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2018-10-23

第94回「小国での北川はどんな人?」

小国・楽風よりお届けしています。

今週は、北川が小国に来た30年近く前から親交のある方に、北川との出会いや出会った頃の印象などをお話しいただきます。縁もゆかりもない土地である小国にやってきた北川夫妻の印象はどのようなものだったのでしょうか?これまでの歩みや暮らしぶりが垣間見えるかもしれません。

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kitagawa@kiqtas.jp


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北川八郎、人生を変える出会い
こんにちは、早川洋平です。北川八郎、人生を変える出会い、今日は第94回です。北川先生、よろしくお願いします。
どうぞよろしくお願いいたします。
さあ、今日も小国シリーズということで、ギャラリーの方もたくさん、数百名。
数百名。
数百名のはずですが、いらっしゃってます。
僕は、早川君が小国に来てくれることは、すごく待ち遠しかったし、嬉しかったんですよね。
なかなかなくて、もう先生と出会って2年ですけど、番組でも常々申し上げてますけど、もうそのうち行こうと思ってたんですけども、
帰省して、むしろ先生が鎌倉で僕の近所に越してきていただいたので、なかなかなかったんですけど、今回ね。
あそこ不思議だったでしょ。景色が遠くまで見えるんだけど、草原が広がってるし、青い空も広がってるんだけども、
いわゆる文明的なもの、一切ない。建物とか電柱とか飛行機とか、そういう人間が作った、あれが全くなくて。
本当にないですね。もうちょっとあってもいいのに。
天の創造物だけといいますか、あんなに広い土地、緑の大草原ばっかりですもんね。
先生おっしゃってましたよね。もう40年前ぐらい、近く前。ほとんど変わってない。
あれは何万年前と同じ名前みたいですよ。あそこができた時と。
先生が初めて行った時ともほとんど変わってないんで。
はい。
とにかく一緒ですよね。変わらないっていうか。自分だけは老けたっていうか。
いやいやいや。
本当に。
今日ね、この楽譜にギャラリーというか、皆さん来てくださってますけど、こちらの皆さんは、もう皆さんお付き合いだいたい長い方なんですか?
お付き合いっていうよりも、皆さんが住んでる方で、僕らが、僕はよそ者っていう感じですね。
そうなんですね。
うん、よそ者。
じゃあ、よそ者として入ってきた北川先生を知ってる方も多いんですね。コロナ禍の方。
そうですね。あんまりすごく知らない。有名でもない、知られてる、あれじゃないから。でもまあ、お国の良さっていうのは分かりますね。でも、ずーっとお国にいると、やはり都会に出ないといけないっていうか、ありますね、なんか。
ずっとここにいてはいけないなっていう。
なるほど。せっかくなんでね、前々回もご質問していただいた方いましたけども、また。
今日はみんな、こんなに間近な人が。
そうなんですよ。
なんていうんですか、聞かれてることの。視聴者、聴視者。
リスナー。
リスナー。
まあ、日本語は聴視者ですね。なのでね、せっかくなんで、ここに来てくださってる方に、また今日はちょっとお話を。
一緒に参加してもらうといいですね、時々。
そう、こういう場をね、作っていきたいですよね。
そうですね。
僕らが移動して、キャラバンのようにね、こう、サーカスのように全国回れたら面白いですけど。
これ、板、板っていうんですか、なんていうんですかね、床、床の上にジャンプトーン敷いて。
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そうですね。
たくさんの人が座れるとこ。
いいですね。
いいですね。
いいですね。
ということで、今日実はですね、またお一人。
はい。
お二人、ギャラリーの中からちょっと来ていただいてるんですけども、いきなりお名前をちょっと伺ってもいいですか。
地元、小国の出身の阿奈井と申します。
阿奈井さん。北川先生、阿奈井さんはもう、結構前から知ってるんですか。
そうですね。随分前から、助けてもらってますね。
そうなんですか。
病院に行かれた時から、はいはい。
ちなみに、阿奈井さんは北川先生と知り合ったきっかけ。
はい。
まず、どんな感じなんですか。差し支えない範囲で。
