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おはようございます。バスエの精神科イギブラでございます。
今日は時間がないので、ちょこっとだけやりましょう。
えっとね、しゃべらなきゃいけないなと思ってたのはですね、
えっと確かね、フーさんからね、あ、間違えた。
えっとフーさんからね、えっと、言われた。
僕が何気なし言ったらどっかで言ったような気がするんですけど、書いたのかな。
あの、躁うつ病と双極性障害は違いますからねっていう話の、
ちょっとね、そんなに面白くないかもわかりませんけどね、
何がどう違うかみたいな。
そんなには面白い話じゃないんだけど、
ちょっとした話の流れをしていかないとなと思いますけどね。
あんまり好きじゃない人いると思うけど、歴史の話からちょっとしますとね、
ざっくりね、僕もざっくりしか知らないんでね、言いますけどね。
まずね、精神科の病気で鬱とか相とかあるでしょ?
気持ちが言うでしょ?鬱だ、私鬱だとかね。
最近めっちゃみんな自分で鬱アピールしますけど、
とにかく鬱だって言うじゃない。
最近はみんなね、私は双極性障害ですって言うんだよね。
その診断が流行ってるからなんだけど、それはとにかく後でまた言うとして。
相とか鬱とか言うでしょ?
それはね、一番最初はね、一番最初かどうかわかんないんだけど、
紀元前5世紀くらいだってさっき調べたら書いてましたけど、
ヒポクラテスってヒポクラテスだったかな?
ヒポクラテスかな?
違うか、ヒポクラテスじゃねえか。
あれだ、ヒポクラテスかな?
4体液説っていうのがあって、その頃ね。
人間の病気は血液、黄色の単充、黄単充、黒い単充、
血液粘液だったかな?
あら、というのがあって、
その4つの体液のバランスで何か病気になるというような認識をされていて、
世の中でね。
黒い単充が多いと良くないと、多すぎると鬱になると。
気持ちが沈むというふうに一応想定をされてね。
これは単充が黄色か黒かそういうことじゃなくて、
心の気持ちの問題じゃなくて、体の病としての鬱があるということを、
当時ヒポクラテスだと思うんだけどの時代にあったということなんですね。
黒い単充という意味で、黒っていうのはメラ、前も何回も言った気がするけど、
メラネシアとか、メラニンシギソ、黒くなるやつね。
黒い皮膚が黒くなって黒くなっていく皮膚がメラノーマ。
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メラネシアもそうだよね。黒っぽい人が住んでいるメラネシアね。
メラっていうのは黒っていう意味ですよね。ラテン語かな。
メランコリー、コリーっていうのが単充のことなんで、
今でもコリー、コレア、ラパコレなんていう、
ラパロスコピーでやる丹能的手術のことをみんな略して、
ラパコレランって言ったりしますけど病院でね。
ラパコレがどうなのって言ったりするけど、ラパのコレですよねコレ。
メラのコレでベランコリーね。
メランコリーという概念がまずあったわけ。黒単充が多い。
相状態に関してはあまりはっきりしたのはなくて、
黄色い単充が多いとそうになるんじゃないかみたいな概念はあったみたいだけど、
はっきりと、メランコリーほどはっきり言われていなくて、
メランコリーの黒単充が多いだけじゃなくて、
冷たくなると、冷たいものなんだけどという風に想定されてみたいですけど、
これが何かの都合で熱くなるとマニーというか、
相状態というようなことでなるんじゃないかみたいな、
ふわっとした理解が起源泉からあって、
そこから、宇宙と相みたいなものが一つの感情の揺れみたいなのが理解される時代があったり、
これ何かちょっと違うんじゃないかなみたいな、
いろいろ時代ごとに変遷するわけですけど、
一緒だと違う、一緒だと違う、いろんな概念が出てくるわけです。
最終的に、最近ですね、僕らが今使われている概念が出てきた、
今言われている躁鬱病と躁極性障害の違いみたいなのが関係あるのは、
19世紀くらいに出てくる、クレペリンだとかその辺の有名な精神医学の人がいるんですけどね、
というところで、時間になりました。
メランコリーの話しかできませんでした。続きは後で。
続きですけどね、そんなことでね、
それがメランコリーという考え方があってね、
それが広がったり狭くなったりいろいろしているわけですけど、
ここのところ、19世紀くらいまで来まして、
僕らが今使っている概念は19世紀くらいの概念ですけど、
末とか20世紀、20世紀かな、だと思いますけどね、
そこから循環病という概念が出てきたんです。
循環病、気分が要するに相当打つみたいな、上がったり下がったりするでしょ。
気分をね、周期的に縦に上がったり下がったり、
上に上下と振るでしょ。上下と気分の波を振ってね、
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これを時間軸とともに右側に動かしてみてください。どうなります?
