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  2. 名古屋に引っ越した
2024-04-15 10:15

名古屋に引っ越した

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私はですね、名古屋に引っ越すことになります。これは父親の死亡に伴ってということになりますが、母の実家が名古屋にあったんですね。
なので、東京に暮らし続けるということもできなくはなかったでしょうけれども、
母が働かないことにはですね、私たち家族の生活も続かないですから、
今考えてみるとしかし、東京にマンションがあって、それは親父の遺産であって、
親父が亡くなったので、ローンが暴引になり、つまりまるごとそれが入ってくるので、
売って、少し郊外とかに住めば、しばらくは食いつなげたのかなという気もしますけれども、
まあでもそういうことじゃないんでしょうね。精神的なこともあるでしょうしね、誰か寄りどころ欲しいでしょうし、
自分にとってはね、母にとっては親と一緒にいるっていうのはいろいろな安心もあるでしょうしね。
それから自分の知り合いもいるしと。
なんせその母もね、父親の転勤に付き合って伴って東京にいるだけですから、
東京にはもちろんね、親父の親族はいましたけれども、
そうは言ってもそれはね、姻族ですから、母にとってそんなにね、ちょくちょく頼れるって感じではなかったでしょうから、
名古屋に帰るってのは必然的なね、選択肢だったのかなと思います。
前にちょっと話したとは思いますが、私もですね、ご秘記をされていたA先生に盛大に、盛大だったわけじゃないですけど、普通に送り出されまして、
これがね、覚えてるんですよ日付を。
私、引っ越しの日付11月18日だっていうのを覚えてて、名古屋で初めて投稿したのが11月19日だったっていう記憶なんですね。
ただ、こんなものの記憶じゃないですか、どうかなと思って今ちょっと改めて調べてみたんですよ。
引っ越しは1984年です。11月18日は日曜日なんでね、多分合ってると思います。
11月19日が月曜日ですね。だから週の頭に合わせて引っ越したんでしょうね。
親父が亡くなったのは8月ですから、それから葬式があったりとかね、東京でいろんな手続きなんじゃらかんじゃら、それこそ不動産を売ったりとかもありますから、
その間は東京にいて、私の知らないところでね、多分いろんなことがあったんだと思いますね。
なんせ8歳ですからね、9月に9歳の誕生日を迎えてるんですけれども、その時の誕生日とかどうだったんでしょうね。
何にも覚えてないですね。不思議と。
3年生の学級、クラスが前に話したような状態だったということが一つと、
だから父親が死んだということの同様と、本当にその辺の記憶乏しいです。
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でもだからおじに助けてもらったのは覚えてますね。
つまり母がいろいろあれやこれや忙しいから、母の弟ですね、私から見るとおじに当たるんですけれども、
おじがプール連れてってくれたりとか図書館連れてってくれたりとか、いろいろ世話焼いてくれましたね。
そういう時親族ってありがたいですね。
11月19日に転校したわけなんですけれども、名古屋。
名古屋自体は母の実家があるところですから、もちろん私は小さい時から何度も行ってますし、
ボンと正月とかにね。
だからそうですね、でもそうは言ってもやっぱり名古屋に行くっていうのもね、
経験は旅行者というか、ちょっと一時滞在的に行くことはあっても済んだことはないわけですよね。
ていうか、そう引っ越しはすごい重ねてるわけですよ。
これまでにも申し上げましたが、大正一宮、愛知県一宮市、次横浜、次東京。
ただね、やっぱりちっちゃかったでしょ。
9歳ですから、東京から名古屋に引っ越した時は9歳ですから、さすがに物心がついてるわけですよね。
となるとやっぱりいろいろ感じるところも違ってくるっていうのは物の通りでありまして、
だからそこがね、私にとってはほぼほぼ最初に引っ越したようなもんですよ。
横浜から東京に引っ越した時のことはね、ほんとあんま覚えてないんですよね。
実際にその、例えばね、マンションの部屋の中に入って、そこにね、
なんか知らんけど、ちっちゃいチョコレートがいっぱいあったっていう記憶があって、
わかりますかね、多分明治のチョコレートで、明治の板チョコには赤いのとか黒いのとかあるじゃないですか。
ロッテかな、ひょっとして。ガーナチョコレートはロッテでしたっけ?
