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こんにちは、かいほです。今日も皆さんお疲れ様です。 今日はないないゲームを終わらせるという話をしようと思います。
何か自分のないものにフォーカスしてつい落ち込んでしまうとか、これから何かやりたいんだけど自分には何にもスキルがないから、などと思っている皆さん、よかったら最後まで聞いていってください。
本題の前にチャンネルの紹介です。このチャンネルでは、3歳6歳の子供を育てる私、わーままかいほが、6年後までに正社員を卒業するための試行錯誤の過程を皆さんとシェアするチャンネルです。
どうぞよろしくお願いします。 今日はないないゲームを終わらせるという話なんですが、
ないないって何かというと、ありなしかの言うところのなしのゲームですね。 自分にはお金がない、資産がない、スキルがない、資格がない、心を置ける友達がいないとか、ないところにフォーカスするのがもうないないゲームですね。
本当にね、ないものを数えると多分無限に出てくるはずなんですよね。それはね、本当に自分自身がそうだからこそ、
もう本当に、なんかそこに最近ね、気づいて、ないないゲームを終わらせてあるあるゲームにすると、自分はこんなことがあるっていうふうに、ゲームを変えると途端に人生がね、
好転していくよっていう話を、ここ最近はその週刊家コンサルタントの古川さんのボイスを私はずっと聞き漁っているので、そこからね、学んでいったんですね。
本当にね、自己否定が酷くて、例えば今までの人生で言ったら、自分が理想としている体型とちょっとかけ離れているとか、
あとはここ最近で言っても、ヨガの今勉強していて、なんか人に教えるにあたって、自分で動画を撮って、教えているところの動画を撮って、見返して人様からどういうふうに見えるかっていうのを
見返したりするんだけど、もう本当に自己否定が止まらなくて、もう見てられないわけですよ。
ああもうこれができてない。ヨガの教え方うんうんじゃなくて、自分の全体像を見るだけでも結構耐えがたいぐらいの感じで、
もう自己否定が止まらないんだけど、でもスタイフをね、始めた時もきっとそうだったなっていうふうに思い返してみたらそうなんですよね。
なんか最初に自分が、あ、もっとなんかボイスをずっと聞いてたから、あんな風に喋れるんじゃないかって、皆さんね、なんかこう軽々と喋っているように見えるから、
なんかこんな風に喋れるんじゃないかと思ってスタイフを始めるんだけど、聞き返してみるとまあひどいですよね。私の初回の放送を聞いてもまあひどい。
なんか幸薄そうって感じ。本当に。なんか幸せ吸い取れるってみたいな感じ。なんかもうそこからなんか本当回数を重ねると、
今の自分の配信でも、あ、なんか今日の自分の配信がすごい気に入った回だなって、自分自身を肯定できる配信がどんどんできてたりとかして、それを乗り越えることもできるようになるから、
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最初のそのないないゲーム、あ、もうこれは自分にはない。で、私今の自分だったら、私には時間がない。
まず時間がない。正社員としての時間がないし、なんか発信をもっともっとなんか発信にかける時間もないし、
あとは自分のスキル、ヨガを教えるためのスキルが、例えばヨガを20年やってる人に比べたら全然スキルがないじゃんとか、
あとはなんか習慣、誰かの習慣のサポートをしたいなと思っても、私にはコーチングの資格がないじゃないかとか、
なんかないものなんて本当無限に出てくるんですよね。そう思って、ないをありになってから全部行動するっていうのが本当に今までの人生だとそういうふうに思ってたんですよね。
もう本当にゼロか100かで、100じゃない人は発信する意味もなければ価値もないって思ってたんですよね。もう超ひどいですよね。
それは自己否定が止まらなかったところで、ないないゲームを本当に自らが自分自身に沼にはまってたんですけど、
それをあるものにフォーカスするっていうふうにしてみたら変わるよって言ってくれてたのを聞いて、自分にあるものを数えてみたんですよ。
そしたらね、意外とあるわけなんですよ。何があるって言うと、私には時間がないけれど毎月安定的に振り込まれてくる給料があるぞとかね。
あとはそれだけじゃなくって、とりあえず今住める家があって家族がいると。
家族がいるから戻る場所があるとか、自分がどんなに発信して誰からか傷つけられたり、そういうことは一切ないんだけど、
誰からも認められなくても家族がいるから大丈夫とか、あとはどんなに失敗しても今自分には安定的に給料が振り込まれてるんだから、
じゃあもうちょっとお金をかけて自分がやりたいと思っているサービスをまず受ける側としてやってみたらどうだろうとかね。
あとはなんかコーチングっていうスキルは自分にはないけど、でも人の話を聞いてそれに共感してあげるっていうことは私は薬剤師の仕事の中ではずっとしてきてるぞとか、
あとはあるっていうものはがん患者さんとはずっと接してきてるから、人の痛みとか苦しみっていうことにはすごく
傾聴してあげられるし、そこを客観的に、だからといって一緒に沼にはまるっていうよりは客観的に見ることができるっていうふうにも思えると、意外と手持ちのものってあるな、手持ち譜だってあるんだなっていうことに気がついたんですよね。
ヨガの哲学の中にも樽を知る参考者、参考者っていう考えがあって、今あるもの、常に見下りていることを知るっていうことがあるんだけど、
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樽を知るっていう言葉だけだとなんか腹落ちしない人って多分この世にたくさんいると思うんですよね。それを自分ごととして捉えるためには
最初に言った、ないないゲームを終わらせる、そしてあるあるゲームに変えていくっていう言葉の方が人によってはしっくりくるかもしれない。
手持ち札を数えてみましょうっていうのだけでもいいかなっていうふうに思ったんですよね。だからなんかこの今の
今持っているスキルが100%になるまで私は何も1ミリも行動ができないんじゃないかって過去思っていたけれど、
ヨガをそれだから学び始めたけど、でもヨガを達成することっていうのは多分死ぬまで、今ヨガを20年やってる人でもヨガ的な生き方を100%実現している人って
いないわけだから、みんなその旅を、そして人間として100%になる人なんていないんだから、今ある手持ち札で
そのカードゲームで常に戦い続けるしかないんだと、その手持ちが最強メンバーになるまでボードゲームを開始しないんだと、多分一生
ゲームに勝つことはないし、もう勝ち負けじゃないんだけど、一生フィールドに自分が目指す自分にはなれない、自分が求めているものには出会えないっていうふうに考えると
なんか手持ち札をまず数えて、その中でどう組み合わせるかっていうことを考える方が
絶対幸せになるっていうふうに何か思ったので、ちょっと今日はそんなお話をシェアしてみました
ここまで聞いてくださってありがとうございます。気軽にいいねやフォロー、コメントなどいただけるととっても嬉しいです
それでは素敵な1日をお過ごしください。かいほでした