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2021-09-18 22:44

048. 数学を永遠に変えたフランスの美少年

「数学を永遠に変えたフランスの美少年」エヴァリスト・ガロアについてのニュースレター記事を振り返ります.フランス革命真っ只中の1811年,パリ郊外にガロアは生まれました.時代のずっと先を行っていたガロアの理論は当時受け入れられず,ガロアも革命と恋に翻弄され,20歳で命を落としてしまいます.そんなガロアの生涯と理論について,思うところを語ってみました.

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いちです。おはようございます。今朝はですね、眼鏡橋の麓に来ています。
麓の上流側なんですけれども、そこそこね水の量が多いです。昨日台風が通ったので、そのせいで水の量が増えていて、今後もね増えるかもしれないので気をつけながら撮影、録画録音をしていきたいと思います。
というのはですね、先週ですね、川に落ちたんですよ。落ちたんじゃないですよ。これ学生にこう説明してるんですけども、川の深さを測ってたというふうにね、水深を計測したというふうに言ってるんですけども、落ちました。
川に落ちたんですね。結構深かったのと流れが速かったので、ちょっとね溺れかけました。
詳しいことはね、先週お送りしたニュースレターに書いていますので、よかったらバックナンバーを読んでいただければと思います。
冷たかったしね、もう怪我もねあちこちしたんですけどね、もう治ってきました。傷パワーパートあちこち貼ってたんですけどもね、治ってきました。
足に貼ってたのはね、すねとかに貼ってたのはね、やっぱりね、すね毛があるじゃないですか。剥がすときに痛いのなんてね、もう泣きそうになりましたけどね、ぶつけたのも痛かったし、腫れてきたのも痛かったし、最後傷パワーパード剥がすのも痛かったし、散々な目にあったんですけども、命あってよかったというところですね。
iPhoneとKindleもね一緒に水没したんですけれども、両方ともたまたまの防水モデルだったので、何とか現在も使えています。さすがですよね、電子機器でね、水没させても大丈夫というのは、同じ電子機器の設計者としてはもうすごいなと思うわけなんですけれども、やっぱりiPhoneすごいですよね。
Kindleもすごいです。
はい、それで今日のお話なんですけれども、今日はねニュースレターでお送りしたガロアというフランスの数学者のお話をね、数学者であり革命家であった方のね、お話をしていきたいんですけれども、
うっかりねガロアって天才というふうに呼んでしまうんですけども、天才という言葉で捉えていいのかどうかっていう疑問すらあります。ガロアはね、20歳で亡くなっているので、その後もし彼が生きていたらと思うと、どれだけ世の中変わってたんだろうっていうね、話はよく言われています。
ガロアは実はかなりの美少年だったんですね。生まれたのが1811年ということで、ちょうどねフランス革命真っ只中です。リー・アントワネットが処刑されて、その後ナポレオンが大統領してきて、ナポレオンがね皇帝になって第一帝政ですかね、間違ってたらちょっとコメントでご指摘いただきたいんですけれども、
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ナポレオンが皇帝になって前世紀を迎えていた頃、1811年ですから、そんな時代にガロアは生まれています。ガロアのお父さんという方が、まあ割と進歩的な考え方、当時としては進歩的な考え方ですね、まあ自由主義のようなことを考えていたようなので、
現在ではね、どちらかというともう保守の方向、保守の部分、右翼左翼で言うと右翼に入ってくる分野なんですけど、当時はそっちの方が進歩的な考え方だったわけですね。なぜかというとずっと王政が続いていたからですね、ブルボン王家が王朝があって、王政を廃止しろって言うなんてっていうね、当時としてはそっちの方が進歩的だったわけなんですけれども、
そういった過程で、ガロアのお母さんもかなりのインテリで、ギリシャ語とラテン語が両方ともできたそうです。これは当時の文化人としては必須の知識で、日本で言うと古文と漢文にあたるんですかね、古文がラテン語で漢文がギリシャ語みたいな感じですかね、
それが流暢にできて、詩なんかも読んでいて、ガロアはそういった教育を幼少期から受けてきて、今で言う文学少年だったようです。彼のお顔のスケッチが残されていて、なかなかの美少年でインテリで、もう本当に絵に描いたような文学少年だったようなんですけれども、
彼は12歳で、おそらくは飛び級してなのか、フランスの当時の制度が中学校と高校の区別がそんなになかったのか、リセイという、今では高校と訳されるんですけれども、中東教育機関に入学します。
