1. 神田大介の経験
  2. RI学園① 越境入学
2024-06-25 10:00

RI学園① 越境入学

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勉強はできる私だったんですけれども、小学5年生の時に、算数の勉強が難しくなったんですよね。
分数、小数とか図形の問題とかが出るようになる。これが、抽象的な思考ですよね。
算数は当時から、主要4教科の中では比較的苦手だったんですよね。理科もいまいち電流とかあまりよく分かっていない感じがありますけれども、
でもやっぱり算数が分かりやすく難しくなったと。
親に聞くんですけれども、母親もそもそも完全に文系タイプで、そんなに算数とか詳しくないというのが一つと、
やっぱり仕事してるんでね。帰ってからちょっと一息つきたいのに、私の勉強に付き合うとかってのは大変だったんでしょうね。
ということで、サジを投げられましてですね。塾に行けっていうことになったんですよね。
おそらく、母親としては私を私立中学校に入れたいっていうのもあったかもしれませんけれども、それは私が嫌だってことだったんで、行かなかったんですけどね。
ただ何よりやっぱり、前にも話したかもしれませんけれども、なんせ家に誰もいないので、父親は死んでいない、母親は仕事でいないと。妹いますけれども。
だから子供を何かしらいろいろ習い事させるっていうのは、そういう誰もいない時間に人の目がいない状態にしないっていう親の考えはあったんでしょうね。
だから理解できますよね。子供だけでいいとろくなことにならないんですよね。っていうのもあって、塾に入れるっていうのは週3回だったかな。3日ね。
その間はもう塾に行っているわけなので、親としても安心だったんじゃないですか。
入りました。名古屋市の港区にあるRI学園という塾に入ったんですよね。
名古屋、名古屋市の地理に詳しくない人も当然いると思いますけど、私が住んでいたのは厚田区っていうところです。
名古屋の中心はですね、名古屋駅があるのは中村区で、栄っていう一番古くからの中心地があるのは中区なんですね。
栄から金山駅、今の名古屋の副都心とか言われるようになってますけれども、金山、栄金山ぐらいまでが中区なんです。
金山の駅を挟んで南川が厚田区なんですね。ぜひご存じない方は地図とか見ながら聞いてほしいんですけど。
港区はですね、さらに南なんですよ。名古屋出身なんで許してほしいですけど、正直その港区とか南区とか南部に行くにつれて名古屋っていうのは工業地帯になっていくんですよね。
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だからまあはっきり言いますよ、柄は悪くなっていくんですよ。これは地元の人も否定しないと思いますよ。
公安労働者たちが集まる町っていうのはやっぱりね、腕っぷしは強いけれども、てんてんてんみたいなところがあるじゃないですか。あの歓楽街とかもありましたし。
なので結構ね、この辺では越境入学ってあって、これって名古屋以外でもあるんですかね。
名古屋って名古屋市立なんですよね。小学校も中学校も全部そうなんですよ。東京だと特例区なんで23区は区立でやってますよね。
だけど名古屋は全部名古屋市立です。あつた区には3つの中学校と7つの小学校がありましたけども、今数変わってかもしれませんけれども、全部名古屋市立。
でその中区とか中村区とかにある中学校っていうのは何なんでしょうね。なんかちょっとやっぱりその頭のいい子が集まってくるみたいなイメージがあって。
実際にそうなのか私はよく知らないですけど、名古屋の南部から学区を越えてそういう学校に行くっていうのがあったんですよね。
これだから丸の内中学校、丸中とか言ってましたけど丸の内中学校は多分中村じゃないか。あれも中区なのかな。丸の内にあるんでしょうね。
あと前津中学校っていうのがあって前津っていうのは上前津下前津の前津なんですけれども、って言われても名古屋以外の人わかんないですね。
堺と金山の真ん中にあるんですけど、まあともかくだからその市の中心部、名古屋市の中心部にある中学校ですよ。丸の内中学校もそうだし前津中学校もそうですけど。
