2023-09-18 29:00

【##35】「大手電力会社→コンサル会社→鎌倉市議会議員 藤本あさこさん」前編

第19回目のキッカケインタビューは、現職を鎌倉市議会議員として活躍される藤本あさこさんのインタビューしました。元々、民間の大手電力会社からキャリアをスタートさせてその後コンサルティングファームで9年間勤務。その中でライフステージの変化も経験して働き方や生き方にも変化が出てくる中で退職してソーシャルセクターで働き始める。民間⇨行政と官民を越境して、結婚・出産などのライフステージを経て自分ごととして課題と向き合って生きている藤本さんのキッカケインタビューは、官民連携・女性や子育てと仕事の両立などのテーマに興味がある方にも参考になると思うので、ぜひ聴いてみてください。


■本日のパーソナリティ

- こどもの未来株式会社:千葉祐大(https://twitter.com/Baccho1983)


■本日のインタビューゲスト

藤本あさこさん

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この番組「キッカケラジオ」は、20〜40代の生き方・働き方を応援する音声番組です。

人はキッカケがあれば必ず変われる。人生を変化させてきた、内的キッカケや外的キッカケをご紹介していきます。

人生100年時代、ライフステージの変化の大きな世代も以前に比べて様々なチャレンジを求められることが増えてきたと感じます。

同世代の生き方・働き方を等身大でインタビューするコンテンツも週1回のペースでお届けする予定です。

パーソナリティは、こどもの未来株式会社の代表の千葉が担当します。

1983年1月生まれ、私自身が40歳になったことをキッカケにスタートした番組でもあります。

40歳を迎え、改めて30代の過ごし方を振り返り、40代の10年間をどう過ごしていくかを自分自身が考えるにあたって

日々情報収集していることや取り組んでいることも平日は毎日10分ずつお届けしていく予定です。

30−40代を応援する番組ですが、今の10−20代に対しても少しでも参考になればと思っていますし

50代以上の先輩方の生き方も参考にさせて頂く為にスペシャルゲストとしてお呼びする機会もあると思ってます。


こどもの未来株式会社では

「こどものみらいがワクワクするキッカケをつくる」ことをミッション・ビジョンに掲げており、

「自分が主人公の人生」を生きる人を1人でも応援するために、「生き方」・「働き方」/「仕事」と「育児」の両立をサポートする人材紹介事業もおこなっております。


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サマリー

この番組は、20代・40代の生き方・働き方を応援する音声番組です。人はきっかけがあれば必ず変われます。人生を変化させてきた内定きっかけや外定きっかけをご紹介していきます。実家は子供服の家業を営んでいる藤本さんは、大学に行かずに起業したタイプの親父を持っています。最初は会社員として働いていましたが、人材で営業の制限をスタートしました。その後、東京電力に勤めた後、アビームコンサルティングに転職し、そこで経験した評価の厳しさやメンター制度についてお話ししています。アビューの経験を聞かせていただいて、鎌倉の話や今の議員の話も聞きたいなと思っています。アビューの働き方が変わったタイミングとかってありましたか?私なんか無理だと思っていたので、社内のダイバーシティやインクルージョンを考えるときに入れてもらったりして、今と繋がっているかなと思います。