そこで、それはナポレオン失脚後になりますね、ナポレオンは1812年にロシア遠征をして、ガロアが1歳の時ですね、ロシア遠征をしてボロ負けするわけですよ、一説によると60万の陸軍を連れていて、5000人しか帰ってこれなかったという、いわゆる有名な浮遊将軍ですね、ロシア攻め込まれると伝統的になんでしょうかね、
どんどん相手を引き込んで、引き込んで、引き込んでいって叩くっていう、戦略的撤退ということを歴史上何度かしてるんですけれども、ナポレオンもその手にかかったんですかね、引き込まれて、ほぼ60万で5000ですからね、もう全滅に近い形で引き上げてきて、その後ナポレオンは失脚します。
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1814年ですかね、ナポレオンが失脚するのが、王政復興というブルボン王朝がね、復活します。その後ね、またナポレオン一度復活するんですけれども、また追い落とされるというようなね、歴史の振り子が揺れていく、ちょっと僕今文学的な表現しようとしてましたけど思いっきり滑りましたね、すいませんね、そういう才能ないみたいですね。
歴史ってね、右行ったり左行ったりするので、それで揺れた時代です。それの影響もあったのか、ガロアのお父さんというのは、当時として進歩的な考えを持っていて、当時は学校の校長されてたんですけれども、長々に担ぎ上げられて、その後今度は誹謗中傷をね、王政復興の時代に誹謗中傷を繰り返されて、それを苦にして自殺をしてしまうんですけれども、
それもガロアに暗い影を落とすことになると思います。ガロアは理性、高校で数学に目覚めるんですね。どういうわけか、ギリシャ語もラテン語ももういいや、自分は数学だというので、ひょっとしたら教科書にインスパイアされたのか、後にね、素晴らしい数学教師とも出会うんですけれども、
ガロアの出身校からは有名な数学者も出ていますので、何かそういういい環境はあったんだと思うんですけれども、数学に目覚めます。
確か16歳ですね。16歳でフランスの理工系最高校のエコールポリテクニークを受験して、16歳ですから落ちちゃうんですけれども、その時に数学教師と出会って論文を書いたりとかもしていくわけですね。
もう一回受験するんです。エコールポリテクニークってなんかね、生涯2回しか受験できないそうで、アメリカのMITなんかも生涯2回しか受験できないと聞いているんですけれども、彼もエコールポリテクニーク2回目受験して、伝説によると試験官がつまらない質問をしたから黒板消しを投げつけたと言われています。
黒板消しということは口頭諮問で黒板でお前この式解いてみろみたいなことを言われて、試験官がそれにつまらないツッコミをしてガローが腹を立てたんでしょうね。伝説によるとですけどもね。
エコールポリテクニークを落ちてしまいました。2度目落ちてしまったので入学はかなわなくなってしまったんですけれども、高校の先生がうまいこと頑張ってくれて、別の学校に、そこそこいい学校、そこそこってかなりいい学校です。
エコールノルマルという、後のエコールノルマルですね、ポリテクニークに準じるいい学校に入学したんですけども、エコールポリテクニークの校長先生が学長というものかな、大学だから学長ですね、学長がわりと進歩的な人だったのに対してエコールノルマルの、ガローが進学したエコールノルマルの学長は当時保守的な、王政に神話的な、
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人だったらしくて、そこで衝突をします。結局彼は大学を追放されてしまうんですけれども、エコールノルマル追放されてしまうんですけれども、その不幸もあって、お父さん亡くした不幸もあって、もう一つ不幸があって、それは高校時代に論文を書いてフランス学士院に提出をしてるんですね。
数学の論文です。当時解き方がまだわかっていなかった五次方程式に関する論文だというふうに僕は理解してるんですけども、ちょっとよくわかってないです。
提出して、それがコーシーという数学者がいらっしゃって、その方が受け取ったんですけども、無くしちゃうんですよ、ひどい話で。
僕も論文なくされたことあるのでわかるんですけども、むかーっと来ますよね。
ただそのガロはめげずに2回目も論文を出してるんですね。次はラプラスじゃなくてフーリエ。フーリエというフランスの数学界というか、アカデミアの頂点に君臨してた数学者で、
現在でも工学部であるとか情報科学系、データサイエンス系の学部でもフーリエの名前が必ず出てきます。コーシーも出てきますけども、フーリエの方が一番よく目にすることが多いと思います。
そのフーリエさんに提出してフーリエ受け取ったよって言ったんですけども、残念なことにその直後にフーリエさん休止しちゃうんですよ。無くなっちゃうんですよ。
フーリエと一緒にその論文も失われてしまって、ガロはしょんぼりなんですね。
その後、大学を中退して追い出されて、自分で辞めてるんですけども、追い出される直前にね、自分で辞めてるんですけども、
