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スポーツではないんですけど、そういう部活やってたなと思って。
部活ね、小学校の時はやってません。
中学に入って、最初、何か運動やるかと思って、その運動に自信もなかったんで、卓球部に入ったんですよね。
私の学校は、野球部ない学校でしたね、中学校はね。珍しくないですか、サッカー部もなかったら。
あったのは、バレー部、ハンドボール部、バスケットボール部、卓球部とかだったな。
水泳部ってあった?っていうのはないんじゃないかな。水泳部あったら入ってた気がしますね。
卓球部。それは何でかっていうと、友達が入ったから。
なんですけど、結局、全然長続きしないで辞めちゃいましたね。
ほんとほぼ行ってないんじゃないかな。だから未だに卓球が下手ですもんね、よくわかんない。
卓球部はすぐ辞めちゃって、その後、農部活だったんですね。
3年生の時に生徒会に入ったのが部活みたいな感じではありましたけど、そんなもん。
ただ、部活がもう一個あって、これが合唱部なんですよね。
合唱部って、たぶんちゃんとやってる学校はあるんだと思いますけれども、私たちの場合は、年に1回ある合唱コンクールみたいなのがあって、
出なきゃいけないみたいな感じがあって、我々の中学校からも代表を出さなきゃいけない的な感じで、直前に音楽の先生が、お前とお前とお前みたいな感じで指名されるんですよね。
で、やれって言われて、はいみたいな感じで、何回か練習付き合わされて、付き合わされてって言ってね、自分から部活やったつもりないですからね。
で、区大会出て、1回歌って、おしまいというね。区大会って、厚田区の大会は3校しかありませんから、絶対にメダルがもらえるっていうね。
合唱コンクールにメダルがあったかどうかわかんないですけど、3位以内には必ず入るという、他の区から見ると本当に何やってんだって感じだと思いますけれども。
たぶん名古屋市の16区の中でも、厚田区って一番人口とか少ないんじゃないですかね。小人回りした区なんですよ。
で、合唱やりましたね。いやーちょっと今、合唱コンクールで何歌ったかって思い出せないぐらいに記憶はさらかじゃないですけど、歌いましたね。
浜井君とか中西君とかと一緒に歌ってましたもんね。
何だったんでしょうね。そもそも音楽の先生ね。音楽の先生ってやっぱり中学校になるとちゃんと専門の先生なんですけれども、お坊さんなんですよ。
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安藤先生って失礼したけど。だから本業が忙しいと音楽の授業が自習になるっていうね。ちょっと意味わかんなくないですか。そういうことってあるの?だって学校の先生ですよ。
なのに葬式とかあるといなくなるんですよね。あれはよくわかんなかったな。別に音楽の先生がお坊さんだとしても別に何の問題もないですけど、なんで授業いなくなるんだっていうふうには思いましたね。
音楽ね、小学校の時には単人の先生がやることが多かったと思いますけど、でも今の小学生は違うんだろうな。
中学校ではそうやってね、単人の音楽の先生でね。なんか音楽の先生って女性のイメージないですか。うちはお坊さんって言って、甘さんじゃないんで、男性のおじさんでしたね。
あれは学校だったんでね、別に誰も音楽の授業なんてこなかったし。だから多分合唱部に我々が選ばれたのも、真面目だからっていう理由だけだと思いますね。
たまいってもう一人選ばれたやつが学級委員だったし、中西ってやつも見るから真面目な、まあそう真面目でもないんだけど真面目な感じの子だったんでね。それだけでしょうね。
あとは覚えてるのは、生徒会の役員として、名古屋市の南部ブロックみたいなのの生徒会の合同会みたいなのがあって、それで司会やったんですよね。何なんだろうな、あれ。
私が住んでいた厚田区っていうのは、その南には港区から西川に中川区ってあって、その3区だったような気がしますけれども、どっか行ったんだよな、法人中学校だったかな、港区ですかね。
