条件付きのスピリチュアルの指摘
はい、こんにちは、カズです。今日のタイトルは、本質のスピリチュアル【どん詰まりの根底で愛されているということ】というタイトルにしました。
きっかけはですね、本を読んだんですけど、ネガティブは愛というスピリチュアル本を割と最近読みました。
四季さんという方の書かれた本なんですけどね、これがなかなかすごくいい本で、そこにすごく重要な指摘が書かれてあったので、そこをちょっとフォーカスしてシェアして話していければいいかなと思います。
まずは引用したい箇所を読みたいと思うんですけど、ネガティブは愛の中から引用して、以下読ませていただきます。
スピリチュアルでは、無条件の愛が大切だと言います。私も伝えています。条件付きの愛とは、これができるからあなたは素晴らしい、これを持っているからあなたが好き、と、何か条件付きで人を判断し、行為を持つことです。
一方、無条件の愛とは、何もしなくていい、存在そのものが素晴らしく、愛そのものだということです。自分は完璧だと知ることです。
ところが、無条件の愛を伝えている人のほとんどが、実は条件を付けてスピリチュアルを発信しています。
例えば、あなたはこういう人だから、これをすると運気が上がる、ここに行けば運気が上がる、今日は特別な日、これを持つと良い、などなど、条件だらけです。
本質のスピリチュアルには条件は一切ありません。あえて言うなら一つだけ、自分を大切にしてください。これが条件です。
という、引用して読ませていただきましたけれども、
いやー、本当そうだなっていう感じなんですよね。どこが特に刺さったかというと、スピリチュアルを発信している人のほとんどが、実は条件を付けて発信しているんだっていう指摘ですね。
これは、ああ、もう本当そうだなと思ったんですよね。
僕もスピリチュアルをこうして発信しているはしくれなので、自分の発信している内容を振り返って考えたんですけど、やっぱり知らず知らずのうちに条件付きの発信になってたなぁみたいな感じで思いますね。
しかし、なかなか難しいっていうのが実際のところじゃないかなと思うんですよ。というのは、条件を付けるっていうのは、言い方を変えたらある場所を目指すっていうことだと思うんですよね。
この場所だとダメだから向こうの場所に行った方がいいですよっていうのが、条件を付けるっていうことですよね。言い換えればですね。
それっていうのは、今の場所が不満であるなら、こっちに行けばどうですか。そのための方法はこうですよっていう、そういうことだと思うんですよ。
僕自身がスピリチュアルをここまで学んできた、そもそもの理由っていうのが、僕自身の不幸を解決するっていうのが全ての始まりだったんですよね。
無条件の愛と条件付きの発信
スピリチュアルを探求する当初のモチベーションのすべては、自分自身なんで不幸なんだ、人生なんでこんな辛いんだっていう、そこからだったんですよ。
で、それは、自分がそうしてるんだっていうことに気づいたんですね。スピリチュアルを勉強しているうちに。
で、じゃあ幸せになりたければ、自分が変わらなきゃいけないんだっていうことを知って、そういうモチベーションで今までやってきたんですよね。
だから何とか変わりたくてずっとやってきたっていうのがあります。
だから、結論として言いたいことはですね、無条件の愛っていうのは真実なんですよね。
宇宙の根本が愛とか、根底のところであなた受け入れられているとか、完璧であるとかですね、それは僕も全く異論がなくて、
なぜなら、僕も常々言っていることはですね、あなたは神の子ですっていうのを毎回くらいな感じで言ってると思うんですけど、それも同じ意味と捉えていいと思うんですよね。
だから、あなたは別に何もしなくてもありのままのそのままで、すでに完璧であるっていう、
そのメッセージはこれはもう、まごうごとなき真実と言えると思います。
僕もこれは本当にそうだなと思うんですよ。
だけれども、僕が思うのはですね、本人がそれで満足するかどうかっていうのはまたちょっと別の話だと思うんですよ。
というのはですね、ありのままですべて完璧です。
世界もあなたも手を加える必要性は全くない完璧な存在なんですっていう、こういうようなメッセージですね。
このメッセージをですね、そのまんま、そうなんだ、よかったみたいにね、受け取れる人はそれでいいと思うんですよ。
だけど、僕も含めてですね、多くの人っていうのは受け取りきれない、納得しきれないのではないのかなと思うんですよね。
わかんないですけど、僕はそう思うんですよね。
すべては完璧っていうこのメッセージですね。
だから、愛は条件付きじゃなくて無条件なものなんだから、だからすべてあなたも完璧、世界も完璧、すべてはあるがままで完璧なんですよっていう、
ことですね。こういうメッセージ、こういうことをですね、僕がこれを、少なくともですね、僕がこのことをおぼろげながらも納得できるようになるためには、
10年以上哲学的なものから始めて、スピリチュアルな本をひたすら読んで考え続けるっていう、そういう必要性が10年以上、少なくとも僕の場合はありました。
だからすごく自分で、だから努力して変わったみたいなことなんですよね。僕の視点から言えばですね。
しかし、そういう僕個人の努力とか営みとか、そういうものでさえも、神様視点で見たら、すべて問題がなくて完璧なんだっていう理解だと思うんですよ。
