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勝手に体操教室を辞めてしまって以降というのは、私は全然、小6、そして中学校の3年間、全く体育の授業以外の運動をやってないですね。
もう本当に、肥満児の名を欲しいままにしていましたよね。
なんでしょうね。それで特に不具合があったわけでもないんですけれども、ちょっと今でも負に落ちないのは、体育の成績通信簿、通知書が5段階評価の2位だったんですよ、ずっと。
そのままかなと思ってたんですけど、2ってことないよなと思いますね。3ですよ、私。
バカみたいなこと言うようだけど、確かに足は遅かったかもしれないけど、そんなに僕体育がめちゃくちゃ苦手っていうわけじゃないんで。
だから例えば、年齢が長くなって、スキーとかスケートとか一応僕できるんですよ。
もちろん選手のレベルとか全然ないですけれども、普通に楽しむぐらいは。
スキーももちろん暴言みたいなレベルでしかないですけれども、スキー自体が全然できないってことじゃないし、別にサッカーとかラグビーとかもね、やれば全然下手ですよ、もちろんね。
それなりですけどね。3でないのかな。絶対評価じゃなくて相対評価だったんで。
僕主導権強化とかできるから、寛太体育ぐらいなと。他のやつに譲ってやれっていう感じがしますよね。
それははっきりしてたのは中3の時で、中3の時は2学期に先生に呼び出されて、寛太申し訳ないんだけれども、ちょっとここは譲ってやってくれって言われて。
何がというと、中3の2学期の成績っていうのは、推薦入試の場合にその内進点で評価の対象になるんですよね。
だから2月中にある高校入試の本ちゃんじゃなくて、推薦入試の方で勝負をかける子たちに通知書、成績表を回してやってくれっていう談判ですよ。
だから理科と社会が私その2学期だけ4になってるんですよね。
でもその代わりに3学期の時にはお前の体育は3にするからって言われて、やむを得ずそれを承知しましてですね。
それは承知する以外の選択肢もないと思いますけどね、中3にね。
私はその生まれて初めて主要教科で、当時は主要語教科ですね、英語もあるからね、4を取るという屈辱にあったわけですけど、
あんまりそれも屈辱ともなんとも思ってないんですけど、そんなもんかなっていうね、割と受け流してましたけどね。
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っていうような裏取引がなされてましたんで、だから私のあげた通知書の5によって推薦入試に受かっている人もいるんじゃないかなと感謝してほしいですけどね。
誰か知らないでしょうけどね、僕の成績が誰に回ったのか、僕は知らないし、相手も誰からもらったか知らないでしょうけど、知らなくていいですけど、そういうことがありますよね。
っていうことなんで通知書の2もね、僕は信用してませんけれども。
小学校の時にそういえばスキー行ったな。スキーはスキー教室みたいなのに冬に行きましたね。
てかもっと前から行ってるのかな、小4とかから行ってるのかな。結構そういう習い事みたいなのにはもう躊躇なくお金を出してくれる親でしたからね。
スケートってなんで俺できるんだろう。別に行った記憶ないですけどね。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうけど、名古屋って結構スケート盛んな地域で、浅田真央さんとかね、宇野正真さんとかみんな名古屋の出身ですけれども、
古くはもちろん伊藤みどりさんですよ。みどりさんといえばね、きょうりのスターですから。
大須、名古屋の大須っていう町があって、そこにスケートリンクがあるんですよ。
名古屋の人はたぶん1回くらいみんな行ったことあるじゃないですか。
あれは僕も行ったことあるけど、そんなに別にスケートフェスに行った記憶はないですね。
ほら、だから普通にできるんだよな。できるんだよなってレベルでは全然ないけど。
そのような感じでスポーツとは接していまして、この見る方の話もね、ちょっとしていければと思いますけれども。
やっぱりね、昭和の男子はみんなそう。野球ですよね、プロ野球。
見てましたね。
名古屋から当然中日ドラゴンってことになるんですが、実は僕はもうその前から、これは親の影響ですよ、父親の影響ですね。
中日新聞社に勤めてるんだから、中日ドラゴン増援戦でどこ応援すんじゃいって話なんだと思いますが、東京に住んでいた自分にも中日球団を応援してまして。
ただ父はもともと西鉄ライオンズファンだったんですよ。
それは本人が言ってましたね、ライオンズファンだと。
