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おはようございます。コウブンです。
座禅をしたり、麻酔を育てたり、野菜を作ったり、最近ではアートギャラリーの企画をしたりしています。
本日はですね、お盆についてのお話をしたいと思います。
まもなくですね、お盆がやってきます。
皆さんは、お盆の時期というもの、日が決まっているんですけども、実はいつだか知ってますかね。
一応ですね、答えを言いますと、8月の13日から16日、お盆の時期なんですよね。
13日がお盆の入りで、迎え盆と言いますよね。
16日がお盆の送り盆ですね。
そのように言われています。
一部の地域では7月にお盆をやったりしますけども、一般的には8月が多いのかなということで、8月のお盆についてのお話です。
このお盆なんですけども、皆さんね、お盆に正式名称があるのって知ってますかね。
おそらくね、あんまりお寺に関わらない人、お寺に行ったりしない人は知らないと思うんですけども、
お盆の正式名称はですね、裏盆絵って言うんですね。
裏盆絵っていう言葉、おそらく初めて聞いたと思います。
どういう字を書くかっていうのを説明、いつも私するんですけど、ちょっと説明が難しいので、
裏盆絵で調べてみてください。
すいません、今日はそこは略します。
その裏盆絵なんですけども、これはいつから行われているかと言いますと、
お釈迦様がいた頃の時代から行われていたと言われておりますね。
もしかしたらもうちょっとそれよりも前から行っていたのかもしれませんけども、
一応裏盆絵の裏盆絵についての書かれた補強がありまして、
その中によりますとお釈迦様がいた頃から行われていた。
それより前はちょっと定かじゃないという部分があります。
ともかく約2500年ぐらいの歴史があるのがお盆。
やはり仏教の伝統行事がお盆というふうに言えるのかなと思います。
そんなお盆なんですけども、お盆といえば洗濯用ですよね。
インドの場合は洗濯用も行ってはいるんですが、
どちらかというとお坊さんたちに対してねぎらいの食事を提供することという意味合いのが強かったようですね。
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というのはインドは雨季と寒季がありまして、
雨季というのが5月から8月の間がだいたい雨季らしいんですよ。
旧歴なんで今でいうと7月の半ば当たり前ですね、7月の15日ぐらいまで。
4月から7月の15日ぐらいまでが現代だと雨季になるということで、
その雨季が明けたあたりにお坊さんたちに食事が振る舞われる儀式がある。
それが裏盆の原型だと言われております。
なんでその日あたりにお坊さんたちに食事が振る舞われたかと言いますと、
その雨季の時期というのは雨が多いから雨季なんですけども、
雨が多いのでその時期は洞窟で修行していたらしいんですね、昔のお坊さんは。
お寺というのがありませんでしたので洞窟みたいなところで雨をしのいでいた。
ということでその3ヶ月間は集中的な修行をしていたというふうに考えていたみたいですね。
なのでその集中的な修行が明けた時に値切らいの食事を施しています。
神社の方がお坊さんたちに対して値切らったというのが裏盆へという儀式だったそうです。
それが段々と歴史を経て専属用の方に変わっていたということなんですけども、
お坊さんに食事を施すのが専属用に変わった理由というのははっきりしたことは分かってはいないんですが、
私はちょっと聞いたことあるお話で、これはもしかしたらそうなのかなというのがあります。
それを紹介しますと、なのでこれは必ず正解ではありません。
私がそうだったらいいなとか、そういうふうにだとちょっと話の辻褄が合うかなというのはそういう考えのもとに語っているだけですので、
絶対正解ではないんですけども、というのはですね、仏教の考え方だとですね、
特に日本においては、亡くなってからは亡くなった方というのは仏様になるんだというような考え方があります。
なので今まで信者として食べ物を施していたという立場から、仏となって食べ物を施される立場になったというようなところから、
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お坊さんたちに対して行われていた施しが、だんだんとご先祖様たちにも範囲が広がっていったんですね。
ところから、どちらかというと先祖供養の方がメインになっていったんですね。
そんなふうに変わっていったんじゃないかなというふうに私は思っております。
