鴨川でゆっくりしたいラジオ、通称鴨ラジオの時間がやってきました。
本日のパーソナリティは中村が務めます。よろしくお願いします。
鴨ラジオではゲスト会と称して、京都移住計画でお世話になっているパートナーや企業の皆さんをゲストにお呼びして、それぞれの京都話を伺います。
今回は、京都でキャリアブレイクを経験された藤原 翠さんをゲストにお迎えしました。
皆さんはキャリアブレイクってご存知ですか?
一時的に雇用などから離れる離職であったり、休職、あとは休学であったりとか、キャリアの中にあるブレイク期間のことを指します。
ちなみにこれは全然造語とかではなくて、欧州とかアメリカでは一般的な文化です。
そして京都移住計画では、一般社団法人キャリアブレイク研究所とともにキャリアブレイクを経験された方のエッセイをお届けしています。
エッセイではお届けしきれなかった、京都でキャリアブレイクを過ごすとどうなるんやっけっていうところのお話を、経験者の藤原さんとともに深く伺おうと思っています。
まずは藤原さんは何者なんだろうっていうところを伺おうかなと思ってるんですけれども、簡単に自己紹介を伺ってもいいですか?
はい、初めまして藤原みどりと申します。よろしくお願いいたします。
私は大阪出身で大学で京都工芸専院大学に入学しました。
その後新卒で東京のリラクゼーションの会社に入社し、3年弱ほど店長として店舗運営をしたり、セラピストとして施術を行ったりしていました。
その後京都に戻ってきてウェブマーケティングの支援の会社に転職し、約4年ほどSEOライターやディレクター編集者としてウェブコンテンツの制作に携わっておりました。
そちらは6月に退職しまして、現在は個人でデザイナーとして名刺とかロゴを作ったりですとか、
あとは出町柳の方で夫と2人で週1回、喫茶・筆豆という喫茶をやったり、
あとまさに昨日なんですが、1人で喫茶をやるというので、そちらは五条と四条の間のカモベースという場所で喫茶をやったりしております。
ありがとうございます。プロフィールの中からも、この方何者なんだろう、色々手を広げているな、興味があると思われた方多いんじゃないでしょうか。
今まで藤原みどりさんとキャリアについてお互い話をしたり、相談を受けたりというところももちろんですし、
京都移住計画が行っているようなゲシカレーナイトというイベント、あとは求人記事であったりとか、記事を色々読んでいただいたりとか、
そんな関係性でいる中、今回キャリアブレイクを経験されたというところなので、そこの話を伺おうと思っています。
京都に、大阪ご出身でいらっしゃって、移住をし合ってというところでしたよね。
これ、どんなきっかけがあって、いつぐらいに行き合ったんでしたっけ。
そうですね、まずは2社目のウェブマーケティングの会社に転職してから、当時交際していた、今も結婚した夫なんですが、
夫が京都に住んでいたので、近くに住もうと思って移住してきました。
いいですね。
そこからも京都に移住をして、今も住んでいるという形ですよね。
ありがとうございます。まさに京都移住計画、大阪からなので近くあるんですけれども、それを実践された方でもあるなというふうに思っています。
今回特にお話聞きたいところですよね、キャリアブレイク、これって元から知ってありましたか。
実は知らなかったんですね。概念そのものは、キャリアブレイクという選択肢という、最近、北野さんが出された本で知りました。
実は今、2社経験しておりまして、1社目退職時は、やむを得ず精神的に退職して離職して、その時はまず概念知らずに離職しました。
今回2社目退職時も、次を決めずに離職しているので、そこもキャリアブレイクが今まで2回経験しているんですが、今今回2社目退職する直前に、その本でキャリアブレイクという名前を知って、
こういう概念、海外とかだと一般的なんやなというのを知ってから離職したという形になっております。
お話の中でもあった、この北野さんというお名前ですね。
一般社団法人キャリアブレイク研究所という、キャリアブレイクの文化を広める、いろんな活動をされている一般社団法人があるんですけど、そこの代表の方になります。
本も出されていて、少し移住計画の名前も載っていたりするので、興味ある方はぜひ読んでみてほしいなと思うんですけれども、
それこそいろんな新しい働き方、生き方の本って世間に出てるじゃないですか。
面白いな、キャリアブレイクっていうのがあるんやな。で、終わる人もいれば、それを実践しようと思ったのって何でなんですか。
結構そこは、そうですね。在籍したままやと、次のキャリア、次の生き方に踏み出す勇気が出なかったというのがあります。
実は前職ですね、2社目に在籍している時に何回か転職しようとしたんですが、どうしてもその時、今自分が身を置いている場っていう、
その環境から離れるっていうのは怖すぎて、なかなか転職が決まったのにできなかったりとかっていうのが、すごく繰り返してしまっていました。
なので、これだと次の生き方っていうのを、自分が何か広げていきたいと思ってるのに、どうしても踏み出せないなと思って、
一旦ちょっと勇気を持って、フラットな、一旦自分をフラットな環境に置きたいなと思って、キャリアブレイクっていう選択肢を取りました。
キャリアブレイクの中には、たぶん給食みたいな形もあると思うんですけど、それを選ばずに、一旦退職をする。
これはやっぱり自分の中では、完全にフラットに考えたいから、席を置いたままではなくっていうののために退職でしたかね?
