1. 神田大介の経験
  2. 日本シリーズ見に行った
2024-06-06 10:05

日本シリーズ見に行った

サマリー

星野さんはなると、成績も良くなります。巨人と中日の対抗意識が強く、ドラゴンズファンはジャイアンツを倒すことが重要だと考えています。星野政権でドラゴンズが全国区になり、存在感が増しています。

星野政権の登場
星野さんになってからはですね、成績も良かったんですよね。だから就任1年目、1987年は2位だったみたいですね。
これがだから、1位、優勝したのは巨人なんだな。
そもそも、巨人と中日っていうことで言うとですね、V9って言ってね、ジャイアンツというか、もう大長島の時代にですね、ずっと優勝を重ねていた時代があって、
そのV9を破ってV10を阻止したのがドラゴンズなんですよね。
それこそ星野さんと元気で投げてた頃のドラゴンズですけれども、っていうぐらいで、名古屋に行ってからつくづく感じましたけど、やっぱり東京に対する対抗意識すごい強いんですよ。
これがね、だからね、大阪も多分そうなんじゃないかなと思うんですよね。東京を何するものぞっていう感じはあるんですけど、
大阪と違うのは、表面的にはですね、東京さんには敵いませんから、みたいな感じの態度を取ってるんだけれども、
真中ではですね、ケッと思っているっていうですね、そういう感じがやっぱり名古屋の特性かなと思います。
だからやっぱり、当時圧倒的にジャイアンツが強いし、それからそういうテレビとかでもジャイアンツっていうのが主役にいるし、
とりわけ日本テレビがね、やっぱりジャイアンツを取り上げますから、
その通常裏裏全国で放送されているのはジャイアンツ選ぐらいなので、ドラゴンズファンっていうのは名古屋の中ではマジョリティですけれども、
要素に行けばマイノリティだってことはよくわかってますから、
そのドラゴンズのファンも、やっぱりジャイアンツを倒すっていうことが大事だと。ジャイアンツを倒して優勝だと。
だってあれですもんね、萌えよドラゴンズっていうね、山本政幸さんが作ったでおなじみの大変有名な拡張高いですね、
ドラゴンズ応援歌がありますけれども、「遠い夜空に…」の歌ですね。
あれも途中で、いろんなキューダーがなぞられて、あいつに勝って、あいつに勝って、みたいなところが出てくるんですけども、
そして憎きジャイアンツ、生きの根止めて優勝だ、みたいなね、ジャイアンツだけなんか長いっていう、使いが違うっていう。
あれ確かね、歌詞は途中で変わったと思いますけども、さすがに憎きとか生きの根止めるとか、穏やかじゃない表現はね、その後変わったと思いますが、
ともかくそういう具合ですごく特別な存在ではあるんですよね。
なので、よく東京とかプロ野球に興味のない人とかには、本当にアンチ巨人とか意味わかんないと。
確かにアンチってあまり良い印象ないですもんね。
何かに対する負のエネルギーみたいなものを自分のアイデンティティにするの、頭おかしいんじゃないのかぐらいのことを言う人もいたわけですけれども、
実際にアンチ巨人だったものだから言わせてもらうとですね、それぐらい巨人が絶対的な存在だったんですよ。
どうやったってひっくり返らないっていうぐらい強かった時代があって、
実際それからそんなに強くなくなってもそこまではね。
ドラゴンズの対ジャイアンツ闘争
でもAクラスから落ちるってことは滅多になかったし、それからやっぱりスター選手の顔ぶれであるとか知名度であるとか、
もう全然段違いだったので、そこはそうなるよねっていうことなんですよね。
アメリカが嫌いな国がたくさんあるって似たようなもんですよ。
それは決して理由なしとはしないっていう話じゃないですかと思いますよ。
だってそうやってジャイアントに勝たないと、存在の証明ができないんだから、ドラゴンズだったらね。
まあともかくですね、そういうことで星野監督が来て、ニュースステーションという番組が当時始まってましたけれども、
塾に行くとこれを見ろって言われていたニュース番組でしたが、夜10時のテレ朝の番組でしたけれどもね。
これがね、だから久米寛さんは広島ファンなんですよ。
小林さんはドラゴンズファンだったんですよね。
だからね、やっぱりドラゴンズの話を結構してくれるわけですよ。
久米さんもね、星野さんが監督になって、近藤真一さんもね、そうやってのひとのおらんして。
