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北川八郎 人生を変える出会い
こんにちは、早川洋平です。北川八郎 人生を変える出会い。北川先生、今日もよろしくお願いします。
お願いします。
さあ、今回も引き続きリモートで収録をさせていただいています。
前回はリスナーの方から質問いただきましたが、今回は先生から共有したいということもあるので、先生、今日はどんなお話をしていただけるんでしょうか。
続きなんですけれども。
先週の話の続き。
口は我が愛のもと、という話をしましたよね。
先週ね、幼子の何でにどう答えるかというところで、口は我が愛のもとという話もちょっと出てきましたね。
そこで一切、そうなったことはちょっと心に残っていたので、今週伝えたいなと思ったのは、
私たちは腹が立ったり怒ったりしていた時、本当は相手を責める気がないのに、ついつい責めてしまったりとか、
相手を傷つけたりすることはありますよね。
そういうことをしたことがないという人は、おそらくいないんじゃないかなと。
大人になって30代40代まで振り返ってみて、過去に人を傷つけたことがない、口が滑って言わなくてもいいことを言ってしまったり、
本心ではないことを言ってしまったという経験のない人なんて、
いないのではないかなと思うんです。
ないですね。
もしもそういう人があったら、キリストが言っているように、
過去に人を傷つけたことがない人は、私に向かって石を投げてもいいよ、みたいな方に言ったけど、
誰も石を投げられないというか、過去に罪を成したことがない人なんて、30代くらいまでいないと思うんですね。
人を傷つけたり、悪口を言ったり、批判したり、評価したり、何か良い悪いをすぐ計算してしまうという。
やっぱり、それをやってしまうと、人は去ってしまう、嫌がってしまう。
ということは、過去、私もたくさん経験しているんですね。
勉強会やってても、つい褒めたつもりでも、それが褒め殺しにつながるみたいな。
なんか、去ってしまうというかね。
転生でもあるんですね。
いっぱいありますよ。
昔じゃなくて、ある意味、そんな古すぎない時でも。
お釈迦様もそうなんですよ。
へぇ。
お釈迦様も、ダイバーだったっていう人から、殺され、第一番弟子からね。
殺され、像を消し替えて殺されようとしたことがあるし。
自分の弟子たちが、お釈迦様が40か50の時やったかな。はっきり覚えてないんだけど。
自分の弟子たちが、二手に分かれて、戦争状態になって争って、2年間も、お釈迦様の元に誰も訪れてこなかったとか。
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キリト自体も、13人いた。
お弟子たった13人しかいなかったんだね。
その中に1人の人から。
そうですね。
捕まる時も、明日の朝になったら、誰も私の元に寄ってこないだろうと言って。
その通り、鳥の声がしたら、弟子たちがみんな一目散逃げてしまって。
キリトを捨てて、寄ってこなかったっていう。
本当にこう。
あのキリトを破った際も、そうしたことをすべらかしたり、嫌ったりすることがあったと思うよね。
ましてや我々が、そういうことがないなんてありえない。
だから僕は許されると思うよね。
でも、やっぱ悲しむだろう。
でも、僕は言いたいね。人はあなたの元を去っても、また帰ってくるよ。
帰ってくる?