そうですね。当時は転職するっていう前提でちょっと考えてたんですが、どうしても転職するってなった時に、
給食してるとやっぱり、まだその会社の人間、一員として、いつでも戻れるよっていう状態だと思うんですね。
ってなると、また次転職先とか決まったとしても、そこといろいろ比べちゃって、戻ろうっていうことができてしまうので、
ちょっと一回自分に逃げ場をなくしたいと言いますか、戻る場をなくして、フラットな状態にしたかったので、一度退職しました。
一瞬、こう、逃げ場をなくすっていう言葉を聞くと、排水の陣を張り切ったかなって思うんですけれども、
そう聞くと、キャリアブレイクイコール、チャレンジをしに行くみたいなふうにも、今の話で捉えたところはあるんですけども、
じゃあ、退職をしよう。そして、休息期間でもあるし、価値観を破る意味のキャリアブレイクというか、ブレイク期間を置くと、
これの決断とか、実行するまでの準備って何をしてあったんですか?
そうですね。それが大きく分けると、金銭面と精神的な面で2つありまして、まずちょっと金銭面のほうからお話します。
あと前提として、そうですね。1社目退職したときに、実はめちゃくちゃ不安だったんですね。
あの1回目のキャリアブレイク期間が。
はいはいはい。
で、そのときにどんな不安があったのかみたいなのを思い出して、その不安を解消できるように動いてたというのがあります。
で、1個目金銭面って、もう皆さん多分ご想像できる通り、お金がなくなっていきますよね、毎月。定期的な収入がないので。
なので、その不安、その中で、じゃあ1ヶ月間で自分がどれぐらい出費してるのかっていうのをまず算出、もう本当に大まかなんですが、算出しました。
で、かつ、どこまでだったら、じゃあ貯金がなくなっても自分が気持ち的に我慢できるかっていうのを考えてみて、
で、実際にそこまで、例えば4ヶ月後に我慢できなくなりそうだったら、4ヶ月後には収入を得る手段を何とか見つけようみたいな、大まかなゴールを決めたんですね。
そしたら、もしそこまでに何かしら収入を得られなかったとしても、そのゴールを決めてると、そこに自分がある程度キャリアブレイクに終わりがあるみたいなふうに見えると、その間の行動が変わったりするので、一旦ゴールをなんとなく決めておくっていうのをやっていました。
そうですよね。この曖昧な不安というか、具体的な数字にしてみて、安心するじゃないですけれども、どう動いていったらいいんだろうという指針のところを出してみるっていうことをされたんだなと思っていて、
今、パーソナリティとして聞いている中村自身も転職であったりとか、それこそ休職であったりとか、本当にいろんなブレイクを経験したこともあるんですけれども、金銭面の部分でいくと、実は100万円作戦ということをやったことがありまして、参考になるかはあれなんですけれども、
1社目から2社目、今の会社に転職したタイミングのときに、今後の金銭面の不安ってどのくらい自分にとって大きいんだろうっていうのを測るために、一旦100万円を下ろしてみて、何に使いたいか自分で自分を測ってみようというか、
本当にどれだけ必要なのかを見てみたいと思ってやったことがあるんですけれども、結論として思ったのが、そんなに超欲しいもんってないかもしれへんなっていうことに気づいたりとかしたので、具体的に数字を計算してみるもそうやし、手元に置いてみたときどう行動するかっていう、ちょっと自分の実践をしてみて、不安ってもしかして取り除くのかななんてことを聞きながら思いました。
もう一つあるっておっしゃってましたよね、精神面のところですかね。
そうですね、精神面のところは、ちょっとここ離職、よくキャリアブレイク多分しようとされてる方って、キャリアブレイクした後に不安感じるっていうの思われるかもしれないんですけど、実は離職前にも不安感じるかなと思っていて、私は結構そこが大きかったんですね。
離職前、どんな不安があるかっていうと、離職すること自体にすごい迷いが出てくるんですね。
なんでかっていうと、勤務最終日っていうゴールが見えていて、ゴールが見えてると頑張れちゃったりとか、離職前なので業務量が一時的に減ったりとかして、ちょっと勤務が楽になったりとかするので、これって意外と続けられるんではみたいなふうに、今の辛さを忘れちゃうみたいなところがあります。
