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はい、ということでですね、風俗店の経営に関しては、これ全部が全部っていう話かどうかは知りませんよ。
私が取材した範囲で言いますと、私が実際に取材したところによりますと、風俗店を経営する人にはですね、暴力団が絡んでいる。
で、その継続して風俗店を経営するために一番要になってくるのは、そこで働く女性を継続してそこに勤務させるということです。
大変な仕事ですからね。あんまりやりたくないって思う人が多い仕事ですから、私は別に職業に規制はないと思ってますけれども、黙っていて人が集まってくる職業でないということは間違いありません。
そういう職業に、ちゃんと毎日お店が営業できるように女性従業員を集める。ちなみにキャストとか呼んでますよね。これもまたね、いろいろ意味深だと思いますけれども、そのための装置は借金であると。
その借金を作る装置っていうのはいくつかあるんだけれども、例えば元々ある。それから覚醒剤とかね、いろいろあるんだけれども、ホストクラブっていうのも非常に大きい装置になっている。
つまりですね、暴力団は風俗店からお金を生み出す、そういうシステムを作り上げていて、参加に貸金業者もいればホストクラブもあれば風俗店もあるという、そういう話をしてきました。
さてですね、これ自体は本当に私が取材してたのは2000年代ですし、もっと前からあるんですよ。新聞記事を調べましたら、もう1990年代からそういうシステムっていうのはすでに垣間見えますね。
どこからそもそもこういう話が始まったのかですよ。これも調べたんですよね。そもそも日本における売春の歴史みたいなのはあると思いますけれども、これ最近の話で言いますと、やっぱり戦争がありましたよね。1945年に終戦、それからしばらく、その時代もおそらく本当に洋の東西を問わず、売春ってどこでもあるのであったんだと思います。
実際、その赤戦青戦っていうのはね、聞いたことある人もいるかもしれません。もともと売春って認められていたんですよね。吉原とか有名ですけれども、遊郭府っていう場所に江戸時代なんかは、そこだけでやんなさいと。そこではやっていいですよっていうことでやらせていた。交渉制度っていう言い方もありますけれども、公の勝負の勝ですよね。
第2次大戦が終わった直後なんかにも、もう本当にすぐにですね、アメリカ軍の兵士に対して性的サービスを行う女性の求人とかって行われてるんですよね。
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まあ、十軍八歩みたいなもんですよね。当然、日本にもあるんですよね。で、これをやっていたっていうのがあるし、あと赤戦青戦っていうのはそのうち廃止されるわけなんですけれども、赤戦っていうのが法的にやっていいよっていうことでやっていた売春ですね。性的サービス。
青戦の方はそうじゃなくて、まあなんとなく民の方でやっていたやつ。別にここでやっていいって言われたわけじゃないんだけど、自然発生的にできてるやつが青戦ですけれども、そういう売春地帯地域っていうのは昔からあったわけですね。
なんだけれども、ちょっと話が変わってくるのが、やっぱり戦後、だんだん日本が豊かになってくるじゃないですか。そうすると、そういうあからさまなものっていうのは、やっぱり文明国として良くないぞと。ちゃんと発展都領国じゃない先進国として、近代的な国家としてですね、それにふさわしい行動が求められるというような動きもあってなくなってくるんですよ。
だから逆にソープランドってできてくるんですけど、誘拐とか赤線合わせみたいなのがなくなって、それがソープになってるんですね。これ昔はトルコブロって言い方をしていて、トルコ大使館に猛烈に抗議されて名前変えたんですけど、当たりますよね。トルコにあんなシステムないですからね。
何なんでしょうね、あれね。たぶんハマム、昔の王宮のイメージ。イスラム教っていまだに一夫多妻制っていうイメージありますよね。ハーレムに女性をはめらせるみたいな。一夫多妻制は確かにあるんですけど、あんな感じじゃないんで。
これはまたいずれ話すことあると思いますけれども、実際にイランで見ると一夫多妻制の国なんですけど、全然そういうのはないですから、まあまあそれは別の話。だからその誘拐が赤線、青線、赤線なんかがトルコブロになっていくんですよね。
