1. ともに奏でるラジオ
  2. #24 ゲスト回13弾 アトツギラ..
2024-12-20 39:10

#24 ゲスト回13弾 アトツギラボ小野寺亮太さん(前編):ともに奏でるラジオ

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ともに奏でるラジオは、「誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる」をVISIONとかかげる株式会社ジャムセッションズが、即興演奏から生まれる「協奏」をテーマに、チームメンバーや様々なゲストとともに対話を繰り広げる、そんなポッドキャストです。

京都を中心にジャムセッション的に活動(協奏)しているゲストをお招きしてお届けしている「ともに奏でるラジオ」。今回のゲストは、自称「跡継ぎオタク」として活動されている小野寺亮太さんです!

小野寺さんは京都市役所職員として働きながら、2024年3月から「アトツギラボ」を立ち上げ、跡継ぎたちの交流の場を作り続けています。
 

今回は、小野寺さんが「跡継ぎオタク」として活動を始めたきっかけや、アトツギラボを通じて見えてきた跡継ぎたちの想い、そして11月に開催された200人規模のイベント「アトツギ縁日」の話まで。「過去からも未来からも預かっている」という跡継ぎならではの価値観や、地域に根差した企業だからこその可能性について、熱く語っていただきました。
 

また、2025年3月8日には第2回アトツギ縁日の開催も決定!創業150周年を迎えるお餅屋さんとコラボレーションした企画も進行中とのことで、今後の展開も楽しみです。
 
次回後編は来週の配信でお届けします〜✨
 

アトツギラボの活動については、下記からチェック!
https://note.com/helloryooota85

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ともに奏でるラジオは、毎週金曜日(たまに水曜日)に更新しています。
次回の更新を、どうぞお楽しみに✨

◈株式会社ジャムセッションズ(Jam Sessionz)
VISION:誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる
https://jam-sessionz.com/

サマリー

今回のエピソードでは、小野寺亮太さんがゲストとして登場し、後継ぎの活動やそのルーツについて話します。彼の活動は、京都市でのプロジェクトから始まり、後継ぎ向けのイベントを通じて仲間を集めることを目指しています。このエピソードでは、アトツギラボの小野寺亮太さんが、後継ぎに対する思いや最近の活動について述べます。彼は地元京都でのイベントを通じて後継ぎ同士の結びつきを深め、対話を重視しています。アトツギラボの小野寺亮太さんが後継者の重要性や新たな定義について語り、後継者のイメージを変えることで、より多くの人が後継者としての道を歩む可能性を広げることを目指しています。