番組紹介
【キッカケラジオ】この番組は、20代・40代の生き方・働き方を応援する音声番組です。
人はきっかけがあれば必ず変われる。人生を変化させてきた内定きっかけや外定きっかけをご紹介していきます。
おはようございます。パーソナリティの小道美代株式会社の千葉です。
今日は、週2回やっている【キッカケインタビュー】のもう19人目となる方に、今日はゲストに来ていただいておりまして、
今日は、比較的会社員の転職だったりとか、独立する方が多いんですけれども、
元々、いわゆるバリキャリーという言葉で正しいかわからないんですけれども、女性としてキャリアを積んできた後に、
ソーシャルのセクターにキャリアを移して、今は鎌倉の市議会議員として活躍をしている藤本さんに来ていただいていますので、お話を伺えればなと思います。
藤本さん、よろしくお願いします。
お久しぶりなのか、あれでも最近いつ会いましたっけ?
京都ですね。
比較的にIBS京都でちょっと話したので、1ヶ月経ってないかなという感じで、お話を嬉しいなと思っております。
今日は先ほどのキッカケインタビューの話で、いろいろ伺っていければなと思いますので、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
最初に簡単に自己紹介だけお願いしちゃってもよろしいですか?
ゲスト藤本さんの経歴
藤本麻子と申します。
2021年から鎌倉市議会議員をやっていて、子供を1人育てています。
趣味はヨットです。
大丈夫ですか?
大丈夫です。ありがとうございます。
ヨットの話を初めて聞いたので、それは少々お待たせください。
鎌倉は今市議会議員でやっているので、後半ちょっとその辺の話をぜひ聞ければなと思うんですけれども、
僕がもともとあったのは、フェジョンさんはソーシャルの活動を後でいろいろ聞くんですけれども、
母親アップデートコミュニティみたいな活動をしていた時に、
パパの社団法人とかやっているので、パパママになってからお会いしたかなと思っているんですけれども、
気づいたら鎌倉を拠点にしている活動をされているので、
今日インタビューを楽しみにしておりました。
ちょっと別ですけれども、キッカケでどういう形でキャリアを変えてきたのか、
就職活動と大学生活
ヒアリングできればなと思っておりまして、
そうですね、だいたい一番最初は社会人になったキャリアみたいなところが結構多かったですので、
フィジョンさんがちょっと先ほど事前のお知らせをして、多分2010年世代の進出で始めた感じですよね、おそらく。
そうですね。
その別ですけどね、就職活動とか大学生活ってどんな感じだったのか聞いてもいいですか。
そうですね、なんか私でもなんだかんだプラス2ぐらいで2010年で一応社会人になっているんですけど、
就活はリーマンショックの1年後か2年後だっけ、リーマンショックは2008年でしたっけ。
2008年ですね。
2008年あって、2009、2010の就活だったんで、結構シビアというか、
就活なんてできるものではないみたいな雰囲気があった時だったんですけど、
私は結構楽しく就活させてもらったっていう感じでしたね。
大学は、私は理系の大学なんですけど、あんまりそんなに緻密な勉強ができるわけじゃなかったんで、
研究室とかも入りましたけど、女教授の先生と一緒に頑張るみたいな、そういう枠でしたね。
いいですね、理系だったんですね。
この辺もさっき鑑賞期で初めてだったんですけど、理系は子供の頃から行こうと思ってたんですか?
もともとこっちが好きだったとかあるんですか?
私、高校が工業高校なんですよ。
これ東高大附属工業高校ってところなんですけど、多摩市にある、たぶん皆さん米社から見てわかると思うんですけど。
僕、前に住んでたとこ超近いです。
あ、ほんとか。
あそこの川沿いのローソンがうちらの溜まり場だったんですよ。
わかります。
それはなんかわかんないです。
ずっと受験してる中の選択でたまたまそうなっていって、
せっかく建築学科だったんですけど、こういうことやったから、理系行っとくかもったいないからみたいな。
基本的に計画性がめちゃくちゃないので、5年後のこととかあんまり考えられないんですよ。
半年後ぐらいがせいぜいで。
そのときにあるもので決めちゃうんで、受験から選択も全部そういう感じで、大学もそういう感じでやってるんですけど、今もです。
いいですよね。僕も完全にそういうタイプでわかるので、気が合うなと思って、いつも聞いてるんですけど。
確かにそうですね、僕も2005年新卒の世代で、最初人材業界に行って、それこそリーマンショックの影響をめちゃめちゃ、
