00:05
こんにちは。このチャンネルでは、衆務以下勤務のワンママかいほが、今よりちょっと自由を手に入れるための思考のヒントや、家事・育児のこと、美容のこと、キャリアのこと、いろいろお話しするチャンネルです。どうぞよろしくお願いします。
今日は、利他についてお話ししてみる回2回目ということになります。 1回目では、私がなぜ利他について考えようかと思っていたのか、
利他の沼にはまってしまったのかということと、思いがけず利他という本をなぜ読もうかと思ったというのを、きっかけをちょっとお話しさせていただきました。
まだ聞いてないよという方は、そちらから聞いていただけると、今日の話が流れとしてわかりやすいのかなというふうに思うんですが、お時間のない方は、
今回の回だけでも十分わかるようにお話し頑張ってしようと思いますので、よかったら聞いていってください。
この本のポイントをまとめるのは難しいんですが、3つにポイントをまとめるとすると、1つ目、利他は自分で決めるものではないということ。
2つ目は、利他は行為を行った後、未来でわかるもの。 3つ目、利他は偶然に起きるものということですね。それが今回の読んだポイントを3つ選ぶとしたらこれかなっていうような感じです。
1つ目、まず利他は自分で決めるものではないっていうのは、これは利他だよねっていうふうに決めるのは、その利他的な行為をした側の人間ではなくて、それを受け取った人間だっていうふうに言っています。
つまり、例えば災害が起きてボランティアに行きましたと、あとは出産したので出産祝いを誰かに送るとか、そういうことって一見行く側が利他、これは利他だなっていうふうに思いながら行くのではなくて、それを決めるのは動いている側の人間じゃなくて、それを受け取った側の人間なんですよね。
例えば出産祝いでもらったものが、それのお返しをしなきゃいけない、こんだけ高価なものをお返ししなきゃいけないっていうふうになった時に、そのあげた側というのが優位に立つ、ギフトに対してはギフトをあげた側が優位性を持ってしまうっていうふうにこの本では言っていたんですね。
つまり何かの行為をしてあげたみたいな側が上に立って、それをもらった側は立場としては下になるから、本来は利他では利他っていうことを考えたら、利他の本質を考えたとしたら、その上下関係はあってはいけないんだと、確かにそうだなというふうに思ったわけです。
ボランティアという行為も一見、利他的な行動なんですけど、そのボランティアに行くっていう行為が、この発動のきっかけが自分のボランティアに行く自分は周りから見たらどう思われるだろう、みたいな断算者の評価を気にしながら、
03:16
それって利己的な意図ですよね。利己的な自分がきっと評価が上がるだろうとか、企業がこういう災害の時にこういう支援をしたらきっといいイメージを持たれるだろうとかっていうその利己的な発動、発信が垣間見れると、それは世間の人というか周りを見てもそれを利他的だと思わないだろうということですよね。
つまり、利他は自分で行為、行動した人が決めるものではないので、こちらから行動する側がこれは利他だからやってみようとか、そういう行為は結局は利他ではないということですね。
本当にボランティアに行く人って、そういう第三者から何かこうどういうふうに思われるかっていうところの目線は気にしないで、体が動いてしまうものらしいんですよね。もうなんだろう、誰かの評価とか自分の利己的なこととかじゃなくて、思わずもう動いてしまうみたいな次元にあるらしいですね。
でもなんか自分の意思とか他人の指示とかそういうことではなくて、いわば神とか仏様とかそういう何者かに突き動かされる感覚でボランティアに行く人っていう人がやっぱりいるみたいで、それは結果的に利他的な行動なんですけど、まさにそういう時に発令するんだなというふうに思いました。
で、利他は行為を行った後、未来で分かるものっていうのは、この今行動している何かを助けてあげるとか、そういうふうな例えば誰かのために食事を、チキンナンバーを注文しておいてあげるみたいな行為が一見利他的な行為、その時にやった時に、これは利他だなって。
仕事で遅れて、お友達が遅く到着するからチキンナンバーを頼んどいてあげようみたいな感じで頼んであげるんですけど、それが実際利他になるかどうかっていうのは、その注文していた時点では分からないんですよね。
未来でその人が遅れ仕事で遅れたその方が到着した時に、チキンナンバーを頼んでいてくれたんだ、ありがとうっていうふうに受け取って感謝をされるかもしれないし、鶏肉にアレルギーがあって、もうビーガンランチしか食べないんだよねっていう人からしたら、それは利他的ではないんですよね。
なので、その行為を行っている時には不確実要素なわけなんですよ。未来でしか分からないということですね。
06:10
3つ目っていうのは、偶然に利他は起きる。なので、1つ目の例や2つ目の例からも言って言うんですけど、その偶然、利他っていうのはもう意図して、これが利他的な行為ですっていうふうにするものではなくて、大抵は偶然起きるものです。