の学校行って、そこでいろんな学校の生徒会が集まってきてて、何かしらの発表みたいなのをやって、その司会を私がやって、全然知らない学校の先生に君司会うまいねって褒められたのを覚えてますね。当時からMCが上手かったってことですね。
生徒会での思い出が全然ない。何をしてたんだろう。生徒会って何なんですか、そもそも。一個覚えてるのは、クラスオブザイヤーっていうのを決めようって私が発案して決めたんですよ。これはだから、運動会とか、学芸会は中学校ではなかった。展覧会かしら。
何か1年の行事みたいなものを全部ポイントつけて、運動会とかもクラス対抗戦だったんで、旧期大会とかあったのかな。覚えてませんけど、何かそれでポイントつけて年間の優勝を決めようみたいなね。そうすると1年間、クラスのモチベーションが維持されるんじゃないかみたいなことを発案したっていうのは覚えてますね。
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それがうまく機能したかどうか全然知りませんけど。だって生徒会長も前期と後期で確か違うんじゃないの。1年やるんでしたっけ。知りませんよね。でも違うんじゃないの。一緒だっけ。記憶がさらかじゃありません。そんなもんなんだよな。半年やったのか1年やったのかも覚えてないぐらいですもんね。
明らかにやっぱり他の生徒会の役員が全員女子だったってこともあって、僕だけ別に仲間遊びにされてるわけじゃないですけどね。話はしてましたけど、当時って男子と女子の間ってあんまり話す感じなかったんですよね。
ただうちは母子家庭で妹がいるってこともあって、うちに帰っても女性しかいないし、生徒会に行っても女性しかいないし、女性と話すっていうことに関しては当時から慣れてる感じはわれながらありましたね。別に女性と話すことが慣れているからといってモテるわけでは全くないんですけど。ないんですけど、その抵抗は全然なかったですね。
こんなに覚えてないもんかな。多分いろんな行事とかで私が何かしら喋ったりしてたんでしょうね。あと何があったっけ。なんかね、そういえばあったな。論論。青年の主張っていうのあったじゃないですか。あったじゃないですかって言われても困りますよね。
NHKとかで自分の主張を言う演説コンクーラーみたいなのがあるんですよね。スピーチコンテストか。それ確か青春メッセージっていうふうに名前変わって、すごいなあNHKだと思いましたよね。青年の主張っていうのもダサければ青春メッセージはもっとダサいっていうね。青年の主張なんか私も良かったんじゃないかと思いますけども。
そういうのがうちの中学校にもあって、僕も代表として喋って優勝しましたね。人前で話すこととかって当時から全く緊張なかったですね。てかむしろ好きでしたね。生徒会長とかやって、だから全校生徒の前で喋ったりする機会って結構多いじゃないですか。大好きですもんね。
何なんでしょうね。どっかで考えが変わったんですよ。だから昔幼稚園児の頃とかはクラスの引っ込み事案の先生、田戸坂江先生にですね、もっとおしゃべりしましょうねって言われるようなカーテンの後ろにくるくる隠れてる子供だったわけですけれども、小学校多分名古屋に転校してからだと思いますけど、
クラスのみんなを笑わせるっていうことの面白さに目覚めてですね、何かあればちょっと笑いを取ってやろうみたいなツッコミですよね。先生が言ったことに対して何かしらツッコミを入れることでクラスの笑いを取るっていうことが、どっかで味を占めてですね、小学生の時ですね、4年生とかじゃないかな。
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中学2年生の時にも、単人の戸度木先生に褒められたのは、神田君って勉強ができる真面目な子かと思っていたら、すごく明るいんでびっくりしたみたいに言われて、クラスで笑いを取るみたいなのがすごい好きだったんですよね。
だから、もともと人前に出るみたいなところが、笑いを取るっていいタイミングで面白いことを言葉を挟むってことなんで、人前に出るってこととほぼ一緒じゃないですか。それは昔から好きなんだよなぁ。
いまだに人前で緊張するってことは当時がないですよね。なんかね、不思議なもんですね。