いろんな人が受けたと思うんですけど、やっぱりだいぶ集団が減ったし、会社も倒産してた時代だったので、
確かにあのときの就活って大変ですよね、っていうのは記憶にあるなって感じですね。
そうですね、理系の学部だったので、そんな大変な就活せずに、結構普通に院に行ってて、
8割9割院進学してたんですかね。
周りは大学院に行く人が多くて、その中で就職活動をしていて、
どういう軸で就職活動を受けてたんですか。会社とかスタンドアップだとか、大企業の方とか。
恥ずかしいんですけど、私は若い時そんなに志ある人間じゃなかったんで、
文系の方が、理系の人って結構研究室の人に紹介してもらったり、みたいな就活がベースなんですけど、
私はもうかなり文系的な、診察就職サイトみたいなのを登録して、
院取り出しまくりみたいな就活をしてたんですよ。結構50社くらい受けたんじゃないですか。
結構いろんな人だったね。
そういう感じで、大学の先生に、お前就職するのかね。
面接に行った企業のことを御社って言わないとダメだぞとか言われて、
結構どういうレベルだと思われてるんだろうな、みたいな感じの学生でしたね。
みんなそうですけどね。
逆に50社とか理系でバンバン受けてるんだよね。
かなり受けてるというか活動された方だと思いますし。
そうですね。半年とかずっとやってるんですよね、当時の就職活動って。
夏ぐらいから始まるから。
めちゃくちゃ行ってましたね。でもめっちゃ面白くないですか。就職活動ってめっちゃ面白くて、
今の診察一斉採用みたいな仕組みは私はあんまり良くないと思うけども、
とにかく就職活動って面白くて、
やっぱり20分とかの枠でずっと自分のことを聞いてもらえる経験ってあんまないじゃないですか。
確かにそうですね。
そこまでに自分で話せることないよっていう感じで、
私たちって日本ってなっちゃうんだけど、
20分マジで自分どう思ってるのだけ聞かれるなんて、
本当はめっちゃ楽しいっていう。
なるほどね。面白い。めっちゃ藤本さんらしいですね。
めっちゃ面白いですね。
診察って貴重な機会なんで、なかなか企業が、
企業の話を聞ける機会もなかったですよね。
それで言うと確かに貴重なタイミングなんで、
就職活動って大事だと思いますし。
そんなめちゃくちゃ氷河期の就職なのに、
大企業を受けてて、多分何社か内定を取ったとさっき話があったと思うけど、
全然優秀だったじゃないですか。
いや、あれなんですよ。
当時の、今はフェミニストですけど、
当時的にはいわゆるおじさん系が、体育会系だったんですよね、自分が。
さっき言ったようにヨットやってて、小学校からやってるんですけど、
体育会系でやってたんで、
面接でおじさんとかが、おじさんって言ってあれだけど、
いやー君、成績悪いねーとか言ってくるんですよ。
で、なんか、え、悪いですか?みたいな。いいと思ってましたけど、みたいな。
まあ、じゃあ部活頑張ってたことにしようか、とか言われて。
なんか、そういうことって、働くってそういうことじゃないですか。
結局そういうことありますよ。人がいい人だったりする。
なんか別にそんなスキルなんて正直差がないんだから、
なんかそんなのどうせ評価する採用面接官にも測れないから、
そういうところなんだろうな、みたいな。
だから、別に体育会系がいいって話じゃないですけど、
当時のそことはあったんでしょうね。面白かったですよ。
大事ですよね。体育会系がね、僕もサッカーずっとやってたタイプなんですけど、
何かを頑張って経験があるっていうふうに見られる傾向も多分あったりするなと思いますし、
実際そういうとこで決まることも多いなと思ったりするんで。
それでもいいですよね。何者かないといけない。
たぶん新卒のキャリアが大きいですよね。
そうなんですよ。
もう大企業じゃないですか。
いや、なんかこれも結構迷った。もう1個か受かってたところと迷ってて、
なんかすげえなんかあんま分かんなくて、心出しなかったんだよ。
私若い時は。あんま分かんなくて。
やめた方がいい。周りに言われてたんですよね。合わないから。
そうなんですね。はいはいはい。
なんとなく自分はそうなんだろうなみたいな。
だって公務員とか、その半家半民っていうか、
物は合わないだろうなみたいな。
私それまでもずっと学校でずっと問題人っていうかちょっと1人だけ違う人だったんで、
そういうのも踏まえてみんなの見る目は正しいなっていうか。
でもなんか兄がいるんですけど、
兄は結構私と違ってマス寄りの人間ですごい友達も多いんですけど、
就活ずっといろいろ教えてもらってたんですけど、