だから僕視点から見たら、つまり問題があったわけなんですよ。僕個人の人生に問題を感じていたので、このままじゃいけない、この場所からどっかで移動しなければいけない、自分が変わらなければいけないと思って、実際にあれこれ努力して、
その場所から移動して、大丈夫な場所に移った、大丈夫になった、でああ良かったっていう視点というか、そういう感覚なんですけど、神様から見たら、だからすべてが、脚本はすでに書かれていたとか言いますけど、
だから神様目線から見たらすべて完璧っていうのは、そもそもなんだろうな、そこへ行くっていう筋書きがあって、僕がその自分が変わってその場所を移動する、自分の人生を変えるっていう脚本があって、その脚本に進ませるために、僕の人生にすごくネガティブで辛いことが起こって、
で実際に行動を起こしてそうなったっていうことなんですけど、だからその筋書き的には完璧だよねっていう、全部愛だよねみたいなのが神様視点だと思うんですよね、だからその受け取れる人は全然それでいいってことです、ただそのそれを受け取れない人というか、
いやどこがありのままで完璧で愛なんだよ、全然なんか愛なんかじゃないよ、あの不幸、辛くてたまんないよみたいにね、言いたくなる人は、やっぱりそのこっちに行ったらいいですよっていうメッセージ性はその人にとっては必要だと思うんですよ、
スピリチュアルの情報発信と振動数・動機部分
そういう人たちにとってはそのある種条件付きのメッセージというか、そのままでいたくないんだったらここを変える必要があるからこうしてくださいねっていうメッセージがその不満、不幸を感じている人、だからその必要が性を感じている人に対してはそのメッセージが適切だと思うんですよね、
しかしそのすべての営みさえも神様目線で見たら、宇宙レベルの視点から見たら全部がデキレースというか脚本通りなんで、全部完璧なんですよっていう、そういう理解になるんですけど、すごくここに視点の違いがあると思うんで、なかなか納得が難しいというか理解が難しいところだとは思うんですけども、
まあまあまあそんなことでですね、それはちょっとそのくらいにしといて、スピリチュアルを発信する側として僕が思うことはですね、発信する情報のベースの振動数というか、そういう情報を発信する動機部分っていうのがとっても大事だなと思うんですよ。
なんでそれをやるのかってことですね。だから僕の場合だったらなんでこのスピリチュアルの情報発信をやってるのかっていうその理由とか、そういう部分ですね、それがやっぱりめちゃくちゃ大事だと思うんですよね。
っていうのは奇跡講座が教えるように、行動の動機、行動のモチベーションっていうのは愛か恐れの二択しかないっていうことなんですよね。
恐れで動いてる場合、つまり利己的な動機で情報発信をしている場合だと、その情報発信の目的っていうのは自身の利益にあるので、そのリスナーさんですね、情報の受けて側に対してやっぱり恐れの感情を抱かせてでも自分の利益につなげたいっていう方向に行っちゃうんですよね。
他者をコントロールする最良の方法は、その人の恐れの感情を刺激することなんですよ。恐れの感情をうまく使うこと。
コントロールしたい場合はもうこれに尽きるんですけど、この辺は広告とかマーケティングの心理とかを勉強したことがある人は直感的に容易にわかることだと思いますけども、
基本的にテレビのCMっていうのは、やっぱりその目的からしてね、その購買意欲を刺激して僕たちに購入するっていう商品を買わせるっていう行動につなげるためにテレビコマーシャルっていうのは作られてるわけなんで、やっぱり我々に不満属感っていうのを抱かせるように意図して作られてるわけなんですよ。
不満属感っていうのはだから恐れ感情ですよね。だから恐れ感情を刺激するように作られてるんですよね。広告とかテレビコマーシャルっていうのは基本的にね。
こういうのはもう行動の動機はあいか恐れの二択しかないっていうところから分かってくる明らかになってくるところなんですけど、
この辺の話はちょっとトピックの内容自体が暗いというかちょっとネガティブな上にですね、だから波動がちょっと低くなっちゃう上にめちゃめちゃ込み入ってくる話なので、
今日はこの辺にしてちょっと留めていこうと思うんですけど、
つまりそれら含めてですね、僕が言いたいことというのは、だからこのチャンネルではですね、僕のこのチャンネルではひたすら恐れじゃなくて愛のほうを喚起するような、
情報発信の動機と方向性
そういう愛のモチベーションを刺激するような、そっちを刺激して自分の完璧さ、自分が本当に神の子なんだっていう、そういうことを思い出せるような、
だからその無条件の愛というその本来の一番安心できる部分を思い出すような方向性に持っていけるような、そういう配信を今後も方針として貫いていきたいなと改めて、
この本のこの引用部分を読んで思いました。ということですね。ちょっとあんまりまとまりがあったかなかったかよくわかんない内容になったかもしれないですけど、
でも自分としてはね、なかなか個人的にすごい刺さった部分だったので、何か皆さんもね、得るものがあるんじゃないかなと思ってシェアさせていただきました。
ここまでお聞きくださり幸いです。何か今回の配信内容がプラスになれば嬉しいなと思います。
それではこの辺で失礼したいと思います。どうもありがとうございました。