はい、どうも、DMの亀山です。亀っちの部屋ラジオ始まります。
サブMCの高橋です。今週もよろしくお願いいたします。
今週のゲストをお呼びします。前回に引き続き亀末大さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回の話題は、熟達論の言う方、観察の観です。
残るところは、神と空だということで。
空って来ると哲学っぽくなってきそうだけど。
いやいや、空は亀山さんの世界だと僕は思ってるんですが。
神はですね、型みたいなものっていうのは、大体晩年に同じことを教えるんですよ。
お茶でもこれが型ですよとか、ランニングでもこれが型ですよとかって教えるんですけど、当然人間みんなそれぞれ違うので、
それだけじゃちょっとハマらないなってことがだんだん出てきて、
そうすると真に至っていくと、これさえやれば自分はうまくやれるんだとか、これが自分らしさなんだみたいなものが
取れていくっていうのが真の段階っていうふうに整理しています。
例えば、柔道とかっていうのはお互いとお互いを崩し合うんですね、バランスを。
結局自分の中心が最後まで取れている方が最後勝つと思うんですけど、体のバランスっていうので、
だからそういうふうに自分の真ん中が大体どこにあるのかが分かって、それが自然と取れるようになっていくのがシーンだし、
もうちょっと抽象的に言うと、体だけじゃなくても自分らしさが何から来てるのかっていうのがなんとなく分かると、
それ以外の部分が自由になっていくっていうか、スポーツでよくリラックスしろって言うんですけど、
それって姿勢が大体、良くないとリラックスって難しいんですよね。
例えば体がちょっと前に倒れてたら、それを保つために背筋とか肩とかの筋肉って転ばらないと、その姿勢が保てないんです。
だから本当にリラックスしようと思うと、綺麗な姿勢にならない限りは体の力って抜けないんです。
それと同じように、真ん中が何かが当たると、それ以外は何かがはっきりするんで、
そうするとそこはむしろ脱力して、適当でいいかなっていうふうになっていけるのが心脳団体かなっていうふうに言ってます。
自然体っていうのは、ちゃんとした姿勢がとれるように自然となることになるの?
素晴らしいアレなんですけど、自然体っていうのは簡単に言うと、
最小限の力で立っているとか、最小限の力でいい状態を保てるのが自然体だと思うんです。
本当に力抜いちゃうと、体が全部力抜けて地面に崩れ落ちちゃうじゃないですか。
寝ちゃうよね。
寝ちゃいますよね。
だから自然体でプレイするっていうのは、最小限のところだけに力を入れて、それ以外の力が抜けてるっていうのが自然体の状態。
そのためには自分なりの綺麗な姿勢をとらなきゃいけないっていうイメージですね。
なるほどね。自分なりの綺麗な姿勢が自然か。確かにね。
例えばアスリートで、右のほうにずっと体重寄せられてると、結局右の側の姿勢を保つ筋肉は力が抜けないんですよね。
やっぱり真ん中をとっていると前進が可能です。真ん中以外は脱力できるっていうイメージです。
なるほど。確かに普通の社会人とか、仕事してるときに自然体でやるよとか言ってたら、寝転がってゴロゴロしてたらちょっと違うよね。
だから、自然体でやれよって言うんだけど勘どころを抑えるよって両方言いたい気分にならないですか。
勘どころってなんだっていうところが、なんとなく実感としてつかむのが真の段階かなっていうふうに。
そうか。今はどう?
他の人たち、スポーツ以外の人たち自然体に見える?