というのは法律の精神として、その法律ができる前からあったものに関しては認めざるを得ないところがある。料刑とかって重くしたら施行までにもうこれから重くしますよっていうふうに周知する期間があって、そこから重くなるわけですよね。
その前に起きた犯罪とかに関しては、前の基準で裁かれるわけです。当たり前ですけど。ということで考えると、もともと認められていた売春というのをどうするのかってなったときに、明日から営業やめろとは言えないわけですよ。その人たちも生活があるから。
っていうと、まあね、え?って思う人もいるのかもしれないけれども、やっぱり価値観が今とは違うのでそうなんですよ。で、いまだにソープって形で残ってるんですよね。なんでああいう売春が黙認されてるかって言えば、そもそもそれを取り締める法律がないっていうのもありますけれども、あれは昔からあるからですね。誘拐があった場所にしかソープってないんで。
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で、そういう流れって昭和の戦後史の中であるんですけれども、1970年代に起きてくるのがですね、そういう誘拐のトルコブローカー、ソープランドカーと同時にですね、新聞史上に出てくるのが少女売春っていう言葉です。
それとね、売春刊行っていう言葉。少女売春は要するに少女ですよね。未成年の女性が売春をするっていう話。75年頃とかにね、結構出てきます。
それからね、売春刊行は朝日新聞では1980年に朝日新聞の方で決める流行キーワードみたいなのが載ってましたけど、これはとりわけ東南アジアなんかを当時は中心にして、売春って言ったら横行したんですね。買うほうですね。買うはる。
だから男の人たちが売春目的で海外旅行をするっていう現象。これもね、たどっていくと、最初はね、台湾だったみたいですね。1970年代ぐらいに台湾のとある温泉地があるんですけれども、そこに売春目的で行くと。
ただこれはね、台湾が当時交渉制度を持っていて、そこは合法的に売春してよかったんです。79年かなんかに廃止されるんですけど、結構海外から人を集めてたらしいんですね。その一角に日本人がいたと。
で、台湾でだが79年できなくなるんで、80年代に流行するのが韓国ですね。キーセンって言うらしいですけど、あと東南アジア。それで時野首相がフィリピンを訪問したときに、フィリピンで日本人がツアーで売春、買春をしている。
ええかげんにせいというですね、抗議デモにぶち当たるっていう面目丸つぶれですよね。そういうのがあったりして、それほど一般的だったっていうことですね。
で、少女版春の方も、その時代に起きているっていうのは、なんかいろいろちょっと今から想像するの難しいと思いますが、ただ、学校が荒れているとかいう背景とはちょっと違うみたいで。
というのは、必ずしも不良少女がやってるっていう感じじゃないって記事に当時書いてあるんですよ。その70年代の記事。普通の家庭の子が普通の感覚でやってるって書いてあって、これどっかで聞いたような話というか、50年前の話ですけど、今とそんなに変わらない感じしますよね。
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で、どっちもただ、こういう点をあえて見出すとすれば、戦後の高度性経済成長期を抜けて、日本人が豊かになり、豊かになればですね、性的な欲求にそれを費やそうという人も出てくるという流れなんだろうなと思いますね。
売春できる程度にみんなお金をもう稼ぐようになったと。そうじゃない時から愛人を囲うとかってあったんですけれども、それって庶民には手の届かない話だったわけですよね。だって家庭を2つ作るっていうことですから、給料倍ないといけませんよね。
別荘を持つみたいな話で、それは普通の人にはできなかったものが、売春という形だとそれっぽいことができると。それぐらいのお金はあると。だって海外に行ってやるってことは、要するに海外旅行をするだけのお金があるってことですから。
当時、昭和50年代とかですよね。まだまだハワイ旅行っていうのがものすごい大きいクイズの商品になっている時代なんで、海外旅行がそんなに簡単にできる時代ではなかったわけですよ。それは庶民の憧れだったわけですけれども、それが庶民にもできるようになってきたっていうことの勝算だろうなと。
少女外春とかに関しては、もうちょっと別の文脈かもなと思うんですけども、いずれにしても国内でもそういうふうにお金を出すことを、普通の人ができるようになってきた。普通の男性ができるようになってきたっていう側面は見逃せないかなというふうに思います。