1. 神田大介の経験
  2. 中学の話3
2024-05-30 10:02

中学の話3

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だから、生徒から生徒に対する暴力というのも当たり前にあって、次々ターゲットが変わっていくんですよ。私もそのターゲットになったことはありますし、私の友達もありますしね。
情けない話ですけど、僕の友達というかクラスメイトがね、そういうターゲットになっている時に、じゃあ私がそれを止められたかっていうと、まあ止められてもいないですよね。
まあそれどころかね、私自身もそういうターゲットになり、別に誰に救ってもらったわけでもないですけどね。っていうようなことがありましたですね。
あとは何だろうな、まあだから神田のニューとかも別に普通によくしてたし。
ああそうそう、だから番長グループとか言ったけど、そのグループと敵対するグループがあって、3人組だな主に。
出身の小学校が違うんですよ。その中学校は、今更宮中ですけど、白鳥小学校と千歳小学校という2つの小学校、厚田区の2つの小学校から集まっていくんですね、生徒がね。
番長グループは白鳥小学校側の面々がほとんどですよ。
千歳小学校側の中にも、やっぱりなかなか群を抜いた番長学みたいなのがいて、彼を中心にした。
だけど千歳小学校の子たちじゃないな、一緒につろんでたのは白鳥小学校側の子だな、あんま詳しいこと知らないですけど。
その2グループの対立みたいなのもあって、そこが直接やり合ってるところはあんまり見たことないですけど、先輩との繋がりとかも違うんですよね。
っていうようなのがあったりとかして、とにかく行事とか全然成り立たない感じだったし、
どういってもイベントがあって、例えば名古屋市の科学館であって、そこにプラネタリウムとか見に行くわけですけれども、プラネタリウムを見終わった後に、
お菓子のゴミが山ほどそこに捨てられてたらしくて、それを後で先生に言われたりとかね、
俺食ってないけど、プラネタリウムはもちろんですけれども、そんななんか勝手に菓子食わないって話じゃないですか。
そういうことは普通に、だからモラルが崩壊してたんですよね。行われてましたよね。
あとは何かな。近隣の学校から殴り込みに来たり、こっちから行ったりしてたみたいですね。
それも私は全然預かり知らない。授業後の話なんで、わざわざ残ってやりに行ったりしたみたいですけどね。
時代背景で感じますね。実際そのビーバップハイスクールとかの漫画とかあった頃ですけれども、
本当にそれをみんながやりたくてやってたのかよくわかんないですけれどもね。そういうもんだっていう風潮があって、
それに乗ってただけなんじゃないかっていう。どちらかというと社会のレールに乗ってんじゃないかっていう気すらしますけれども、そんな感じですね。
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だからそうそうで、そういう番長グループの中にいたり周辺にいたりしても、
お鉢が回ってくる時あるんですよ。突然はぶられたりとか、暴力の対象になったりとかいうのがあって、
考えてみるとそういうことで結束が保たれていたりもしたんでしょうけれども、
多分誰もそこで安心して生活している人がいなかったんじゃないかな。
次は自分に回ってくるかもしれないっていう怯えの中でみんなやってたんじゃないですかね。
番長が僕は実は小学校の友達なんですよね。
友達ってそんなに頻繁に遊ぶってタイプじゃないんですけれども、まあまあ友達ですよ。
クラスも一緒だったしね。なんかいろいろ。
ザ・ソイツが、その番長はね、小学校ではオール語の成績を収めるような子なんですよ。
彼はね、頭は地頭が良くてね、足も速くて、顔も結構シュッとしてるもんだから、とにかく人気はありましたよね。
小学校の時って、うちの学校は学級委員って言いましたけど、学級委員長って言ったり代表委員って言ったりいろんな言い方があると思いますが、学級代表ね。
学級委員は1,2,3学期だったんですけれども、前期後期だっけ。前期後期かもしれない。ごめんなさい。
1,2,3学期は三原町小学校かな。
