2024-02-02 11:26

お金がお金でなくなった日。

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今日は、お金がお金の形でなくなった日でした。本日はエッセイ。一緒に考えていきましょう。

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はい、人生に心地よさを。シンギングボウルで聴く。エッセイ&物語。語り手は、くじもぐらひとみです。
つばさ通信教育という小学校受験の会社を経営したり、教材を作ったり、絵画を教えたり、また、くじもぐらというドラマとキーボードのユニットで、作詞作曲をして、歌を歌ったりしております。絵も描いております。
今日はですね、いろいろありました。お金について、すごく考えた日でもあったし、ちょうど今ね、私、サインガタカさんというところで弾き語りライブを終えて、今夜の11時17分なんですけども、帰ってきて撮影をしております。
撮影終わったら、ちょっと仕事が残ってまして、仕事をして、そして、まだやることあるんだよな、ネットフリックスを見て寝るというね、はい、もうそんな日々ですけれども、もう本当にね、もういつも言ってるんですけども、このね、ありがとう感謝の気持ちをね、忘れずに、こんだけ好きなことばっかりしてるって本当にありがたい環境だなぁと思っている日々なんですけども、
今日は、今お話しした中でお金の話なんですよ。今日エッセイです。お金がお金じゃなくなった日という話で、エッセイ、まあエッセイ、今日あった話ですね。お話しさせていただきたいと思います。ではあとがきでお会いしましょう。
今日10万円を印刷屋さんに払った。会社で教材を印刷していただいているいつもの印刷屋さんだ。しかし本当の印刷代金は2万円。だけど私はあえて10万円を支払った。
しかしある日、その印刷屋さんの経営者がB氏になった。サービスはあまり変わらず、私はそこで継続して印刷をお願いした。そして事件は起こった。
とかっこよく書くが、私の大ミスである。7万いくらかの印刷代を、前任のA氏に謝って振り込んでしまったのだ。
当時はまだ駆け出した頃で、私にとって7万は大金であった。日合わせを書いて伝えると、なんとA氏の口座は何かがあったらしく差し押さえされているとのこと。
当然A氏とも全く連絡は取れず、私は落胆した。 もちろん支払う覚悟であった。
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しかしB氏は言った。 「いえ、今回はもう構いません。
いつもご依頼いただいてますし、また引き続きよろしくお願いします。」と。
驚いた。そしてこう伝えた。いつか必ずお返ししますと。 私はこの印刷屋さんにずっとお願いをして、
うちと共に成長することを誓った。 あれから10年、なんとなく気になっていたものの、タイミングが見つからずお返ししていなかったのだが、
会社もあれから法人化し、安定してきたのでお返しすることにした。 正確な金額がわからなかったので8万円を上乗せした。
私が支払わなければ、 何も請求してこなかったと思うこれからも。
でも、それではなんだか自分がよろしくない。 いよ決してきちんとお返しすることにして振り込みを終えた。
そしたら、支払いとともに心にあふれんばかりの感謝があふれた。
そうか。 私が持っていたものは、
8万円の借りたお金ではなく、 感謝だったのだと気づいた。
私は預かっていた愛をお返しした。
するとB氏は、そんな受け取れません。 これからも継続をお願いしたことをお約束していただいたのに、と言う。
私は改めて感謝の意を述べて受け取ってもらうことにした。
お金はありがとうの形にもなるのだと思う。
お金はただの紙切れであるが、 使う人やいただくときにその姿が変わっていく。
今までにこんなにありがとうがあふれた支払いがあっただろうか、 と考えた。
お金は自分や相手を縛ることもできる。 しかし私と印刷屋さんの間では、
そんな形のお金ではなく、温かいものだった。
お金に縛られなくなったとき、 見えてくる本当の価値があるかもしれない。
もしかしたら原始のお金はもっと愛だったのかも、 と考えた。
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そして私は携帯で投資した1万円の金額の変動を見て、
なんだか変なの? と、おもちゃを見ている気持ちになった。
はい、ということでアクト書きのコーナーですけれども、 本当にね、本当に心からそのこの印刷屋さんにはもう感謝しておりまして、
お金に縛られていない人、感謝の塊の人と言いますか、
もう本当に私はなんか素晴らしい人に出会えたなって、 ありがたくもね、思ったんですよ。
その時に本当に私と印刷屋さんの間では、 お金っていうそのいつも振り込んだり支払っているね、
その形じゃなくなって別の形を見せたんですよね。 信頼とか愛とかそういう。
なんだかすごいなって。 でも元々は本当はそうなんじゃないかなって思うんですよ。
お金ってね、なんかいろんな気持ちとか周りの人から見ても、 まあその形がいろいろに見えるんだなって思う時があって、例えば
震災とか起こった時に 多額の寄付をされる方とかに対して
偽善心じゃないのかとか偽善の心じゃないのかっていう方も いらっしゃる。
けれど、 私はそれで
なんだろう、その気持ちがどうであれ そのお金で救われる人がいるのであれば
そんなこと言わなくてもいいんじゃないかって思ったりするんですよ。 で何が言いたいかというと
その私と印刷屋さんの間で起こったこのお金の形ってね、 周りから見ても全然わかんないんだと思うんですよね。
その人たちの間で起こっていることなんですよ。 でその受け渡しをしている人しか見えない
なんだか世界があって。 だからさっきの震災の話もそうで
その人が偽善の心かどうかなんて 周りがジャッジするものでもなんでもないんですよ。
本当にそう思う。
だからなんかすごくこのお金っていうのは 形の変わるものなんだなって。
その周りの人も形を変えてしまう。嫉妬だったりとか執着だったりとか
だけど やっぱりそうなんだけど
お金っていうものに操られたくはないなって思うね。 最後にこの携帯で投資した1万円の金額ね
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これなんかね私あのペイペイのね ポイントが結構溜まっていて
そのポイントを投資することができるって そうなんだと思ってちらちら見てたんですよ。
いえいえ下がったとか上がったとか言ってたんですけど なんだか
このお金のやり取りをした後にそれを見ると なんかすごくこう
なんだろうなおもちゃ的なものに見えちゃったんですよね。 それはそれでね
まあその会社に投資してるので使っていただくっていうね ところがあるかもしれないけど私の中では全然そういう気持ちがなかったので
そういう形になったんだろうなって 例えば
この投資っていう例えばベンチャー企業に投資するとかっていうところを本当に心から応援 している方も絶対いらっしゃると思うし
あのそうなんだけど私のこの携帯の1枚は全然そんなそんな気持ちも何もなくて その気持ちが乗ったら形も変えていけるのかもしれないんだけど
ねそのお金ってすごいなっていうのをね今日は改めて思いました そしてなんか
そういう人になりたいなって思ったね 印刷屋さんみたいな人にね
まだまだまだまだだなって本当に思うんですよ なんかやっぱりね私思うんですよね
人を見るときに 肩書きなんて本当に関係なくてやった功績とかもなんかそんなんじゃなくて
人にありがとうって 感謝された数っていうのは
やっぱり人を作っていくなっていうかね温かいもの 温かいものを身にまとってるなというか
そういう人になりたいってね そんな風にまだまだだけどね今日は思わせていただきましたということで今日はねちょっとお金の話でした
はいということでシンキングボールでキック 癒しのエッセイまた明日遊びに来てくださいね
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