1. 神田大介の経験
  2. 中学の話2
2024-05-29 10:07

中学の話2

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はい、私の中学は非常に荒れてましたね。これ言いましたっけ、中1の時に、早川先生のクラスですね、私の後ろに座っていた、私はね、窓側の後ろから2番目のところに座っていて、後ろから1番目のところに座っていたやつが、酒を授業中に飲んでいたっていうですね、ちょっとこれ説明が必要ですよね。
なんかもう説明は難しいんですけど、そいつはローで自分で作ったって言ってましたけど、なんかとっくりみたいな形の、でもとっくりには見えない形状としてはね、フラスコ、丸いやつ、三角フラスコじゃなくて、丸いフラスコをもう少し丸を滑らかにした感じっていうのかな、何とも言い難いですね。
の形をした白い、なんか瓶にも見えないんですよね。何かしらその物体ですよ。だから、中学校の図工の作品って言われちゃえば、そうやって信じるかなっていうぐらいの感じ。何かよくわからないもの。
ちょうど手で握ると、おおむね隠れるぐらいの大きさのものを持っていまして、何それって聞いたんですよね。そしたら、これなんか酒が入ってるんですね。なんかちびちび舐めてるんですよね。
本当に酒だったかどうかっていうのは、私舐めてないんで知りませんけれども、多分本当だと思いますね。シンナーとかだったら匂いわかりますんで。酒の匂い、嗅がしてもらったのはそうやがな。変な匂いしましたね。
っていうような学校で、中1の時はまだそれでもそんなにでもなかったんですけど、中2になったらもう本当にひどかったですね。全然成立しない授業があって、数学だったんですけど、Y先生。名前は出さないほうがいいでしょうね。
本当に授業が成立しなくなっちゃってて。ただね、これもね、なんとも難しいですね。中1のところから数学はY先生だったんですよ。彼はあんまり自信のあるタイプとは見えない感じですが、市内を持って授業に来てましたね。
別に市内で生徒を縛るとかじゃないですよ。ただ、大罰が普通だった時代ですから、それのそんなに違和感もなかったっていう感じもありますが。結構厳しい感じではあったんですよね。生徒が喋ってると、「おい、お前!」みたいな感じで注意する。
それが、ヤンキーたちが勢力を増していくとですね、逆に標的になっちゃうんですよね。あいつ偉そうだなって感じになって、持っていた市内で逆にその先生が縛られるっていうですね。先生縛られてないのにね。いや、やってたかな?ちょっとあったかもしれない。木又先生、小学3年生の先生じゃないですけれども、忘れ物した時にちょっとケツを叩くぐらいはやってたんでしょうね。じゃないと市内持ってる意味わかんないもんな。
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ただね、やっぱり中学生から見ても、教師という権威とか市内という暴力に頼ってる感が強かったですよね。あんまりその人の目を見て話せない感じと言いますか、そういうその権威性に縋って威張っている感は強い。
学校ドラマとかでもですね、生徒に見下される感じの先生の感じがあって、苦労している感じは見受けられましたけどね。ちょっと生徒を笑わせようと思って面白そうなことを言ってみたりとかね。JRって言ってましたね。
名古屋なんです。名古屋市厚拓なんですけれども、先生方はですね、名古屋市教育委員会の所属ですね。名古屋市立小学校なんで、名古屋市外にも当然住んでる人はいっぱいいるわけですよ。社外人ですからね、通勤できればいいんで。
その先生はね、岡崎市っていう名古屋市からはちょっと離れた場所に住んでました。で、多くの場合、やっぱり当時特にそうだったんですけれども、通勤に使われるものって名古屋市営地下鉄とか芝生とかが別とすると、岡崎から来るっていうと名鉄なんですよね。名古屋鉄道。名鉄が強かったんで。
Y先生は名鉄じゃなくてJRを使ってたんですね。
これが時代背景で、国鉄がJRになった頃なんですよね。なってそんなに時間が経ってない頃。
