実の父親について
はい、くじもぐらのひとみです。つばさ通信教育という小学校受験の経営をしたり、くじもぐらというユニットで音楽したり絵を描いたりしております。
えっと4月になりましたけれども、4月はね実は記念日が2つあります。
一つは結婚記念日なんですね。で、もう一つはですね、えっと父親の誕生日なんですが、今日はその話をしようかと思ってます。
で、このお父さんなんですけど、んーと実は本当のお父さんではなくって、
って言うと、あ、なんか再婚したのかなーとか思うかもしれないんですけど、もっと話がややこしいんですよね。
で、あのただ、まあすごくいろんな人に私は支えられているのかなーっていう話でもあります。
はい、えっとですね、まあ実の父親ですね、の話をするともうとんでもなくね、破天荒な人でしたね。
まあ知ったっていうのは、まあ亡くなっているからなんですけれど、本当にね、あの、まあなんていうのか、例えばアロアナとか飼ってたんですよね。
そう、アロアナ飼ってて、中庭にね。で、アロアナなのになんかピーちゃんとか可愛い名前とかあって、もうとにかく趣味がすごいたくさんあって、まあそれをね、私はなんか受け継いでるんだろうなーって思うんですけど、
当時、あのマッキントッシュですよね、マックちゃん。で、マッキントッシュが本当になんか初期のやつじゃないですか、あれ。
で、あの、実は私の小さい頃には地下室があったんですよね。ちょっと変わった家だったんですよ。で、地下室があって、そこがお父さんの部屋なんですけど、そのマックを何台も置いてるんですよ。
まあそれはそれは母親怒ってましたよ。もうすんごいお金をつぎ込んでるからね。でね、忘れもしないのが、そこでね、あの、チャットをやりだしたんですよ。
で、当時、私の小さい頃なんか、チャットって誰もやってない。そう、で、あのね、多分ね、パソコンがある家っていうのも珍しいんじゃないかなって思うんですよ。
で、そのチャットっていうのは、その、電話線につなぐんですよね。そう、インターネットっていうものがあったの?ない?なかったと思う。
で、なんか電話線につないで、で、なんかピピピピガガガガみたいな鳴りながらピーガラガラとか言いながら、で、なんかやってるんですよ。
で、覚えてるんですよ。そのね、名前はハンドルネームなんですけど、ハンドルネームは脳のハゲっていうんですよね、お父さんの。で、脳のハゲとなんかやりとりしてて、みんながね。
で、あの、オフ会とかにもね、あの、当時行ったりとかしてました。でも、ものすごいお金つぎ込むわけですよ。でもあるときは写真にハマりましてね、ものすごい数減増して。
お父さんとのメールのやり取り
で、あるときは小説。これも実はね、あの、写真もそうなんですけど、ちょっといいとこ行くんですよ。あの、ちょっとなんかこう、対象じゃないんですよね。でもなんかちょっと引っかかるんですよ。で、あの、小説もそう。夜中にね、自分の小説読んで泣いてるんですよ。
ものすごい量ありましたよ。で、あの、やっぱりちょっとだけ引っかかるんですよ。で、この辺なんか私と似てるなと思って、なんかドーンっていかないんだけど、なんか素人よりはちょっとできるみたいな、ちょっとだけ器用な人みたいなね。
あーなんかこれ似てるなーって。熱帯魚にはまって、熱帯魚はあるときね、あの、お父さんは、私ちょっと、あの、離婚してお父さんが、お父さんとお母さんが離婚してお父さん一人になったときに、まああの、周りはね、親戚がすごいこうありがたいことに裕福な親戚が多くてですよ。
あの、何でも助けてくださるんですよね、当時。で、あの、ビルの一室を三十何畳かな借りて、で、そこにですよ、海水を入れた、ものすごい大きな水槽を入れたもんだから、床がへこんで、なんか怒られたらしいんですけど、海水入れて私見に行ったんですけど、びっくりしてもう、サンゴが、もうどっ、えー?
