アメリカを抑え込む。
自分の子供のためにシステムを動けっていう気持ちになっていくのよ。
アメリカのシステムに子供をはめ込んでいくわけだから、
やっぱり私たちは外国人だから、除外される対象の一つになってるわけよりね。
除外はされないけどね。
アメリカだから除外はないけれども、
突然あるとき、ここまでよっていう線が来るんじゃないかって、
どっかで怯えてるときがあるわけ。
特に研究者してたときは、グリーンカードまでダメですよ、国籍ないとダメですよとか、
今の職場もよ、国籍ある人から順番にリボードがあるっていうのがやっぱりあるから。
それは国づくりとして当たり前でしょ。
日本だってそうだし、アメリカだってそうだし、
そういうとこにはまっていくんだけど、ここで子供を育てるっていうのは、
そこのシステムにちゃんと乗せてあげるっていうふうに思うわけ、私は。
りささん、今からはまるわけだから、
子供がよりよく過ごすために、お膳立てしたりの励ましたりのしていくわけでしょ。
そうだよね。子供はここの人だからね。
ここの人だからって思ったときのスイッチってすごい大きいと思う。
変えるスイッチよりかは、ここで頑張れよスイッチに変わっていくわけよ。
私は老いといてでも、子供だけでも、ここでうまくやってってって気持ちに。
ちょうど今ターニングポイントじゃない?まさに8月目前に。
そうですね、8月ね、新学期も始まるし。
だから一生懸命先生に選挙レーター書いたりするわけよ、私は。
どの先生ですか?
ターニーの先生とかに、自分の上司には書かない選挙レーターを学校の先生に選挙レーター書いたり。
それは終わったときに始まるときに?
終わるときかな。クリスマスのときとか。
でもゆるかさんのそこでいうと、僕が見ててすごいなと思ったところは、
学校の先生と三者面談みたいなのがあるんですよ。
それで三者面談みたいなのをしていくときに、
学校の先生が若干だけど、僕とゆるかさん最初のほうは、
僕のほうが少し英語できてたのね。
今はもう超えてるかもしれないくらいなんだけど、
そのときにより僕に喋ってくるわけ。
で、その構図が、例えばアメリカ人の旦那さんがいて、
日本人の奥さんのときにも、先生がより旦那さんに向かって喋るみたいなときがあるわけよ。
長かったときだって、2歳できた子供の三者面談ずっとやってるわけじゃない?毎年1回か2回。
小学2年生くらいまで伝えられなくて、
あとよくシステムがわかんないから、学校自体が。
何を求めてるかって学校のシステムがわかんないし、
この先生はこう言ってるけど、本当はこう言ってるんだっていう、それもわかんないから、
日本語ならさ、いくらでも理解できることがわかんなくて、
ついついたずさんに話しちゃうね。
で、そこで先生が奥さんにあんまり喋らないっていうか、自信失うよね。
子育てしてるのはこの2人なわけだし、
気持ちとしては私のほうがよく見てるっていう気持ちがあるはずなのに、
先生が僕に向かって喋ってたりしたら、やっぱりダメでしょ。
だからそれも何か質問されたことに対して、
こういうふうに答えていい?っていうふうにゆりかさんに振るようにしてた。
できるだけゆりかさんがディシジョンを持ってんだよっていうのを形として見せるためにね。
でもそんなの必要がないぐらい、学年を越えるたびに、
私の教育方針はこれですっていうのを先生にどんどん言うようになってて、
学校のテストの仕組みとか評価の仕組みとか、すごく理解するように努めた。
アメリカの学校っていうものの理解をシステムね、
私の勝手なシステム論があったしもなくてね、
日本のシステムはね、コンプリートしたね、私。
博士課程まで進むことになって、
あと教宿があるから、学校のシステム、たとえば文科省があって、
学校の先生がいてっていうシステムをコンプリートしたわけ、日本っていうものは。
アメリカはやっぱりゼロだったから、手がかりがなくて、
すごい時間かかった、アメリカのシステムを理解するのは。
とうとう子供が義務教育を得ることによって、
今、フルコンプリートされたかなってある程度ね。
でもそれを今、もう1回下の子供たちで確かめたり、
ちょっとチャットさんに聞いたりとか、アメリカ人に聞くんだけど、
年々理解するようになってきて、
自分が組み込まれるポジションを見つけようとしたのね。
それ、楽しくない?とか言って。
楽しい、でもすごい努力したんだなって。
した、した。
もうね、冒頭でするスピーチみたいなのができた。
提携文みたいな、ユリカスピーチみたいなのができた。
私の家では、私は国を捨てるわけにはいかないから、
子供たちには家では日本語も教えるし、日本文化も教えていると。
で、もちろんあなたたちの教育、アメリカでやっている先生のあなたの教育が素晴らしいから、
本当に心から信頼していると。
だから、この2つのバックグラウンドを持つことが大事なんだみたいなスピーチをするわけ、最初に。
すごい、それはもう最初から用意しておいて、それを言う。
というか、もう一回やったら、それが毎年のようになっていくから。
で、最後に先生、質問ある?質問ある?っていう風になった時に、
もう大体同じように、うちらはこういう風に教えている、こういう風にしている、
それ大丈夫か?みたいな話を最後にすると、向こうがいいよっていう風に言うような形ができてくるね。
うちらは、アメリカの学校の先生も最初に会った時に、
私はこういう風に考えて、こういう教育をしているんですよって、しっかり言ってくれるもんね。
先生のプレゼンの、あれがテンプレートなんだ。
先生が言うから、いや、先生の言っていること正しいよってほぼリピートする感じなんだけど、
私もこう思うって少し足したくらいにすると、