自称後継オタクの方の活動ですね。
初めて聞く方もいらっしゃるかもしれないのでですね。
お願いします。
その活動にフォーカスをしたいと思っておりますが、
そういえばいつ頃から活動してるのかとか、
ちょっとその辺りから。
そうですよね。
活動自体は今年の3月なんですよ。
そうなんですか。
今年なんですね。
今年なんですよ。
あれ、僕去年会った時は後継オタク前。
オタク前。
オタクなる前。
オタク化する前。
ビフォーアフラーみたいな。
オタク前と後と。
そうですか、そんなに最近だったとは。
種というか、きっかけは3年前に遡るんですけど、
当時京都市と京都信用金庫さんで、
今日からプロジェクトっていうのが1年だけあったんです。
今日からプロジェクト。
京都市と京都信用金庫さんが連携協定を結んでいて、
その一環で地域とか社会の課題を解決するような
プロジェクトチームが半年間やるっていうので立ち上がって、
それに僕手を挙げたんですね。
そのプロジェクトは1年きりで終わっちゃったんですけども、
それにだいたい50、京都市と京都市からだいたい25人くらいかな。
合計50人くらい集まって。
そんなに25人ずつ。
そうなんですよ。
8チームくらいは分かれたんですよ、テーマごとに。
僕のチームが経済×ITみたいなチームだったんですね。
そのテーマだけ決まってて何をするかはチームメンバーでしゃべりながら決めるみたいな。
そこで一緒やった教訓の子が、いわゆる後継ぎやったんですよ。
たまたま一緒になったチームのメンバーの教訓の人が。
京都の北部の小さい町工場の後継ぎみたいな。
社用産業で大変そうやし、教師のほうが楽しいし、みたいな子やったんですよね。
僕自身も後継ぎというルーツがありますと、
僕の家業は飲食店。
飲食店なんですね。知らんかった、それ。
ご両親ともにですよね、お父様も。
別の?
別々なんですよ。
父親のほうが滋賀県の大津市にみい寺っていう。
滋賀県の有名なお寺があって、その門前でお商売させてもらってるんですね。
おじいちゃんが創業者で、お父さん2代目。
僕が3代目に当たる年代の後継ぎ。
母方が京都市の山科区で公務店を営んでる家業が生まれてて、
両親ともに後継ぎ家庭に。
僕はそういうルーツがあるんですけど、
僕の家業ってお寺の前で商売させてもらってると、
基本的にお寺ってお休みないじゃないですか。
そこもあって、基本的に休みないんですよね。
360日ぐらい店開けてるんですよ。朝の9時から5時まで毎日。
年末ちょっと1週間休みあるぐらい。
それを僕は幼少期からずっと見てきたんで、なかなか旅行とかあんまないし。
家族と過ごす時間は夜とか。
土日も別にどっか行くわけでもなく。
そういうのを見てきたんで、なんとなく家業って大変そうとか、
いう僕はちょっとネガティブに受け止めてた人間なんですよね。
その教師の子もちょっと同じような感じで。
でも同じ共通項があったんで、
そういう後継ぎ向けになんかやろうかなみたいな話でちょっと盛り上がったんですね。
その時にやったのが、後継ぎが夢を語るイベントをやったんですよ。
それが記念すべき第1回だったんですね。
それが記念すべきめちゃくちゃきっかけになったんですけど。
僕らが結構ネガティブに捉えてたのですけども、
その時に僕の同級生が結構後継ぎの子が多かったんですね。
その時は本当に僕も10年ぶりとかに連絡取って、
なんか商売やってるのはしてたんですよ。
でも何やってるかようわからん子とかもいたんで、
改めちょっと話を聞いてみようってなって、
自分の部活の時の同級生とか後輩とかに連絡を取って、
200年続く和菓子屋さんがいたりとか、商社さんがいたりとか、
だいたいその時がみんな東京とかの会社に就職して、
30手前ぐらいで帰ってくる子が多かったんですね。
1回就職して。
ちょうど戻ってきて1、2年目の子が多かったんですよ、その時。
彼らと喋ってるとすごい家業をポジティブに捉えてたんですよね。
もっとこうやっていきたいんだみたいな、将来とか。
なかなか自分にはそういうこと思えなかったので、将来こうしていきたいとか。
そこがすごい、家業って結構面白いものなんかなっていう風に、
