では本日お届けする曲です。タイトルを言うだけで結構ドキドキしちゃうかなと思うんですけども、
その前にこのタイトルの中であんまり言葉にしたらダメだなっていう単語が一個入ってます。
だからできるだけネガティブな単語を聞きたくないなという方はちょっとだけ耳塞いでおいてください。
決してそういう意味で使っているわけじゃないんですけど、たまたま使われている言葉があんまりよろしくないなというものなんで、
今から私がタイトルを言いますからちょっとボリュームを落とすなり耳塞ぐなりしてまた後で戻ってきてくださいね。
それでは本日お届けする曲はキッカー工事さんの切なさを殺せない。
もう戻ってきてもらって大丈夫です。タイトル言いましたから。
ちょっと表現がね、バイオレンスというか空いて使っちゃってるんですけど、
これはあくまでそれぐらい愛しいんだよっていうふうなことを言いたいがためにこういう乱暴な言葉を使っちゃってるというものです。
日本語だけじゃなくて英語でもあるじゃないですか、こういう表現って。
例えばクイーンの、我らがクイーンの、私も大好きなクイーンの中でtoo much love will kill youという言葉あるじゃないですか。
kill youなんてもう怖い怖いってなるんですけど、別にそのkill youを言いたいわけじゃなくて、
loveが言いたいが故にそのloveを膨らますためのkillだよねとか、そんなのあるでしょう。
このキッカーさんの曲もそれの一環だというふうに捉えてもらったら嬉しいかなと思います。
とはいえ、このキッカーさんの切なさを殺せないという曲、知らんという方が万が一いるかもしれませんので、今回もwikipediaの情報をちょっとだけお借りしますね。
では読みます。切なさを殺せないはキッカー康二さんが1992年2月6日にリリースした14枚目のシングル。
少ない情報量が。これだけって思うぐらいの他にもあったんやねきっとね。
うちのスタッフがあえて抜粋していただいたのがこの情報量。1992年の2月にリリースされた14枚目のシングルだよということです。
少ないやんか。これは少ないからこそなぜこの曲を私が選ばせてもらったかというと、これで肉付けしてねっていうスタッフの愛だと思いますので、早速そこに行かせていただきますね。
このシングルのみの曲というか、アルバムには入ってない曲なんですよね。
ベストバンドだと入ってるんですけど、シングルとして4に出たんですけれども、その後のアルバムに入ってたかというと入ってないという曲なんです。
だから余計に情報量も少ないのかなと思うんですが、曲自体は知名度は私はあると思っております。
ちょっと皆さんのところとはずれがあるかもしれないんですけど、私はこの曲が出た時とか92年っていうのはいろんな思い出がたかんな時代だって覚えてるんですけども、
少なくともこの情報量じゃないぞというふうなところは一言申し上げたいところではあります。
私が選ばせてもらった理由の一つに、ボーカルのスイッチを入れてもらったのはこの曲じゃないのかなというところだったんですよ。
それで選ばせてもらいました。
というのも、もともと私はドラムだったよっていうのは何回かお話ししてるんですけど、92年ですから自分たちがバンドブームっていう去っていってしまったという時ぐらいなんですよ、92年。
昨日までギター握った友達がいきなりスケボーを持ち出したみたいな、ある意味裏切られ感というか。
あとその裏切られても自分が選ぶ道はやっぱり音楽だったみたいなことに気づかされた、自分の清々しさとか。
というのがあった時に、とはいえ打楽器だから曲表現できないよねっていうぐらいの時にキッカーさんがこの曲をバーンとリリースしてくれたんですよ。
あれ?キッカー講師さんってね、僕ビジュアルとか液状音楽全部好きなんですけど、何よりこの曲だったらドラムである私でも歌って様になっちゃうかもって思ったんですよ。
決して上手いとかそういうなんじゃないです。
じゃなくて、僕は花があるとか様になるとかっていう表現をよくするんですけど、様になってない時はできるだけ人前に出たくないんですよね。
ドラムも一生懸命練習して舌出さえがあったから、こんな俺を見てくれみたいにやっとできたんですけど、そんな打楽器の人間がボーカルとかっていうマイクを握るなんてって思ってた時に、
不思議とキッカーさんのパフォーマンスって僕でもできちゃうかもしれないっていうふうな親近感で言うとちょっと失礼ですけど、勇気をいただけたんですよ。
その最たる例がこの曲だったなというふうに思います。