で、私はそれを何度か繰り返して、今まで退職できなかったりとか、転職をちょっと思いとだまってしまったりしたので、今回に関しては過去に辛かった時期に自分が書いた日記を読み直して、自分の辛さっていうのをあえて思い出すっていうことをやってました。
そして、もし本当に今、会社の状態が変わったり、自分の価値観が変わって、辛さが根本的になくなっているんだったら、そのまま継続してもいいと思うんですが、私の場合は単純に忘れていただけで、辛さとか根本的な課題っていうのは変わってなかったので、今回退職決意したっていうところがあります。
っていう、まず離職前の課題の解決の仕方、そんな感じでした。
なるほど。どうしても仕事にしてもプライベートにしても、楽しいとか逆の悲しい、しんどいみたいなのって、波としていろいろやってくるので、楽しい時ってアドレナリンみたいな感じで、辛かったけどどうにかなるじゃんみたいなのを忘れてしまうかもしれないんですけれども、
それをちゃんと楽しい状態の時だからこそ置いておくもそうですし、そこで自分のバイオリズムを測っておくのって、すごい冷静になるために大事なんだろうなっていうのも思いました。
あともう一つあれですよね。なんでキャリアブレイクしようとしてるんやっけっていう、目的をちゃんと立ち返るためにその記録を見返したっていうところもあるのかなと思うと、
さっきの最初の話やと、キャリアブレイクを迎えるまでの不安の向き合い方がメインやったと思うんですけども、それぞれの5段階というか、解放期、虚無期、実話期みたいな、そのあたりはどんなことをしたりとか、気持ちを。
そうですね、解放期はまず、そこまで、あんまり不安を感じずに、やりたいことやるぞ、みたいな感じで決めてたので、不安がなくて、実話期も結構、自分はある意味仕事人間かなと思っていて、やりたいことがあれば、あまり虚無っていう感じにならないので、そこまでは充実したんですが、虚無期ですね。
虚無期にどう不安を解消したかっていうところで言うと、大きく大体3つほどありまして、一つずつお伝えしていくと、まず虚無期全体で、特にキャリアブレイクのとき、不安になるのって、自分がこれをやってますって言えないこととか、収入がないっていうことに対して、周りの人と比較して、ひけ目感じやすいみたいなのがあると思うんですね。
なので、不安にならないように、自分の周りの人との接し方っていうのをすごく意識してました。それが3つありまして、まず一つ目が、今の自分の状況を肯定してくれそうな人とだけ会うっていうことです。
大事。
で、結構離職中ってどうしても、働いてる人を見たら、自分が貢献してない、社会に貢献してないって思ってしまったりですか、あと多少、ちょっと心配する声とか、実は辞めたんだよね、みたいなことを言うと、えーって驚かれたり、そういう言葉が結構深く刺さったりするんですよ。
なので、離職してるっていうことはもう大々的には言わずに、淡々とその事実を不運ぐらいで受け止めてくれる人とか、恐怖が似ている人だけに言うようにしていました。
で、私の場合は、自分の夫とか家族とか、あとその喫茶通じて知り合ったキャリアブレイクの経験者の方にだけお話をしていました。
あとは、そもそもフリーランスとして働いても、会社に所属しないことが当たり前っていう考えを持ってる人と一緒にいたら、なんか驚かれないんじゃないかなと思って、そういうフリーランスの方が結構働いているコワーキングスペースのコワーキングスペースのコミュニティに入ったりしていました。
そうすると、今所属してないんですって言っても、あ、そうなんだね、ぐらいで流してくれる方がすごく多かったので、自分のことを気軽に話せるようになったというのがありますね。これがまず一つ目の乗り越え方だったかなと思います。
いやー、ちょっと遡るんですけれども、開放期のところと、もしかしたら実話期につながるところかもしれないんですけれども、さあ、キャリアブレイクを迎えました。開放期です。やりたいことやってくださいってなった時に、何やったっけないかもっていう人が、それこそ日々私はキャリア面談をしていたりするので、多い気がしてるんですね。そこの悩みってなかったんですか?