サインカーブになるわけよね。理系の人たちはわかるでしょ。
縦にボールペンを上下とさせているのの下の紙をさ、
左側にシューッとずらしていったらさ、
脳波みたいに左側にビャーッと紙をずらしたらさ、
あるいはボールペンを右にずらしたらさ、サインカーブになるじゃないですか。
このサインカーブになるということは、時は巡るというようなことで、
その紙を一方向に流すんじゃなくて、左右左右に振ったら円になるでしょ。
ボールペンを左右左右に振ったら円になるでしょ。わかります?
縦にこうやって振っている腕を左右左右に手を振る。
あるいは紙を左右左右に一番上のピークの時から、
とにかく左右左右に振ったら円になるじゃないですか。
そういうふうにぐるぐる回るでしょ。
回るってわかるかな?ちょっと絵で見せたいけどね。
だから回るから循環病ね。気分がぐるぐる上がったり下がったり回るってことで、
循環病という概念が出てきました。続きはまた後で。
続きを撮るタイミングがなくて、夜になりましたね。
先ほどまでの話は朝とってですね。ここからは夜ですね。暗くなっておりますね。
寒いですなぁ。信号は点滅しております。
車まで向かっておりますが、
ということで、先ちょっともう一回聞きました。循環病ね。
20世紀の頭ぐらいに循環病というね、上がったり下がったりするという、
気分が上がったり下がったりするというそういう病があるんじゃないかと、
誰だか忘れましたけど、誰かが言って、
それをクレペリンという有名な精神医学者が、
そういうのを全部まとめて、相鬱病という概念を作りました。
気分というのは上がったり下がったりするんだと。
鬱とかそういうことじゃないと、気分は上がったり下がったりする。
ここでまた一つの病気にまとめられたの。鬱と相がね。相と鬱は一つの病気だと。
マニーとMDI。Dは何かな。デプレッションだけど。
ドイツ語だよね。わかんないね。
MDIというのは相と鬱と病ということで。
英語かな。ドイツ語かな。
とにかく相鬱病という概念がクレペリンによってもたらされました。
それが20世紀の頭ぐらいね。
そこから僕たちはさらに時を経ると、
今度また鬱と相は、相と鬱とは同じ病気だったり違う病気だったり忙しいわけ。
20世紀に入ってから、やっぱり相鬱相鬱となる人だけじゃなくて、
ただただ鬱になる人がいるんじゃないのかと。
あれ?ないんじゃないかというふうなことになりまして、
相鬱相鬱じゃなくて、ただ鬱という人もいるんじゃないのかということになって、
この相鬱病から単極の鬱病というのが分離されていくわけ。
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相鬱病と鬱病と別の病気だねというのが一般的に20世紀はなってきたわけ。
そうすると鬱病と相鬱病の鬱病以外のものというふうになるわけ。
そうするとその時に残った相鬱病がその前にちょっと流行った循環病の要素を帯びてくるわけ。
ただ鬱病になる人とサインカーブみたいに上がったり下がったりを周期的に繰り返す相鬱病と、
いわゆるかつてでいうところの循環病と、そういうふうじゃないかというふうに概念が変わってきました。
ちょっと一回止めよう。
さあちょっとヤンキー座りをしていた犬グループの人たちが、
ムクドリがうるさいですね。
もう通り過ぎまして、ヤンキー犬は通り過ぎましたので続きをねいきましょうか。
ということで循環病としての相鬱病という概念があって、
相鬱病というふうに一つにまとめられて鬱も全部一緒になって、
いやいや鬱病というのは単極の鬱病というのは単極というのは鬱しかない、
層の極のない鬱病というのがあって、それと相鬱病というのは別でしょうということになったんですが、
分かれたときに、鬱病と相鬱病が最近この20世紀になってまた分かれた、また分かれたというね、
また分かれたとともに、相鬱病という言葉はそれまでフレペリンが作ったときは全部を含有する概念だったんだけれども、
単極のただ鬱病になるという別の病気、それは別の病気だということになった段階で、
かつての循環病というね、気分が上がったり下がったり周期的に、ただただ上がると下がるがあるじゃない、
