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やはり、自分がどう思われているのかというのは、どうしても気になるかと思います。私も気になります。やはり、視線が気になるというかですね、人の目が気になるというのは、どうしてもゼロにはならないというのが正直なところなんですが、
やはり、多くの人がそれで悩まれている方が多いんじゃないかな、多くの方は悩んでおられるんじゃないかなというふうに思います。そういった、私も含めて、そういった方の参考になるんじゃないかなという本がありまして、今ちょうど仕事の生き返り、1日数ページとかいう形で決めて読んでいるんですけれども、
それは、精神科医の富井先生のホドホド力という文庫版で出てますので、800円とか900円とか1000円出してお釣りが来るぐらいの安く買えるんですけれども、
それがですね、非常に印象に残った箇所がありましたので、ぜひ共有したいなと思いまして、今お話しさせていただきます。
結論から言うと、その本の中で、どうしても一生懸命になってしまう、ホドホドにできないという人のために、いろんなコツを富井先生が教えてくださっているんですけれども、
中でも他人塾、自分塾という考え方に触れられている箇所が中ホドにありまして、非常に印象に残りました。
富井先生が書かれているように、自分塾とか他人塾というのは、医学の専門用語ではないんだけれども、説明するのに方便として非常に使いやすい言葉なので使っていると先生も書いておられます。
自分塾というのは、自分がやりたいからこういうことをやります。自分が絵を描きたいから絵を描きます。自分がこの仕事をしたいからこの仕事をやります。これが自分塾ですよと。
一方、何かのコンテストに出して、絵をコンテストに出して入賞したい、賞をもらいたいから絵を描くんだとか、特にこの仕事好きじゃないんだけど、この仕事をすると出世できるからとか昇進できるから、高い評価をもらえるから、
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仕事をするんだと。そういうふうにしてやるのが他人塾の考え方だというふうに説明されています。
人の目が気になるとか、他人の評価が気になるという人は、いわゆる他人塾の生き方をしていると言えますよというふうに言っています。
でも、これは好きだと、自分がどうしてもやりたい、これはやるべきだと、自分がやることだと、これはやりたいと。そういうふうにやって仕事をしたりとか、例えばさっきの絵の例であれば別に入賞をするとかどうでもいいんだと、この絵を描きたいんだと。そうやってやるのが自分塾。そういう生き方だと書いています。
他人塾でもいいんじゃないかと、気になるけど。じゃあどうして自分塾じゃないと苦しいんだと。他人塾だと非常に苦しいということですね。
なぜならば、先生がおっしゃる、書かれている内容を要約すると、要は他人塾で生き続ける限り、自分の気分というか自分の気持ちというのがすべて他人によって左右されると。他人の機嫌とか他人の評価で左右されてしまうと。
そんな生き方をしないといけないというのが、一番他人塾の辛いところですよと。基本的になかなか褒められるとか評価されるということは滅多にありません。だからさらに今、辛いですと。
100%のうち本当のわずかの確率で評価されたとしても、嬉しい、楽しい、良かったと満足できるのは評価された一瞬だけですよと。その瞬間が終わったらまた他人を気にする生活が始まるんですよと。
そういう状態で、それでもまだ他人塾を続けますかと。そういうことですね。そういうニュアンスを先生は伝えておられると。
私はやはりこれを見て、先生の本を通勤時間に1日5分とか10分とか読むんですけれども、もちろん数日間でほとんど読み終わって、2回、3回と読んでるんですけれども、非常に印象に残った歌詞は何箇所かあるんですけれども、
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中でももう1つ挙げるとしたら、この自分塾と他人塾っていうところについて触れられた箇所が一番印象に残っています。
私の場合もやはり今までずっと他人塾だったかなというふうに生き方は、他人塾だったかなと思っています。
先生のおっしゃる通り、バチッと先生のご指摘が当たってるなというふうに思いました。
特にやはり他人塾だと、どうしてもその人にどう思われてるか、褒められたいとかですね、評価されたいということが先に来てしまいます。
これは私の場合は、まさに私は広角をされたという過去があるんですけれども、広角をされて、なおさらこの他人塾思考というのが無意識のうちに高まってしまって、
もちろん広角される前も他人塾、どっちかというと自分塾、他人塾というと他人塾だったんですけれども、今度は広角をされて、どういう心の変化が起こったかというと、
自分塾にならないといけないよっていうそういうアドバイスをしてくれる人とか、この富先生のほどほど力に書かれたような、そういう知恵をアドバイスしてくださる方が周りにいなかったものですから、
その直後、その後から広角をどうやって挽回するかというふうに言っちゃったんですね。本当にうよ曲折の迷路の中にどんどん入ってはまり込んでいく、沼にはまり込んでいくような感じになっていっちゃったんですけれども、
今言っても仕方がないんですけれども、その時、この富先生のほどほど力、この本、今年の2024年の4月に発売されている新刊なんですけれども、文庫本で出てますので、
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こんな良い本があったら、過去の広角されて苦しんでいる自分に買って読ませてあげたい、掘り投げて、過去に向かって今、掘り投げてあげたいというぐらい、非常に有益な本で、
私はその富先生がおっしゃるような自分軸っていう考え方ではなくて、さらに他人軸を突き詰めてしまって、どうやったら見返してやれるのかとか、どうやったら自分を認めてくれるのか、
広角されるような人間じゃない、自分はもっと認められるべき人間なんだっていうことを、どうやったらアピールできるのかっていう、他人軸をさらに試行するようなことをやってしまったので、
さらなる広角を克服するどころか、さらなる困難を自分で引き寄せるっていうようなことになってしまいました。
そういう気持ちがあるもんだから、私に話が入ってきて、こういう仕事どうだと聞いたときに、よしと膝を叩いてしまいまして、よし、これで、口では言ってないんですよ、口では言わないんだけど、澄ました顔をしながら、分かりましたって言って、今度は東京へ転勤っていう話が来るわけですね。
分かりました、私の力を何とか試したいみたいな、なんかそんなかっこいいこと言って、引き受けるわけですよね。やりますよって、心の中ではこう思ってるんですよね。
よし、これで見返す、広角をひっくり返すと、取り戻すと、昇格して、さらに上へ行けるチャンスが来たと思って、乗ってしまうわけですよね。
それをやってしまって、その結果がメンタルダウンして、会社に行けなくなる、東京で会社に行けなくなるっていうようなことに繋がるわけですけれども、まさに他人軸を突き詰めた結果がメンタルダウンであり、さらなる失敗のドツボ、沼へはまっていく悪魔のささやきというか、
悪魔のルートっていう、最悪のルートにもなるというのが、他人軸の恐ろしいことです。次回はその他人軸のいかに恐ろしいかというのを、私の経験を踏まえてお話したいと思います。本日はありがとうございました。