その後、当時の政治活動にものすごくのめり込んでいきます。当時の過激な政治活動といえば共和主義。
共和国に作ろうというのが究極の目標なんですけども、共産主義じゃなくて共和主義ですね。
王政を廃止して、みんなが政治参加できる国を作ろうということなんですけども、今でこそ当たり前じゃないですか。
20世紀、21世紀になったら共和主義っていうのは当たり前なんですけれども、日本は共和国じゃないですけども、
日本も省庁立憲君主制なので、共和国ではないですけれども、世界中に共和国たくさんありますよね。
フランスも現在共和国ですよね。共和国だと、大体の国においては大統領を置いて、大統領を投票で選んでということになります。
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国家原子を投票で選ぼうと、民衆の中から選ぼうということですね。当時ブルボン王朝があったわけで、
それに対して共和主義というのは非常に政府転覆を図るような話なんです。
日本は歴史上、王様というのはいなかったんですけれども、
市というなら、足利義満とかが一番王様に近いですかね。
その時代に、足利義満を廃止して、投票で入れ札で王様を決めようよなんていうことがね、
ちょっと考えられない話なんですけれども、ちょっとその例えがおかしかったかもしれないですね。
ちょっと文学の才能がなくて、本当に申し訳ないんですけども。
そういった思想を持っていて、過激な活動をしていて、
ガルワの仲間がね、ちょうどその頃19人いたんですけど、19人が逮捕されていて、
釈放されて、釈放パーティーで、えらい乱チキ騒ぎをして、
当時の王様の批判とかをして逮捕されちゃいます。
一度目の逮捕はね、弁護士が頑張って釈放されるんですけども、
無罪釈放されるんです。無罪で放滅されるんですけども、
二度目、また何かやらかして逮捕されます。
今回は有罪判決が下されます。6ヶ月の禁固刑が下されます。
ちょっとその前後して、
一回目の逮捕の前ですね、ガルワが3度目、フランス学士院に3回目の論文提出をやっています。
これはポワソンじゃなくて、間違えた、ポアンカレですね。
ポアンカレという、ポワソンは確かガルワの後輩なのでね、ちょっと名前近いんですけど、
どちらも有名な数学者ですけどもね、ポアンカレの方だったと思います。
ポアンカレは特授総体制理論なんかに名前が出てくる理論物理学者ですけれども、
彼が二度も論文落とされて気の毒だけど、もう一回書きなよと、今度は僕が提出してあげるからと言って、
ポアンカレがガルワを勇気づけて、ガルワはポアンカレに論文を送るんですけども、
その後ポアンカレがガルワの論文を読んで、ちょっと難しすぎる、ちょっと優しく書き直してというふうにお返事を書くんですね。
それがガルワが盗獄中に金庫刑を受けている間に受け取っています。
ガルワはまた盗獄中でもあるし、論文も受理されなかったし、もうクソって思ってるんでしょうけども、
ブツクソは言いながら直しをやっていくんですけども、
その頃ちょうどパリでコレラが流行して、刑務所の中だとコレラが流行しちゃうということで、
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金庫6ヶ月の刑のうち5ヶ月目で近所の療養所に移転されます。
そこでそこにいた内科医の娘に猛烈な片思いをして、もう悲しいんですけど片思いなんですよ。
ガルワはラブレターを送ったりとか話し合ったりとかして、それこそを自身の手紙にも書いたりとかしてるんですけども、
振られちゃうんですよガルワ。論文落とされる。好きな人に振られる。20歳でですよ。
失恋は何歳になっても悲しいでしょうけどね。
心が燃えたぎる時期に落ち込みも、僕の中でも48歳ですから、すれっからしのおっさんですけども、20歳でそういうことを繋がる。
しかも盗獄中で、もうショックでしょうね。
しかも悪いことに、好きになった人はステファニー・フェリスという方なんですけども、
彼女の婚約者という人が出てきて、これがすごくミステリーで彼女が本当に婚約してたかどうかわかんないんですけども、
その婚約者が出てきて、俺を侮辱したなと。もうこうなれば血統だと言って、血統を申し込まれるんですよね。
当時フランス、血統はもちろん非合法にはなっていたんですけれども、公然と行われていました。
司法も血統には寛容でした。
血統を行われることによって、当時はピストルによる血統が流行してたんですね。
流儀がいくつかあって、お互い何歩か離れて同時に撃つであるとか、交互に撃つっていうスタイルもあったそうです。
そんなに当たるものじゃないので、ピストルはベレッタの、アメリカの警察官が使っているベレッタですね。
韓国で撃たせてもらったことがあるんですけど、練習しないとなかなか当たらないんです。
ましてリボルバーでしょ、当時は。重心も短いですし、バレルも短いので、そんなに当たるものじゃないので、
