2023-11-12 20:16

【##57】「イスラエル発イノベーションプラットフォーム企業の日本法人代表 ⇨Maccam株式会社 代表 松山 英嗣」前編

第30回目のキッカケインタビューは、大学の頃から海外志向があり新卒で総合商社の選択肢を得ていたが、それとは別のイスラエル発のイノベーションプラットフォーム企業に新卒で飛び込み三人目の社員としてキャリアをスタートさせた松山さんです。テクノロジーの最先端である印象のあるイスラエルの情報を常にキャッチアップしながら、少人数の組織でハードシングスも乗り越えていく松山さんのチャレンジは、若いうちから海外志向やスタートアップでレバレッジをかけて成長したい方にぜひ聞いてほしいです。現在は独立して海外ベンチャーとのオープンイノベーション事業の支援や生成AI事業のスタートアップやマーケティング支援もされております。


⦅略歴⦆

東京理科大学理工学部卒業、京都大学大学院工学研究科中退。

新卒でAniwoに入社後、イスラエルスタートアップと日系企業の事業開発をメインに、セールス・コンサルティング・採用・PR・イベント運営など幅広く業務を担当。オープンイノベーションコンソーシアムにて幹事企業としてイスラエルのオープンイノベーション最新情報の発信を行う。

2018年9月よりAniwo日本法人 代表就任。2021年4月よりAniwo日本法人 代表取締役就任。日本イスラエル商工会議所事務局長。

2021年5月より五島列島(福江島)に移住。同年7月に長崎県DX推進メンター就任。



■本日のパーソナリティ

- こどもの未来株式会社:千葉祐大(https://twitter.com/Baccho1983)



■本日のインタビューゲスト

松山 英嗣さん

LinkedIn

Maccam株式会社


この番組「キッカケラジオ」は、20〜40代の生き方・働き方を応援する音声番組です。

人はキッカケがあれば必ず変われる。人生を変化させてきた、内的キッカケや外的キッカケをご紹介していきます。

人生100年時代、ライフステージの変化の大きな世代も以前に比べて様々なチャレンジを求められることが増えてきたと感じます。

同世代の生き方・働き方を等身大でインタビューするコンテンツも週1回のペースでお届けする予定です。

パーソナリティは、こどもの未来株式会社の代表の千葉が担当します。

1983年1月生まれ、私自身が40歳になったことをキッカケにスタートした番組でもあります。

40歳を迎え、改めて30代の過ごし方を振り返り、40代の10年間をどう過ごしていくかを自分自身が考えるにあたって

日々情報収集していることや取り組んでいることも平日は毎日10分ずつお届けしていく予定です。

30−40代を応援する番組ですが、今の10−20代に対しても少しでも参考になればと思っていますし

50代以上の先輩方の生き方も参考にさせて頂く為にスペシャルゲストとしてお呼びする機会もあると思ってます。


こどもの未来株式会社では

「こどものみらいがワクワクするキッカケをつくる」ことをミッション・ビジョンに掲げており、

「自分が主人公の人生」を生きる人を1人でも応援するために、「生き方」・「働き方」/「仕事」と「育児」の両立をサポートする人材紹介事業もおこなっております。


▼千葉祐大 個人のSNS

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Instagram:https://www.instagram.com/yutachiba1983/

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▼こどもの未来株式会社

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サマリー

イスラエル発のイノベーションプラットフォーム企業の日本法人代表である松山英嗣氏について、彼のキャリアについてのインタビューが行われました。インタビュー前編では、Maccam株式会社の代表でもある松山氏が、彼の社会人経験やキャリアのステージについて話しています。