前期の学級委員はもうその番長。当時は番長じゃないんですけど、普通の優秀な子ね。S君。S君で。
後期が大体私っていうパターンでしたね。だから後期は勉強できるやつがなりがちっていう。
前期は本当に学期代表というか、人望のあるやつが選ばれるっていうね。
そういう時の人望がある方でしたね。だからしょうがないんですよね。あんまり立ち入ることはできないですけど、彼も家庭の事情があってね。
そうそうそうだわ。だから元々母子家庭なんですよ。僕と同じでね。そういうところでは境遇が似てるってところもあって、共通点もあったってことですかね。
ただね、彼の方がより大変で、それで勉強とかやってる場合じゃなくなってきた。
グレちゃったってやつね。自分が同じ立場にいたらどうなってたかなっていうふうなことは考えますよね。
彼はだから一時期家がなくて、友達の家をてんてんとしてたそうですからね。それは伝聞で聞いたんですけれども、本人から聞くには言うわけないですからね。
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そういう厳しい環境で育っていて、なんかそういう土地だったよな。
小学校の時に3年か4年生の時に、近くに湖川郷国鉄JRと名鉄が両方ともいっぱい走っているので、私の故郷があって。
神宮前駅と厚田駅っていうのがあって、両方とも福福線じゃないかな。JRは福福線か福福線じゃないかな。とにかく線路いっぱい走っているところなんですよ。
留置線とかあるからね。そこを越える歩道橋みたいなのがついてるんですよ。
車は踏切なんですけれども、踏切は本当は開かずの踏切でめちゃくちゃ頻度高く電車走っていくんで。
だからあれでしたもんね。当時でも珍しい人の力でやってましたね。機械ではとてもちょっとタイミングを測れないんですよね。
人力の歩道橋、人力の踏切があるところで、そんなの横断できないんで湖川郷っていうのがついてた。
人は階段みたいに登って、歩道橋みたいなので線路を横切るっていうのが普通だったんですけど、自転車もね。
その湖川郷、でっかい湖川郷の下にランドセルが散らばってることがあって、教科書とかもあってね。
それもエース君とは全然別の女子だったんですけど、彼女がやっぱりお金がなくて住むところがなくなっちゃって、やむを得ずそこで雨追いをしのいでたと。
ホームレスですよね、行ってみればね。ホームレス中学生っていうね、キリンタムラさんの本が話題になりましたけれども、ホームレス小学生ですよ。
本当にいたんですよね、それね。結構だからそういうことが身近にある。
だから生活保護であるとか、生活保護の受給を知らないっていうパターンもありますけれども、
あまりお金を持っていない家とかっていうのは普通に身近にあるっていう環境でしたね。
たぶんね、それは三原寺と全然違うところの一つで、名古屋の中でも下町っちは下町なんですよ。
で、名鉄の神宮前駅の周りには土屋街が広がっていて、ちょっとした風俗街、色町みたいなのもありますし、それから安く泊まれる宿もありましたしね。
土屋っていうと名古屋では笹島、名駅の近くですね、の辺りが有名ですけれども、ちょっとしたものはありましたね。
なかなかそういう環境の中だと、やっぱり子どもも荒れてしまうっていうのもあったんでしょうね。
ただ、そうやってヤンキーグループの中で、マジでちょっと家庭の問題大変そうだなと思ったのは、
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S君、番長と対立する側のもう一方の子ぐらいかな。
あとは別にそんなに普通のサラリーマンの家庭だったりね、商店の家庭だったりしたと思いますけどもね。
だからちょっと一時の流れっていう感じはありますね。
そういう環境だったんで、やっぱり暴力とかが常に暴力の匂いがしている中学校で生活でしたね。
終わってみるとこうやって喋れますけれども、あの中にいたっていうことで、私の感覚っていうのは確実に形成されてるんだろうなと思いますよ。
14歳の頃の一番高い時期じゃないですか。
見ていたのがああいう社会だったんで、それは闇金牛島君みたいな社会に見えますよね。
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