もう30年近くにはなると思うんですけど、最初、陶器にちょっと興味があって、北川先生の奥さんと北川先生とで、最初、陶器店みたいなのがあって、そこに行って、ちょっと分かったみたいな感じで、あとは陶器を習おうかなと思って、実際、先生のところにお伺いして、それからになります。
はい。
あの、家族ぐるみで、とても北川先生のご家族にはお世話になってる次第です。
そうなんですよ。忘れてた。
なんですか。
農業してるんですけど、私、その、お父さんが、そういう農業を手伝ってくれて、じっちゃんって、じっちゃんってやってるんですけども。
阿奈井さんの。
はい。すごい、なんか、馬力、馬力ではないんですよね。継続する力っていうか、知恵と。
農業者があって、農業、すごいなと思いますね。私も遥かに知恵を持ってる。
そうなんですね。
うん。
全然違いますね。
30年前っておっしゃいましたけど、なんか、今日ちょっとね、先生の知らない顔、顔というか、見れて面白いんですけど、30年前の。
あまり見せたくない。
はい。見せたくないとは思うんですが、せっかくなので、ツッコミとなりたいと思います。え、30年前の北川八郎さん、どんな感じだったんですか。
あ、やはり、お国に住んでいると、なんかこう、よそから来られたんだなって感じで、全然雰囲気が違うんですね。
雰囲気感も違うし、奥様もそうだったんですけど、あの頃、その奥様がコーヒーを入れてくれたんですけど、それも近くの湧き水っていうか、美味しいお水でコーヒーを入れてくれるんですね。
で、コーヒーの味なんて全く分からなかったんですけど、すごい美味しいのを感じたし、今ではパンとか焼く、自宅で焼くのは普通になってるんですけど、あの頃のなんか自家製のパン、奥さんが焼いてくれたパンがとても美味しかったのと、
以前住まわれてた先生のお宅の縁側で、そのパンとコーヒーを食べながら、飲みながら、夕日っていうか、その景色を見てると、お国に住んでいながら全くそういうのに気がついてなかったっていうか、気づかされてくれることがいろいろありましたし、いろんな方が来られてたので、すごいお国の中に狭いところにいて、いろんな人に出会えるとか、いろんな経験をさせてもらって、それがとっても新鮮だったし、
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はい。
私前半ですごい、いろんなどっちの道に行けばいいのか模索していた私にとっては、とっても道が開けたっていうか、そういう経験からになりました、初めまして。
うん。まあ、よそ者だったんですね。僕はね、今、姉さんの言葉にあるんだけども、全くのなんかよそ者なんですよ。知人も友人も知り合いも親戚も、誰もいない街にいきなり流れ者として来たんですよね。
へえ。
よくこんなとこで生きてきたかな、自分で思うけれども。
はい。
ただ、断食と山の中でひたすら瞑想だけで、今思うとよく食らえてきたなと思うんですけども、まあ、惹かれ受けたっていうか、導かれたって感じがしますね。
今、姉さんが言ってた、その駅沢先生の前のお宅の縁があって、僕さっき見せていただいたあの…
そう、さっきね。
ボロ屋に行きましたね。
今はもう、ね、ちょっともう…
廃屋ね。
廃屋ですよね。
すごかったです、あそこ。
はい。
なんか壊れかけた廃屋。
見えた夕日があったってことですね。
ね、あの本、皆さん読んでもらうと分かると思うんですけども、なんて本でしたっけ、僕が書いたの。
奇跡の断食。
うん、奇跡を呼び込んだ断食。
奇跡を呼び込んだ、思い出した。二人で力合わせてね、なんとか思い出しましたけども、ありましたね。
あの本に書いてあっているように、まあ、すごい廃屋だったんですね。
うん。
要27年間も住んだと思うんですけども、あそこ、住み心地がよかったっていうか、農業。
なんか不思議な家でしたね、日本…日本の…あ、余分な話ですけど、日本の家っていうのは、
あの…
夏用に作ってあるんですね。冬は切ればいいけれども、夏は脱がないといけない。今クーラーができてしまったから。
うん。
なんかあそこはね、八面…壁がないんですよね、八面。
あ、そうなん。
すごかったですよ。
へぇ。
何もかも、でいでい自由。鳥も蛇も、なんかトカゲもネズミも、みんな一緒くたんっていう、こう、なんかそういう世界があって。
うん。
都会から、私のとこ銀座とかあれだったから、来たときに。
うん。
結構、すんなりと入りましたね。
なんかやっぱ、都会から出てきた、都会ボーイみたいなとこあったんですか?