なんか兄が、いやお前絶対いいに決まってんだろみたいな。
よく分からない。
なんかそういう社会的常説みたいなものを持ち込んできて、
おーみたいな、なんか分からんけどみたいな感じで言ったんですよね。
この言い方するとちょっとあれなんですけど、入社させていただきました。
全然ありますよね。周りの友人とか、僕も兄弟4人いたりするんですけど、
もちろん親のアドバイスとかも聞くじゃないですか。
実家の子供服の家業からの営業キャリア
僕もなんで変な話ですけど、実家は子供服の家業をやってるけど、
逆に親父は大学行かずに起業しちゃったタイプなので、
最初は会社員、ベタですよね。3年営業やれよみたいなことを言われてたのが、
なんとなく残ってて、最初人材で営業の制限をスタートしたなっていう所持があるので、
周りの影響って普通にやらなきゃいけないんだなっていうね、普通に思って。
なんかめっちゃ喜んだんですよね。家族とか周りの人が。
なんかこんなに入社が決まるだけで、こんなに人を幸せにできるって、
すげえ涙が出るかと思うんですけどね。
生活は面白いですけどね、ほんとね。
確かに。本当にそう思います。
ありがとうございます。そしたら、キャリアを大事業、東京全力がスタートしていて。
変な話ですけど、今の三島さんをよく知っているので、
当時の三島さんはあまり想像がつかないなという気がするんですけれども、
実際どうでした?最初のキャリアやってみて。学ぶことも当然あっただろうし、
キャリアを変えているきっかけもあるかなと思うんですけれども。
なんか新卒の研修とかあるんですよ。1ヶ月ぐらい。
なんか私、園児のカーディガン着てたら、
そんな色着て?とか言って言われて。
なんかそういう感じでしたね。
時代もちょっと違いますもんね。今のとは別にね。
確かに。でもなんかね、研修とかの先生にはとにかく怒られるんですよ。
悪いことしたわけじゃないですけど、
研修中飴舐めてるとかそういうやつで怒られる。
なんかそういう、ちょっとした生活スタイルはマッチしないですよね。
僕もそういうタイプなので、わかるなと。
そうそう。っていうのが思い出そんな感じですね。
いいですね。東京電力は1年半ぐらいでしたっけ?
1年半ぐらいでした。
法人営業部っていうのに出てもらって、
東京電力とアビームコンサルティングでの経験
あそこってやっぱり一応入ると関東行きのどこに配置されるかわかんないですよ。
だからなんか世田谷とかに住んでた、
毛を出てるキリッとした言葉がなんか、
グンマになりましたとか言って、
家の近くに一旦置いてあげた方が、
なんか料費とかかからんやんとか思って。
わかんないですけど、いろいろあると思うんですけど。
だからなんか、でも私神奈川に住んでたんで、
いやなんかこれいきなり一人暮らしとかやったらなーとか、
大学もちょっと一人暮らししたけど、
神奈川がいいですねーとか言ってたけど、
結局品川だったんですよ。東京の品川。
神奈川配置だったんですね。
で、でした。え、なんだっけ。すみません。何の話でしたっけ。
大丈夫ですよ。1年間どんな感じだったか。
ごめんなさい。全然違う話。
全然大丈夫ですよ。
あ、そうそう。だからなんかそういう、
えーとね、なんかこれも、
いやなんか仕事の話、
営業なんだけど、電力契約の話をするから、
なんか電力を買ってくださいって話はあんまりしなくて、
使いすぎないでくださいって話をするんですよ。
個人にね。
止まっちゃうんで、供給が足りなくなっちゃうんでとか、
なんかそれはやっぱ物を売ってるというか、
ちょっとやっぱここは質が違うよなって思いましたね。
なるほどね。面白いですね。
でもなかなか寝室ってやっぱり、
できないというかね、なるほどそういう営業なんだってのも知らなかったんで、
寝室から多分大きい会社さんと、
普通に営業で話す機会がそこであったってことですよね。
そうですね。
品川区だったんで、
品川区の関係者さんは大田区とか目黒とか、
羽田空港さんとか、
大学さんとか結構あるじゃないですか。
大学の研究室とかの電力がめちゃくちゃ高圧で使ってとか、
そういうのは確かにみたいな。
高圧契約とかなんですよね。
一般家庭の何十ボルトとかじゃなくて、
何万とか何千ボルト。
細かい話になっちゃってすみませんけど。
そういうのが面白いなと思って、
入ったのは2010年で、
2011年、震災があるんですけど、
2010年で結構興味深かったのが、
96年ぐらいに一回、
データ書き換えの不祥事を起こしてるんですよ。
そうなんですね。
それを結構研修で教わって、
データ書き換えの不祥事、私たちはこういう事件がありましたと。