そんなわけで、この先祖供養というものをずっとインドの頃からやっているわけですから、
やっぱり大事だと思っていたんですよね、私たちのご先祖様たちも。
なので、この先祖供養というものは何が大事なのか、何が大切なのかという部分を考えていきたいなと思います。
もちろんこれは明確な答えがあるわけではありません。
あくまでも私の意見なんですけれども、やっぱり何でもそうなんですが、受け止め方というものがあると思います。
伝統行事というのはいろんなものがありますけれども、その儀式に込められた意味というのは必ずあるわけなんですよね。
当然ながらお盆もそうでして、お盆に対してこれがこうこうだから先祖供養なんですよという説明はね、
基本的にはないんですよ。
王さんに聞いても、そこまで詳しく説明する人というのはおりませんし、どこかの資料に書かれていたということもないんですよね。
なので、自分でね、もしかしたらこうなのかなという考えというのはね、とても大事なことだと思います。
自分がどういうふうに受け止めるかというところですね。
これから説明するのはまた私の個人的な考え方です。
皆さんは皆さんでこれを聞いている方ですね。
お盆というのはもしかしたらこういう意味があるのかなって、昔の人はこういうことを考えてこういう先祖供養を行ったのかなってね、
想像して思いを馳せるというのでも結構だと思います。
ただ私の今から言うことに対して少しでも参考になればと思います。
私たち今現代に生きているわけではございますが、生きているということは必ず私たちには親の世代というのがいるんですよね。
いろんな事情があって、家庭の事情があってね、一緒に住んでるとか住んでないとか、仲良いとか悪いとかもしかしたらそういうことはあるかもしれませんが、
そういったことは抜きにして、事実として必ず生物としては親というものがいないと子供は生まれませんから、仮に人工受精だとしてもいるわけです。
クローンというもの以外は基本的には親がいる。
現代の医療技術の場合だと完全クローンというのは基本的にはできませんから、必ず親がいるというね。
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ちょっとエリクスをこねましたけども、ともかく親がいるというわけでございます。
その親の親、つまりおじいちゃんおばあちゃんの人数は4人ですよね。
そのおじいちゃんの親、ひいおじいちゃんひいおばあちゃんは8人。
そういった形で遡っていきます。
そうすると10代前になるとおおよそ1000人ぐらいですね、千何人ぐらいになるんですけども、
そのぐらい多い10代前になるとね、たくさんのご先祖様がいる。
もうちょっと遡って20代前ぐらいになるとですね、おおよそ100万人ぐらいになるんですね、計算上。
計算してみると皆さんわかると思いますけども、とにかくたくさんのご先祖様がいて、
私たちは今その血がつながって生きているという、そんな事実があるんですよね。
また別の視点で、私たちが生きているということはですね、何かしらの食べ物を食べて生きているわけですよね。
何も食べないで生きている人というのは存在しませんから、必ず何かを食べている。
例えばお米で例えますと、お米が私たちが食べるまでの過程をちょっと振り返ってみますと、
種もみがあってそれが発芽をして、その発芽したものを田んぼに植えまして、田んぼで稲が育って、
育った稲を収穫して、収穫したものを脱穀して、脱穀して精米をして、
そしてそれを農協さんとかのそういう、なんでしょう、周配してくれるところに運んで、
そして周配したところからお店、小売りの方に運んで、
そしてお店に並んだものを購入して、購入、買う人がいてですね、
買ってきた人が調理をして、そして食べられると。やっとおいしいご飯が食べられる。
このおいしいご飯、茶碗いっぱいのご飯を食べるためにですね、ものすごい長い時間とたくさんの労力がかかっているわけなんですよね。
お米だけじゃなくていろんな食べ物も基本的には同じです。
とにかくたくさんのご縁があって、たくさんの因縁があって、私たちは今生きているというね、そういう事実があるわけです。
何が言いたいかというと、そういうたくさんのご縁の中で生きている私たちは、
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普段はそこに対して目を向けることっていうのはあまりないんじゃないかなと思うんですよ。
人によっては毎日感謝してますよという人はいると思います。