だからJRっていう言葉自体がちょっとまだ耳慣れない感じの言葉だったっていうのと、国鉄からJRに変わったらすごくサービスが良くなった。
例えば名鉄と競合してたのは東海道線なんですけれども、東海道線もスピードアップ、快速とか新快速とか走らせたり、それから運行頻度が高くなったりして、岡崎なんかも行けばわかりますけれども、JRの岡崎駅と名鉄は東岡崎駅っていうのが岡崎の主要駅なんですが、圧倒的に東岡崎の方が厚生っていう岡崎の中心地に近いし栄えてるんですよね。
岡崎駅のあたりって何もなかった。今はそうでもないですけど、ところなんで。でもY先生はJRを使ってるんだっていうのを言うもろす。名鉄をちょっと批判しながら、JRは素晴らしいっていうことをずっと言うっていう持ちネタみたいにしてたんですよね。
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数学の先生なんで、そういう雑談をするっていうのは、もうそれは生徒をくすぐろうっていうことですよね。ただ全然響いてなかった。そういうことができたのも中1ぐらいの時で、しらっとした空気が流れてたんですけれども、中2の頃には、もはやそんなことを言い思うならまたヤンキーたちが襲いかかってくるっていう感じにはなってましたね。
中2の頃はもうすでにY先生の授業とかは特にそうでしたけど、府警に教室が開放されていてですね、BTAの人たちとかを中心に授業の見回りに行く親が来てましたもんね。
それぐらい、学校が崩壊してるっていうのが大きな問題になっていて、府警会なんかでもですね、それはそうですよね。どうなってんだってことになって、来るというようなことがありましたですね。
とにかく荒れていたわけですよ。例えばどういうふうに荒れてたかっていうと、中2の頃は廊下はタバコの吸い殻がいっぱい落ちてましたね。本当に灰皿みたいだった。
これも別に誇張でもなんでもなくて、タバコは全然吸ってましたね。ヤンキー連中はね。ヤンキーはクラスに4、5人とかかな。かける4クラスだったんで、全体で20人はいないかな。十数人いて、その中でも番長率いるトップグループはだいたい5人だな。
今でも顔が浮かぶ感じは。そこの周辺みたいなのが十数人、わらわらしてる感じなんですけれども。っていう子たちはね、普通にタバコは吸ってましたね。
全然灰皿とかポケット灰皿を持ってるわけじゃなくて、どこに捨てていくかっていうと廊下に捨ててあるっていうね。それからね、窓ガラスはよく荒れてましたし、窓ガラスだけじゃなくてトイレの便器が割れてましたね。男子トイレのね。小便器も大便器もなんか陶器の便器が割れてるんですよね。
何を割ってたのかな。技術家庭で使うハンマー、ハンマーって金槌とかですかね。だからね、全然トイレ使えないんで職員便所を使わせてもらうっていうそういう緊急措置が取られてましたね。高いでしょうね、あれトイレとかもね、陶器。
それとあったのは、体育館のほかに閣議場っていうのがうちの学校あって、柔道をやったりする第二体育館みたいなもんですよね。そこで体育の授業で体操をするって時にマットを出したら、そこからなんかコンドーム出てきたみたいな、美しい用語のコンドーム出てきたみたいなことがあったりとかね、してましたね。
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まあ、そのような風景のあり方ですよ。授業に遅刻するとか、いなくなるとかっていうのはもう当たり前っていう感じだったし、そもそも成立してる授業のほうが少ない。
先生によるんですよね。だから厳しい感じの先生とかだと、やっぱりちゃんと成立して、トドロキ先生とかぐらいだったんじゃないのかな。あんま成立しなかったですよね。
私はそういう環境にいたので、塾には通ってましたけど、塾に通ってなかったら勉強とかもぼつかなかったかもしれないですね。だからみんなそういうふうに危機感を持ってる子は塾に行くっていう感じでしたね。私のクラスメイトにも塾に行ってる人いっぱいいましたからね。そういう学校でしたね。
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