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奏でる細胞
奏でる細胞は、サイエンスと音楽を愛する2人が、アメリカ・インディアナから楽しく奏でるようにおしゃべりする番組です。
この番組は、地域医療に貢献し、皆様の一番近くにいるホームドクターを目指す、働かないか、糖尿病クリニックのスポンサーズでお送りいたします。
こんにちは、タツです。
こんにちは、ゆりかです。
今回はですね、福岡高大でやった講義の3回目になります。
ノーベル賞の西栄一先生との僕との出会いとか、あとはそこから論文章というものをやっていることの気持ち、そういうことを話したのと、
あとは子供のための科学教室をもう8年ぐらいやっているかな。
もうちょっとかな。
それをやっていることと、あとは大学生へのエールということで、
全部ね、赤城さんにこういう授業をしてくださいって言われたリクエストがあって、それに答える形もあるし、
あとは前もってね、福岡高大の学生さんにこんな内容でどうでしょうかっていうのをちょっとアンケートみたいな形で聞いたのね。
それで聞きたいって言われたことを組み合わせてお話しさせてもらう感じです。
じゃあ、ぜひ聞きましょう。
行きましょう。
ちょっと時間が過ぎるんですよね。
こんなに時間が過ぎてた。難しいですね、やっぱり。
緊張しますね、やっぱり。
でもね、皆さんに聞いてもらって本当に嬉しいです。
ちょっと後半、サクッといきたいと思います。
まず、僕はUJの理事として、赤城さんも一緒にですね、僕の優秀な研究者と一緒にですね、UJ論文賞というものを作りました。
これ2015年に作ってですね、これまでに多くの方を表彰することができました。
こういった賞というのは海外にはなくて、日本人の研究者がすごい良い論文を書いた時に新聞に取り上げられるのは国内のものばかりでした。
なかなか海外の人の研究者を日本の新聞に取り上げられるということはなかったんですね。
ただ専門家には取り上げられるんで、同業者の研究者の中では素晴らしいって言ってくれるんですよ。
研究者の中で盛り上がってるんだからそんな新しい賞作る必要ないじゃないかって皆さん思うかもしれないですけど、
ここで出てくるのが先ほどお話しさせてもらった家族です。
家族は研究者について一緒に行ってくれて、新しい文化とかに一緒に巻き込まれて一緒にやっていくんですけど、
何のためにお父さんに付き合わされたりお母さんに付き合わされてるのかなっていうところで、
ちゃんと賞を出すとその時に研究者は家族のおかげで取れましたっていうことを言えますし、
家族もこんなに素晴らしい研究、皆さんに認められるぐらいの研究をしてたんだって思って、
家族のつながりが強くなったりするので、こういった賞はとても大事だなっていうのを感じて僕は続けています。
根岸先生はノーベル賞を取った日本人で、2010年にノーベル科学賞というのを取りまして、
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根岸カップリングというやつで、皆さんの周りで言うとテレビのスクリーンとかの原料になったり、
あとは薬の原料になったりするものを作る分子をですね、
さっき化学分子の分子式を見てもらったんですけど、あれをブロックのようにつなげていろんなものを作れるようになった。
薬を様々な形で合成させることになって、その発見が皆さんの身の回りに行ってて、
根岸先生の有名な言葉というか、自分の心臓病の薬は自分の発見のおかげで手に届いたと、
そういうふうに様々な人々のところに自分の発見が届いて嬉しいということをおっしゃってました。
根岸先生は実は2年前に亡くなられたんですけれども、
それまで本当に若い研究者を応援する言葉、姿勢ですごく僕たちを支えてくれました。
僕が根岸先生に会ったのは、ノーベル賞を取った翌年の2011年に会いました。
僕は宮城県が出身なんですけど、ちょうど3月11日に津波で僕のふるさとが平らになってしまって、
ものすごく傷ついてた時でした。
実はアメリカというのはニュースの中で一番辛いニュースしか来ないんですよ。
それ以外にその周りで良いことがあったとか支えあったとかそういうニュースがあると思うんですけど、
それが来なくてですね。
アメリカの人たち、震災物非常に多かったというのを後から知ったんですけど、
それは一番ひどいニュースだけが普通のニュースの間に挟まれて何回もやられるんですね。
要は今日の天気です、地元のイベントです、日本は最悪ですという感じで、
日本が最悪なニュースだけが挟まってくるんですね。
すごく僕は落ち込んでた時に、
寝石先生が突然、4月ですね、翌月くらいなんですけど、
レストランでバタンと、同じインディアナにいることは知ってたんですが、会いました。
そしたらポケットからノーベル賞のメダルを出してくれて、
頑張ってくださいという話をしてくれて、
その時にはノーベル賞のメダルを僕の子供、5歳の子供いたんですけど、
その子にも掲げてくれて、
君たちが未来だから頑張ってくださいみたいなことを言ってくださいました。