西鉄って福岡の球団なんで、なんで東京の福岡には縁もよかりもない、別に親戚がいるわけでもない、うちの父親が応援してたかっていうと、鉄腕稲穂の東急に引かれたっていうふうに言ってましたけれども、その辺はよく知りません。
たぶんね、普通にヨメルジャイアンズを応援するような感じじゃなかったんでしょうね。
パリーグだっていう時点で、すでにちょっと当時としてはひねくれた感じと言いますかね、客観視している感じ、スポーツというかプロ野球というものはあったんでしょうかね。
その流れを組んでて、西部ライオンズファンだったんですよ。
だからパリーグは西部、西リーグは中日応援するよっていうスタンスだったんで、どうしてもやっぱり西部ライオンズ戦とかあんまテレビでやってないんですよ。
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テレビでやってるのはもう全部巨人戦なんで、巨人対中日はやるんですよね、巨人の試合だから。
別に中日の試合はやらないんですけど、ちなみに名古屋に引っ越すとね、中日戦ばっかりやってるんで逆にびっくりしましたけど。
ということで、だから中日ドラゴンズの試合を見ることが多かった。
特に近藤貞夫監督の時に一回優勝してるんですよね。
野口軍団とかやれてましたけれどもね、矢沢、宇野、大島、あと誰かしら。
なんかホームラン30本撃てるようなバッターがゴロゴロしてるようなチームで、エースは小松達夫ですよね。
小松、宮子、角源寺。まだね、抑えに回る前の角源寺ですよね。
っていう時代はよくテレビ見てましたね。
当時私の周りには当然ドラゴンズファンはいない、私だけです。
それもなんか結構私のショーにはあってましたね。
それがね、名古屋に引っ越すと本当に飛んだ盆ような感じになってしまうっていうね。
そこでドラゴンズファンを辞めるかっていうとそういうことにはならなくて、やっぱり幼少期のことっていうのはよく覚えてるもんで。
近藤貞夫さんが入隊されて、その後ついでの山内和弘監督だったんですよね。
山内監督は5位、5位、2位、5位の時代ですよね。
弱かったですね、ドラゴンズはね。
それだからまず何か万年Bクラスっていう感じで、たまにその2位とかになるんですけど、でもほぼ低位置だった。
4位が太陽、5位が中日、6位がヤクルトっていうのはほぼ低位置で、当時は広島がすごく強くて、巨人はずっと強いんですよ。
だから広島は巨人、阪神が強かったですね。阪神はその後弱くなるんですけどね。
バース、岡田、賀恵夫。あれ?バース、賀恵夫、岡田だっけ?
とにかく賀恵夫、岡田、バース。ごめんなさいね阪神ファンの方ね、私よく知らないんですけど。
バックスクリーン3連発とかやってたのがたぶん1985年とかなんじゃないですか。
あの頃阪神強いんですよね。だから巨人、阪神、広島が強くて。
広島は山本浩二さん時代ですね。私の応援するドラゴンズは弱かったですね。
が、名古屋に引っ越してからですね、大きな変化がありまして、これが星野選一監督ですよね。
星野選一さんが監督になったのが1987年、山本さんの後なんですけれども。
これがね、もうね、やっぱり星野さんって目立つんですよね。現役時代は私はよく知りません。
なんですけれども、燃える男星野っていうことで言うと、すごく私も知っているぐらい有名な人でしたから。
これはね、もう鉄拳制裁で鳴らして、本当に大罰の時代ですよね。選手をボコボコに殴ると。
本当にね、キャッチャーの中村武さんなんて顔の形がわからなくなるまで殴られてたらしいですけれどもね。
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っていうね、星野さんが監督になったんだけど、ただこれでね、星野さん自体がすごくドラゴンの知名度を上げましたよね。
で、就任した年にはですね、近藤真一さんという人がね、ドラゴンズのピッチャーとしては新人だったんですけど、
なんと新人にもかかわらず、1年目のシーズンにもかかわらずですね、ジャイアンツに対してノーヒットノーランを達成するという大変なことが巻き起こりました。
まあやっぱりね、ドラゴンズファンってね、アンチ巨人っていうか、当時はみんな、多球団ファンは巨人が嫌いだったというか、巨人を倒すというのが史上名台だったので、
そこら辺はね、本当に違うんですね、他の球団とはね、感情がね。
なんでまあすごいことになったなっていうふうに思ったのを覚えてますね、実際ね。テレビなんかでもすごく取り上げられてましたもんね。
やっぱりね、そういうのはね、やっぱりね、やっぱりね、
やっぱりね、やっぱりね、
やっぱりね、
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