その時初めて気づいたんですよ。
なるほど。
久しぶりに会った同級生たちとの会話からというか。
そうなんですよ。
だから僕とそのもう一人の表親の子がネガティブに捉えてたこともあったんで、
プラプラスに捉えられるようなイベントをやった。
そこで夢を語るみたいな、
ポジティブな。
その夢の実現に向けての課題を経済とITっていうテーマやったんで、
デジタルで解決しようみたいな、そういうのもあったんですけども、
後継ぎにフォーカスするようなことをやったんですね。
そこから後継ぎの仲間がちょっと増えてきたというか。
久しぶりに会ってやっぱり盛り上がったんですよ。
今こんなことしていいなみたいな。
後継ぎさんだけをテーマにしたイベントってないですよね、それまで。
なかったですよね。
あんまりなかったと思うんですよ、それまで。
そこからちょっと飲みに行くようになって、
いろいろ話聞いてると、後継ぎ、家業ってめっちゃおもろいなみたいになってきたんですよ、僕の中で。
捉え方が変化してきた。
そうそうそうなんですよ。
でも彼らに悩みもあって、
親父との関係性とか、
子産社員さんとどうやってうまくやったらいいかとか。
老舗であればあるほどね。
後はもちろん全然デジタルじゃなくて、神文化だとか。
業界的にちょっと先細りなんで、なんかしなきゃいけないとか。
そういうのが聞いてると、僕もなんかすごいしたくなる気持ちになって。
僕はそういう何かアドバイスできるような人間でもなかったので、
その時は仲間が必要だなと思ったんですよね。
僕はコミュニティ作ったりするのが個人的に好きなんで、
そういう悩んでるけど熱い思ってる後継ぎを集めたくなってきたんで、その時。
だんだんと。
それが今年の3月に形になったっていう感じですね。
そうだったんですね。
きっかけは3年前とおっしゃったように、活動自体はもう3、4年やってました。
そんなイメージありますよね。
おお、そうなんですね。
ちょっとだけね。
ちょっとだけ。
そうなんですね。
でも僕は幼少期全然、親は継がんでいいって言われてたんですよ。
それもどっちかって聞きますよね。絶対お前は継ぐんだぞって言われて育って来られた。
いますよね。
継ぐんだと言われて。
僕の親は飲食店並みあるから、しんどいし繋がなくていいよ、どこまで本心かわからないんですけど。
確かにね、本心じゃない可能性もありますもんね。
親なんかそういう押し付けみたいなのを僕の親はしなかったというか。
実際、お仕事の最初に就職をするときというか、オノリさんは結果的に京都市でのお仕事を選ばれたわけですけど、
市役所にした理由とか、お仕事選びのときはどんなことを考えてらっしゃったんですか。
僕も最近それよく聞かれるように改めて考えてたんですけど。
やっぱり家業、父親も母親もサラリーマンではなくて、商売人で生まれてるというところと、
やっぱり僕はなんとなく家業はしんどそうっていうのがあったので、
なんとなく反対を言ったんじゃないかなっていう気もしていて、
なんとなく一会社のために働くみたいなのが当時あんまりイメージできなかったんですね。
もうちょっと大きなもの、それとも町とか京都のために働きたいみたいなのがなんとなくあって、
企業に就職すると企業の歯車官になるのかなみたいな恐怖があったんですよ。
それは公務員だったら一緒だったんですけど。
その時はそんなこと思ってなくて、町のために働けるみたいなのがいいなと思って、
公務員考えてんねんって父親に言ったんですよね。大約3回戦のときかな。
その時に父親に言われたのが、公務員になってもいいけど公務員になるなって言われたんですよ。
でもなんか深い感じがしますね。深そうな言葉ですね。
商売人と真逆じゃないですか、公務員って。
稼ぐわけでもないし。
商売というよりは公共のね。公平の。
うちの親父とかは公務員好きでもないしみたいな、むしろどうなんやねんって感じだったんですけども、
公務員という職業の信頼度というか安定性みたいなのはいいなっていう風に言っていて、
とはいえ世の中で言われているような、いわゆる公務員像ってあると思うんですよね。