交互に撃つっても成り立つっちゃ成り立ったんでしょうね、外れることがあるから。
まして人相手ですからね、手も震えるでしょうし、反動もありますから。
連射してはいけないとかね、いろいろルールはあったんでしょうけれども、ガロアは血統に赴きます。
一説によるとガロアは自分に弾を込めなかったとも言われているんですけども、ここも謎です。
というのは血統でガロアは撃たれて倒れるんですけども、血統には必ずセコンドという怪像人が双方ついているんですけども、
相手にはもちろんのこと、自分のセコンドにも見捨てられているんですよ、ガロアは。放置されているんですよ。
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その数時間後に近所を通ったファーマーの方に見つけられて病院に担ぎ込まれるんですけども、
翌日彼は亡くなります。弟が駆けつけていて、ガロアは20歳で死ぬにはありったけの勇気がいるんだからという言葉を最後にして亡くなるんです。
ガロアはその血統の前の日に手紙を書いています。
一つは全国の共和主義者へ向けての手紙。
自分はつまらないことで命を落とすんだという話を書いています。
もう一つは友達の共和主義者に書いていて、最後の3通目がガロアの数少ない親友だった数学者に向けての手紙で、
その中にいろんな彼が考えていた数学の問題を書きつけています。
ポアンカレに対する返事もそこに書いていました。
ガロアは20歳で亡くなってしまうんですね。
ガロアが当時書いた論文は難解すぎて、
僕も全然法定式の解に関する話とかも全然わかっていないんですけれども、
一つ僕たちが専門にしている情報科学、計算機、科学、コンピュータサイエンスの中ではガロアの考え方というものが当たり前のように使われています。
むしろ当たり前すぎてガロアの名前が出てこないんです。
フーリーの名前がいっぱい出てくるんですけれども、ガロアの名前はまず出てこないです。
教科書にも書いてないです。
でもそれは数字が1、2、3ですよとか、例えばユークリッドの気価格とかが当たり前すぎてもユークリッドの名前が出てこないのと、
数字に関しては、例えばテアノという人が生数、自然数に関して非常に分厚い考察を残しているんですけれども、
それも当たり前のことが当たり前であることを証明したので、もう名前は出てこないんですよ。
ガロアもその意味では当たり前すぎて名前が出てこないのかもしれないんですけれども、
このコンピュータサイエンスで使うにはガロアフィールドという数学の非常に大事な概念がそこかしこに生きています。
数というのは無限にあるんですよね、0、1、2、3、4、5、6って無限にあって、
無限にあるから数えられないんじゃなくて、無限にあるから数えられるんだったのがガロアの死後50年経ってからカントールという人がいて、
その無限にある数の間に、だからこそ足し算、引き算、掛け算、割り算というのができるんだよというのを示したわけなんですけれども、
その50年前ですよ、ガロアというのは数というのはもしも有限で、数というのは例えば10までしかなかったとしても足し算、引き算、掛け算、割り算というのが成り立つよと、
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もしもそれを10じゃなくてもっと小さくして数0と1しかない、2種類しか数字がない世界でもちゃんと足し算、引き算、掛け算、割り算ができるんだよというのが考えたのがガロアフィールドという考えの根本です。
0と1しかない世界、そうですね、コンピューターですね。コンピューターは2進数で動いているのは、皆さんご存知の通りちょっと眩しくなってきた電気のオンオフで非常に相性がいいわけですよね。
その2進数というのは正確に言うと無限の桁数があれば無限までいけるわけなんですけれども、コンピューターは当然無限のハードウェアを持っていないので有限でどこかで打ち切るわけですよね。
究極的には0と1だけであらゆる計算が可能だということをガロアフィールドは示したというお話でした。
というわけでちょっと眩しくなってきたので今日はこの辺にしたいと思います。今日も聞いてくださって見てくださってありがとうございました。
ポッドキャストで聞いてくださっている方はこの眩しさとか全然わからないと思うんですけれども、今急に眩しくなったんですよ。
少し曇ってたのがパーッと晴れて、後ろの川の流れも心持ち穏やかになったのかなという気がいたします。
台風があけた長崎の眼鏡橋のふもとからお送りしました。
さっきから僕視線がちらちら動いているのは、ここ蟹がいっぱい住んでて、蟹がちょこちょこちょこちょこ歩いてるんですよ。
そんな話でした。聞いてくださって見てくださってありがとうございました。イチでした。
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