松山英嗣氏のキャリア
キッカケラジオ──ワクワクのキッカケをつくる番組です。パーソナリティの小道未来株式会社の千葉です。
週に1回撮っているキッカケインタビューですね。今回はですね、多分なんですけど30人目ぐらい。毎回人数がガチャガチャになるんですけども、
のインタビューとして、これまでの方ではいなかった、いわゆる外資系、特にイスラエルとかのスタートアップにすごい精通している方に来ていただいてますので、
松山さん、今日はよろしくお願いいたします。
松山 よろしくお願いします。
おだしょー 松山さんと、カンファレンスですよね。カンファレンスで最初に。
松山 そうですね。
おだしょー ご挨拶というか接点を持たせていただいて、最近ちょっとお仕事発表させてもらっていて嬉しいなと思っているんですけども。
松山 ありがとうございます。
おだしょー かなり、稽古な、特殊なキャリアを僕は選んでいて素晴らしいなと思っているので、
おだしょー そういう、やっぱり身長で歩み方が多いかなと思ってますので、ぜひインタビューさせていただければなと思っております。
松山 ありがとうございます。
おだしょー 最初にちょっと簡単な自己紹介だけお願いしてもよろしいですか。
松山 はい、わかりました。初めまして、マッキアム株式会社の大田取締役の松山と申します。本日よろしくお願いします。
松山 もともと、大阪、境市生まれ育ち、高校まで大阪で育って、中高も大阪中高だったんですけど、大学院で東京に行って、大学院で京都に行って、後ほどいろいろ聞かれると思うんですが、新卒でそこからイスラエルのほうに行きまして、現在までやってるというところですね。
松山 今で言うと後藤列島と東京の拠点生活をしているというところで、僕の人生の直近の10年で言うと点々といろいろやってるなっていうのは感じております。よろしくお願いします。
おだしょー ありがとうございます。大阪出身で関西弁はもちろんわかるんですけど、なぜそういうキャリアになってるかってめちゃめちゃ興味があったりするので、ぜひ聞かせていただきたいと思います。
松山 そんな耐えされたら意思決定はしてないですけどね。
おだしょー 社会人のキャリアになる前段階から聞ければと思ってるんですけど、大阪生まれ大阪育ちというところから、大学は東京に来たって感じですよね。
おだしょー 大学に今まで行かれてると思うんですけど、大学生の頃の松山さんってどんな大学生だったんですか。ちょっと聞いてもいいですか。
松山 そうですね。そもそも大阪出たのが人生初っていうところで、どんな大学生って言われるとあれですけど、大学1年生の頃までは浮いてましたよね、キャンパス内で。
ほぼ関西人がおらんような感じで浮いてたんですけど、大学のときは大会のサッカー部に入ってたんで、授業とサッカーとバイトを繰り返し毎日こなしてたっていう感じですかね。
大学生活と研究
おだしょー 大学院と大学でまた専攻が違うかもしれないですけど、大学のときは東京理科大学ですよね。専攻は何を学校で学んでたんですか。
松山 学校は土木工学科やったんで、土の研究と言いますか、地震のときの土の挙動みたいなのを実験室でこちょこちょやってました。
おだしょー なぜそれをやろうと思ったんですか。
松山 それをやろうと思った理由は、いろんなオフィス選びとか大選びとかあったと思うんですけど、自分がやってることがすぐ目にわかるような、ここに貢献してるんやなーみたいなのをすぐわかりたかったっていうのが一つです。
例えば化学とか物理とかって、この研究がどこに活かされてるかみたいなのが結構若いときの自分にとってはわかりづらかった。
より橋を作るとかダムを作るとかトンネルを作るって一般の人に説明しやすいし、僕自身もその当時わかりやすかった。
単純ですけど、イメージしやすさで選んだ記憶があります。
おだしょー ありがとうございます。僕は全然文系の経験者なので、いわゆる土木とかの研究団だというところからなんですけど、大学を卒業して院に卒業。院に行かれて同じく土木のところをやってらっしゃる。
大学のときに就職っていうルールとか進学っていうルールとかって、みんな基本的には進学する方が多い感じだったんですかね。
そうですね。5割、6割、7割くらい院に行くっていう感じでしたけど、僕は一応就活して、そのときから海外行きたかったんで。総合奨謝だけ受けて。
あと僕は一応体育会系の3年生のとき出所をやってたんで、マイナビに登録した野村証券の人がぐいぐいグルーダーについてきて。野村証券は内定もらってたんですけど、リテール営業のほうで。
内定者の懇親会行ったときに、脳みそを筋肉で吸うみたいな人だと仲良くあまりなれないなっていうか、この環境よりはちょっと頭疲かったような仕事があったんで。
そういうこと言ったらあれですけど。そこから院の入試のほうに切り替えて。僕のとき結構早かったんで、就活が。2月、3月、4月とか。院の入試が8月とか。そこから切り替えて院の勉強をしたっていう感じですかね。