あ、わかのけてましたね。
あの、今では、あの、普通に、皆さんやられてることなんかも、すごい、私たちから見れば新鮮でした。その、コーヒーのことから、何から、パンのことから、手作りジャムから、あの、その頃から見たら、やはり、すごい新鮮でした。
うん。
で、少しずつこう、ですね、あの、こうやって、あの、楽譜とかできたりとか、いろんなライブがあったりとか、いろんなドイツワインの。
ライブもやりましたね。
ですね、いろんな方が来られたりとか、結構、いろんな方来ましたよね、なんか。
いろんな方、呼びましたね。
はい。
でも、僕が思うのは、今からちょうど、花屋さんと話したいと思うのは、その、目に見える形のものは、皆さん受け取るけども、心のありようの方が、僕、変わってたんですね、こう。
心のありよう。
こう、受け入れると言いますかね、この人生の意味とかから、こう、導かれるままに生きると、トラブルが起きないと言いますかね。
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だから、まあ、えっと、別の言葉で言えば、スピリチュアルに生きるっていうよりも、なんていうかな、シンクロに導かれてなったことは、すべて、こう、成就していくと言いますかね。
うん。
偶然の位置とか、そういう、神の導きというか、まあ、そういうものを感じて生きていけば、なんか、この世は、
うん。
なんか、自分の導かれる方向に出会ったことは、すべて、こう、成就していくということを学びに来たと言いますかね。
精神的なものの方が多かったですね。
はい。
そういう意味では、こう、自由に生きていくとか、あんまり囚われないとか、いうことができてたとか、その辺が都会的に見えたんじゃないですかね。
うん。
どうしても、田舎の人たちは、目に見えるものを追いかけるんですよね。
うん。
あの、作るものと、こう、なんか、対人関係とか。
ああ。
そういうものしか見ないという世界から、僕は、形のないものに価値を見つめて、それを思想として持ち込む、ちょっと難しいですね、というような生き方をしたので、それは新鮮だったんじゃないですかね。
うん。
それにまつわる出来事が、パンであったり、コーヒーであったり、まあ、自由に生きる、都会的という取り方もするでしょうけども。
でも、先生自身も、当然、この国に来られて、もう、もう、四半世紀以上。
そうですね。
そこで、まあ、神に出会ったという言葉は、ないけど、まあ、導かれて、まあ、この、この、この、この、この、この、この、この、この、この、この、この。
まあ、この、この生の意味を悟ったと言いますかね。
うん。
その辺を、まあ、伝えるために、ここに来たというかね。
それで出会った人たちっていうのが、あ、こう、ありがたいし、大切にしたいなと思いますね。
うん。
でも先生とね、出会われて、もう、三十年ぐらいというと、おっしゃいましたけど、まあ、一つ、一つ、もし、挙げるとしたら、先生と出会って、なんか、学んだことって、別に、本に書いてないことでも全然いいんですけど、
逆に、この、ね、あの、生で先生とずっと、こう、交流持ってきて、何か挙げるとしたらありますか。
ことでもいいですか節目節目で何か落ち込ん だ時とかその節目で
結局は助けられている というか
ですかねそれだと思いさっきの予習区に つながるような
気づきって言いますかねこうそんなにない まあ深い悩んで落ち込むことないこの人生
にはあるというかね続くねこう自分で自由 本当は自由に自由ではないってこういろんな
ことにしがらみとから対人関係で ガジガチなると自分本当に縛られているし
自由ではないっていう思うと思うんですよ でも本当は自由なんだって言いますかね
自分の生き方と心次第ではそういう鎖から 解き放られて生きていくことができると
いうことを教えてあげたかったですね なん心配しなくてもいいよ
こんなにこうがんじがらめに行けなくて あの自分が思っているほど
がんじがらめじゃないんだ
もしかしたら
もっと自由でいいんだっていうかだから そこには何かな言葉で言えば皆さん世間って
世間から見られていることに感銘気を使っ て生きている
まあいい特にいなかっていうねそうなん ですあの親戚多い生もあるけど
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だから私がここに来たのはねえと過去の ない男できてるわけですよ
そうかここにはね得そこの小学校どこで た学校で学生何したなんか悪いことした
いいことしたっていうのは全くなくて 40できた時の40から
からスタートしてるからそれ以前の過去が ないからねまあそういう意味では私は自由だっ
たんですけどもそういう方から見ればこの 世の中はそういうしがらみにとらわないで