そこはですね、無理やり作ったと言いますか、なんかデザインをやりたいっていうのは昔からずっと思っていて、実は2社目でもデザインを自分で勝手にやってたんですね。デザイナーでは全くなかったんですが。
で、私の中では何やろうっていうのを思うと不安になるっていうのは分かってたので、そこでまず今目の前にあるデザイン用のPCとデザインソフトを合計20万ぐらいするんですが、それを一気に買いまして、それを使ってデザインをいきなりするっていうことをやってました。
なので、そこで自分のやるべきことみたいなのをある意味、無理やり見つける。無理やりではない。
誰かに強制されたの無理やりとはまた違いますよね。
そうですね。前からずっとやりたかったけれども、時間がなくてできなかったみたいなことを最初にやるっていうことで、不安を解消してましたね。
自分で自分の背中を押すなんだなっていう。勝手にいい言葉ちゃうかとか思ったりはしたんですけど。
なるほど。それでやりたいこと、なんちゃうかって思うところをやりたいことに変えていくというか、やってみるにつなげていくはずだなと思っていて。
ありがとうございます。
そこからの実話記のところとかにつながるところの、さっきのどういう人といるのかみたいなところとか、自分自身の肩書きの出し方みたいなところの話。
これってどうなんでしょう? 京都だからこそ、この何者家館をこだわりすぎなくてもいいのか、いはるコミュニティにそれは関係をしているのか、そのあたりどう思いますか?
そうですね。所属するコミュニティによるのかなと、個人的には思っています。
例えば、会社に所属して働き続けるっていうことが当たり前の環境にいると、たぶん自分も結構そこって影響を受けると思うんですよね。
なるほど。
なので、どちらかというと、京都でそういう多様な働き方してる人は多いとは思うんですけど、そこをそうじゃない方ももちろんいらっしゃって、別にどっちが悪いとかいいとかではないんですが、
自分の価値観と合う環境がよりあるんだったら、そっちに身を置いた方が、ひけ目を関西とかしにくいのかなと思います。
そうですよね。だから、そのコミュニティを選べる土壌みたいなもちろん京都あるんだろうなっていうのを聞きながら思いましたし、
誰と付き合っていこうか、周りに置こうかっていうのが大事だなって気づかれたのは、どんなきっかけからなんですか?
それはですね、離職してから自分が穏やかになった。それを夫にも穏やかになったねって言われたっていうのがきっかけです。
前職までは結構ロジカルに話すっていうのが正しいとされると言いますか、仕事で必要だったんですね。
それを捨てると、家でも結構ロジカルに話してしまって、夫とぶつかってたんですね。
例えば夫が疲れたとかって言ったら、早く寝ればいいやみたいな。
解決策をね、議論が始まっちゃいますからね。
そうなんです。共感が必要な部分で、解決策を出すっていうことをやってしまっていて、それが続いて結構本当にギクシャクして、ちょっと一瞬危ういかもみたいな感じになってたんですね。
それが離職して、自分が思いのほかちゃんと夫の疲れたとか、もしちょっとそういった言葉を聞いても受け止めてあげられるようになったっていうところがあって、
やっぱり周りの仕事とか、周りにいる人の影響って自分は少なからず受けてるんやなっていうのに気づきました。
なるほど。なんかあれですよね。
多分最後に話したほうがいいのかもしれないんですけど、少しずつ自分の人格自体も変わってったりとかもするのがキャリアブレイクなのか、みたいな一つちょっと私の中で仮説を持ったエピソードだなと思ったんですけれども、
あとあれですよね。3つ主にしてはったような行動があってって最初におっしゃってたので、残りの2つはどんな取り組みだったりとかだったんですか?