でもこういうことはやっちゃいけないよっていう研修を、
結構2010年にやったっていう記憶があるんですけど、
2011年を経て当時のね、
あの研修は何だったんだろうなって思ったりもして。
めちゃくちゃ診察官は面白い経験をされますね。
電柱にも登ったりしましたね。
そういう現場のやつも。
今話してて思い出してきたけど、
やっぱり全然違うんですよ、ビジネスが。
たくさん売るとか、そういうノルマを考えるとかじゃなくて、
配電事故があったら、
雨だろう、台風だろうか、夜だろうか、みんな走って行って直したりとか、
フィーを取るわけじゃない。
すごくいっぱいありましたよね。
やっぱりあそこ半分インフラなんで、
評価の厳しさとメンター制度
今いるところで通じる感じがありますよね。
金がどうこうっていうか、
確かな尽力を全ての人に届けたいっていう根底があってやってらっしゃる。
今はすごいなって振り返り。
良い話が最後に聞けましたね。
たぶんその頃は変な話だったんですけど、
まさか市議会入りになると思ってなかった。
繋がっていく話とかってやっぱりケレを形成することがあるなと思った。
本当にありがとうございます、この機会をいただいて。
そこから2社目ですよね、転職をされた後の話。
そこのきっかけとか教えてもらっていいですか?
どういうきっかけですか?
2011年の転職なんですけど、
震災は実際タイミングとしてあんまり関係がないっていうか、
やっぱり普通に入って半年ぐらい、社風が合わないなっていうのはあるんですよ。
やっぱりこの仕事をしていることが重要。
ルーティンというか、これを確実に進めていくことが重要って仕事だったんで。
社員さんというか方たちとも、
古いって言い方が変だな、おじさんたちと一緒に来たんだけど、
私が仲良くやってもらってたけど、
やっぱりちょっと合わないから、
やっぱりまだ20代だったんで、
チャレンジをしたいっていわゆる典型的な感じで、
そう考えて。
さっき千葉さんからおっしゃられたけど、
3年はやれみたいなすごいみんなあったんですよね。
10年前だけどありましたよね、3年はやれっていう。
それを頑張ってやめるぜって言って、
転職も結構フラッと伸び伸びやったんですよ。
コンサル、電力会社からの転職ってどうしたらいいのかって感じだったんで、
コンサルが受け止めてくれるんじゃないかみたいな。
いろんな知識もね。
コンサル系を見ていて、
エントリーシーズン出したりしてやっていて、
その時に最後有給証価が忘れちゃったんですけど、
ニューヨーク時間ですよ。
ニューヨーク行ってすごい楽しかったんですけど、
転職先の面接の日程を、
25日だった時に、
ニューヨーク25発かな?
25発って25日に日本着かなくないんだよって。
国際のニューヨークから会社に電話して、
ちょっと日付変えられませんか?って言ったら変えられませんって言われて、
追い返しが来て、今海外いますか?とか言われて、
いますね、みたいな。
よく分かったなって感じなんですけど。
今だったらオンライン面接があるけど、
全然その前だった。
懐かしい。
早めて帰りましたよ。
コンサル系、2社目がアビームですよね。
アビームコンサルティング。
全然優秀っていうか面白いアビームいたりするんですけど、
すごいコンサルでバリバリだった。
そこが結果的には9年ぐらい確かにいかんですね。
コンサルやっぱりプロジェクト単位で仕事してるんで、
そこはいいですよね。
合わんなって思っても、半年なら1年で。
と思ってましたね、当時は。
いろんな経験が一社の中で詰めそうですよね。
本当に最初に入ったセクターとかだと結構厳しい。
IT系の厳しいっていうか、
ザって感じで、
これはできるけどこれはできませんとかいっぱいあるわけですけど、
これはできなきゃダメだみたいなのがあって、
今はどうかわかんないけど、
評価とかでもそれってどうなんですかねとか言っちゃうんですよね。
そうすると、
人事の人とか呼び出されて、
あなたはアビーブ向いてないと思うとか言われたりするぐらい、
普通だったら辞めてるんですけど、
辞めないでプラクラやってたんですよ。
面白いのがコンサルってメンター制度があって、
大体入ってコンサルだと、
シリアーとかマネージャーぐらいがメンターでついてくるんですけど、
私があまりにも問題しすぎて、
そのメンターがどんどん位が上がっていくんですよ。
最終的にプリンシプルかダイレクトだったかもしれない。
これもうどうしてもないですわ枠だったんじゃないかなと思って。
本当に申し訳ない。
結局そんなことやってたら、
ダメだわとかいろいろ回されて、