その後、僕も研究に悲しんでばかりもいられないなと思って、
研究に戻ろうと思って、研究を頑張って、
その3年後くらいに自分の思った論文を書けたんですよ。
そしてそれを寝石先生に会いに行って、
先生があの時声をかけてくれたから頑張りましたって言ったら、
すごい喜んでその論文を目を通してくれて、
素晴らしい成果をあげましたねって言ってくれたんですね。
まさか海外に行ってノーベル賞を受賞した人が、
僕の論文を読んで僕に褒めてくれるとは思わなかったんですよ。
これ、みんなに味わわせてあげたいなって。
僕たまたま隣にいたから、同じ州にいたからそれ味わえたけど、
同じようにいろんな思いをして頑張っている海外の人たちに、
同じ思いをしてほしいなと思って、
寝石先生、審査委員長になってくれませんかとお願いして、
それから8年間この論文賞を続けています。
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寝石先生、この大きな賞を取ったからこそ、賞の重みというものを知ってまして、
それを若い人たちにつないでくれる非常に素晴らしい姿勢で、
研究者としても教育者としても、
僕たちの理想を追いかけたい素晴らしい姿を見せてくれたと思います。
この賞ですが、毎年インディアナで行われる賞がどんどん大きくなりまして、
このような立派なところで若手の研究者を表彰できるような形まで育ちました。
まさか研究者だけでこういうものをやって、
こういった大きな賞を作れるとは思っていなかったんですが、
頑張れば頑張るほど皆さんが助けてくれるので、
活動というのは大きくなるんだなということを学びました。
これまでにアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアで開催して、
128名の方を受賞しております。
この世をやっているその気持ちと同じくらい、
僕は科学教師の先生としてアメリカで育つ子どもたちに科学を教えています。
科学を一緒にやると言葉が違う人でもつながっていろんなことができる。
これが僕の心にあるものです。
僕はアメリカ生まれで16歳ぐらいの時にオーストラリアにも行っていますし、
その後アメリカでもやっているんですけど、
なかなかやっぱり友達と楽しく過ごす時間というのがやっぱり一番大事だなって
思っていて、それを子どもたちに科学を通してね、
何でもいいんですよ、スポーツでもいいし音楽でもいいんですけど、
笑顔が増える瞬間を見るというのはすごく好きで、
科学というのは人と人をつなぐ力があるというのを信じているから、
先ほどのショーもこの子どものための科学教室も続けることができています。
ということで、根岸先生の手渡されたノベル賞メダルのお話と、
だからこそ僕が若手研究者の人たちにアワードを作りたかったということを聞いていただきました。
最後に大学生のエールということでお話しさせていただきます。
細胞って考えていますよね、これ一個一個の細胞なんですよ。
皆さんの細胞を染めて顕微鏡を使って映すと一個一個美しいです。
その細胞一個一個の重み、素晴らしさというのを考えたときに、
一人一人の命の大切さということが見えてくると思います。
本当に命って素晴らしいと思うし、大事だと思うので、
本当にその命を大事にしてほしいということを思って奏でる細胞という発信を僕は続けています。
時になんか俺なんか大したことないなとか、
なんかうまくいかないな苦しいなって思うときいて、
一人ぼっちだなって思うときあるかもしれないですけど、
ミトコンドリアの漫才なんか聞いてもらうと、
10億年前から自分の体の中に別の生き物であるミトコンドリアが住んで、
ずっと一緒にいてカルシウムのイメージングでピカピカしていたと思うんですけど、
細胞同士って常に話しかけているんですよ、伝え合っているんですよ。
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そういうことを考えると、例えば脳細胞で今何か欲しいと思ったときに、
欲しいと思ったものが悪いものだったら、
体はそれを思っていませんから、
人は生きている限り何か正しいことをやりたいし、
すごい人と共生というか、
共に生きたいっていうものが細胞を見ていると、
細胞同士が共に生きている姿を見ると、
こうやって人っていうのは共に生きたいって思っているんだろうな、
そしていいことをしたいって思っているんだろうな、
そのために細胞はいつも休まずにATPを作ってくれています、ミトコンドリアっていうのは。
なので、ずっとそういう細胞が自分の体の中で動いてくれていると思って、
隣の人とかに優しくして、
共に生きるような多様性も大事にして、
というふうにして頑張っていってほしいと思います。
以上です。
はい、ありがとうございました。
後半まで皆さんに向けたメッセージで、
後半に限らずの全体を通しての皆さんのメッセージ、
すごくメッセージ性が強いメッセージになりますので、
さて、改めに全体を通して研究での多様性をお伺いします。