周期的に上がったり下がったりする病気を相鬱病と呼ぶというふうに、
はい、戻ってきました。
相鬱病というのは循環病の要素を込みで相鬱病というようになったわけね。
それが20世紀ですね。僕が習った頃はそういうふうでした。相鬱病というのは上がったり下がったりを周期的にね、
周期的にこの周期性というのが加わったわけ。一定の周期によって上がったり下がったりするというものが相鬱病だと。
そうじゃない、ただ鬱のものは鬱病だと。それ以外の急にそうになっているみたいな病気があるとかないとか、みんなその辺は迷っていて、
それに関して急にそうになったりするやつで、ちょっとその幻覚妄想みたいなのが、ちょっと統合症、症患のあるやつを、
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ドイツのレオンハルト学派だとか、日本だと京都大学のミツタっていう先生の学派なんかは、
否定形精神病というような病名をつけてみたりした時期があります。最近はあまり言いません。東京大学系統の人は言いません、もともとね。
そういうふうにね、意見はもともと一致していなくてね、主流派、非主流派みたいなのが常にあるわけね。
メインの考え方はそういうふうに動いているわけね。メインの考え方はクレペリンの相鬱病というのが、
一旦一世を風靡しまして、そこから単極の鬱病というものが、相極に対してね、あるだろうというようなことになって、
残りの相鬱病は循環病の要素を色濃く残した、そういう分類になりました。
その後で、こういうそもそもの診断分類というものがね、結構ね、国によって違う問題が起きてきたんですよ。
どうだったかな。イギリスとアメリカで、ちょっとごめんなさいね。
歴史的な自律関係がもしかしたらちょっと違うかもわかりませんけども、
イギリスで同じ患者さんを、イギリスの精神科医は統合視聴症と付けたのに、
アメリカの先生が見ると相鬱病だったかな、逆だったかもわかりませんけど、みたいなことが割と問題になってきて、
診断のイメージみたいなものがバラバラなんですよ、国ごとにね。
今になって思えば、そもそも僕が思うには、精神病とか鬱病を含む精神科の病気というものが、
多分に文化に起因した気分的な問題であって、純粋な脳の病気とは言えないからこそ、
そういうことが起こると、僕としては今では思いますが、
その時というか、論争になった時は、まだ脳の病気としての精神病というのがしっかりあると思われていた、
そういう意見が強かった。統合視聴症、当時は精神分裂病、英語は一緒ですけどシゾフレイニー、
あるいはシゾフレイニアと言ったりしますけど、というものとか、デプレッションだとか鬱病だとか、
そういうのは割と脳の病気であろうと思われていた時代があって、
ということは世界中一緒じゃないとおかしいと、
国によって文化によって病気名が違うなんておかしいだろうってことに、
その当時はなったわけね。20世紀の後半から21世紀にかけて、
そういうことが問題になって、もっとこの病名をきちっと操作的に操作というのは、
人間の感情とか先生の趣向とか趣味とか抜きで、
誰がつけても同じ病名がつくようにというようなことで、
操作的診断というものが流行り始めて、それが21世紀が始まる頃かな。
その時に、操作的診断というのは症状で分類しましょうと。
前のもともとの性格だとか、ポスターだとか、そういうことを言い出すと、
本当にバラバラになっちゃうんで、
統合視聴書と操作的診断みたいな話が分かれちゃうんで、
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これじゃ話にならんので、フランスにしかない病気とか、
いろいろあったんですよ。韓国にしかないファビョンだとか、
火の病とか、国ごとに病名が違ったりする問題が、
まちまち問題が起こってきて、
その当時は国ごとに違っちゃおかしいだろうってことになって、
統一するものを作ろうという運動が流行りまして、
そういうふうに新しい分類を作ろうという中に、
躁鬱病というものが周期性があるみたいなことが、
意見がいろいろ分かれて、