あとは食べ物を食べるときいただきますって言ってるじゃないかってね、
意味は思うんですけども、いただきますって言いながら、米ができるまでの過程を考える人っていうのはあまりいないと思うんですよね。
そういった事実があるっていうこと、たくさんのご縁によって私たちは生かされているんだという事実を、
それに対して少しだけそのお盆の時期、千俗夜という儀式を通じてちょっとだけそっちに振り向いてみましょう。
振り向いてね、生かされているということに対して感謝のね、というものを少しでも感じていただいて、
それに対してありがとうという場を行ってみる。
いわばありがとうのキャンペーンですよね。ありがとうのキャンペーン期間、これが8月13から16なんだったね。
こんなふうに思っていただいて、ちょっとのことでもほんの少しのことでもありがとう、ありがたい。
こういう生きてるな、こういうことのおかげだな、これおかげなんだなという気持ちを持つ。
それがお盆の過ごし方かなと思います。
そんなふうに感謝することでお盆の期間を過ごすことができるのであれば、
きっとね、いつもよりも気分よく過ごすことができるのかなと。
心がいつもよりも安らかな状態でいられるかなというふうに思います。
さらに言うと、安らかでいること、それこそがもう亡くなってしまった個人様、ご先祖様たちにとっては嬉しいことなんだな、なんじゃないかなというふうに思うんです。
皆さんたちの生活が穏やかであるというのか、もうすでにいなくなってしまった方にとっては非常な喜びなんじゃないかなというふうに思います。
どうぞありがたうのキャンペーンを実施していただきたいなというふうに思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
ちょっと補足というか脱足というかなんですけれども、
お寺ではこのお盆の時期に行う儀式、その裏盆絵という儀式にプラスして大瀬時期という儀式を行っております。
裏盆絵大瀬時期という儀式ですね。これは総統宗の場合の名前なんですけれども、各宗派でも似たような大瀬時期じゃなくて、瀬書きというような表現でしたりとかありますね。
とりあえず同じと思っていただいて結構です。
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とにかくその瀬時期とか瀬書きという儀式は何なのかというとですね、
さっきの言ったありがとうという気持ちを持つ、感謝の根を持つということをさらにもう一歩踏み込んで、
普段そういった私たちが受けているいろんな恩ですよね。
いろんな人たちの力で生かされているっていう恩を、その恩を分け与える。
食べ物を通じてですね。食べ物をいろんな人たちに、自分の受けている恩を食べ物という形で分け与えるというそういう儀式なんですよね。
なのでその裏盆絵大瀬時期の儀式というのを見るとですね、きゅうりとかお米とかそういったものを蒔くんですよね、実際に。
そういった儀式をやっておりますので、何に対して食べ物を施すのかというと、
ご先祖様たちはもちろんなんですけども、それ以外にありとあらゆる生き物たちに食べ物を分け与えるんですよね。
ありとあらゆるものっていうのは、動物であったり微生物であったり、そういったものたちもそうですし、
あとは過去のこれまで生きてきた生き物たち、それとですね、未来のこれから生まれるであろう生き物たち、
とにかくね、もう全方向、全方位に向かって自分の恩をね、恩返しするんだっていうね、それが裏盆絵大瀬時期なんですよね。
そういう儀式がお寺でやっております。もし機会があって、その儀式を見ることがあるのであれば、
実際ね、儀式をやっている様子を見るとですね、坊さんが食べ物を撒いてますから、
それをね、見ながら、そうか、これは自分たちの恩を今恩返ししているという象徴なんだなっていうね、
そんなふうに見て、儀式自体を楽しんでいただければというふうに思います。
はい、ではですね、このお盆の時期、ありがとうキャンペーン期間として今年はですね、
過ごしてくださいますようどうぞよろしくお願いしたいと思います。
はい、では本日の放送を聞いてですね、ご意見、ご感想等あればどうぞコメント欄の方へよろしくお願い致します。
はい、で、お悩み相談とかね、そういったものがもしあるんであればね、
スタンドFMのデータ機能を使ってですね、私の方に直接送っていただければ、
放送を通じてお答えすることができますので、どうぞそちらもご検討ください。
はい、では、連常院副住職の邦文でした。ではではまたねー。