生きていけるっていうことをこうなんか やってたんでしょうね今にもつながって
ますけどねこうよく言うに開いた席に座る というのかね
定石に決められた席に落ち着かないって 言いますかね定石とか末席とか言うなど
もっと自由に行き方ができるんじゃないかな このこの日本に生まれてきた人たちに
生まれたということを意味を 楽しむというのかねまあそういうことかも
をやってたような感じがしますね食べ物 全くなかったんですよ食べるもの
安くてあのボロ屋だったから あのボロ屋がわかるのがちょっと幸せです
けど僕もものすごく俺はですよね俳優く びっくりしたよまあ俳優くになってから
しか見てないですよね 先生からこうかけてもらった言葉で今何か
一つなんか 自分に大切にして言葉で何かありますね
ちょっと 仕事を退職して年退職したんで
ですけれどもあのまあ 自分の時間を大したの楽しみなさい人生を
楽しみなさいって言われてるんですけどまぁ 少しでも自分が楽しめたらいいかなって
思います残りの人生ですね少しでもできる 範囲内ではあるんですけれども
まあ今まではご仕事仕事であのちょっと ガンジガラ目になった部分もあってて世間
がやっぱりこう先生の話を聞いててもつい こう狭くなりがちなんですね周りが見え
てるし表情も険しい表情にいつのまにかなっ てるし
でもやっぱこうやって定年の時にまたこう やって先生との公開はの中でやっぱり人生も
ちょっと少しは楽しみたい なんかそういう気持ちも芽生えてきました
今ねあのお姉さんもお話したりその自分 の時間っていうのは多分あのこれ聞いてる
方でも特にずっと働いてきたとか何か ライフステージが変わる時にっていう節目
の方いらっしゃると思うんですけどまぁ 改めてなんか先生からまあもう一言で
っていう難しいかもしれませんそういう ありますよね今なんだなぁこう
日本人にはねばならないの中の一つに行こう ずーっと働かなければこう生きていけないと
か働きなさいとか仕事を持ちなさいって いうのがあると思うんですねでも
なんそんなにあた白く地図朝から晩まで 本当は働かなくてもいいんではないかな
そんなにものとか金とかを目指さなくても 私はそうやってきたんですけど所有て
ものを目指さなくてきて結構生きていけ るって言いますかね自由な時間を
たくさん過ごしてきたんですよ朝も寝坊し たし
夜のまあ今日に乗った夜をそこまで本書いて 物を作ったりとか
いろいろやって そんなに働いてないんですよいわゆる
本当に仕事をしてないんですけども でも
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とそれでもうきちんと生きていける 神が設置してるから4時は真面目すぎると
いうんじゃないんですけどもそんなにこう 働け働けるということをしなくていいん
じゃないかなと思いますねもっと
もっと隙間を作っていいんじゃないか今 言ってね
ひどい楽しむっていうかね あの景色や自由な時間や熱を吹くこと
でも許されるのではないか江戸時代の人は もっと自由だったのじゃないかなもっと
昔の人たちはねそんなに働いてないん じゃないかな
なんか先生先週先々週かなそのね都会に いる人もたまにその自然に行ってありまし
てそれと今お話がでちょっと個人的には 似てるなぁと思って1回パソの外の世界と
いう不安に駆られるから働いてるんじゃない ですかねそこがね
出てみてもそれがなくても大丈夫だよって いうのはやっぱり一回経験するとしないで
全然違いますよね今の人たちが物を持たない というのもそこに気づいてるのかかんない
って僕らの頃は物も持たないと不安だった 世間並みに物を持とうと家を持たなきゃ
車にも手を持たなきゃ車を持たなきゃいけ ないねばならないでもそんなもんいらん
もんねほんとはそうですね 自然の景色見ると別にいらないんじゃないかと
両手にいっぱいお金も地位もいらないん じゃないかもう片手二三本で
なんかあとは自由に そうですね両手塞がってたら自由ないです
もんねそうそうだからあんまりこう自分と 周りを追い詰めない生き方でも結構生きて
いけるよって僕言いたいですね
はい、新井さんありがとうございました ちょうどトンボがこの楽譜に入ってきましたけど
トンボ入ってくるんですね すごいですね トンボ大好き また先生とトンボの会話なんかもね
いつか聞けるかもしれないですけど どこ入ってくるんだろういつも
さあこの番組では皆様の
ご質問ご感想を募集しております 詳しくは北川八郎ホームページもしくは
メールアドレス 北川atmarkkiktas.jp 北川atmarkkiqtas.jp
までお寄せください 今日は第94回をお届けしました
北川先生ありがとうございました ありがとうございました

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