1. コウブン和尚の寺子屋ラジオ
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2024-11-11 15:35

#131 閻魔様と十王様のお話から考える、伝えることの大切さ

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📻 第四十九日法要から学ぶ、物語の力

大切な人に想いを伝えたい時、どうすれば良いでしょうか?

今回は、お寺の副住職である私が、先日参列した四十九日法要から感じた「物語で伝えることの大切さ」についてお話しします。

インドから始まり、中国を経て日本に伝わった四十九日法要の歴史や、その背後にある十王思想、そして現代を生きる私たちへのメッセージまで、分かりやすくお伝えします。

また冒頭では、11月23日(土)開催の音楽ワークショップ「おとさがし おとあそび」についてもご案内しています。

#お寺 #仏教 #四十九日 #供養 #コミュニケーション #物語 #伝える #人生 #生き方 #スタエフ #副住職の独り言
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おはようございます。コウブンです。 栃木県の片田舎にある
燃状院というお寺で副住職をしております。 本日は
お寺で行われるイベントの宣伝から始めたいと思います。 昨日の放送を聞いてくださった方はわかると思いますが
私が 宣伝をサボったために
お寺で行われるイベントの集客がね、まんまならない状態です。 なのでイベントが行われる日まで
放送する時は必ず最初にね
宣伝をしたいと思います。 もしね、ちょっとうざいと思った方は1分ほど先に進めてくださって結構です。
どんなイベントかと言いますと 11月23日土曜日に13時30分から15時30分まで約2時間行われるイベント
その名も音探し音遊び 音楽に関するワークショップのイベントです。
そのタイトルが示す通り 音を探す
いろんなものを組み合わせて音を探して、そしてそれで セッションをして
楽しむと言ったね、そういった音楽を楽しむ音を楽しむ ワークショップイベントでございます。もしご興味がある方は
概要欄の方に リンクを貼りますので、どうぞそちらから参加していただけば助かります。
では今日のお話のテーマなんですけども 人に伝える時に、人に何かを伝える時に
例え話で大切だよねという、そんな内容のお話をしたいなと思います。
今日ですね、昼間に私の
お坊さんの仲間が亡くなってから49日経ったということで 49日保養を、そのお坊さんのね
49日保養に行ってまいりました。 その49日に集まった
私の一緒に仕事をしている仲間たちであったりとか 知り合いのお坊さんであったり、あるいは地元の友達であったり
親族であったり、たくさんの人が集まってね
伴ってきたというかね、供養してきたというわけでございます。
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一般の方というかね、これを聞いている方
49日保養という名前はね、きっと聞いたことあるんですけども そもそも49日保養って
何だろうっていうところ あんまりね詳しく説明されることって少ないですよね
なんで49日なのかとか、49日ってどういう意味があるのとかね あんまり語ることって少ないかなぁって思うんです
調べれば、今インターネットね、調べれば色々出ると思うんですけども
なかなかね、自ら率先して調べるというのはね 少ないと思いますので
それについて語っていきたいとおもいます
まずね、49日保養、これはいつから始まったかというと インドの時代から始まったというふうにね
言われております。保養というよりか49日という考え方ですね どういうことかと言いますとインドでは
人が亡くなったら しばらく経って新しい命としてね
また生を受けるという考え方があります これを輪廻転生と言いますね
今ね、漫画で有名な 転生したらスライムだった件とか
そういうのありますけど、それの大元みたいなところですよね 自分が命を失って
そして次の何らかの生き物になって生き返るというね 生き返るというか生まれ変わる
まあこれは転生というわけですが その生まれ変わるまでの期間を
大体49日であるという考え方があったそうです 50日という説もありますね
ともかく50日ぐらい 49日とか多分そこまで細かくは決まってないんじゃないかなという気はしますが
確かなことは私も言えないので まあ一応49日はそこから来ているというふうに言われております
そしてそれがですね 中国に伝わって
中国にね 中国の文化ですね
儒教とかそういったものとミックスされた 仏教というのはミックスされたんですけれども
その中で柔王思想というものというのが混じったそうです 柔王というのは数字の柔に王で柔王ですね
柔人の王様が亡くなった方 生前どんなことがやってたかというのをね
チェックして裁判するという考え方があるんです これを柔王思想と呼びます
一番有名なのは閻魔大王ですね 閻魔様
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この閻魔様が柔王のうちの一人ですね ということは閻魔大王みたいな人があと9人いるんですね実は
そんなわけでそういう柔王思想というものもあって それも49日に大いに関係しております
そういったものが日本に伝わってという形ですね そしてあのなんで49日かというわけなんですけれども
7日ごとにね 黒曜するという考え方があります
というのはさっきも言った柔王思想 裁判を受けるわけですね生前行ってきたこと
その裁判を受けて
裁判でねどちらかというと
いろいろ柔王の方がね 生前行ってきたことをつらつらと読み上げるわけです そこに対して
亡くなった方 反論というかその弁護士がいるのかどうかちょっとわかりませんけども