この曲はキッカー工事さんが作られた曲なんですけど、そういうバランスもあるから、自分が今までドラムを演奏するっていうことだけが表現に対して、
歌を歌う、あるいは作曲をするっていうふうな、そんな表現方法の扉を開かせてくれたというところも多大なるヒントをいただけたかなと思います。
キッカーさんってハイキックをしてシンバルをバーンってやるとか、ちょっと乱暴なメッセージを出してた時期があったというふうなイメージもあるかもしれないですけど、
私は一貫して品がある方だなというふうに見てるんですよ。
というのも、私が一番苦手なパフォーマンスが奇抜なんです。
奇抜って、簡単に言ったら、すっぱだかで世の中、すっぱだかでその辺の道を歩いたりパフォーマンスするっていうことが奇抜です。
簡単に言うとね、シンプルに言うと。
それって何の解決もしてないやんって思うんですよ、僕は。
注目はもちろん浴びますよ。
あいつは裸やーって注目を浴びるんですけど、それを見て脳みそが快感になるかというとならないでしょうし、
注目を浴びるまではそれで言ってたでしょ、その後のメッセージが何って言われたらそれもない。
それを奇抜というふうに自分では定義してるんですけど、
奇抜なことだけしかしない人たちっていうのは本当に自分が一番縁通いなと思っている中で、
キッカーさんは、たとえそれがちょっと注目を浴びるようなパフォーマンスだったとしても、
そこに品格があるから結局俺はこういう生き様なんだっていうことのメッセージが同時にこっちにも伝わってくるというものが、
親近感という、おこがましいんですけど、本当に勇気をもらえたなという表現になります。
そのうちの一つに、キッカーさんって僕らみたいなバンドキッドとかパンクロック上がりで、
バンドが音楽なんだみたいなことだけのイベントじゃなくて、
音楽は好きだけれどもその後芸能界に入ってアイドルとしてとにかく売れなきゃみたいなところで、
事務所のパワーもそういうアイドル扱いをしてた時代があったみたいなんですよ。
だから歌が上手いとか曲がいいとかじゃなくて、かっこいい、身長が高い、逆三角形だみたいな、
そのかっこよさでまずは注目を浴びるようにしなさいみたいな、
事務所の大人の世界の中でいろいろ抗ったりとかされてたっていうこともあったんで、
結果的にこの92年の時っていうのは、アイドル枠もロックという枠も両方とも
行き来できるパスポートを持ってたような方だったんですよね。今でもそうだと思います。
今は役者とかもされてるから、どのジャンルにも行けたりするという。
マルチタレントという言葉が今ありますけれども、当時やっぱりあれもやろこれもやるっていうよりかは、
これだけはやるみたいな人の方がまだ世間一般では受け入れやすかった時代に対して、
ヒカーさんほどいろんなとこ行ける人いないだろうなって思うぐらい生き生きしてたんですよ。
どっちにとっても大丈夫よ、どっちやっても様になるよっていう風な、
そんな影響力を上手に使う見本の先輩というかお兄ちゃんというかかっこいいなって思う、
そんなシンボルがヒカーさんだったんで、そういう打楽器だけの私を解放してくれたという背景がある中でこの曲を選ばせてもらいました。
ではそんなヒカーさんの曲のエピソードなんですけど、このキラテンはシングルを買いました。
自分のお金でちゃんと買っている。
途中でパキって折ってちっちゃくできるってやつ。
これ知ってる人しかわかんないですよね。
CDというものがシングルCDというものが馴染みがある世代の人しかわからないと思うんですけど、
まさにあの状態で買ってきて、
曲かっこいいなって思ったんですよ最初。
いいやんいいやん私こういうの好きよみたいなのがあって、
コンプレックスの時もお話したと思うんですけど、
やはり私はそのヒカーさんのままビートロックとかそういうロックが好きなんだっていうヒカーさんのズバリのスタイルが好きだったんですよ。
ギャップの方じゃなくて。
ヒカーさんこんなこともできるんだっていう風なんじゃなくて、
もうまんまキッカーさんみたいなのが好きだったんで、
では、そんなHSPの方とぜひシェアしたいなと思うところがこちらです。
世の中の癖が強い人っているじゃないですか。
周りの人はちょっと一旦置いておきましょう。
ネットさんとかユーチューバー、ユーチューバーあんまりいないか。
テレビというメディアをよく使う人の中に癖が強い人いるじゃないですか。
その癖が強い表現をする人って何人かはクオリティが低いというか、
