1. 神田大介の経験
  2. 社会のマジメ化 その3
2024-07-31 10:07

社会のマジメ化 その3

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行儀よく真面目なんてしなかった大崎豊は、教室の窓ガラスを叩いて壊して回っているわけなんですけど、盗んだバイクで走り出しちゃうわけなんですけど、
これは、いつから弥生の対象になったのかなって思うんですよ。もちろんそれは確かに盗んだバイクで走り出しちゃダメなんですけど、
それが本当に弥生の対象になったのって、いつからなんだろう。弥生であることは間違いないと思いますけど、
昭和の大崎豊が現役で歌ってた頃って、それってやっぱり受け入れられてたわけなんですよね。そういうことが。
実際、私の中学校の窓ガラスとかもバンバンに割られてましたんで、笑い口はねえやな。器物損壊だし、金返せや。税金だもんな。っていう話なんですけど、そんなこと言う人誰もいなかったんです。
当時から別にそれがいいことだとは言われてなかったんですよ。誰かが掃除しなきゃいけないしね。あと普通にガラスないの困るし、窓に。
ただ、今のような感じとは全然受け入れ止め方が違ったのかな。まあ、やつもいるよなあというか。
ヤンキーみたいなのに対しては、やっと憧れる人たちもたくさんいましたし、だからみんななりたがってたし、
私も高校時代に、高校になっていくところが非常にダサいなって感じもしますけど、
名古屋には大須っていうね商店街があって、その大須の中に改造学生服を専門に取り扱うお店があったんですよ。
うちが行ったのは大須屋けんちゃんってお店でしたけどね。けんちゃんって。で、私の出迎えてくれたのはね、けんちゃんなのか誰なのか知りませんけど、なんかおじさんに
大事に言うんですよ。なんかその、ももたって名古屋弁では言いますけれども、太ももの部分の長さ、あれ何なんだっけ、なんか指定するんですよ。
あとその、シュッとね、足首のところですぼまっていくっていうのが、ボンタンっていう当時流行ってたズボンだ、ガクランだったんで、
だからその、もものところのサイズと、シュッとすぼまっていくところのサイズみたいなのとかなんか注文するんですよ。6千いくらとかで作ってもらいましたけどね。
買いに行きましたもんね。だからそういうものを履くっていうことに関しては、やっぱそれがかっこいいっていう価値観はあった。
つまり不良イコールかっこいいだったわけですよ。真面目イコールダサいだったわけですよ。
で、そういうのは完全に逆転したなっていうふうに思いますね。だから尾崎豊がみたいに、盗んだバイクで走るやつって本当に単純に迷惑なやつ。
単なるダメなやつっていうことですよね。犯罪者。いや、昔だって犯罪だったんですよ。
ただ、それ聞いて、犯罪の歌っていうやつはいなかったんだよな。だから尾崎はそういう曲にしたわけだし。
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言っときますけど、当時から尾崎を好きな人と嫌いな人は分かれましたよ。もちろんね。私はどっちかというと尾崎的な価値観は苦手でしたね。
なんだけど、とはいえやっぱり受け入れられ方は違ったってことですね。
で、他にもそういうことっていろいろあって。
ビーバップハイスクールって漫画とかもすごい流行ってた。ハイスクールなんかはきっと最初に紹介したドラマとかもそうですね。
結局なんか要は、だんだん斉藤由紀さんを踏んするところの森林女性教師が、最初は怖かったヤンキーたちとの会ってね。
なんかこう、交流をしていく間に何というか、意思が通じていくっていう、そういう話だったと思いますけど、多分そうでしょ。全然覚えてないけど。
そういうのっていうのは、要するにヤンキーにも人間だっていう。で、意外と人間が熱いんだ。
ああ、金髪先生の例えのがいいのか。第2シリーズの加藤勝っていうのがね、有名になりましたけれども、俺たちは腐ったみかんじゃねえっていうやつですね。
だからその、あいつ加藤いい奴だっていうことですね。結局。家庭の事情とかいろいろあんだけども、そうは言ってもそれは別に、もともと別にヤンキーになりたかったけどもなんでもないんだと。
今不良っていうことにせざるを得ないからそうなってんだ的な感じ。私自身も多分このpodcastで話した、
番長だった彼の話とか。で、まさにそういう話だったからすごい身近な感じしましたし。
だからそうそう、そういう、それか、でも今喋ってて思いましたけど、っていうことは要は、やっぱり自分たちの身近な存在としてそのヤンキーがいたっていうのが当たり前だったってことですよね。