発表ありがとうございました。
初めて聞くような話が多かったので、
自分の理解が合っているか分からないんですが、
女性ホルモンとカルシウムイオンの分泌に関係性があって、
女性の方が糖尿病に対して耐性があるっていうお話だったと思うんですが、
実はオスの糖尿病の状態にあるマウスとかに、
人肉的に女性ホルモンを投与したりすると、
カルシウムイオンの分泌のリズムが正常化されるみたいな、
そういう研究点があったりします。
はい、ありがとうございます。
まさにその通りなんです。
びっくりしました。
当たってます、完全に。
女性の体って、女性ホルモンを入れても男性にもレセプターがあるんです。
だから先ほどマウスの話で言うと、
オスマウスがあって、メスマウスがあって、
どっちにも女性ホルモンを入れてもレセプターはあるので、
どっちにも効くんです。
男の人に女性ホルモンを入れてホルモン治療で効くんです。
女性の方がカルシウムのシグナリングが入って、
より大きく入っているというのが今実はまだ発表していないんですけど、
すごい良いデータがあるんです。
そうすると、女性ホルモンの量が年齢を重ねた女性っていうのはやっぱり落ちてくるんです。
そうするとそのカルシウムの強調みたいなのも落ちてくるんです。
そこに足してあげるとまた復活してくる。
で、同じところに男性の年齢を重ねていって強調性が失われたところに、
同じようにエストラジオールという女性ホルモンをかけると、
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カルシウムのオシレーションが戻ってくるんです。
これは大げさにとると、
女性ホルモンというのはコミュニケーションを非常に円滑にするんです。
細胞感が。
で、実生活で女性の方がコミュニケーションが上手じゃないですか。
それと結びつけちゃうのは飛躍なんですけど、
なんか頭の中で理解してしまうのは、
女性の細胞の少なくとも糖尿病ストレスに強い理由は、
コミュニケーション能力を高めるホルモンを出しているからということだと思うんです。
なので当たってます。
当たってます。
びっくりしました。
当たってます。完全に。
ぐっちぃさんからの質問です。
はい。
はじめは、研究者としては、
細胞がおかしいなといった結果に対して言ってますよね。
はい。
研究者からね。
はい。
いつまでに細胞がおかしいなと。
僕が。
なるほど。
細胞の言語化には取り組んでいるということなんですね。
だからデータを見たときに、
そのデータを見て、
自分が感じているものを表現しているということでしょうか。
そして、
それをみんなでディスカッションしていくということですよね。
はい。
僕は、
僕の中で難しいというか、
僕の中で難しいこと。
細胞の言語化に関して言うと、
一人で自分の思った仮説を追いかけていくのは難しいなといつも思っていて、
キャッチボールのように、
僕はこう思うというのを一回言って、
誰かが、
あ、それ当たっていると思うよと言うと、
より深くできるんですよ。
なので、
みんなに、
これをこう思うんだけどというのを言っていって、
いろんな人に、
こう返ってきて、
いいと思うけど、
ここは見た方がいいんじゃないとか、
あそこは見た方がいいんじゃない、
というふうに言われて、
ここちょっとというのが見えて、
ちょっと視野が広がってくるんです。
で、
そうやって、
自分で考えている時よりも、
誰かとキャッチボールして、
こう見えてきて、
ちょっと自信がついたり、
もう一つ踏み込もうかなという気持ちになったりして、
もう一歩踏み込んだ実験ができるというか、
自信を持ってできるんです。
で、これが広まってきたものを、
また今度次の人に行くと、
だんだんだんだん広がってきて、
ある時になんか自分が成長したような、
あ、この一つのことに対して、
跳ね返ってくるボールとか、
誰か別の人が考えていることの範囲って、
こう分かってきた時に、
あ、ちょっと自分は、
この自分の研究分野の広がりというか、
そこを分かってきたのかな、
みたいな自信になって、
そうするとまた進んでいける感じです。
最初の方って、
暗闇の中を薄い光で走っているような気持ちになって、
先生たちの方が知っているから、
質問を聞くと、
先生たちすごい知っているから、
すごい照らしてくれているような気持ちになるんだけど、
でも、本当に実験して、
結果を見ているのは自分なんで、
場合によっては先生も不安で、
はっきり分かった時、
きれいなデータが出た時は、
先生も驚くのは、
そこまでは見えていなかったりする時もある。
だから実際、
コミュニケーションしていくと、
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ちょっと見えていくみたいな感じで。
一番難しいというのは、
そのステージごとにちょっと違うかもしれないけど、
最初研究を始めた頃は、
僕はコミュニケーションをあんまりしないで、
こうやっていた時には、
成長が遅かったように感じます。