単に誰かのモノマネしてるだけやんみたいに感じることってありません。
私はあるんですよ。
個性を出そうかとか何か爪跡を残そうとしているんだろうなっては伝わってくるんですけど、
学芸界レベルやんかって思ってしまうときあるんですよ。
大変失礼なんですけど。
言い悪いとかじゃなくて、もう見てられへんみたいなとき、
このHSPやったらわかってくださると思います。
そうそうじゃないとかあるんですよね。
そういう感覚があるだろうという前提でお話を続けさせてもらいたいんですけど、
私個人、HSPである私個人っていうのはモノマネっていうのは絶対に嫌だという流儀があるんですよ。
モノマネタレントの方を否定するっていう意味じゃなくて、
自分は誰かの二番煎じでその人のふんどしで今のポジションにいるんですっていうことが本当に嫌なんですよね。
仕事でも何でもそうなんです。
それと対称に学ぶの語源はマネルであるという考え方も同時に持ち合わせてるんですよ私は。
つまりモノマネっていうのは嫌なくせに最初はモノマネから入りますってことを堂々と言ってるっていう、
そういう矛盾を抱えてるのが私です。
これはタイミングを間違えたら矛盾になるんですけど、
タイミングを合わせると大丈夫っていう持論、つまりモノマネしてるときは世間にお披露目しないってことです。
それは自分の稽古としてモノマネするんですよ。
あの人のやってることを自分もやってみることによってより早く近づける。
ただそれは全然公表しない。
誰にも見せない。
こそっと自分の練習時間こそれに使うぞっていうふうな、そういう区別、区分けですね。
私はずっとそれでやってきたんですよ。
ですからそこにはビーズ・イナバさん、エクステ・バヌヨシキさん、ギッカ・ゴージさん、アンド・モアがいっぱいいるんですよね。
モノマネをしてるときはもう絶対披露はしない。
けどそれだけ自分が影響を受けた人っていうのが複数にいたら、
必ずお披露目するときにはもうミックスされて、誰かの影響を受けてるんだろうけれども、
トータルで見たらあなただよねっていうふうな、僕の個性が出るっていうふうに思ってるんですよ。
これは漫画家さんとかもそうですよね。
ちょっと作風というかタッチが似ているけれども、その影響を受けた人が数人いるからこそ、
今見たらもうその漫画家さんズバリのオリジナルの作品じゃないかっていうふうなあれです。
あれにやっぱり是非行きたいというふうな自分の流儀があるんですよね。
このHSPという感性はまさにそういう上手に融合できるセンスは持ってると思うんですよ。
モノマネしてるときはお披露目しない。
そのモノマネ、また他の人のモノマネ掛け算、2掛ける3掛けるとかなってきて、
これモノマネしてたつもりだったけど、もう誰でもない、
俺だけのオリジナルになってきたぞみたいなときぐらいにお披露目するっていうふうな、
この感性ってHSP得意だと思うんですよね。
つまりかっこいいというところにまで行き着けると思うんですよ。
私がそうだっていうのはちょっとおこがむしいかもしれないですけど、
少なくとも私はそれ上手にできるっていう自負があるので、皆さんもできるはずです。
なんかそんな初めて聞いたし分からんわって思ったとしても、
なんとなくニュアンスが伝わっているはずなので、それを胸張ってやってみてください。
私はそういったことの観点の一つに、この菊花康二さんのこの切なさを壊さないという曲は間違いなく僕の一部になってます。
それがあってこその今の自分のオリジナルだなと思ってますので、
皆さんにもぜひそういう自分の細胞の一つだって言い切れるような影響を受けてもらってあると思いますから、
それをお披露目する頃にはオリジナルになっているよっていうことを上手にできるHSP、
バンザーイっていうふうにみんなで思いましょう。
それでは本日ご紹介した曲は菊花康二さんの切なさを壊さないでした。
番組でご紹介している曲をセレクトしたSpotifyのプレイリストもご用意しております。
HSP音楽ノートという名前で検索してみてください。
その他の情報も概要欄に記載しております。
ご興味ある方は詳細ご覧くださいね。
HSS型HSP天才HSPの音楽ノート、お相手はキラテンでした。
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HSPはアルファベット、音楽が漢字、ノートがカタカナです。
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それでは良い週末をお過ごしください。