ありがとうございます。選択肢としては就職活動もきちんとして、当時から海外だったりだったり。でも、サッカー部の首相ってバリバリやってると、大会系ってもちろんリクルーティングというか、あれが強いなっていう印象もあったし。
大学院で引き続きアカデミックな道具のところを研究されていって、聞きたいのは社会人になっていくじゃないですか。そこのファーストキャリアの選択ってどういうふうに選ばれてたんですか。
大学院のときも総合奨奨受けて、一社内定もらったんですね。そこに行くつもりで内定式とかも行ってたんですけど、いざ入社するぞっていうときに。
そこからよくあることなんですけど、研究室的に文系就職みたいな。今じゃないと思うんですけど、例えば僕のいた専攻とかやったら、ゼネコンとかJRとか国交省とか、行くのが通常の中。
僕は勝者選びをしてしまいまして、それでちょっと研究室の先生が、関係も悪くない。お前は卒業させへんと、みたいなムーブメントが起きまして。
それで、卒業が1年延ばすぞ、みたいな感じになりまして。それで、マルベニューさんなんですけど、3月直前。1、2週間前ですね、入社式が。
ちょっと申し訳ございませんと。引き続き、今新卒で入った会社のコーファウンダーの方からお誘いっていうか、一緒にやらんかみたいなのもあったんで、もうちょっと思い切ってそっちに行こうかなっていうので、そっちに行きましょう。
社会人になる前からかなり決断を繰り返してきてますね、それは。
そうですね。大人の圧力を受け続けてきましたね。
具体的な社名は後で言うと、Pを入れようかなと思ってますね。それはご安心いただければなって。
ファーストキャリアの選択
すみません。
なるほどですね。すごい共有深いなと思いました。やっぱり僕、話を聞いてて、ドーフとかそういういわゆるところって、例えば今言ったゼネコンとか国交省みたいなところって繋がってるの分かりやすいなと思ったんですけど、
僕がこの後聞きたいのは、いわゆるイスラエル系のスタートアップってバリバリのテッキーなところに行くわけじゃないですか。
なんでだったのか気になったし、あとはやっぱり勝者っていうルートもすごく分かりやすかったので、そういう選択肢を考えながら、結局Pを結局続けて、いわゆるスタートアップですよね、ベンチャースタートアップに至る。
完全にそうですね。手通り12万とかでしたよね、最初。
バンバンしゃべりましょう。
めっちゃ面白いですけど。どうですよね、ドベンチャーだと。すごい世界だな。海外に興味持ってたってのはもちろん背景にはあると思うんですけど、スタートアップっていうのはもともと選択肢にはそんなに入ってなかったのか、それは。
そんなに入ってないですよ。自分の知人がそういうことを始めたっていうので知ったぐらいで、それまで全くですね。
僕大学行ってたんで、学部で卒業してる人って社会人やってて、その知人はイスラエルに基本行ったんですけど、帰ってくるたびに日本に帰国するたびに、京都の僕の学生の一人暮らしの家に、お金もないから泊まりに行きたいとかして、いろいろ両親話を聞いてるみたいなぐらいのテンションで、しかも分かんなかったですね、イスラエルっていう。
でもなんだかんだ感じるのは、松山さん、大会期はサッカー部の首相をやってたっていうのも疑われると思うんですけど、結構周りの方にご友人はきっと多かったのかなと思うので、いろいろ話を聞くようになったのかなと思うんですけど。
でも面白いのは、ファーストキャリアが、さっき言った某大手勝者にいってれば、たぶん全然違うルートになってたんだろうなと。
全然違うでしょ。僕は1年目の年収があまりにも低すぎるから、日本学生機構、奨学金のから、しばらく返さなくていいっていう通知きました。
なるほど。
年収聞いて、200何万以下とか。1年間後ろに倒すわみたいな。
奨学金がそこまでやってくれるんだよ。
すごいですわ、それは。社会人キャリアも聞いていければいいなと思うんですけど。どうでした?僕今40でスターリーマン5社経験して、僕も比較的スタートアップにはいたんですけれども。
まさやさんの場合に、さっき聞いた感じだと本当には1人目社員として入ってる感じなんですよね、確か。
そうですね。
共同創業者が3人いて、1人目の社員って。
率直に入ってみてどうでした?初めての社会人。いわゆる特殊な環境で、1年バッと働いてたと思うんですけど。めっちゃ楽しかったわ。放送できる範囲でいいんですけど。
でも一番思ったのは、なぜか大学院の研究室のときより楽だって思いましたね。
めちゃくちゃしんどかったって、つらかったって、大学院とか。
明確に何かマーケットとか営業とかして売り上げをあげればっていう明確なミッションが民間企業というかスタートアップがあると思うんですけど、まさにそうやったんで。
やっぱり研究って結構明確な目標あるんですけど、そこまでの道のりが長くて。
苦労した学生から社会人へのギャップ
ずっと闇の中を歩いてるみたいな感じだったんで。楽だわっていう印象が強い。その同時に偉いとこに来てもうたなみたいな感じはありますけどね。
生きる上で。
ありがとうございます。これはまさやさんの率直な感想というかね。一般的にはわかんないですけど、やっぱり学生から社会人ってギャップが大きくて苦労するケース大変だっていう方がこれまでのインタビューでいたと思うんですけど。
