも自然の一部だと、
だから地球も一緒に、
壊れてしまうと。
地球も壊れたら、
私たちも壊れるんだけどさ、
定物だから。だけどさ、
それがさ、
それが善だと考え、
善としましょうと。
時間がなくて、
そこの考えに
行き着かない人たちが、
なんとなく、
肩身の狭い思いをしているのは、
39:01
誰かにジャッジメントされるっていうこともあるんだけれども、
本人自身が、
やっぱりさっきの、
美しい考え方に戻るけど、
美しい考え方をチョイスできる、
環境にないからだと思うのよ。
美しい考え方をチョイスできない、
毎日を送ってしまうから、
食べ物とか、
例えば、
伊沢さんはペットボトルを使わない派なんだけど、
そういうことすら、アクションに
移せない人がいるわけじゃない時間がなくて、
間に合わせのことで
考える時間がないから。
それが、ご本人自身も、
多分、
定物的に言うと、
めちゃくちゃ後ろめたいんだと思うのよね。
だって本当は人間だから。
だから自尊心とかも、
上がっていかないのかなって、
上がってきちゃったんだけど。
それ自身がおっしゃったように、
そういう方がいらっしゃると、
その方のせいじゃないじゃないですか。
環境のせいなので。
そうなってくると、
そこの環境のせいなのに、
っていうので、伊沢さんが多分、
違和感を感じられてたと思うんですね。
環境のせいなのに、
善悪みたいなところで、
自分でジャッジメントしてしまうと、
どんどん負のスパイラルが入っちゃうし、
社会的にも、
そういう人たちに対して、
悪の楽園を押すような結果になるじゃないですか。
ただ、そういう状況を理解してる人は、
そういうふうに、
その人たちを責めたりしないというか、
悪みたいな言い回しをしないとは思うんですけど、
そこが下手すると、
そういうふうに、
悪いみたいな感じになってしまう。
それは、やっぱり人間が、
人間として生きながら得るっていう、
生物的な絶対的な善として、
社会的にある。
人間がエゴイストだから、
がゆえにですね、
どうしても構造的に、
そういうふうになりがち。
だから、すごく切ないなぁと思った。
切ないよね。
悪い循環なんだよ。
本当にね。
私、本当にだから、悪い循環なんだよなぁって。
自分だけね、
いつも思ってたのはね、
美味しいものを食べさせてもらってる時に、
この半分を、
どうにかすることはできないだろうか。
こんな私は満腹にならなくてもいいのに。
って思った瞬間とかがあってね。
何とか、
たまには食べたいよ。
でも、
別にこれをね、
都合に敵わないかなって思って、
ずっとそれをモンモンとしてたんだけど、
だから今は、
いろんな人にそういうことを
考えてもらえるような、
きっかけを作ってもらうことが、
まずは大切かなって思ってて、
大した力じゃないんだけど、
少しずつね。
私だけがジャナギっていうのがわかったから、
42:01
今ね、特に日本とかもそうだけど、
世界中でいろんな人がそういうことを、
大きな動きをし始めてるから、
それでね、
私たちがそうやってさ、
いろいろ考えてわからないことを、
突き詰めていくことによってさ、
なんかさ、
さっきのウロウロ有さんじゃなくて、
なんだっけ、
最後には一本の道になるみたいなさ、
それの中のさ、
超ちっちゃいけど、
アクションに投げたいんじゃないかと。
自己組織化がですね、
今自己組織化しだしてるからですね。
そう思わない?
それのさ、やっぱ私たちが、
誰かが始めないとさ、
もう始めてる人いるからさ、
いっぱいさ、大きい力でさ。
だから私たちはできることをやれば
いいんじゃないかと思うよ。
今日はこれが、
先週それでみんなとね、
しゅーちゃんの
インプッターの回でいろいろみんなの
意見も聞けたし。
そこが動き出してるんで、
それがこう、
週にこう、
指数関数的にですね、
伸びていけばですね。
デレクシバーズのTEDとか
見たことあります?
社会運動はどうやって起こすかって。
画面共有します?
デレクシバーズ。
社会学者じゃない。
経済学者。
これ見えます?
あ、見える。
これ、
一人、
二人がこう、
入ったら、
こう、だんだんこう。
ここの話の
大きなところは、
一番最初のフォロワーが
すごく大事なんですよね。
で、
フォロワーが
一番最初のフォロワーが
一番最初のフォロワーが
すごく大事っていう話では
あるんですけど、
結局これから
こう、
植え始める。
そうだよね。
これが臨界点を超えればですね、
どんどん入っていく。
そしたらもう、
マジョリティがマイノリティに
一気に転換するじゃないですか。
うん、そうだね。
だから、それが
早く来ればですね。
うん。
じゃあさ、やっぱりさ、
あれじゃない?
初めにさ、
しゅーちゃんがやり始めた時にやっぱり
あそこにしょうまさんがいてくれたのって
本当に大きかったね。
まあ、外から見るとさ、
そうだと思うよ、だって。
だって、
しゅーちゃんとはそんな話したことがなかったけど、
ほら、しょうまさんとはいろいろさ、
なんか話してたっていう感じがあったから、
やっぱりさ、
しょうまさんが言うなら、
45:01
なんかしゅーちゃんは面白いこと言ってんだろうなっていうか、
そういう興味があったもんね、実際。
そういうもんじゃない?やっぱり。
それで周りだって、
ほら、
いろいろ入ってきて、
お話に入って対談したりとか、
それで今のね、
ファーストジェネレーションフォロワー、
違う、間違えた。
フォロワーじゃなくて、
インプッターはね、
しゅーちゃんの場合はね、
そういうことで、
社会運動はだんだん広がっていくんだよね、きっとね。
影響度合いがですね、
どこで臨界点を迎えるのかっていうのは、
もうさんがおっしゃってたように、
いろんなところで
起き始めてるっていうことなんでですね、
どこで迎えられるかっていうのが、
やっぱりキーなんだろうな、
とは思いながら。
そうだね。
それがね、私もやっぱり、
自分で一人でなんて絶対無理じゃない?
自分の中でぼんやりさ、
思ってたんだよね、
多分長い間、
貧困の人がいて、
この世界はどうなるんだろう、
とかってずっと、
もやもやしてたんだよね、多分。
だけど、それがやっぱり、
こんな人もこうやってやってる、
やっぱりリベラルアートっていうか、
いろんなことを勉強していくと、
励みにもなるしね、
だからみんな勉強した人から、
アクションを起こしていけばいいんだな、
と思ったりとか、
するんだよね。
はい、長尺でしたけど、
ここまでお聞きいただいた方、
本当にありがとうございます。
これからね、
この後も、
ずいぶん1時間ぐらい話したかもしれないんですけど、
そちらもまたね、
今度、
配信できたら、
配信しようかなとも思っています。
しょうまさんからもね、
ご感想いただいてね、
やっぱり雑談いいですねって、
考えていたことのね、
原稿化の精度が上がったり、
新しい発想が出てきたり、
やっぱり感情についてもっと深掘りたいな、
というのと、
BI、
この辺をね、
細かく原稿化したくなりました、
ということですね。
人生にしても、
何にしてもね、
シンプルな法則で、
うまくいくんだろうなと思いました、
という感想をいただいて、
これ感想、
話しちゃうよって言ってないんですけど、
やっぱりね、私も本当に、
話すっていうことで、
自分の感覚とかがまとまることもあるので、
またね、いろんな方と
話していきたいなっていうか、
思いますし、
しょうまさんとも、
次回も何かお話できたらと思います。
本当にありがとうございました。
じゃ、またね。
48:00

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