星野さんが就任した後か、千合さんですよね。千合博光さんね。
正規のトレードって言われましたけれども、監督さんになって、その後でトレードが成立。4対1のトレードですよ。
これで千合博光さんというパリ流の三冠王がですね、ドラゴンズにやってきたっていうことで、
一気にね、ドラゴンズが全国風になるような目立つ派手な成績も伴ったんで、活躍をしたというようなことでね。
大きく変わっていくんですよね。トレードもすごい下ですからね、星野政権はね。
例えば西部から来た小野さんというピッチャーがいましたけれども、後に齋田氏を取ってますけど、
平野さんとのトレードですよ。一番タオがルイに出て、二番平野がおくりバントでおなじみの平野さんですよね。
本当にイブシギンの選手で、大変重要な役割。
いやびっくりしましたね、トレードされた時は。しかもピッチャーと変えてね。
だけどこれがまたピタッとハマったわけですし。
それから他にもね、あれでしたね、驚いたのはね、西本さんね。
巨人からやってきた。だから巨人とトレードをするってこと自体もびっくりですけど。
なんかその出したのが中尾さんっていうキャッチャーで、確かに当時中村武さんがですね、対等していたんでキャッチャーとして中尾さん。
MVP選手ですよ、中尾さんっていうのは。今度は佐藤さんの時のね。
星野政権の全国区化
中尾をトレードに出して西本を取っていくっていうこの辺りね。
いやーなんかその一気にドラゴンズは全国区になったなっていうふうに思いました。
だから平野さんはこの就任2年目に優勝してるんですよね。
この優勝した年が1988年。
この年確か私あれですね、見に行きましたね、日本シリーズをね。
名古屋球場はちょくちょくとたまに見に行ってたんですけれども、
この時も確かこのシリーズだよな、西武とやった日本シリーズですよね。
だからまあ西原がもし生きてたらね、ドラゴンズとライオンズの日本シリーズってことで
夢の日本シリーズになってたと思いますけれども。
まあともかくね、行きましたと。
で、私が見に行ったのは第2戦だったな、確か。
あのね、この日本シリーズは一勝4敗なんですよ、ドラゴンズはね。
西武にボコボコにやられてるんですけど、唯一勝ったシリーズ見に行ってるんですよね。
その試合の先発は小松さんですよね、小松達夫投手。
元祖速球を150キロの球をガンガン投げ込む。
でね、覚えてますもん、プロゴルファーの岡本彩子さんがいたんだよな、観客席に近いところにいてね。
やっぱ目立ちますよね、有名人っていうのはね。
たぶん星野さんとかと仲が良かったりするんですかね、よく知りませんけど。
見に行って勝ったの覚えてますね。
なんかそういう身近な球団っていうのがあるっていうのは悪くないですよね。
当時は本当にドラゴンズ戦とかって私よくテレビも見てるけどラジオで聞いてましたし、
あんまり褒められたことじゃないけど、学校の授業中に聞いてたことあったな。
これあれたぶんね、当時の日本シリーズってデイゲームだったんですよね。
平日もあったんじゃないのかな。
だから中学生でしたけど、ラジオで分かんないようにしてこっそり中継を聞いてましたよね。
学校が荒れてるのをいいことにね。
学校ってやっぱ大事ですね。荒れてるとそうやってそんなにヤンキーじゃないやつもどんどん不真面目になっていくっていう。
本当に自分を棚にあげるようで申し訳ないですけれども、聞いてましたね。
この頃はだからドラゴンズ強かったって、この頃はっていうか結構ずっと強いんですよね。
星野さんはこの後退任して高木盛道監督になって、高木さんも10.8とかやって結構いいところまで行くんですけれども、
ちょっと難しいということで星野監督にまた戻って、そこから先が名古屋ドームとかになっていくわけなんですけど、
さすがにちょっとこの辺は私そんなに見てないっていうか、だって94年には大学生になって東京に行ってますから、それが高木監督の時代なんでね。
私にとってその第一次私ドラゴンズブーム、ドラゴンズマイブームはその星野監督の第一期、第一次星野政権ですね。
その後2000年代になって、落合監督になってからまた野球を見るようになりましたけれどもね。
最近はね、辰波さんね、本当に頑張ってください。
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