ともに奏でるラジオの趣旨
みなさん、こんにちは。Jam Sessionzのりょうこです。
けいたです。
ともに奏でるラジオ、この番組は、株式会社Jam Sessionzが、即興演奏から生まれる協奏をテーマに、チームメンバーや様々なゲストとともに、会話を繰り広げる、そんな番組です。
はい、ということで、けいたさん。私なんかちょっと久しぶりなんですよね。
なんか確かにね、久しぶりかもしれない。
最近はね、私としょうさんのパーソナリティだけではなくて、5人でね、回すようになったんでね。
結構代わり代わりやってるね。
そうそうそう。久しぶりなうちに、もうあっという間に12月になって、ちょっとびっくりしてますけど。
あっという間。
本当にもうあと1ヶ月ですね、今年も。
でも本当にこう面白い、いろんな方とゲストでお招きできてて。
もう20回ぐらいですか。
もう多分20回ぐらい。
なってきてるので、今日も楽しみですね。早速お呼びしましょうか。
小野寺亮太さんの自己紹介
はい。
はい、では今回のゲストは、小野寺亮太さん。こんばんは。
こんばんは。
ようこそお越しくださいました。
お招きありがとうございます。
ありがとうございます。
私たち普段小野寺さんと呼ばせていただいているので、今日もそれで。
お願いします。
呼ばせていただきたいと思います。
私小野寺さん、いつぐらいでしたっけね。
もうだいたいよく行くイベントとか、だいたい顔よく合わせるので。
そうですよね。
正確ないつだったかみたいなのは。
確かにどこなのを聞きたい。
いつでしたっけ忘れちゃいましたけど。
何かのイベントですよね。
何かのイベントですよね。
いつ頃とか、時期間は。
時期間はいつだっけな。
でもね、今年のイベントやったら何やろう。
3年前と、え?
そうですね、多分3、4年ぐらい前の。
3、4年ぐらい前。
何かのイベントやったと思います。
何かのイベントで、はい。
僕はね、僕もこれいろんな動画やってるから。
そうですよね。
最初は僕ね、あれです。
覚えていらっしゃる。
すさみです。
最初はすさみ?
すさみだと思います。
ほんまや。
何ですか?何ですか?
そうだ。
大久保空君いるじゃないですか。
はいはいはい。
お魚大好き青年。
お魚大好き高校生の大久保空君っていう。
僕は京都で去年まで活動してて。
僕も魚さばき教室とかとびらであって、
すごい取り組み自体に共感して、
イベントとかによく行ってたんですね。
その空君が和歌山のすさみ町っていう漁師町があるんですよ。
すさみ町のすさみ。
そうなんですよ。
そこにツアーを企画するから、
一緒にどうですかっていうので、
去年の今ぐらい、秋ぐらいですかね。
9月ぐらいでしたね。
9月10月ぐらいですよね。
本当ですか。
で行って、年来もバラバラというか、
僕らみたいな大人もいれば、
高校生とかもいましたよね。
いましたね、大学生。
高校生、大学生とか。
すさみ町で一泊二日で。
そうか、あれか。
あれです。
ほんまや。
あれですわ。
まさかの最初すさみで会ってるという。
最初すさみなんですね。
面白いですね、京都市ではないという。
ほんまや。
そっか、でもそっからいろんなとこで。
そうですよね、そっからだいぶしょっちゅうですよね。
いろいろしょっちゅう。
僕の家の近所の仏源寺の寺のみっていうイベントとか。
いろんなとこで会ってますね。
そんな小野寺さんをお迎えしてですね、
お話を聞いていきたいと思うんですけれども、
まずレクサと皆さんに毎回、
簡単に自己紹介をお願いしておりますので、
一言お願いします。
自称後継オタクで活動しております。
小野寺良太と言います。
普段は京都市役所に勤めているんですけれども、
今は伏見区役所で保育園の受け入れ業務なんかをやっています。
そうなんですね。
私知らなかった。
市役所側の仕事結構謎。
何やってんだろう、何されてんだろう。
だいぶ伏せてます。
本当に小野寺さんにもお伝えしたんですけど、
忘れてました、私。
小野寺さんが市役所勤務だっていうの。
後継オタクのそっちの活動の方が、
そうですね。
前面に。
僕もそれで押そうとしてるので。
押そうとしてる感じですかね。
そうです。
今趣味と仕事が逆転してるんで。
メディアとかもね、
近所のラジオとかで。
そうですよね。
私見ましたよ、半径500メートルとか。
ありがとうございます。
私これはファンなので、毎月。
2ヶ月1回か。
いいですよね、それね。
レコラムも書き始められてて。
ちょうど今原稿に追われてるんですけど。
そうなんですね。