躁鬱病という言葉だと周期性がイメージ的に入っちゃうので、
そうじゃなくて、相と鬱じゃなくて、
相極、バイポーラーディスソーダ、
ポーラーが2つあれば相極性障害というふうに出てきたのが、
歴史的に出てきたのが相極性障害という言葉。
なので相極性障害という言葉が表す病態の中には、
周期性というものは含まれないんですよ。
だからサインカーブみたいに気分が上がった上がった上がった上がった上がった上がった上がった上がった上がった上がった上がった、
下がってきた下がってきた下がってきた、
普通になったどんどん落ちてきたぞ、
ことよりも落ちてきたぞ。
ドントン落ちてきたぞもう動きたくない。
うごけない、死んでしまいたい。
死んでしまう力さえもない。
死んでしまう力さえもない。
自殺もできない。動けない。
ちょっと死んでしまいたいと思うような気持になった。
だんだん元気になってきた。
あれなんか普通になってきたぞ。
やったぞ普通なったぞ。
普通になったと思ったらちょっとなんか上がってきた。
楽しいぞ。
なんかやれるぞ。楽しいぞ。
ハッフーからのだんだんだんだん。
落ちてきたあれおかしいぞだんだん落ちてきたぞなんか打つかないや普通か普通かないや普通じゃないぞだんだん落ちてきた
だんだんもうなんか嫌になってきたしにたい死にたくなってきた死にたい気持ちさえも気持ちはあるんだが
死ぬパワーがなくなってきたチーン からの徐々にまた死んでしまいたいような気持ちが出てきたぞ
死んでしたい気持ち気持ちが出てきたけどあれなんかこれ普通か普通だ普通じゃないか普通行き過ぎてるでも 楽しいぞなんかうまくいくぞ
やったぞあれ何々何回そんなことよりもどんどんがふわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁになるというかねえっとこの
この周期性今の周期性ねというこういう周期性があるのがもともとの相打つ病の概念に 入っていた
がえっと今回送局性障害という21世紀の診断分類にはそういうふうになってもいいけど 例えばあの例えば今日も打つ明日も沿ったら中今日は今日気分が良いと思ったらまた
今日は悪いあるいは数時間ごとに気分が上がったり下がったり なんか嫌なことがあったらうわーっと落ち込んだと思ったらなんかポンと焦るで元気
今日も元気と思ったらなんかちょっとなんかなんかのきっかけでああ もう死んでしまいたい急にみたいな急に上がる急に下がるみたいなものもこれ
すっあの荘のポーラーとうつのポーラーがあるから3日のうち急に1日だけなんかそうだと思ったら また残りの次の1週間はうつでしたみたいなこういうのも早急性
障害が入るんですよ ところがこれは早うつ病じゃないのはそう
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えっとかつてのクレペリンの早うつ病にも全部入っちゃうから まあ入っちゃうかもしれませんがただそのえっとそう
クレペリンの早うつ病もダイヤそう打つそう打つ病も多分にその前の循環病の要素を 引っ張っている概念だと思うので
とにかく僕らが主に使っていた20世紀の早急性障害が出てくる前の早うつ病という 言葉にはえっと
周期性の概念が入ってたんですなのでそれだけが早うつ病だったわけで今度 早急性障害になったらそれは入らなくて
周りと激しいのが1型でそうでないのが2型みたいなそういう子ちょっと勢いの強さ みたいなやつで分類されたので
かつての早うつ病は大抵1型に入ると思うんですけど えっとかつての早うつ病でも1型に入らんやつもあるだろうし人によっては
ということで 早急性障害というのがはすっごく広い概念で早うつ病のほとんどが有してしかもです
面白いことにね症状によってはね早うつ病の一部はね早急性障害に入らないと思うんだ よね
静アフェクティブリスオーダーねえし統合失調感情障害みたいなところにね 結構典型的でひどいそううつ病というふうに診断されていた人は現在だと早急性障害に
当てはまらないんじゃないかと思いますねえっと際のピークのところで精神病っぽく 錯乱したりするようなタイプの人がいるんでそういうタイプの人は静アフェクティブに