だって偏差値が60以上の校しかいけない私立の新学校とかにはヤンキーはやっぱりいないでしょ。
つまりそういうのが実感としてドラマを見ても分かんなかったら流行らないですもんね。
当時、そうだな、東京とか当時からそういう学校はあったと思いますけど、まあ名古屋なんて全然なかったし、今でもあんまないですよね。
つまりどういう競合にいたとしてもヤンキーと何かしらの接点があるっていうのは昭和の時代には普通のことだった。
たぶん平成の最初の頃もそうなんじゃないですか。
で、そういうのっていうのが視聴率がたくさん取れる番組、つまりみんなが共感できる番組としてドラマとかで、漫画とかに作品として成立していたっていうことでしょうからね。
普通にあった。
で、もっと世の中の価値観っていうのが、それこそ不適切にもほどがあるっていうね、工藤寛久郎さんのドラマなんかでも出てきましたけれども、もう本当に雑でしたよね。
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ただその雑さを支えていたのがおそらくそういうなんか真面目かっこ悪いみたいなことだったんじゃないかなっていう気はしてるんですけどね。
あれっていつからそうなったのかな。
ともそも世の中でその真面目なのが良いとされている時期ってあったのだろうか。
じゃあ今の世の中はそんなに真面目化が進んでいるっていうことの証拠はなんかあるのかって話ですけど、いやありません。
だって、例えば今ってコミュニケーションの主戦場ってSNSじゃないですか。
TwitterXだったりインスタグラムだったり、さっきYouTubeとかは入れちゃいますか。
でもTwitterもインスタもやっぱり正しい振る舞いは求められますよね。
それってどこから始まってんだろう。
なんか某藤寛久さんとかがテレビで昔万引きをしたっていうことを言ったら炎上したみたいなのって、あれってやっぱりツイッター上でしたっけ。
ぶっちゃけて言っていいですよ。万引きしたみたいな話って昔ありふれていましたからね。
僕だって万引きの一つ二つやったことないかって言われたら答えに急するぐらいではありますよね。
自慢するかどうかっていうのはまた人品骨格の話であるので何とも言い難いですけど、そういうやつもいたもんな。
何て言うんですか。悪気ない感じでしゃべるっていうことはあったと思うんですよね。
あれいつぐらいからその辺の価値観って変わったんですかね。今本当に万引きしたなんて話できないでしょ。
本当の犯罪の話とか、それからちょっとね、若干知的な状態とか精神的な状態に問題がある人の行動として、
ジョッシュ・ルーハンセットとかの文脈で万引きが語られることはあるけど、私やりましたっていう人って多分一人もいないでしょ。
法に触れていることをするっていうことは、SNS上とかでは全く表明できないですよね。
それは匿名か実名かと全く関係なくて、実名だったらもちろんですけど、匿名であってももうそういうことって誰もツイートできないでしょ。
まれにそういうのをやっちゃう人いて、フェイスブックに若いのに飲酒してるのを載せちゃったりする人いて、誰かが見つけてきて炎上するじゃないですか。
だからできませんよね、もう既にね。要は、そういうことをしても、法に外れることをしても、表に出さなくなる。
これが私、社会の真面目からと思うんですよ。
だから、社会を真面目にしたのは誰かっていうところでいうと、これ一般の人たちっていうことになるんですよね。
SNS上でですね、あいつがやってることはおかしいっていう人が一般の人なのかっていうと、これはちょっと難しいところがあるとは思うんですけど、偏った人だとは思うんですけど、
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私が今ここで言っている一般の人っていうのは、例えば警察であるとか司法権、警察権を持っている人たちとかでは全然ない。あるいは国によっては軍とかでも全然ないんですよね。
一般の人たちの視線によって、そういう犯罪みたいなものが取り締まられていると。
いやそうでしょ。デジタルタトゥーとか言いますけれども、だから新聞社はわざわざね、善か善歴みたいなのは、ネット上の記事でもう一定期間が経ったら消すようにしてますからね。
名前の部分とか、記事ごと消しちゃうことも結構多いですけど、そういう世の中になっているっていう、これネットの進化と社会の真面目化っていうのは大いに関係があるのではないかなというふうには思っているところですよ。
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