結構すぐ来る感じですね、2ヶ月1回。
2ヶ月って結構すぐ来ますよね。
確かに確かに。
はい、なので今日は、
後継ぎの活動のきっかけ
自称後継オタクの方の活動ですね。
初めて聞く方もいらっしゃるかもしれないのでですね。
お願いします。
その活動にフォーカスをしたいと思っておりますが、
そういえばいつ頃から活動してるのかとか、
ちょっとその辺りから。
そうですよね。
活動自体は今年の3月なんですよ。
そうなんですか。
今年なんですね。
今年なんですよ。
あれ、僕去年会った時は後継オタク前。
オタク前。
オタクなる前。
オタク化する前。
ビフォーアフラーみたいな。
オタク前と後と。
そうですか、そんなに最近だったとは。
種というか、きっかけは3年前に遡るんですけど、
当時京都市と京都信用金庫さんで、
今日からプロジェクトっていうのが1年だけあったんです。
今日からプロジェクト。
京都市と京都信用金庫さんが連携協定を結んでいて、
その一環で地域とか社会の課題を解決するような
プロジェクトチームが半年間やるっていうので立ち上がって、
それに僕手を挙げたんですね。
そのプロジェクトは1年きりで終わっちゃったんですけども、
それにだいたい50、京都市と京都市からだいたい25人くらいかな。
合計50人くらい集まって。
そんなに25人ずつ。
そうなんですよ。
8チームくらいは分かれたんですよ、テーマごとに。
僕のチームが経済×ITみたいなチームだったんですね。
そのテーマだけ決まってて何をするかはチームメンバーでしゃべりながら決めるみたいな。
そこで一緒やった教訓の子が、いわゆる後継ぎやったんですよ。
たまたま一緒になったチームのメンバーの教訓の人が。
京都の北部の小さい町工場の後継ぎみたいな。
社用産業で大変そうやし、教師のほうが楽しいし、みたいな子やったんですよね。
僕自身も後継ぎというルーツがありますと、
僕の家業は飲食店。
飲食店なんですね。知らんかった、それ。
ご両親ともにですよね、お父様も。
別の?
別々なんですよ。
父親のほうが滋賀県の大津市にみい寺っていう。
滋賀県の有名なお寺があって、その門前でお商売させてもらってるんですね。
おじいちゃんが創業者で、お父さん2代目。
僕が3代目に当たる年代の後継ぎ。
母方が京都市の山科区で公務店を営んでる家業が生まれてて、
両親ともに後継ぎ家庭に。
僕はそういうルーツがあるんですけど、
僕の家業ってお寺の前で商売させてもらってると、
基本的にお寺ってお休みないじゃないですか。
そこもあって、基本的に休みないんですよね。
360日ぐらい店開けてるんですよ。朝の9時から5時まで毎日。
年末ちょっと1週間休みあるぐらい。
それを僕は幼少期からずっと見てきたんで、なかなか旅行とかあんまないし。
家族と過ごす時間は夜とか。
土日も別にどっか行くわけでもなく。
そういうのを見てきたんで、なんとなく家業って大変そうとか、
いう僕はちょっとネガティブに受け止めてた人間なんですよね。
その教師の子もちょっと同じような感じで。
でも同じ共通項があったんで、
そういう後継ぎ向けになんかやろうかなみたいな話でちょっと盛り上がったんですね。
その時にやったのが、後継ぎが夢を語るイベントをやったんですよ。
それが記念すべき第1回だったんですね。
それが記念すべきめちゃくちゃきっかけになったんですけど。
僕らが結構ネガティブに捉えてたのですけども、
その時に僕の同級生が結構後継ぎの子が多かったんですね。
その時は本当に僕も10年ぶりとかに連絡取って、
なんか商売やってるのはしてたんですよ。
でも何やってるかようわからん子とかもいたんで、
改めちょっと話を聞いてみようってなって、
自分の部活の時の同級生とか後輩とかに連絡を取って、
200年続く和菓子屋さんがいたりとか、商社さんがいたりとか、
だいたいその時がみんな東京とかの会社に就職して、
30手前ぐらいで帰ってくる子が多かったんですね。
1回就職して。
ちょうど戻ってきて1、2年目の子が多かったんですよ、その時。
彼らと喋ってるとすごい家業をポジティブに捉えてたんですよね。
もっとこうやっていきたいんだみたいな、将来とか。
なかなか自分にはそういうこと思えなかったので、将来こうしていきたいとか。
そこがすごい、家業って結構面白いものなんかなっていう風に、
その時初めて気づいたんですよ。
なるほど。
久しぶりに会った同級生たちとの会話からというか。
そうなんですよ。
だから僕とそのもう一人の表親の子がネガティブに捉えてたこともあったんで、
プラプラスに捉えられるようなイベントをやった。