そうですね。残り2つはいいと、まず自分の肩書きをどう説明するかって言葉に気をつけてました。
今は無職でって言っちゃうと、私の場合は結構自己肯定感下がるような感じがしてたんですね。
なので、今100%事実ではなくてもいいから、ありたい姿を言ってしまうっていうのを意識していました。
具体的には個人で、例えば今って何やってるんですかって初対面の方に聞かれたら、今は個人でSEOライターやデザインの仕事をしてますっていうふうに話してたんですね。
もちろんこれは全く嘘ではないんですが、正直10%ぐらい本当っていう感じで、実際SEOライティングの仕事はしてなかったんですけれども、もし依頼をいただけたらできるので、そこは嘘ではないと。
ただ自分がなりたい姿っていうのを言うことで、それが実現できるっていうのもありますし、何より無職でっていう一言言うことで自分を毎回下げる必要はないなと思ったので、
あえてそういうふうに自分のなりたい姿を言うということで、自信をつけるではないんですけれども、あんまり落ち込まないようにしていました。
めっちゃ大事ですよね。関係するかわからないんですけれども、それこそ京都移住計画での仕事担当をしている中で、
京都ってこんな感じで仕事を見つけることがありますよって皆さんにお伝えしているのが、あなたは何ができますか?みたいなところよりかは、何がしたいですか?何者なんですか?何を大事にしている人ですか?みたいな、そういう会話から仕事が生まれることがあったりするなと思っていて、
なのでまさに今の藤原さんのお話って、ありたい姿を語る、もう京都っぽいというか、人と人のつながりで何か生み出していくものにつながっているんだろうなっていうところはすごく感じました。
あともう一つの部分って、どんな行動をしてきていたんですか?
そうですね、これは可能であればだとは思うんですけど、私の場合は社会とのつながりを作っておくっていうのは大事かなと思いました。
特に1回目のキャリアブレイクの後って、もう家族、親族以外、外部の人とつながりがなかったんですね。
なので、結構その社会ともう全く切り離されているみたいな感覚がして、すごくしんどかったというのがあります。
なので本当にめちゃくちゃ小さくてもいいから、仕事をしたりとか働かなくてもいいので、家族以外の人と親しくできるような関係とかがあると、自分が何者なのかみたいなところをあんまり何者でもないみたいなふうに意識しなくても済むので、不安になりにくいかなと思っていました。
なるほど。ちょっと観点が違うかもしれないんですけれども、今の話を聞いて想像したのが、移住にもちょっと似てるなと思ったんですよね。
キャリアブレイクって今まであった環境をやっぱり変えるところがあると思うんですね。
移住にしても転職にしても、いた場所からやっぱり環境が変わる中で、落ち着けるサードプレイス、それがもしかしたらなじみの店を見つけることによって安心する人もいるかもしれないしっていう。
そこの部分とのつながりはあったりするので、決してキャリアブレイクを迎えたから、自分の身内だけじゃないつながりで閉じるとかじゃなくて、他の観点にもすごい通じる行動なんだろうなみたいなのを勝手に咀嚼をしてました。
そういったいろいろなキャリアブレイク期間中の過ごし方であったり、少し周りの方への接し方が変わったりとか。
あとはおそらく自分の中でも見えてきたものがあったりしたんだなと思ったんですけれども、キャリアブレイクをしてみての一番の気づきって何だったんですかね。
そうですね。
一つじゃなくても全然いいですよ。
難しいと思います、一つは。
一番大きいのは、無駄なことをたくさんできるっていう、それゆえに試行錯誤ができるっていうことが一番大きいです。
例えばなんですが、週5回、5日間働いてると、休みって1週間2日しかないですよね。
なので、例えば土曜日の過ごし方を失敗したと思ったら、日曜日ってそれを取り返そうと思って、結構私焦ってたんですね、以前は。
ただ今は、例えば今日無駄なことしてしまったとしても、明日やり直したらいいわって思えるから、結構そこで気持ちの余裕ができて、実際により良い生活をできるようになっていったかなと思います。
なので、無駄なことを取り返そうっていう焦りじゃなくて、無駄なことをすればするほど、私的にはいい時期と言いますか、
その無駄なことをした結果、自分にとって無駄じゃないことが見つかったりとか、大事なことが見つかるっていうのが、キャリアブレイクしてみて気づいたことですね。
今おっしゃった、この藤原さんにとっての無駄じゃなかったことって何だったんですか?
無駄じゃなかったことは、一つはデザインの仕事、デザインのことをもっとやっていきたいなって気づきがあったのが一つと、
その無駄じゃなかったことで言うと、さっきの夫との関係性に戻るんですが、人の話を落ち着いて聞くかつ共感をするっていうことが、無駄じゃないってことを気づきました。
っていうのも、前忙しかったときって、例えば夫から何かしらネガティブな相談とかされたときに、すぐに解決するのが正しいと思ってたんですよ。
ただ、そうすればするほど全然解決できなくて、関係性がよくなかったんですが、
逆に離職してキャリアブレイクして落ち着いて話を聞いたときの方が、すんなり夫も自分で納得して、自分で解決できたりとか、
私もちゃんと聞いてあげられたっていう、役に立てたんじゃないかみたいな気持ちになったり、
相手のことを時間をかけて受け入れるっていうことは、無駄じゃなかったのかなと気づきました。
なので、自分の今後してみたいこととか、人との接し方みたいなところが気づかれたことでもあり、得たことでもあったりですよね。
藤原さん自身が、このキャリアブレイクって何ですかって言われたら、何て返しますか?