うん。自分が来るからずっと正しいことをやって、正しければっていうかね。
で、だから。
だから問題は、帰ってこようが帰ってこないが、そこが問題じゃなくて、どうその後きちんと生きていくかっていうかね。
で、帰ってこなかったのは、あなたが、自分が間違ってたから帰ってこないので、自分が間違ってない時は、必ず帰ってくるっていうかね。
自分が正しければ帰ってこないのは、相手の問題なんだよっていうか。
ということは何かって言ったら、だから言いたいよね、僕は。
まず自分を正せっていうかね。
うん。
正す。
正す。自分をきちんとやって生きていけ。
うん。
その後に失敗したとしても、人は去ったとしてもね、その人を恨むなとか、来なかったからああだこうだって、その人を評価一切するなっていうかね。
僕はもうそれをしないよね。
うん。
去った人、来なくなった人、僕を傷つけた人、僕が傷つけた人、僕を傷つけた人、僕が傷つけた人に対しても、もう一切光だけやってこう。
うん。
だからね、責めないって。
うん。
自分も責めない、相手も責めない。
うん。
で、相手も批判しない、批評しないっていうのはずっと守ってるよね。
うん。
もう何十年とそれをやってる。
へえ。
だから、まあ、相手のことあれこれ言う前に、まず自分を正せ、どんなふうに正せって言ったら、もう批評や文句や相手に対する評価をもうするなっていうかね。
しない、僕はしない。
で、光だけを送るっていう。
うん。
ことを、あの、言ってるんやね。
ちょっとだけ、あの、この文章、ちょっとあの、ある方が頂いたので、ちょっと読んでみたいなと思ってるんですね。
鈴木ゆり子さん、マンションカー、パンプキン、エッセイ大賞もらった人の話なんですけどね。
はい。
このエッセイ大賞の話もとてもとてもいいので、ちょっとだけこう、読んでいいですか。
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はい。お願いします。ぜひ。
ちなみに、あなたのようになりたいっていう話なんだけども。
はい。
鈴木さんの、こう、文章なんですね。
はい。
私が小学校だった頃、学校から帰ると、家には誰もいなかった。
うん。
そして歩いて、7、8、自分のところに畑があって、母は大抵そこにいた。私が母を呼ぶと、腰を伸ばして、こちらを見て、手を振って笑った。いつも母は、畑仕事を黙々とこなしていた。
父はそこにいない。父は竹づきの遊び人だった。亭主のない人だった。で、いつも、こう、家に帰ってこなかった。
はい。
で、母は、姑やみんなに、あの、お金を借りて、なんか、家を助けていた。
そして、ある時、その夫がお金を持って出てしまって、先を周りの人に振る舞って探しに行ったところ、いつも、あの、夜中まで家を探していた。
はい。
あの、夜中まで、なんか、飲んで帰って、いつまでも戻らない父を探しに出かけた母は、なんと、泥酔した父を、リヤカンに乗せて、5キロの海地を帰ってきたこともある。それとも、父の遊び口は改まらなかった。
で、母は何度も離婚を考え、ついに決心して実家に帰った時、なんと、厳格な父親の、母の父親は、厳格だったので、追い返されてしまった。
うん。
で、それから、時数、流れて、父は、そういう意味で、こう、苦労して、遊び口は潰して、17年前に、こう、行った。
うん。
で、これから、ちょっと面白いんですけど。
はい。
で、このような、こんな素晴らしい母を困らせたのは、父だけではなかった。この私なのである。中学から高校まで、私の性婚後期は、長く長くついた。私は、引っ込みじゃんで、とても気難しい子供だった。
うん。
そして、私は時折、母に対して罵声を浴びせ、そのおとなしい母について、父を責めない母について、悪態をついた。高校3年の間、母と口をきくことさえしなかった。早く卒業して、家を出たかった。でも、母は動じることなく、毅然としていた。
うん。
で、私は、
うん。
状況、就職が決まって、上京する日に、
あの、
母にこう言った。意外にも、駅まで見送りに来た母に向かって、一言、こう言った。あんたのようにはならないから、と言い捨てて、私は東京に上京した。その言葉は、母の胸に鎖と刺さったようである。あれから40年の歳月が流れた。
うん。
息子たち、そして、5人のマドがいる。
そして、私は、父とよく似た酒好きな人と結婚し、そして離婚してしまった。
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今は、なんと母と同じ一人暮らしである。
母は今年、卒業を迎え、大好きな書道に慈しみ、家屋教室に帰って、前向きに生きている。
母は今、よく言う、負けないで頑張っていることが楽しい。
波乱万丈の人生を、母は強く、強く生きて、何かをしている。
うん。