僕は亀山さんは多分世間的に見て、亀山さんのリラックス度合いと大きな会社が運営できてる具合がとても不思議なんだと思うんですけど、
僕は本当に勘どころをつかんでて、それ以外はリラックスできてるからなのかなと勝手に思ってたんですけど。
確かに手抜くとこ抜いてるもんね。
まるで本当に不思議な感じですね。
でもなんとなく、今こんなふうに話して成りなしくやってるじゃない。
そもそも10年ぐらい前初めて人前で始めたときはもうちょっと丁寧法でやってたのよ、実は。
そうですか。
スペシャルさん、亀山でございますって。これからお願いしますって言ってたんだけど。
でもそのときに、やっぱり肩苦しいからお互いね。
肩苦しいからさ、お互いに丁寧にやるから、普通に失敗はしないんだけどさ、
そのときに次回会いましょうねって言うのは会いにくいわけよね。
そうですよね。
そのときに、中山と井の子たちに会ったときにすごくむちゃくちゃ安く、
あ、JBLだ、やべえやべえとかってやってきてるときに、
こんなやついるんだみたいな話のときに、俺これ真似ようと思ったのが、
たぶんそれを見て失礼だなって思う人が一定数いるはずなんだけど、
逆に言ったら、いやいやお前何言ってんだよって言い返すやつもいたんで、
そういうときに、とてもそのときに、
無理やり自然体なんだけど、ちょっと怖かったんだけど、安くすることにしたのよ。
そしたら、やっぱり案の定、肩苦しい人には嫌われる。
若い奴らにはフレンドリーって言われて、親しみを持たれてみたいな話になって、
そのときにちょっと嫌われる人もたまにあるんだろうけど、
これはもう知ってることにして、どうせ会うことないからみたいな。
開き直ったら楽になって、かなり適当にやってるという感じだね。
自然体っていうのも、もしかしたら俺はスタートはちょっと頑張ったかもしれない。
なるほど。力を抜こうと、努力したってことですね。
そうそう。俺が逆だったら、力入りすぎて喋りにくいなって思ったりとかした。
逆に抜いて抜いてって思ったんだけど、そのうちだんだん普通になって開き直って、
ちょっと自信持ってないけど、そのキャラでいけた、みたいになってきたのはあるかな。
このシーンを描いてるときに、らしさが浸透するっていうのは本当に強いなっていうふうに思ったんです。
だからオリジナルになろうとかってよく我々スポーツとかね、
タレントまでいかないけど我々スポーツマネージャーの世界で、
その選手らしさとか個性とかよく言うんですけど、個性が社会に認識されて浸透するのって、
すごい本当は難易度が高いことだと思ってて。
おっしゃるように、自分でちゃんと練り上げて作んなきゃいけないっていう意味でも、
シーンっていうのはオリジナルみたいなイメージも持ってて、
それが成立するとコミュニケーションが早い感じがするんですよね。
いのこさんっていうらしさが浸透して、それですごいコミュニケーションが早いし、
おっしゃるようにもしかしたら水待ちしそうな人たちとちょっと離れていっちゃうかもしれないですけど、
何回も何回もやりながら仲良くならなきゃいけないものが結構早く本当の話ができるっていうか、
早く腹を張って話せるみたいな感じがあるような印象が。
そのときにやるのって、自分の中で何が大事かっていったら、
どうせなら気安く話せる友達とかが大事みたいな。
カタクシック、釈迦定議の付き合いを100増やすぐらいならば、
2、3個の気安いやつが増えたら嬉しいよねっていうそこもあると思うんだよね。
どっちが欲しいかみたいな話になると。
じゃあほとんど滑ってもこれだけ残りゃいいわみたいな感じの開き直りもあるかな。
そう思ったら楽になって結構人と会えるようになったね。
逆に言うと自分が会えなくなってったね。
50歳までほとんど会ってなくて、何とか会とか行くじゃない。
ありますよね。
そこで飯交換とかしてても全然面白くないからさ。
で、相手がどう思う以前に俺が行かなくなるんだよ。