名古屋の南部、松田区あんまりいなかったけど、港区とか中川区とかですね。
そういうその中区の中学校に子どもを通わせるっていう親がそこそこいたんですよ。これ一級入学って言って。
名古屋市はそういうことはやっちゃダメだって言ってるんですよ。住民票の置いてある場所の中学学区の中学に行ってくださいねって言ってるんですけれども。
まあやっぱり港区とか中川区とかの親御さんの中には地元の学校荒れてると。
まあ荒れてるとか、やっぱりこの環境で子どもを育てたくないみたいな感じになって、中区に子どもを送るっていう事例があったんですよね。
だから実際そのバスの地下鉄の乗って通学をしていたというね。本当に実際いましたからね。
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で、まあそういうこともあったりする。それは多分私立の中学校が極めて少ないっていう事情、名古屋特有の事情もあると思いますけれども。
そういうのがあるぐらいで、まあやっぱりその名古屋の南部の方って暑さもその類に微妙なところなんですけどね。
暑さ区以南みたいなところっていうのは、ぶっちゃけて言って名古屋市の中では学力的なレベルは低いと見られているところがありましてですね。
で、そのRI学園っていうのは港区発祥なんですけれども、いやこれじゃダメだと。
これね実際に私の頃でもまだ言われてたって言いますけれども、その港区の中学校から高校でですね、高校進学で偏差値の高い、いわゆるね高校に進学しようとすると、いやいややめてくれやめてくれと。
そんなのうちの学校から行ったやつ今までいないんだからみたいな感じで、その実力があるにも関わらず受験をさせてもらえない学校がね。
担任とか校長の先生がもうちょっと落ち着いた偏差値の学校にしろみたいなこと言うっていう、なんかそのような自信のなさみたいなのがあって。
で、そこにこう違和感を感じた人がいて、井垣俊春って名前だったと思いますけど井垣さんがこれじゃダメだと。
港区中学とかね、こういったその名古屋の南部をもっとこうね、何するものだと。
名古屋の中心部なんかなんだか知らないけれども、高校にだって頭のいい子勉強できる子がいるんだっていうことで。
志を持って作ったのがRI学園という塾だったんですよ。
まあこれを知ってる人もそんなにいないと思いますけどね。
名古屋にもいろいろ学習塾ってたくさんあって野田塾とかね、真鳴学院とか。
もちろん高校で高校というかその大学受験でおなじみなのは河合塾ですよね。
河合塾も中学生向けのコースもありますから、そういうので言うとマイナーだと思いますよ。
だって港教室とどんこ教室ってどんこって地名があるんですよ。
土に古いって書いてどんこって読むんですけど、これは中川区じゃないかな。
いや港区か、港区の西の方なのか。
名古屋競馬場の近くなんですけど。
そうだからそういうところに塾を築いて、実際にそういうその朝日川岡とか明和とか菊里畜佐みたいな、いわゆる新学校ですね。
そこに港区や中川区の生徒たちを送り出していったっていうそういう塾がありまして。
熱田区は比較的近いんで、私も新学校に行くんだったら阿波羅会学園だみたいな風潮がありましてですね。
そこに行くことになったんですね。
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6年生で配偶となりました。
結構遠いんですよ。
隣の区ですから自転車で通ってましたけれどもね。
夜もそれなりに小学生にしては遅くなるわけなんで。
塾がやいってのも初めてのことですね。
ちょっと不安はありましたけれども。
港区は東海通り駅にあったから地下鉄で言うと金山、日比谷、六番町、東海通り。
うちはね、それ名古屋港線なんで名城線だけど、名港線なんで。
うちは天間町なんで。
直接繋がってないんですけど地下鉄の駅で言うと3つ分ぐらい離れてるようなところまで毎週3回、小学6年生ですね。
自転車で通ってたというような生活の変化がありましたね。
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