生きて何も何があっても
ほこがらかに我慢して生きてきたのだろう
そんな
私は心を込めて
伝えたい言葉がある
それは今
あんたのようになりたいという言葉である
っていう
なんかねいい文章だね
なんかわからないね
なんで言いたいかって言ったら
確かに我々は
間違って生きるっていうかね
大丈夫で傷つける
でも
この人のお母さんのように
いろいろあるけれども
前向きに生きていくと
結局は
最後の人生が痛くなっていく
そして
母を罵倒したような娘も
最後は
あんたのようになりたくないって言ってたのが
あんたのようになりたい
っていう
言葉を吐かせるほど
きちんと生きてきた人
ほど
神に迎え入れられる人は
いないんじゃないかな
だから
自分が正しいって
ということが
言えるような
まずから
自分を正さに
言ってみない
人に対して幸せになるような
言葉ができる限り入っていく
辛い言葉を
あぶさされたら
我慢しないといけないのか
我慢して
神に祈っていると
絶対
そのこと許されるし
最後は相手が分かってくれる
っていうことを
今日はちょっとだけ
見たかったりね
ありがとうございます
先生お話伺っていると
今のところでさらに個人的に思ったのは
今のエッセイの中でもありましたけど
あれから40年っていう感じで
最後締めくくってたじゃないですか
だから人生って本当に
いろんなことあって
特に大変なことあると
どうしても近視眼的に
今のこの場とか
今のこの場とか
せいぜい数ヶ月
数年ぐらいしか見れないですけど
やっぱり
人生ってマラソンじゃないですけど
もう何十年とかのスパンで
見たときにどうかっていうことも
やっぱ大切だなって感じましたね
導かれるままに
生きていくっていうのが
一番いいような感じ
僕自身は思ってね
なんか人の喜びが
神に向かってから感謝して
あとは導きに任せて
多少は間違いを起こすし
腹が立つことはあっても
すぐ許して相手に光を送って
自分を改めていくっていうかね
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自分をまず自らを立たせっていうか
自らを正しくするっていうのを
本当にこう
顧みるようにしていけば
絶対神に祝福される
人生の後半が待ってるような感じですよね
まあ僕ら70代80代
早川さんもそうだけど
708090
8090まで生きてしまうと
可能性があるっていうか
長い時代ですよね
その時に本当にそこまで
罪なきじゃなくて
罪に少なく生きていけるかどうかっていうのは
大きな課題なような感じですよね
成功するとか
お金持ちになるとか
芝生のある家に住むとか
なんか名誉と地位を得るとかいう
前の文章を読んだ
前の
名誉を読んだように
全て歌方の泡であり
大きないらかを
持つ家もあっという間に無くなったと言ってね
古代の人たちも言ってるように
本当になんか
あのそういうことを目指すよりも
人生を本当の
本当の意味での価値ある人生
それは人の喜びに生きることと
人の幸せに奉仕できることと
なんか謙虚に生きるっていうことかな
と言えるような感じはするけどね
でもここもいい
この文章もいいなと思うね
なんか文句ばっかり言ってた
母親
娘が最後はあんたにはなりたくない
と言ってた娘が
あんたのようになりたいって
いいですね
いいです
なんかいろんな意味で
やっぱり先生おっしゃるように
その人生の後半
投げた矢は返ってくるって話もありますけど
前半逆にいろいろあっても
後半でというか
途中で身を正しながら
あのこう
凸凹でもやりながら
なんか後半
どっかでね
少しでもそういうふうに
なんか人生ってなってくといいな
っていうのはなんか感じましたね
今僕なってて
結構ね
あの生きてみると
早い
早い
50代
っていう50代ぐらいから
本当人生
光
新幹線乗ったような感じで
ピュンって過ぎ去っていくね
まさに婚姻屋のごとしですね
あれがやっと6070代になってくと分かるね
だから今僕は
この内閣に言いたいのは
この物理的時間っていうかね
地球人として地球にいる時間っていうのが
そんな感じやね
地球にいる時間っていうのが
すごく短いから
地球人として
この地球に
地球を楽しんだほうがいいよっていうような感じがする
言いたいね
ありがとうございます
日本人とか人間とか言うよりも
地球人っていう考え方も
面白いと思う
そのくらい広く大きいスパンで
見ていきたいですね
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はい
ありがとうございます
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北川先生今日もありがとうございました
ございました