でも気楽にやってたら、あ、だまーって言ったら向かうわ。
いいとかってなるとまた行きたくなる。人に会いたくなるから。
自分なりになんとなく、自分のキャラも含めたらそれでいいかってなったのもあるんだよ。
たぶんはじめみんな自然体って言ってるけど、
たぶん一度考えて動かしたら自然になってくるんだよ。今は自然。
当たり前になったけど。
じゃあその後のシーンがあれだとして、そっから空投だと。空はすごそうだね。
本当に最終段階って感じがしますね。
空はですね、これってアスリートがよくゾーン体験っていう、
すごい集中したときに感じる夢中みたいな感じですかね。
それがゾーンって言われるんですけど、ある意味それを書いたようなところなんですけど、
選手のゾーン体験っていうのって、よく時間がちょっと変になるっていうか、
あっという間に終わったり、ボールが止まって見えたって言ったりとか、
それから音がすごい小さくなってなんか、
ハードルが浮かんで見えましたとか、語感が変になるとか、
だいたいそういうことを選手言うんですね。
あとは客観的になって、自分コート全体が見えるような気がしましたとか、
まあちょっと選手は大体大げさに言うんで、僕も大げさに言うんで、
そういうとこあるんですけど、どうもそういう世界があるなと思ってて、
その時になんか、僕が思ったのは、
自分の体をコントロールして、思う通りに動かすっていうのが最高の走りだと思ってたんですけど、
ゾーンの時にはむしろ、体が思うように走って、
自分がコントロールする手綱を離しちゃったみたいな感じで、
勝手に体が動いていって、それでその時の方がタイムが早かったんですね。
ゾーンっていうのを、そういうクールっていうのはそういう体験をしたんだけれども、
もしかしたら人間っていうのは、こうしよう、ああしようって思うよりも、
体をもう本当に、ちょっとシーンではちょっと矛盾するんですけど、
中心すら忘れて、本当に体を世の中に合わせて委ねてしまった時に、
パフォーマンスが一番高くなるんじゃないかっていうのを持って、
タイムはクールっていうのに、そのこだわりがなくなって、
まさに周りとの環境と調和していくっていう風に感じました。
俺は芯があるぞとか言ってる奴なんかまだまだ青いよってことだよね。
それって言ったらちょっとなんか面白い。
名前つけて言われそうだけど。
でもそれって言うとさ、俺、
芯、それクーってムとかなんか似てるからね。
そうそう、そうおっしゃるとおり、
僕もやっぱり多分仏教的なのを影響を受けたんだけど、
座禅とか込みに行ってたわけよ、結構。
ムかっこいいとこってさ。
何か真逆な感じで言ったら、
ムの到達した人間があったときに言うと、
うわ、これ、このなんかかっこいいみたいな、なんかあって。
確かに確かに。
座禅とか込みに行ってたわけよ、結構。
ムかっこいいとこってさ。
こうやって何も考えないで、
畳のなんか前何センチ見てなさいとか言われるんだけどさ、
見ても見てもさ、
ムになろうと思うほどなんか考えちゃうわけよね。
むしろいろんな頭に巡り巡ってさ、
次々といろんなことが出てきて、
ムって起こるって騒ぎじゃなかったわけよ。
そういう時は、
いや、むしろになんか。
むーと怒るのは騒ぎじゃなかったわけよ。
これはもっと厄介、難しいなと思って。
むーは無理って言って諦めたんだけど、
何だったか、俺一人旅行に行ったときに、すごいウイニエンコっていう湖に、
エジプトの天井で寝転んでるときに、なんとなくね、
そのときはそれが無価って思うような、
すごく何にもどうでもいいやって言ったら変だけど、
仕事のことも社会のことも全部忘れて、気分になったときが一時的にあったんだよね。
そのときに、これもしかして無かも、今俺むーとかって思ったわけよ。
だけど、日本帰ってきたら元に戻って、むーと怒るんじゃないかって。
もう一回行こうかって言ってもなかなかできないね。
なんたときは無ってどう?
もう一回自分でむーになればできるの?