確かにかなりアカデミックというか、成果が出るまでにやっぱり暗闇の中を何度も何度も実験を繰り返すみたいなことですよね、おそらく。
それに対して、確かに営業とかマーケットが分かりやすく、いいこともダメなこともフィードバックが来る世界っていうのが楽っていう表現になるのが楽しいなと思って。
なるほど。実際、その後のキャリアのステイも聞いていければなっていう。前半ちょっとね、そのぐらいまでをぜひ聞いていければと思うんですけど。
松山さん、このイスラエル日系スタートアップの日本代表に多分この後なってると思うんですけど、どういうきっかけになってたんですか?
まさにきっかけなんですけど、入社して1年後に、上のコーファウンダー、3人中2人辞めまして、ファウンダーと僕2人っきりになりまして。
ファウンダーがイスラエルにずっといるんで、2人に僕しかいないという状態になって、そこから結果残してのしやがってなったとかじゃなくて、そこに僕しかいなかったという状態になったっていうところですね。2018年。
すごい人生ですよ、これは。
びっくりしましたけど。
これでも今だからこそ話せるトークのレベルでいいんですけど、しかも正直2人ファウンダーが特に日本にいた人が辞めてたら、辞めようとか、別に転職しようという選択肢もゼロじゃないじゃないですか。
はいはいはい。
どういうジャッジだったんですか、それは。
いやもう本当にね、人生っていうか、巡り合わせは面白くて。誰も知らないのに、その2人辞めたと。そこから結構オファーが来るようになって、何も登録しないですよ。
普通に人伝いで一緒に働かないとか、ちょっと今法人営業を探してるとか、経営企画探してるとか。
なんやったらその辞めた2人からも誘われてましたし。
やってたんですけど、めっちゃ悩みましたけど、やっぱり1回乗った船、1年で降りるのどうかなっていうのもありましたし。
1年でビッグインパクトまだ残してなかったので、残しきれてからやろうかなっていうのと。
あと社会人1年目のときに出会った経営者の40、50とかと思うんですけど、僕を採用する体力はそんななかったと思うんですよね。
手取り12万しか払えないってことは普通の人間は雇えないと思って。
そこの恩義も感じてましたし。
その経営者の先輩が言ってたのは、今の売り上げ10倍にして、社員も10倍にしてからその恩義が果たせるんじゃないかみたいな話を1年目のときにしてたら、すごい頭の中に残ってて。
それを実現してから次のこと考えようっていうのは思ってましたね、2年目の日本の代表のときは。
ありがとうございます。めっちゃ面白いですわ。これまでのきっかけみたいに3回くらいやってきたんですけど、ダントツでぶっ飛んでて面白いなっていう。
すごい経験だと思うんですよ、本当。
これちょっと前半、最後ぐらいの質問になるかもしれないですけど、社会人としては1年とか2年しか働いてないわけじゃないですか、そのときの松山さん。
仕事のやり方とか、その辺ってどう学んできたのかなっていうのがめちゃめちゃ興味あって。
本当に、一応社内でも仕事のやり方を教わるみたいなのがあるんですけど、基本社外から教わってたような記憶はありますよね。
自分よりちょっと歳近いお兄ちゃん的な人とか、ちょっと歳が近い経営者とかから、「こういうときどうしてます?」みたいな。
具体的なことは言わずに、ちょっと抽象的に言いながら。っていうのはあるんで。本当に今だなって思いますけど、一社目って本当に大事だなっていうのは感じましたね。
これもすごいいいエピソードだと思って。僕にももちろんいい覚えがあるというか、お客さんを育てていただいたみたいな感覚ってやっぱりそういうのあるなと思う。
売上10倍、社員10倍にしてやめるっていうのは先輩経営者の言葉っていうのも素晴らしい出会いだったのかなと思うので。
松山さんすごい人と人の出会いでご時代が成長されてきたのかなーみたいな話を聞いてて。
そうですね。1年目のときとか何もコネクションもないし、東京のほうで。
マーケに作る予算もないし、毎週ミートアップとかイベント。東京とかいったらちょくちょくやってたんで。
毎月100枚、200枚、KPI置いてメッシュ交換を。
素晴らしい。
もうひたすらテッククランチがあったらテッククランチで300枚の交換するぞというのをどんどん繰り返してるっていう感じですね。
ありがとうございます。これいい話ですね。
聞いてもらっている20代、30代とか若い人も最近聞いてくれているので、そういう人に行動することが大事だなと思ってありがとうございます。
前半はここまでとさせていただいて、かなり濃い話を聞かせていただいたかなと思っております。
後半は日本代表になってからのエピソードとか、それこそ現在マーケも創業されてどんなことをやっているかということも聞ければなと思っていますので、前半は終わりました。
すみません。ありがとうございます。
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