これなん、なんなのこれ?みたいな。で、なんか結構綺麗な金魚が、金魚じゃないよね。な、何がいるんだろうあれなんか、わかんないけど、あの、ま熱帯魚ですよ。で、サンゴはなんか育て方が難しいらしくてね。で、あの、電気消したらすごいあの水族館みたいになるんですよ。めちゃくちゃでっかいですよ、その水槽。
本当に。で、あの、その水槽の周りにはNゲージってあの電車が走ってるんですよね。Nゲージで言うと私ね、小さい頃ね、あの妹と二段ベッドで寝てたんですけど、朝起きたら下のベッドがないんですよ。
妹はどこにいたのか当時は覚えてないんですけど、下のベッド全部があのNゲージのジオラマに変わってたんですよね。っていうようなこともありましたね。まあそれはそれはヘリコプターのなんか飛ばしたりとかね、なんかいろいろやりましたよ。
それでね、ごめんなさい、ちょっと父親の話をするとものすごい長くなるんだけど、まあそんな破天荒な父親と。えっと、まあ父親がまあ離婚しまして、ちょっといざこざがあってね、8年ぐらい連絡取らなかったんですよ。
でね、さすがにね、なんかちょっと8年なあと思って、私ちょっと悩んでたこともあったんですよね。なんかね、ふとね、お父さんと連絡取ろうかなと思って。でなんか妹にちょっと言うと、そんな連絡取らないとか言ってたんですよね。でもね、いつ死ぬかわかんないじゃないみたいな話をしてたのね。
でもなんか連絡取るって決めたらもう一直線で。電話したらね、あの今なんかね携帯電話がね、なんか聞き取りづらいんですよ。で、どこにいるのって言ったら、なんか雪山にいるって言うんですよね。
は?って言って、え、なになに?雪山ってなに?みたいな。なんか雪山登山なるもの、なんかどの時点かで始めたらしくて。えー?と思って、そうなんだって言って。で、そっからメールのやり取りしてて。で、まあ1週間か2週間ぐらいなんかメールのやり取りしてて、ちょっとなんか会わないって言われたんですよね。
私も悩んでることがあるからって言ったら、じゃあ会った時に答え、もうねお話しするよって言われて、あ、そう?って言って。それでね、雪山で遭難したんですよ。だから私そのね、お父さんだったらどういう答え言うかなっていうのはまだ聞けてないわけですよ。でね、まあそれがね、私の父親なんですが、その後ね、まあ大変でしたよ、雪山の捜索。
もうそれはそれはもうニュースには流れるし、でなんかあのそういう時有志の方がね、助けに行こうとするから、やめてねって、もういいと言ってるんですけどね。
でもその言ったね、その私のその親戚っていうのはなんかとんでもなく裕福なんですよ。でなんかね、あの民間のヘリっていうかなんか自分のヘリをいっぱい飛ばすんですよ。で助けに、助けにっていうかもう見つけに行くっていう感じですけど。
まあそんなこともあって、でも見つからなくって。で雪どけにまあ見つかったということで、まあ見つかったのも奇跡らしいんですけれどもね。まあまあそんなのがあって。でですよ、こっからですよ。
あのある方から一人連絡が入りまして、あのねって言われて、実はあなたのお父さんから娘をよろしくと言われたと。おいおいまた何を言ってるんだと。
初めてのお父さんとの出会い
まああのね、生きてる時から結構そういうお騒がせだったんだけど、亡くなってからもまだあるのだなと思ってね。えー何ですかって言って、なんかあのヤマレコっていうね、あの山登る人のなんかそういうブログがあるみたいで、私もその時当時初めて見て、ちょっとぶっ飛んでるんですよ父親。
あまりにぶっ飛びすぎてるから、ちょっとなんか敬遠されてるっていうか、そういうところもあるんですよね。なんか雪山をちょっと一人登ってみたりとか、まあそれはダメだわと思ってるんだけど、なんかそこでやり取りした人に何かあったら娘をよろしくって言ったらしいんですよね。