だけど、
その思考の言語が頑張っているのがあれば、
データが出たものをこう考えるというのを、
いろんな人とディスカッションしていくと、
より研究をできるようになるというか、
実験をやるモチベーションが湧くので、
そういうのができるといいと思います。
他の人にもアドバイスというか、
アドバイスじゃなくて、
キャッチボールの相手になってあげるぐらいのことをやると、
いいと思います。
はい。
奏でる細胞
聴いていただきましたが、
いかがだったでしょうか。
どうでしたか。
ちょっと新しい試みだったんじゃないですか、
全体を通して。
そうですね。
ポッドキャスターが来るみたいな。
最後の質問が、
研究に向かう際、
どんなことが大変ですか、
どうやって乗り越えましたか、
みたいな質問だったんですよ。
ちょっと質問が聞きにくかったんですけど、
そういった質問に対して、
僕が研究者として困った頃、
特に研究室に入ってね、
入り始めた頃に、
どんな苦労があったかということを言いました。
本当は講義が終わった後に、
ありがとうございましたって赤城さんが言ってくれて、
みなさん2年生、3年生ですから、
これから研究室に入ります。
その研究室に入った時に、
心構えとかで、
大事なことがあったと思います、
っていう時に、
赤城さんがね、
すごく生徒に寄り添って、
研究室に入っていくことを応援しながら、
お話をまとめてくれたのね。
でもその辺が、
ちょっと音声悪くて、
うまく乗らなかったことと、
それに、やっぱり赤城さんがそうやって、
研究室への意気込みというか、
これから頑張っていくんだけど、
そういった時に、
自分の研究も大事だけど、
研究の背景にあることとか、
研究室での他の人との関わり方、
先生との向き合い方を、
学んでほしいってことをおっしゃってたんで。
あら、いいことね。
だから、そこから生徒さんの質問とかが来てて、
マイクではうまく拾えなかったんだけれども、
そういったことで、
この質疑応答も、
いい感じで進めることができました。
よかったですね。
言った甲斐がありましたね。
そうですね。
なので、本当に今回に関しては、
呼んでいただいた、
まず熊本大学の皆さんに呼んでいただいたことに、
感謝をしたいのと、
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あと、福岡高大にこうやって呼んでいただいて、
ポッドキャストに流すことも、
許可をいただいたことにね、
感謝しますね。
そうですね。
ということで、初めてのかなでる細胞、
公開収録っていうやつを、
面白いね。
一つクリアしましたね。
頑張りました。
ということで、次回はですね、
樋口塾、
ポッドキャスターコミュニティの樋口塾ですね。
古典ラジオをやっている、
樋口清則さんがやっている塾に集まっているメンバーが、
集まっているんですけど、
その中から、
愛があるのが当たり前っていう、
ポッドキャストをやっている、
バナナさんを、
ゲストに迎えて、
語り合っていきたいと思います。
樋口塾といえば、
たくさんお土産どうもありがとうございました。
はい。長崎の、
島原手延べそうめん、
本田兄弟紹介さんの、
そうめんとね、ラーメン、
うどん。
夢の、もはや幻のアメリカからしたら、
すごくうれしかったし、
とってもおいしかったです。
やっぱり、ほんとにね、みんながおいしいって言ってるから、
ポッドキャストの中ではめっちゃ有名なんですよ。
それを。
だから、ようやく食べることができてうれしかったし、
これ、貫節なんだから、
アメリカで売りさばけないのかしら。
いや、もうほんとにね、アメリカでやったら、
結構売れると思うんだよね。
今、うどんもブームだし、
ラーメンなんか、
ラーメン店どんどんふえてるし、
若い子たちほとんど箸使えますよ、今。
だから、ぜひ、ゆりかさんの学生さんたちが、
ラーメン屋をやりたいって言った人が出てきたら、
いや、みんなやりたいのよ、ほんとは。
ぜひ、しまばらで一回修行して、
そうね、それはいいかもね。
そうよね、みんなやりたいけど、
アドバイスなんか私、できたもんじゃないし、
ねえ、がんばれって言ったって、がんばる方法も知らないけど、
言えますね、これから。
修行先。
しまばら留学をしてですね、
しまばらそうめん留学をして、
そして、技術を持って帰ってきて、アメリカで、
何ビザが降りるんだろう、それ。
すごいね、いいかもしれないね。
ポッドキャストビザで、言いますか。
ねえ、なんかビザサポートしてくださる生命状があれば、
なんか、いくらでも行きたい人はいると思うけど、
アメリカに麺産業を持ってこないとね、
私たちの老後が失敗だから。
ねえ、ということで、
でも本当においしかったです、ホンダ兄弟さん、
ホンダ兄弟紹介さん、ありがとうございました。
ごちそうさまでした。
ということで、今回も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
お相手はユリカでした。
カズでした。バイバイ。
バイバイク。