入れられることがバイポーラー1には入らない バイポーラー1というのは早急性障害の一型のことですけどね
バイポーラー2にも入らない静アフェクティブ統合して感情障害にその今の分類だったら 入るんじゃないかなというふうに思いますけどてなことでね
最大の違いは早急性障害とあの早うつ病の最大の違いは 早うつ病というのは
周期性の概念を強く 含む概念でで早うつ病の治療っていう時にあのムードスタービライザーと言われる気分
安定薬がまあ効くというふうにされたんだが 早急性障害にその薬が効くかどうかは花々疑問なんですよだから早急性障害の一部に
かつての早うつ病の薬が効くんですよそれをねえっと 例えばねえっと九州のねなんだっけなえっと
神田橋先生ってちょっとなんかオカルト的で面白い先生がいるんですが神田橋先生 なんかはうまいことをおっしゃっていてえっとまあ早うつ病の中でも特に飲み屋さんで
あったら楽しいだろうなこの人ってもしね 酔っ払ってて楽しそうに酔っ払うタイプのね人にはリチウムが効くよねみたいなことを
おっしゃってなるほどみたいなちょっとうならせられること結構あるわけですけど そういうスーパードクターみたいな人がちょっと謎ドクターみたいなほとんどオカルトの人みたいなのが
いるんですがね天才超天才ドクターみたいながいるわけです まあその人にはそういうのはねとかねえってなことでね
早うつ病というのはねあのかなり狭いちょっと概念で早うつ病だととかそのかつての あの病名だと今取り逃す人たちがいて
おそらく僕が思っているのはえっと早う曲性障害と今言われている人たちのほとんど 発達をがと思いますけど現実には
自閉症スペクトラムだと思いますねあと adhd だと診断されている人のほとんど目 asd の要素が強いんでまあ合併例が
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asd asd っていうのはあのあんまりこうあの自閉症犬っていうのあんまりこう診断が ちょっとあのされてないかなぁと僕なんかは思って adhd が過剰診断で
ねそのうちに最近は adhd の と言われている人たちのほとんどがあの
かつてだったら自閉症スペクトラムと言われたようなちょっと概念が動いてるなぁと思います けど純粋な adhd というの実はないのかもしれないってなことをね最近思いますが
てなことでねちょっとまとめましょう今日はね 非常に難しいややこしい話になってしまったかもわかりませんが
最後簡単に一言まとめるとえっと早うつ病というのは多分に循環の要素を含む概念 上がったり下がったりが周期的に来るというのを言葉の中に含有しているわけ一方
層極性障害というのはもっと雑多なものを指していてただ上がっ下がったじゃなくて あが上がったと下がったがありさえすれば層極性障害と呼んでよしということなんで層極性
障害はすごく広い えっとそううつ病とはまた全然数が違う
そううつ病の数に比べて何十倍もあると思います層極性障害なので全然同じもの じゃないんです
だからえっと言えばですね鳥という言葉と鳥と飛ぶものみたいなね 飛行機もあればあの
なんていうのかな
コウモリだって飛ぶみたいなね鳥じゃなくても飛ぶものは全部 なんか区別がつかんからも飛ぶもの病みたいな風にしたみたいなね
あるいはリンゴというのが例えばそううつ病の概念だとすると赤い果物みたいなのが 層極性障害ねそううつ病がリンゴだすると層極性障害は赤い果物だとすると何が
起こるかというと青リンゴはあの赤い果物に入らないわけ なのでリンゴ大半のリンゴはえっと赤リンゴ赤い果物病に今までの移行できるけども
なんと青リンゴはリンゴであるにもかかわらず えっと赤い果物には分類されないし代わりイチゴやらプラムやらも全部赤いリンゴに入っちゃう
みたいなことが起こっていて今は減少のその最終的な その外側のの見えているもので診断するようなね操作的診断っていうのがあの中心に
流行っているので層極性障害という割と漠然と雑なというかな ざっくりした病名に収まっておりますそれではね
まあちょっとそういうことですよねということで一旦まあわかんないか 以下はいさようなり