その一人でねそういう場所に立ってたらつらいわけですよ やっぱりね応援してくれる人が欲しいというわけでその裁判の時に
きちんとねその裁判が 亡くなった人が不利にならないようにね
応援をするという まあそれをね追前供養とか
あの 中院供養とかいろんな呼び方がありますけどともかく7日ごとに開かれる
まああの7日ごとに裁判が開かれるんですがその7日ごとにね 供養したとでそれがね7回目
7749の7回目 49日に決着がつくんですね
はい でということであの49日応援というのはねとても大事な応援
亡くなってからその後どういうふうにあの どういう世界に行くのか
輪廻転生をどういう輪廻転生をするのかというのが決定される ということで49日というのは大事であるということなんですよね
はい でね
なんでそういう思想というものが広がったのかなっていうね そういったことを考えのって大事かなと思います
ここはねあの私個人の 考えではあるんですけども
あの 49日の間ね
まあだいたい 50日ですので
7週間 1ヶ月4週間としたら1ヶ月と3週間
ぐらいの間ね
というのはその供養を毎週しなさいというわけです そしてその供養しているその間はねできるだけ外部との接触を絶って
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家の中でね個人のことを思い知るんでくださいというふうに仏教では教えるわけです それの意味するところというのは
やっぱりね 身内の身近な大切な人がなくなってしまうとね
どうしても私たちというのは 動揺をするんですよね
程度の違いはあると思いますけれども 普通の精神状態じゃいられない部分というのはあるんですよね
で 特に距離が近ければ近いほど
ねあの 一緒に住んでいる人であったりとか
いつも一緒にいる人であったりとか そういう人がいなくなってしまうととても悲しいですよね
その悲しいと私たちはどうしても
動揺してしまうとねおかしい行動をとってしまいがちである 例えば
ちょっとイライラしたり なくなってなんで自分が置いてかれたんだみたいな形でね
心が乱れてイライラしてイライラした結果 要らぬ争いを生んでしまったりとか
あるいは お酒をね
飲んで忘れようということでお酒を飲みすぎてしまったりとか あるいは
まあ食事ですね 忘れるために爆食いして
腹いっぱいにして思考を停止されて忘れようとしたりとか ともかく普通じゃない行動をね
とってしまう可能性が高いということで
49日の間1ヶ月 まあ2ヶ月弱ですねの間はね
落ち着いてね あの
家の中でね なるべく立って変な行動を起こさないように
人間関係がね悪くならないように ということで大人しくしましょうという考えなんじゃないかなって私は思います
でそういうふうな49日の間ね 落ち着いて家の中で居ますようにとかあるいは
そういうなんでしょうね
倫理的にはねおかしいことをしないようにとかね そういうところを伝えるために
言葉でこうした方がいい ああした方がいいって言ってもねなかなか理解するのは
難しいですよねだから この物語でもって
こういうことがあるからこの時はこうしましょう
あの 先ほど言ったその銃を裁判でね
大切な人が 不利な判定を食らってそして
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例えばね生まれ変わる時にカエルになってしまうとかね トンボになってしまうとか
そういうのは嫌だなぁ せめて人間として生まれ変わってほしいなぁなんて思ってもね
それね変なあの不利な判定があった時に困りますよね だから応援してっていうねあの
そういう考え方そういう物語でもってね あの行動をね具体的な行動というものを
促すというねそういう役割があったんじゃないかなというふうにね 思うんですねそういういろんな説ができたというのは
つまりあの私たちは 何でしょう自分の人生をより良い方向にね
したいとかね思ったとしても頭でわかっていても なかなかねあの頭でわかっていてもというか言葉でねいろいろ聞いたところで
なかなかうまくできないんですよね きっとイメージするのは難しいからなのかもしれません
だから物語にして自分の中でね
想像してよりイメージしてそしてそれをね自分の行動に具現化していくというところ なんじゃないかなというふうに思うんです
これはあくまでも私の考えですので 仏教的にこれが正しい考えだというわけではありませんが
ともかく 仏教ではねいろんな形で教えというのをね
説いております お釈迦様もいろんな形で
いろんな人を導いていろんな 言葉を駆使してねいろんなたたえを駆使して
いろんな人を導いたわけですけどもというのは よりねあの教えてもいい
より良い人生を送ってほしいから少しでもね 理解して少しでも自分の中に落とし込んでほしいから
そういった形でいろんな形でね 出てきたのかなと思いますはい
ですのであの皆さんもねもし自分の思っていること 自分の考え
誰かに伝えたいことというものがね あるときはなるべくわかりやすくなるべくたとえてね
ねあの全然違うようにたたえちゃダメですよまあ多少はね あのもったりとかっていうのはあってもいいかもしれませんがね面白くするのも
いいかもしれませんが 大事なところは抑えつつ
それでいてねわかりやすく たとえるというのはね
とても大事かなと思いますどうぞね参考にしてみてください はいでは今日はね
49日法要ところから 感じた
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人に伝えるときに 物語たとえるというのは大切だよねというようなお話をさせていただきました
はい今日の話を聞いて
良いと思った方はどうぞ いいねの音マークを押していただければ私の励みとなりますどうぞよろしくお願い
いたします はいでは連常院副住職の公文でしたではではまたね
15:35

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