結局最後回ったところがエナジーの、
この言い方もあれですけど、
そこの方がすごい、
みんな良い人ですよ。
良いんじゃないですかみたいな女子で、
やらせてもらいましたね。
アビューの経験と働き方
過去にこういうインタビューたくさん今してるんですけど、
人の縁で価値観変わったりとか、
相性があったりとか伸びたりとかって全然たくさんある。
僕も昔の上司とかメンターにまだにお世話になっている方もいたりするので、
そういう方にも多分、
9年のアビューの中で出会えたのかなと思ったりもするので。
これだいぶ長編になるような匂いがしてきた。
いやいや、全然です。楽しいです。
アビューの経験を聞かせてもらっていて、
後半はぜひ、鎌倉の話とか、
今の議員の話も聞きたいなと思って。
好きで聞いちゃう癖があるだけですけど、
後半はアビューの中で、
マネージメントとかもされるようになってきた。
さっきのマイクロマネージメント。
アビューの働き方が変わったタイミングとかってあったりされるんですか?
そうだけど、子どもだからですよね。
アビューの後半で子どもを産みました。
やっぱりそこは大きかったですよね。
育休とかも取られたんですか?
取りましたよ。
女性のインタビューとかも過去にやったりとか、
結構男性が聞いてくれると思うんですけど、
最近は20代の後半とか、
40代の男女が聞いてくれるので、
どうでした?
子どもを産んだ後に復職されて、
忙しいイメージもあるかなと思うので、
その辺で苦労したこととか、
逆にこういうことをしてよかったとかってあったりされますか?
結論から言うと、
子ども育てる女性がまだまだ活躍できる環境じゃないなと思って、
辞めてるんですけど、
今は変わったのかな?
変わったかもしれないですけど、
当時の衝撃がすごいですよね。
それまでって、自分がちょこちょこ会ったにしても、
ダイバーシティとインクルージョン
女性だから原点されるっていう、
一応経験しないで来れたわけですよ。
目に見えない形ではあったかもしれないけど、
それがなんか、
優秀な女性ってめっちゃいるんですよね。
でもそういう彼女たちが子どもを産んだことによって、
バックにいるというか、
でもそれはしょうがないことなんだよねって、
先輩たちがみんな言ってるのを見て、
まじで?
人たちそんな優秀なのにしょうがなかったら、
私なんか無理やんっていうか、
でもよ、みたいな、
そういうのがすごいあって、
復帰して、
復帰したときのチーム、
早く言ったチームですよね。
早稲田の政系だったかな、
政治家の御寮がいたんですよ。
私、政治家ってどうなるんですかって、
その時に一回聞いてるんですよね。
3級とか1級とか、
開けてからのとか、
自分の地元のとか。
でもその時に、
国会議員の話をされていて、
さすがにそれはって思って一回やめたんですよ。
なるほど。
それは多分2017ぐらいで、
でもそこからずっとくすぐるというか、
社内のダイバーシティ、
インクルージョンを考えるときに入れてもらったりとか、
本当は管理職しか入れないけど、
私が無理って入れてもらって、
その時に非管理職だったり入れてもらったりとかして、
意識決定の場に当事者がいないと、
制度が作られないっていうのは、
今振り返ると、
管理職だけだと、
管理職目線でいい制度って考えるんですよね。
勝ち抜いてきた人たちが考えるみたいなところがあるので、
今振り返ると、
今と繋がっているかな。
めっちゃ繋がってそうですね。
あそこでその会社の制度改革のことを何とか経験できたのがすごい。
会社でやるのは難しいとすごく分かって、
とかはありましたね。
面白い。
コンサルってめっちゃ人が来てるはずじゃないですか。
こんなに世の頭の良い人が集まっているのに、
女性と男性の働き方の各社の是正が
考え出せないのか、
みたいなのが結構ショックでした。
僕も興味が今ど真ん中のテーマだから、
なるほどなと思いました。
同一性の人だけ集まっちゃうと、
いかに頭が良かるのか、
他の視点がどうしようと抜けちゃうのか、
そういうのが面白かったなと思って。
めっちゃ勉強になります。
ありがとうございます。
一旦前半ここで切りましょうか。
めちゃめちゃアビームの
抑え生まれてからの働き方の話とかって
すごく参考になる方がいるかなと思ったので、
後半そこから、
2019年に退職される前にされている活動もあると思うので、
前半はここまでさせていただきます。
以上です。ありがとうございました。
29:00

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