わかんないな、でも明治だった記憶があるな。
ビタチョコレートは黒っぽいパッケージで、みたいな、なんかありますよね。
あれのね、チョコレートのちっこいやつ?
袋詰みになってるようなちっこいチョコレートあるじゃないですか。
ビタチョコを模した。
あれがね、部屋にいっぱいあったっていうのはなぜか覚えてるんですよね。
引っ越し祝いなのか、親が子供を騙させるためにそういうものを撒いたのか。
横浜から東京に引っ越した時に妹とチョコレートを奪い合ってるっていうような記憶、映像が私の頭の中にありまして。
それに比べると、名古屋から東京に引っ越した時のことっていうのは、引っ越し自体の記憶は全然ありませんね。
全く子供ってのは白状なもんですよね。
そのような親とか業者がやることですからね。
最初はただ祖父、だから私の母の父ですね。
祖父と祖母が暮らしていた実家に、厚田区の大瀬古町に引っ越しました。
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1ヶ月ぐらいとかだったかな。
わずかな時間を経て、新居に移ることになるんですけれども。
全然東京より安いんで驚きますけどね。
安いとかっていうのは後で母に聞くわけなんですけれども、当時は私は知りませんが。
小学校3年生で転校しますと。
クラスで紹介されるわけですよね。
こういう形での転校っていうのはやっぱり初めての体験。
前に横浜から東京に引っ越してきた時には、まだ幼稚園生ではなかった。
入れる年だったんだけど、私は行ってなかったので、東京で初めて幼稚園って言ってるんですよ。
なので転校はしてないんですよね。最初から新しいクラスだし、幼稚園ですからね。
でもドキドキの転校体験ってあそこで初めてするわけです。
考えてみると転校っていうのをやったら、後にも先にもその1回こっきりですね。
先生に呼ばれてクラスに入っていって、3年3組でしたね。
入って、木又先生っていう他人の男性の先生に紹介されて、神田君ですとか言って東京から転校してきましたんでよろしくお願いしますって言って。
先生が聞かせて、みんな神田君に聞きたいことあるかみたいなことを促したわけですよ。
したらはいくつかあったんですけど、覚えてるのは足は速いですかって聞かれて。
あれは何でしょうね、小学生の足速いイコール最強っていう物差しありますよね。
私はね、あれこれ言いましたっけ、デムちゃんだったんで、全然見た目でも足の速そうな感じはなかったと思いますけども、足は遅かったですね。
だからそうやって言ったと思います。
で、それから次にあった質問がね、これが私をびっくりさせましたよね。
どうして東京なんかから名古屋に転校してきたんですかっていう。
あんまり詳細なんであんまりうまく言語化されてないですけれども、
要は花の都からなぜね、このような田舎へいらっしゃったのですかあなたはっていう。
戦亡とあざけりのないまぜになったようなですね、そういう言い方、これですよこれ。
私後にですね、8歳、9歳か、9歳から18歳までっていう思春期ど真ん中を名古屋で暮らしているので、
私の心象にもですね、名古屋の影響というのは大変色濃く影を落としていますし、
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今でも出身どこですかって聞かれたら名古屋って答えるようにしてますけれども、
東京の三原寺小学校と名古屋、しろとり小学校って言いましたけど、
一番のギャップ、驚くことがすごいたくさんあったんですけど、
一番のギャップは子供のひねくれ用ですね。
名古屋の人に怒られるけど、でも東京ではそういうことはなかったんだよな。
もちろん子供の社会なんで、これまで話したようにいじめのようなことがあったり、
むき出しの力社会があったり、それはどこでも同じですよね。
だけどひねくれてるんだよな。一回ねじれてる。
だって普通に聞けばいいじゃないですか。どうして転校してきたんですか。
まあ中学生だからなんですけど、そういう聞き方じゃなくて、
なぜ、明らかに言い方として、なぜそんな名古屋にあなたはやってきたのかっていう、
そういう聞き方を賞賛がするっていうね。
本当にうおって最初に思ったのはその瞬間でしたね。
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