そこで夢を語るみたいな、
ポジティブな。
その夢の実現に向けての課題を経済とITっていうテーマやったんで、
デジタルで解決しようみたいな、そういうのもあったんですけども、
後継ぎにフォーカスするようなことをやったんですね。
そこから後継ぎの仲間がちょっと増えてきたというか。
久しぶりに会ってやっぱり盛り上がったんですよ。
今こんなことしていいなみたいな。
後継ぎさんだけをテーマにしたイベントってないですよね、それまで。
なかったですよね。
あんまりなかったと思うんですよ、それまで。
そこからちょっと飲みに行くようになって、
いろいろ話聞いてると、後継ぎ、家業ってめっちゃおもろいなみたいになってきたんですよ、僕の中で。
捉え方が変化してきた。
そうそうそうなんですよ。
でも彼らに悩みもあって、
親父との関係性とか、
子産社員さんとどうやってうまくやったらいいかとか。
老舗であればあるほどね。
後はもちろん全然デジタルじゃなくて、神文化だとか。
業界的にちょっと先細りなんで、なんかしなきゃいけないとか。
そういうのが聞いてると、僕もなんかすごいしたくなる気持ちになって。
僕はそういう何かアドバイスできるような人間でもなかったので、
その時は仲間が必要だなと思ったんですよね。
僕はコミュニティ作ったりするのが個人的に好きなんで、
そういう悩んでるけど熱い思ってる後継ぎを集めたくなってきたんで、その時。
だんだんと。
それが今年の3月に形になったっていう感じですね。
そうだったんですね。
きっかけは3年前とおっしゃったように、活動自体はもう3、4年やってました。
そんなイメージありますよね。
後継ぎの意義と出会い
本当に出会ったときから小野dさんはずっと、後継ぎの活動っていうイメージでしたけど。
そうだったんですね。
一個きっかけのね、共振の方との出会いのときに戻って一つ聞きたいなと思ったのが、
ご自身では、ある意味ちょっとネガティブなイメージ、家業に対してはね、の気持ちだったのに、
その方と話してるうちに、こういうイベントやりたいよねってなったのは何年なんですかね。
最初のどこかにずっと気になってたのか、本当は、小野dさんの中で。
それともそのことの意気投合みたいな流れが大きかったのかとか、そんな感じだったんですか。
家業って、僕はやっぱり体の一部というか、次ではいないですけども、やっぱりそれで自分は、
そういう感覚なんですね。
そういう私立の学校にも行かせてもらったし、親の感謝とか、何だろう、その辺はすごいあるんですよね。
とはいえ、僕の親父もすごい癖強いんですよ、めちゃくちゃ。
そうなんや。
中小企業の社長はあるあるかもしれないですけど、癖強いし、絶対一緒に働きたくないし、
みたいなところもあったんですけど、そういうのもあって、戻るとかは全然、僕の中では人生の選択肢には入ってなかった。
でも、久しぶりに出会ったみんなは、家業が人生の選択肢にしっかり入っていて、
たぶんそこが僕との大きな違いかなと思ったんですよね。
スタートラインはそこが大きな違いだったわけですよね。
そうですね。
今現在、オノリの人生の選択肢に家業を継ぐってのが入ってるんですか?
パーセンデージがちょっと上がりましたね。
公務員としての経験
おお、そうなんですね。
ちょっとだけね。
ちょっとだけ。
そうなんですね。
でも僕は幼少期全然、親は継がんでいいって言われてたんですよ。
それもどっちかって聞きますよね。絶対お前は継ぐんだぞって言われて育って来られた。
いますよね。
継ぐんだと言われて。
僕の親は飲食店並みあるから、しんどいし繋がなくていいよ、どこまで本心かわからないんですけど。
確かにね、本心じゃない可能性もありますもんね。
親なんかそういう押し付けみたいなのを僕の親はしなかったというか。
実際、お仕事の最初に就職をするときというか、オノリさんは結果的に京都市でのお仕事を選ばれたわけですけど、
市役所にした理由とか、お仕事選びのときはどんなことを考えてらっしゃったんですか。
僕も最近それよく聞かれるように改めて考えてたんですけど。
やっぱり家業、父親も母親もサラリーマンではなくて、商売人で生まれてるというところと、
やっぱり僕はなんとなく家業はしんどそうっていうのがあったので、
なんとなく反対を言ったんじゃないかなっていう気もしていて、
なんとなく一会社のために働くみたいなのが当時あんまりイメージできなかったんですね。
もうちょっと大きなもの、それとも町とか京都のために働きたいみたいなのがなんとなくあって、