でね、その方も本当に律儀で、であのそこからですよ、その新しいお父さんとの出会いは。ね、だからお父さんって何も関係ないでしょ。そう、そうなんだけど本当によくしてくださって、でなんか本当の娘みたいに接してくださるんですよ。私たち家族のことを。
なんか本当に、あのなんていうのかな、父の日とかこう送るじゃないですか。私送ってるんですよね。いつもあのありがとうっていうことで。そしたらフェイスブックとかに娘から届きましたって書いてるから、あ、なんかそういうあれ?そういう感じなの?とか思って、まあいいかと思って、お父さんありがとうみたいなそういう感じのノリなのかなって思ってたんですよね。
で、あの何回かお会いして、でその方はあの結構こうなんていうのかな、ライブ、プロの方のライブ、まあプロっていうか駆け出しの方のライブに行ったりとか演劇に行ったりするのが好きで。でこっち来たときに演劇があるからあの行こうよみたいな、演劇じゃないわライブ。
で、そこで知り合いの人が出てるからって言って、ああそうなんですか、じゃあ行きましょうってことで来てくださったんだけど、あのちょっとお願いがあるんだけどと。あの本当の娘だと言ってると。ちょっと待て待てと。本当?って思って、ああそうなんですかと。
で、私の母親も一緒に行くから、この母親どうしましょうって言ったら、じゃあこっちは別れた女房ということで。ちょっと待ってこれなんだと思って。でまあ一応行ったんですよ。行って、でなんか、まあそのなんていうの、あのその方の知り合いの方が来られたときに私も仕方ないですよ。
あの娘です、母みたいな感じで笑って、あの母ですみたいな。で、その一人の方を囲んで喋るとね、やっぱボロが出るんですよ。私もヒヤヒヤして、だいたいね私お父さんにそのね、あの敬語喋ってる時点でおかしいと思わないのかなとか思いながらいたんだけど、なんか出身地の話になって。
で私、あのその方関東の方なのね。でだいたいもう言葉も全然違う。であの、私あの生まれが藤寺なんですとか言っちゃったのよ。大阪なんですって言ったら、え?あれ?なんかあれじゃなかった?横浜じゃなかった?ああまあまあまあまあみたいなね。残りちょっとまあまあで。まあまあでいいんだみたいな。なんかこれなんだっていう感じでね、実は今もいるんです。
なんじゃそれって。でね、まあ私もいろいろ考えたんですよ。なんでかなって。なんかわからない。聞いてないけどね。あの、まあ娘さんと、昔はまあ尖ってたみたいで結構。なんか娘さんとちょっと連絡取りにくい感じなんですよね。多分私と同じぐらいの娘さんがいて。でなんか、なんていうのかな。わからないよこれは。もう推測でしかないんだけど。
なんかね、そういう気持ちになっちゃって。そう、だったらなんか、まあ演じてもいいのかなっていうふうには思ってるんですよね。でも本当にあのすごく優しくてね。まあいつも接してくださってるのでありがたいってね思ってるんですけれども。なんか本当の娘さんにもちょっと申し訳ないなっていう気持ちもね、どこかありながらね。
いるわけですよね。そう、なんかいろいろあったんだろうなって思いました。
まあね、あの、私は一つ思うのは、あんまりこう血のつながりとか関係ないのかなって思ってね。昔万引家族っていう映画を見たときにね、すごい思いましたよ。
本当の家族じゃない全員ね。そう、血がつながってない家族っていうか一緒にいるっていう。でもなんか人間ってね、そうそうこう軽いものじゃなくて、あのもっと深いもので、縁っていうのはつながってるのかなってね。そんなふうに思ったという話でした。
もうすぐお誕生日なので、何か娘として贈り物をしようかなって思ってる日々です。はい、ということで今日はお父さん、第二のお父さんの話でした。ということでまた遊びに来てくださいね。