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どうも、コウブンです。
座禅をしたり、蓮を育てたり、野菜を作ったり、最近ではAI漫画にチャレンジしたりしています。
さて、本日は、昨日お話しした、思い通りにならないことの後編をお話ししたいと思います。
まずは昨日のおさらいなんですが、
私たちの日常の中で、思い通りにならないことってありますよね。
やっぱり思い通りにならないことの代表というと、身近な人が亡くなってしまうことなんじゃないかなというふうに思います。
そして、思い通りにならないことを何とか自分の思い通りにしたいという私たちの思いとか願いが叶わなかったときに、
つまり、自分にとって大切な人が亡くなってしまったときに、
私たちは悲しみとか怒りとかそういう苦しい感情が生まれてしまうんだというふうに、お釈迦様は気づかれたと言われております。
そして、よくよく考えたら、私たちの身の回りというのは、思い通りにならないことだらけである。
その思い通りにならないことだらけのことを仏教では四苦八苦という形で八つに分類しまして表現しました。
そして、昨日の放送では前半の四つ、生老病死というものをお話ししたんです。
生老病死というのは生まれること、老いること、病にかかること、死ぬこと、亡くなること、
これは人生において誰しもが通る道で、そして避けられないことである。
つまり思い通りにならないことを聞いては苦しみのもとであるということです。
本日の放送ではその残りの四苦八苦のうちの残りの後半ですね。
四苦八苦というのは八つの苦しみのことと言いますので、残りの後半というのは残りの四つという意味です。
まず後半の一つ目なんですけれども、愛別離苦という苦しみがあるというふうに仏教では教えております。
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愛別離苦というのはどういうことかと言いますと、どういう字を書くのかを説明したほうがいいかもしれないですね。
愛別離苦の愛は愛するとかの愛ですね。英語で言うとloveです。
別は別れる。離は離れる。苦は苦しい。
つまり愛する人と離れ別れることが苦しい。
愛する人と離れ別れることが思い通りにならないという意味なんですよね。
さっきもちょっと言いましたけれども、家族、友人、パートナー、そういった身近で大切な人が特に離れなければならない状況、
死であったり、あるいは家庭環境のトラブルであったり、さまざまな理由はあるかと思いますけれども、
何らかの理由によって離れなくてはならない。一緒にいたいのにどうしてもお別れをしなくてはならないということ。
これがとても苦しい思いをいたしますよね。
ですので、愛別離婚というものがまず入ってくるというわけです。
次の苦しみの部分なんですけれども、恩同益という苦しみがあります。
これはどういう字を書くかというと、恩という字は恩敵とか、
いわゆる恨むという意味ですね。
心の中で憎いという心を普通質を抱えているような状況、これを恨むと一般的には言うかと思うんですけれども、
その恨むという字に恩憎の憎は憎いという字ですね。憎むです。
憎むというのはどういうことかというと、心よく思っていないということですね。
心よく思っていないをさらに通り越して不快に思う。
自分にとって不快に思うことを憎むと言えるのかなと思います。
恩同益のえは、あうという字です。
そしてくは苦しみなので、恨みにくい人に会わなければならない苦しみというのが恩同益ですね。
必ず生きていれば私たちには、この世の中には様々な人がいますから、会わない人というのが必ずいるんですね。
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自分の考え方とは反りが合わない人。
だけども、そういった反りが合わない人がいるからといって、いつもその人から距離を受けるわけではないんですよね。
例えば学校とか教室に入ってしまえば、嫌いなあの人と1時間授業を受けなくてはならないなと。
もしかしたら、この嫌いなあの人がこちらを向いて何かどっかを出してくるかもしれない。
それでもその場にいなくてはならないという。
嫌いな人でも憎むべき人でも会わなければならない苦しみ、それを恩同益と言います。
その次の苦しみなんですが、不不得愚という苦しみがあります。
不不得愚、これはどういう字を書くかと言いますと、不不得愚の愚は求める。
不は不可能とか、否定する意味の不ですね。
得は得るという字です。
そして苦しみ、それを不不得愚というふうにお読みいたします。
これはどういう意味かと言いますと、欲しいものが手に入らないというような意味ですね。
欲しいものが手に入らない苦しみ、欲しいものが思い通りにならないというような意味合いでございます。
物質的なもの、あるいは精神的なものに限らず、私たちは様々な欲望というものを持っておりますが、
それが全て叶うわけではありません。
例えば、自分が好きになった人、恋をした人、
そういった人が、自分がどんなに素晴らしいアプローチをしたとしても、
どんなに自分の熱い気持ちを伝えたとしても、必ず振り向いてくれるわけではありませんよね。
いろんな要素があって、いろんな考え方があって、
その結果、残念ながら今回は難しいというふうに断れてしまった経験がある人も多いんじゃないでしょうか。
そういった様々な、私たちによって思い通りにならないこと、
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そういったことの失望であったりとか、あるいは不満であったり、そういったものが苦しみを生むというのがグフトックでございます。
近く最後の苦しみは、五運浄苦というものです。
この五運浄苦という苦しみ、
この五運浄苦という字を説明するのは少し難しいですので、そこは省かせていただきまして、五運浄苦の意味をお伝えしたいと思います。
これは、五運と呼ばれる体の感覚器官の盛り上がりによる苦しみを指します。
五運という言葉、これは私たちの肉体を構成する五つの要素のことを言うんですね。
それぞれが過剰になってしまうということで苦しみが生じるということなんですが、どういうことかと言いますと、
例えば、わかりやすく言うと痛みですかね。
やっぱり痛みというもの、これはもうわかりやすく苦しいですよね。
何かぶつけたときに、自分の想像よりも強くぶつかってしまったときに、その痛みたるや、もうじっとしてはいられないぐらい痛かったりすることがあるかと思います。
そういった痛みの部分であったり、あるいは精神的な苦しみですね、怒りというのも入ってくるのかなと思います。
自分の想像と違う態度であったり、言葉であったり、そういったものを自分に浴びせられたときに、怒りというもの、そういったものが感情が沸き上がってくると思います。
これはある程度だったらコントロールできると思うんです。
だけども、やっぱりある一線を越えると、人によってそのある一線というのは違うと思いますが、もうどうにもこうにも止まらない、そういった瞬間、誰しも経験しているかと思います。
感情が爆発するという、手がつけられないというようなことも人間というのはあるんですよね。
そのように感情も思い通りにすること、やっぱり難しいんです。
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そういった肉体的、精神的、そういった諸々を含めて、自分の体というもの、それをコントロールすることは難しい、思い通りにならない。
ということで、ごうんジョークというものが宿泊の最後の苦しみに入っているわけです。
以上が宿泊の後半の4つの説明です。
これらの苦しみというものは、私たちが日常生活の中で経験するものであり、避けられないものなんです。
しかし仏教の教えを通じて、これらの苦しみの理解と需要を深めること、そういうことをすることで心の平穏を保つことができる、
安らぎというものを持った生活を営むことができる、それが仏教の教えです。
どうか今日の放送を聞いて、皆さんの人生で苦しいことというのはこの世の中には確かにあるんだということを頭に入れていただいて、
そしてそれに対して受け入れる、そういった寛容の心というものを少しでも持っていただきたいなと、そのように思います。
では本日は思い通りにならないことの後編、宿泊の残りの4つのお話をさせていただきました。
ではでは、またね。