企業に就職すると企業の歯車官になるのかなみたいな恐怖があったんですよ。
それは公務員だったら一緒だったんですけど。
その時はそんなこと思ってなくて、町のために働けるみたいなのがいいなと思って、
公務員考えてんねんって父親に言ったんですよね。大約3回戦のときかな。
その時に父親に言われたのが、公務員になってもいいけど公務員になるなって言われたんですよ。
でもなんか深い感じがしますね。深そうな言葉ですね。
商売人と真逆じゃないですか、公務員って。
稼ぐわけでもないし。
商売というよりは公共のね。公平の。
うちの親父とかは公務員好きでもないしみたいな、むしろどうなんやねんって感じだったんですけども、
公務員という職業の信頼度というか安定性みたいなのはいいなっていう風に言っていて、
とはいえ世の中で言われているような、いわゆる公務員像ってあると思うんですよね。
前例当衆とかことなかれとか、消極的なイメージあるじゃないですか。
そういうやつにはなるなよっていう風に言ってくれたんですよね。
だからその親父の言った、公務員にならない、ザ公務員にならないためにはどうしたらいいのかっていうのを僕は考えながらちょっと公務員生活を歩んできたところがあります。
アトツギラボの活動
そうなんですね。なかなかそのスタートの仕方も多くはないかもしれないですよね。公務員になられた方の中で。
今でこそというか、さっきも自己紹介であったと思うんですけど、後継オタクのイメージすごい強いと思うんですよ。始められてから。
でもその前とかも、たぶん後継以外でも、例えば僕がさっき出会いのきっかけになった、そらくんのウォエンっていう家の授業があるんですけど、そこの立ち上げのメンバーでもあったりするんですよ。
だからたぶんそうとか、後継以外でも公務員以外の活動とかも結構されてたんじゃないかなって僕は勝手に想像してるんですけど、そういうのが影響してるってことなんですか。
そうですね。なのでその僕、親父の言葉を受けたというか、京都市役所の中に目を向けるんじゃなくて、僕はどんどん外に目を向けてたんですよね。
それがどうしても公務員って閉鎖的になっていくというか、なっていくイメージもあったし、実際そうなっていってる感もあったので。
金魚が水を求めるように、空気求めるように外へ外へ僕は行く感じで、自然と触手を伸ばしていって、やっぱりそういう色んな人の出会いが自分にも返ってくるし、
そこで出会った人の面白いことやってる人とか、頑張ってる人は僕は応援したくなるので、そういう感じで確かにいろんなとこに行ってましたね。公務員になってからも。
コミュニティはね、もともと作るのが好きだったっておっしゃってたのも、そういうところとつながってるんですよね。
そうですね。多分僕が中高サッカー部のキャプテンとかやってたこともあって。
キャプテンっぽい確かに。
ほんまですか。なんかちょっとそういうの好きなんですよ。逆に僕、誰かが立ち上げたコミュニティに入るのちょっと嫌なところもあるんですよ。
へー。
あれなんですよ、誘われるのはめっちゃ嬉しいんですよ。そこちょっと僕の中でのちょっとした、なんやろな。もやもやみたいな。
へー面白い。
誘われるのは嬉しいし、入りたい気持ちもあるけど、でもやっぱり自分が立ち上げたコミュニティの方がおもろいっていう自分もあるんですよ。
はいはいはいはい。へー面白い。
全然行くんですよ。もちろん嬉しいし、繋がれるし。
いろんなところに来てくださってるし。
でも自分のコミュニティの方がおもろいしってずっと思ってます。
なんかその辺はですね、商売機質というかね。
なんか私もちょっと思いました。
どうせやるならなんていうか、自分で立ち上げたいみたいなところって。
なんかね。
起業家なんでしょうね。
そうそうそうそう。でも起業家とかそういうふうに。
起業家マインドなのかな。
マインド的にはそういうふうに含まれてそうに聞こえる。面白いなって。
面白いですね。商売が。
そうなんですよ、なんか。
今実際、3月からってことでね、意外にもそんな最近だったっていう、
後月ラボの活動は今どんな感じでなんか広がってきてるんですか?
最近のなんか活動のハイライトで言うと。
そうですね。3月からは毎月もイベントをやっていて。
毎月やってらっしゃる。
しょっちゅうね、イベントありますよね。
なんかいろんな後継オタクのイベントの。
いつも楽しそうな後継さん達との写真で溢れてますもんね。
そうそうそう。毎月やるっていうのは決めていて。
毎月やることを決めてる。
今月行けなくても来月もあるよっていう、毎月やってると行きやすくなるというか、