できないですね。
やっぱりできないよね。
だから自分の意思と関係ない、そのときの状況がそうさせたっていうのに近いんじゃないかって気がしますね。
しんとか、さっきのゆーとかカタとか、そこを目指して頑張ろうねみたいな話はあるんだろうけど、
食うって結果みたいな話だから、目指すもんでもないっていうか、
目指してるだけで食うじゃない?みたいな。
いやいや、おっしゃる通りですね。
たぶん結果としてなったかもね、みたいな。
たまにそれ、なったかもねって勘違いだったかもしれないけど、
ずっとなれるほど、ずっとなるなら死んじゃわないとなれないね、気がするよね。
なんかすぐまた戻されるようになりますね。
邪念の世界に。
じゃあ空にいつでも入れるようになるのかっていうと、そう思わない。
もうああいうのは、ある種ちょっと偶然。
準備まだできるけど、入るかどうかは自分で選べないっていうのと、
また空に教育的効果があるかっていうと、これもたぶんないと思うので、
終わってもまた同じように生きていくしかないっていう感じ。
ただ一個だけなんか変化があるとしたら、
なんとなくそういう、何もかも意味がないような空っぽだけど、
まあそれでいいんじゃないかみたいな、
リアリティと常にその後の人生はちょっと比較するようなことがあるっていうのが、
空を体験した後なんじゃないかっていう、
空の要因としてはそれなんじゃないかっていう。
それ以外はほとんど、混沌の世界をまた生きていくって感じだと思うんですけど。
ああでも、たまに宇宙行って地球見た人がちょっと変わるって言うじゃないか。
でもたぶん、たぶん二度とそれないけど、そんなことはあったよねってもし記憶にあったらさ、
なんか自分の今いるものが正しいかどうかっていうか、
自分のろくでもない人生生きてるなって思えるかもしれないよね。
はいはいはい。
そういや、前俺もうちょっとまとめなとこあったよね。
あのときのムーかクーかっていう雰囲気に比べたら、今ろくでもないよなみたいな。
なんかいろいろとらわれてるなとか、まだまだやっぱりあるなとか、
宇宙行ってるなとかって、あのとき何も思わなかったときもあったじゃんみたいな。
たとえ慣れないけどみたいな。
もしかしたら、一回神様に会ったらさ、自分の思いたかぶりが消えるみたいな、そんな世界かもしれないね。
あーなるほど。
自分が叶わないものに会ったときに、ちょっと謙虚になれたりするじゃないか。
はいはいはい。
そうだね。そういうので言うと、一回会ったほうがいいよね。
そうかもしれないですね。
ネットフリックスでラストダンスって見られました?
マイケル・ジョーダンのやつなんですよ。
マイケル・ジョーダンは全世紀を振り返ってるんですけど、
戦士たちが振り返って栄光の時代を話して、全体としてはそんなすごい時代がありましたって感じなんですけども、
とにかく僕はマイケル・ジョーダンっていうのが、
あんなことを経験しちゃった人はその後どういうふうに生きていくんだろうかってとこにすごい興味が湧いて、
だから、まあでも生きていくわけじゃないですか、人はこう。
その感じっていうのはすごいね、
空を経験したりとか、いろんな、わーっと世の中に見られたって経験した後の、
淡々と生きていく感じみたいな、すごい面白いなと思った覚えがあるんですよ。
マイケル・ジョーダンはその後、今はどういう感じだろう?
今は大きな家で、部屋で過ごして、もう多分、いわゆる手に入るものはほとんど手に入った感じなんですけど、
何とも言えない、これ勝手な僕の見かけかもしれないですけど、何とも言えない空っぽ感があって、
でもそうだろうな、世界中からとか、世界中のプレッシャーを跳ねのけて、
シュートを打って入れた瞬間とかを経験しちゃって、
そのときに空っぽの自分とかも経験してるとしたら、その後の人生ってのは何だろうな。
熟達論って自分の競技人生を描いたんで、それ終わったあとまた淡々と生きていくっていう世界があるので、いろいろ。
でもたまに、何て言うか、
人は空っていうのをちょっと実感したことがあるわけですからね。
それから先どう?自分の中で変わったところはある?
何にもないですけど、一言で言うと、本当に立派なものとかすごいものに対しての、
晴れた感じって言うんですかね。ピュアに金メダルすごいとか、そういうふうに思いにくくなったとこがあるかもしれないですね。
すごいんだけど、どう言えばいいのかな。
自分の実感として、一回でもそういうのがあると、世の中にあるものがいろいろバーチャルに見えるっていうか幻に見える。
今が見えてるわけではないんですけど、その瞬間だけは全部思い込みだったりするかな、みたいな気分にもなったりするんで、
そうするとどう言えばいいんですかね。
引退してほんとこの6年は頑張れる感じがしなかったです。
今は全然そういうのはなくなりましたけど。
でもそれってやっぱりそうだよね。
昔は金メダルへの思いとか目指す目標ってあったかもしれないけど、
いろいろそうやってみたりとか、そういった経験してくると、そんなもんかーみたいな。
そんなもんだけど、前よりはたぶんそうだね。
また今度、クーからまたユーになるって言ったじゃない、また。