例えば中学の恩師が、あの時に言ってくれた、あなたが言ってくれた言葉で、今の私があります、みたいな感謝の指定関係みたいなのがあるじゃないですか。
ああいうのって意外と偶然に起こっていて、それを言われた側っていうのは、え、そんなこと言ったっけ?とか、その言葉そんなに大した大して重要かな?みたいな言ったポロッと言った一言が、その人のその先の人生を大きく変える一言になったり、
それは受け手側のその時の心理状況だったり、その時の教育環境だったり、家庭環境だったりによって、その言葉が人生を動かすほどの一言になる可能性もあるし、それはもう本当に偶然なんですよね。
なのでもう、こちらからもうやってやるぞと。リタもこれをすれば喜ぶとか、これを絶対やってほしいみたいな裏の狙いがあっても、リタっていうのは起こらないと。それが思いがけずリタっていうことですよね。たまたまリタが起きる。
リタというのはそういうものだというふうに本では書いてありました。
私が発信でこのリタについて、リタ100%で発信することがうまくいかないんじゃないかなっていうふうにここ最近は思っていたんですが、
やっぱりそうかって思った対談がありまして、それは先日プレミアムになるので詳しくはお話しできないんですが、
暮らし片付けおやつの時間のミサさんとミニマリスト綾島さんの対談の中で、自分が本当に楽しいというふうに思えることが結局は、こんなふうにいい写真が撮れたとか、こういうことがいいんじゃない、こういうのを見てほしいみたいな、自分がもう楽しくて楽しくてやっている発信というのが結局長続きするし、
人にも届きやすい。まず長く続きやすいというのが一つですよね。それを聞いて、やっぱりそうかって自分の中で腹落ちしたんですよね。
私このスタンドFMを始める時に、自分の中での一つ決まりごと、というかルールを設けたんですね。それは、自分が楽しくやる。自分が楽し…2回言ってるわ。自分が楽しくやって、とにかく続ける。おしゃべり上手になりたいから自分のためにやるんだっていうふうに考えてスタートさせることにしたんですね。
09:10
というのはもう全然上手くしゃべれなくて、上手くいかなかったなとか、最初のうちってもう全然誰も聞いてくれないし、これ誰のためにやってんだろうとか、こんなにやってるのに全然聞いてもらえないなという時もあったりとか、上手くしゃべれたよ、すごい救急車が通ってしまってうるさくてすみません。
上手くしゃべれたっていうふうに思った回がたくさんの人に聞いてもらえるっていうわけでもないし、私以外でもきっとそのプラットフォームの強さによってインスタにいる人数よりもスタイフの人数の方がきっと聞いてる人数の部数としては少ないし、
そうじゃなくて、でも自分が楽しんでやるっていうことを忘れずにやろうっていうふうに自分の中で決めてたら、なんかね、上手くできないかもとか上手くしゃべれなかったかもっていうふうな、上手くしゃべれたのにあんまり反応がいまいちだったかななんて思う時も、
あ、これって自分のためにやってたんだっていうことを思い出す、思い出すと長く続けることができるんでしょうね。そしてそれが今じゃなくて、今の時点じゃなくても未来の時点でこのスタイフに何かこうたどり着いた人が受け取った時にそこで思いがけずリタ、
たまたまリタになるようなことを見つけてくれるかもしれないし、それはこちらが発信する側が、あなたはこれがリタだからこれがいいでしょ?みたいなことの、何だろう
やってやったぜ!みたいな気持ちで配信するのではなくて、あくまで私はね本当に何者でもない、ただの本当にはそこら辺にいるワーママなので、同じ目線で、そしてなんかママ友を増やしている感覚、ママ友じゃなくても本当お友達を増やして自分の好きな人を増やしていくっていうようなこのオンライン上のコミュニケーションが楽しくて
本来オンライン上でのあるべき姿ってこういうことなんだなっていうふうにここ最近ようやくね自分の中でわかるようになったんですよね
なので私が上立場が、配信する側が上でも聞く側が下でもない、それは何かギフトを与える誰かにプレゼントする時に、プレゼントした側が上とかそういうことではなくてあくまでフラットな立ち位置で私は配信しているんだっていうことを常に常に忘れずにやっていけば
いつか誰かの利他になるんじゃないかなって、そのためにアグラを書いているのではなくて今の自分を一生懸命生きるっていうことが後の利他につながるんじゃないかなっていうふうに書いてあって
12:05
とてもそれが自分の中では負に落ちたことでした
いやー難しいですね
でもなんか私はうまくしゃべれなかったけどこの本が読むきっかけになってくれればこの本に書いてあることでその人が受け取ってくれるきっかけにさえなれば私の伝わらなくても読んでみようかなって思ってくれたらそれでいいかなっていうふうに思います
ここまで聞いてくださってありがとうございます
いやーもうちょっとうまくしゃべれたなー
なんか夫にもアウトプットしたんだけどそんなに、いやその時はねもっと時間かけてたからな
言葉は詰まったけどもとにかく溢れる思いがありすぎて夫に熱弁したんですけど
まとめようと思うと難しいなまだまだな
そんなことを思いました
それでは素敵な一日をお過ごしください
カイホでした