次は行こうかなって思えるように。
僕も今本当に渋いのが楽しくなってるので。
そっちがメインかと。
完全に僕こっちで自己実現をしてしまっているので。
個人やりたいっていうのがあるんですけど。
でも結構最初の前半は対話っていうのを僕は重視をしていて、
対話型のイベントをやってるんですね。
なんであなたは次男ですかとか、
後継としてどういうふうに会社を動かしていきたいんですかとか、
自分がどうありたいかとか、
そういう本質的な話をできるように対話をメインにやっていて。
多分なかなかそれって後継じゃないとなかなか話せないというか。
そうでしょうね。
確かに伝えても分かってもらえないとかがちょっと遠慮したりね。
そうなんですよ。
分かるみたいなのがよくあるんですよね。後継同士っていうのは。
あるあるみたいな。
そこで対話を重視してて、
ゲストの方呼んで、
ゲストの方呼ぶんですけど、
あくまでもメインは後継さんなんで、
本当にゲストの方は話題提供してもらうぐらい。
ゲストの方自身は後継さんですか?
後継さんの場合が多いですね。
そうじゃない場合もあるんですね。
そうじゃない場合もないかな。
企業方は後継のコラボとか?
僕もだんだん対話型はゲストを呼んで、
みんなでグループワークでちょっと喋るみたいなのがやってたんですけども、
僕もそれだけじゃ物足りない。
いろんな形をやりたいなと思ってたんで、
そのピッチ型のイベントをしてみたり。
それが今啓太さん言ってくれた後継と企業化がピッチをするみたいな。
そこで互い01なのか、
家業があるのを1から100にするのかっていうところでは違うんですけども、
その挑戦してるっていうところに関しては同じだと思ったので、
ちょっと挑戦というテーマで、
今挑戦してることを後継と企業化がぶつけ合うみたいなことをやったりとか。
おー面白い。
その組み合わせもあるようでないですね。
意外とそうなかったんで。
あとはやっぱり11月にやった後継縁日っていうイベントは。
私行けなかったんですね。
啓太さん。
僕はなんと打ち上げから参加するという。
打ち上げ終わってからってこと?
終わってたんですよ。
6時までやってるって出てたんで、
5時ぐらいに行ったらほぼ終わり際で、
これから打ち上げですみたいなところだったんですけど、
打ち上げから参加して終わって。
いいタイミングで。
すごい大盛況というか、
200人ぐらい来られたって。
そうです。あれは本当にありがたかったですね。
あれに参加した知り合いに言われたんですけど、
後継縁日ってちょっと古臭いというか、
そういうイメージがあるけども、
モノディーさんってすごいポップにしてますよね、
みたいなことを言ってくれたんで。
それはでも感じる。
それがすごい、そういうふうに周りに映ってるんだと思ったのが、
僕はすごい良くいいなと思って。
後継って面白そうみたいな、
盛り上がってそう感を醸成したいんですよね。
知ってます知ってます。
私、移住組で九州出身なんですけど、
京都に来る前は東京で3年ぐらい働いてて、
地元の福岡と東京で働いてたとき、
後継の方に会うってほとんどなかったんですよね。
結構私は割と外に出るタイプなんですけど、
京都に来てから一気にモノディーさんがいらっしゃるっていうのもあるんですけど、
すごい身近に。
そうですよね。
それは京都はそうなんですか?
それとも最近、モノディーさん効果ですか?
その辺のビフォーアフター知らなくて。
京都何代目とか多いですよね。
やっぱり多いですよね。
多いと思います。
やっぱり多いっていうのはありますよね。
そうですね。
でも中小企業の数だけ後継はいるので。
そうか、そうですもんね。
後継者の定義と意義
なのに今までは出会ってなかったのに、
すごい身近に感じますし、
どなたかがおっしゃったように、本当にいい意味でカジュアルというかポップのね、
なんか楽しそうみたいな。
意外と自分の家、商売やってるって、
多分最初の自己紹介はなかなか言わないと思うんですよね。
それもちょっと僕みたいにあまりいいイメージを持ってなかったりすると、
多分あんまり言わないと思うんですよ。
そこをもっと前向きに喋ってもらえるようになれたらいいなと思って、
胸を張って自分は後継だって言ってほしいなと思うし、
多分それは周りの環境とかもあると思うんですよね。
言いやすいとかね。
そうそうそうそう。
実際に後継ラボに来てくれてる大学生がいるんですけど、
名古屋の寮邸の息子やったんですね。
その子最初ちょっとそれ言ってなかったんです、僕にあまり。
そうなんだ。