私は先行投資機関かなと思っております。
先行投資ですか?
時間とお金の先行投資機関だと思っていて。
例えば、キャリアブレイク中って、将来自分がどうなるかわからんっていう不安はあると思うんですね。
ただ、そこに対して、自分の好きなものにまずお金とか時間をかけてみたりとか、
試しにプログラム参加してみるとか、いろんな投資をして、その期間、確かに収入はないし、
働いてたら得られたであろうキャリアっていうのも得られないと思うんですが、
一方でそうじゃない生き方であったり、キャリアが作れていくと思うんですね。
なので、そういったものに対して、先に投資をしていくっていう期間が、キャリアブレイクなのかなと思っております。
その先行投資をする場所として、もちろん北海道行かれたりとかあると思うんですけど、
京都で行う意義とか魅力とか、そのあたりってどんなことを感じていますか?
そうですね。それで言いますと、さっき中村さんおっしゃってて気づいたんですが、
京都だと多様な生き方をしている方が多いと思うんですよ。
なので、そういった自分の生き方、自分がやっていきたい生き方を既に実践している人と出会いやすいという意味で、
京都という場所でキャリアブレイクを迎えるっていうのはすごくいいなと思いました。
それは実際に、今年の頭に東京から京都に移住して来られた方と、ご夫婦の方とお話ししたときに、
その方はすごい驚いていらっしゃって、こんなに京都って多様な生き方をしている人が多いんだみたいな。
東京ではそういう人出会えへんかったわっていうことをおっしゃってたんですね。
それを聞いたときに、私としては結構京都長いので、あんまりそういう実感なかったんですが、
確かにさっきのフリーランスの方が集まっているコワーキングスペースの空間とか、
そういうのってすぐにパッと身近にあるものかっていうのは確かにないよなと思ったので、
そういう行きたい、モデルとしたい人、モハンとしたい人に出会いやすいっていうのは京都に住んでるメリットかなと思います。
なるほど。私の中で解釈したのは、多様な職種というか、仕事、業界業種は確かに東京多いと思うんですよ。
でも、この多様な生き方みたいなところで行くと、京都も引けを取らないぐらい、もちろん東京を全部知ってますから行くとそうじゃないですけれども、
引けを取らず京都にはそういうふうな土壌があるんだなっていうのを教えてもらった気がしました。
今後で行くと、チラッと中盤ぐらいにおっしゃった11月に実は就職してと、
どうされるんですかっていう聞き方もあるんですけど、今後みたいなところでキャリアブレイク期間を経て、
まさにこの接続ですよね。それは何をしていかがるんですか?
11月以降、本業と個人の両方でデザインの仕事を増やしていきたいなというのは思っております。
本業の方では11月以降、ウェブマーケティングの支援をやっていくことにはなっているんですが、
そこでウェブ上の集客支援だけじゃなくて、デザインの仕事もやりたいという意向を伝えていって、
それに対してOKいただいているので、本業でもデザインの仕事も挑戦してみつつ、
個人でも受けられる範囲で受けたいなと思っておりますというのが一つと、
あとは引き続き、持続可能な生き方とか働き方を模索し続けたいなというのは思ってます。
今ちょうどキャリアブレイクしてみて、今の生き方、今の気持ちの穏やかさが何かベストだなって思ってるんです。
社会人になってから正直私結構しんどいと言いますか、穏やかに過ごせる時期ってもうないのかなっていうのをずっと思っていたんですが、
まさかのこの仕事に何も所属、会社に所属していない時期がすごく穏やかで、
こういう穏やかな時期を自分は迎えられるんやっていう自信が少し湧いたので、
この穏やかさを持ちつつ、今後この穏やかな生活をどう持続させるのかっていうことをちょっと模索したいなっていうのが、
11月以降、挑戦したいことですね。
まさにキャリアブレイクを経て、この現実との接続というか方向性がすごい見えたのかなと思ったんです。