でも最近はすごい自己紹介でちゃんと僕後継って言うようにしてますとか言ってくれたりするんですよ。
なんかそのちょっと変化が嬉しくって、
なんかそうそう後継はおもろいみたいな。
僕はその後継っていうのが憧れの職業になったらいいなと思っているので、
なんかそれが後継者不在とか後継者不足。
カタカナにされてるじゃないですか。
カタカナはいいですよね。
あれもなんか思いがありますか?やっぱり。
あれは僕がお世話になっている、
全国で後継支援をしている一般社団法人ベンチャー型事業承継っていう団体があるんですけど、
そこの代表の山野さんっていう方が、
後継カタカナの提唱者なんですね。
提唱者がいらっしゃるんですね。
そうなんです。
あれもちゃんと表彰登録されて。
それでカタカナにされた。
漢字の後継ってちょっとイメージが悪いので。
イメージが悪いというかね、ちょっと硬いですよね。
硬い硬い硬いですね。
するっていう字が。
そうなんですよ。
なんかこう、ボンボンとかね、
未成タレントとかいろいろ。
イメージがね。
なるほどね、なるほど。
ドラマのイメージとかいろいろ。
そうそうそうそう。
あの後継もきっちり定義化はされてるんですけども、
そういう受け継いだ価値っていうのを、
これからの時代にアップデートさせて、
次の世代に託す人みたいな定義をされてるんですよ。
素敵な定義。
だからそこで家業、
自分がその親族かどうかっていうのは問われてなくて、
もちろん親族でも、社員さんでも、
第三者でも後継になれますと。
だからそういうふうに、
僕もその思いというか、
多様な後継者の形
ところにはすごい共感をしたので、
自分もそういう後継をもっとローカルで普及させたいなと思って、
活動してるっていう感じですね。
なるほどね。
なんかそこ今、私改めてお聞きして、
視野が広がったなって感じがするんですけど、
なんか後継さんって、
やっぱり後継さん、
なんていうんですか、
その方たちだけのものみたいなイメージも、
まだ強かったんですけど、
第三者でも選択肢に入れられるんだ、
まあそうだよなって今。
そうなんですよ。
またちょっと距離が、
何歩も縮まりました。
事業を受け継ぐってありますもんね。
家族じゃないか。
そうそう。事業職人。
確かに。
それは一般化してるのにね。
そうなんですよ。
後継さんだけ。
後継って聞くと、
いや私、
たぶしみたいな感じで言われる人多いんですけど、
確かに。
例えば、もし自分が結婚した相手が、
商売人の息子、娘かもしれないし、
実際に嫁さんが社長になったとかいうケースもあるんですよね。
逆も息子さん、
後継だ旦那さんが社長になるケースもありますし、
それも全然ね、自分社長になるなんて思ってなかったけど、
そういう人生が突然来るかもしれないし。
確かに。
そうなるとね、みんなに関わるという。
みんなそうなんですよ。
後継のポテンシャルを持ってるという。
そうか。
面白い。
そうなんですよ。だから、
お二人もだから。
でも、ラボにイベント、コミュニティに来てらっしゃる方は、
今のところ、
後継家系の方がメイン。
そうですね。
京都は多いですね。
9月からのシガでも立ち上げたんですけども、
そうですか。
シガは結構ね、第三者生計がちょっと多くて、
それこそ、社員さんが消費された方もいれば、
最近面白いなと思ったのが、地域おこし協力隊で、
その町にたまたま行って、
行きますね。
それ唐辛子屋さんやったんですけども、
女性二人の起業家が、
唐辛子を使った商品を作ってるみたいな、
そこに地域おこしの方が入られたんですけど、
その女性二人の創業者が、
また別のとこ行くし、あなたによろしくみたいな感じで、
二代目として継がれるみたいなケースがあったりとか。
面白い。
比較的そのケースって、
イメージよりも軽やかな感じですね。
そうそう、そうなんです。
もっと後継ぎって重い感じがね、
すごいカッティングしてましたけど、
なるほど、いろんなパターンだったりとか、
いろんな形?
重いの引き継ぎ方っていうのがあるってことですね。
まさにそうなんです。
奥深い。奥深いんですけど、
これあれですね。
もうチャプターを一回切りますね。
もうやっぱり案の定、全然です。
全然です。一旦区切って。
ではね、もうあっという間に時間が来てしまいまして、
前半部分はちょっと途中でここまでとなりますので、
後半は次回の配信でお届けしたいと思います。
39:10

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