前例当衆とかことなかれとか、消極的なイメージあるじゃないですか。
そういうやつにはなるなよっていう風に言ってくれたんですよね。
だからその親父の言った、公務員にならない、ザ公務員にならないためにはどうしたらいいのかっていうのを僕は考えながらちょっと公務員生活を歩んできたところがあります。
そうなんですね。なかなかそのスタートの仕方も多くはないかもしれないですよね。公務員になられた方の中で。
今でこそというか、さっきも自己紹介であったと思うんですけど、後継オタクのイメージすごい強いと思うんですよ。始められてから。
でもその前とかも、たぶん後継以外でも、例えば僕がさっき出会いのきっかけになった、そらくんのウォエンっていう家の授業があるんですけど、そこの立ち上げのメンバーでもあったりするんですよ。
だからたぶんそうとか、後継以外でも公務員以外の活動とかも結構されてたんじゃないかなって僕は勝手に想像してるんですけど、そういうのが影響してるってことなんですか。
そうですね。なのでその僕、親父の言葉を受けたというか、京都市役所の中に目を向けるんじゃなくて、僕はどんどん外に目を向けてたんですよね。
それがどうしても公務員って閉鎖的になっていくというか、なっていくイメージもあったし、実際そうなっていってる感もあったので。
金魚が水を求めるように、空気求めるように外へ外へ僕は行く感じで、自然と触手を伸ばしていって、やっぱりそういう色んな人の出会いが自分にも返ってくるし、
そこで出会った人の面白いことやってる人とか、頑張ってる人は僕は応援したくなるので、そういう感じで確かにいろんなとこに行ってましたね。公務員になってからも。
コミュニティはね、もともと作るのが好きだったっておっしゃってたのも、そういうところとつながってるんですよね。
そうですね。多分僕が中高サッカー部のキャプテンとかやってたこともあって。
キャプテンっぽい確かに。
ほんまですか。なんかちょっとそういうの好きなんですよ。逆に僕、誰かが立ち上げたコミュニティに入るのちょっと嫌なところもあるんですよ。
へー。
あれなんですよ、誘われるのはめっちゃ嬉しいんですよ。そこちょっと僕の中でのちょっとした、なんやろな。もやもやみたいな。
へー面白い。
誘われるのは嬉しいし、入りたい気持ちもあるけど、でもやっぱり自分が立ち上げたコミュニティの方がおもろいっていう自分もあるんですよ。
はいはいはいはい。へー面白い。
全然行くんですよ。もちろん嬉しいし、繋がれるし。
いろんなところに来てくださってるし。
でも自分のコミュニティの方がおもろいしってずっと思ってます。
なんかその辺はですね、商売機質というかね。
なんか私もちょっと思いました。
どうせやるならなんていうか、自分で立ち上げたいみたいなところって。
なんかね。
起業家なんでしょうね。
そうそうそうそう。でも起業家とかそういうふうに。
起業家マインドなのかな。
マインド的にはそういうふうに含まれてそうに聞こえる。面白いなって。
面白いですね。商売が。
そうなんですよ、なんか。
今実際、3月からってことでね、意外にもそんな最近だったっていう、
後月ラボの活動は今どんな感じでなんか広がってきてるんですか?
最近のなんか活動のハイライトで言うと。
そうですね。3月からは毎月もイベントをやっていて。
毎月やってらっしゃる。
しょっちゅうね、イベントありますよね。
なんかいろんな後継オタクのイベントの。
いつも楽しそうな後継さん達との写真で溢れてますもんね。
そうそうそう。毎月やるっていうのは決めていて。
毎月やることを決めてる。
今月行けなくても来月もあるよっていう、毎月やってると行きやすくなるというか、
次は行こうかなって思えるように。
僕も今本当に渋いのが楽しくなってるので。
そっちがメインかと。
完全に僕こっちで自己実現をしてしまっているので。
個人やりたいっていうのがあるんですけど。
でも結構最初の前半は対話っていうのを僕は重視をしていて、
対話型のイベントをやってるんですね。
なんであなたは次男ですかとか、
後継としてどういうふうに会社を動かしていきたいんですかとか、
自分がどうありたいかとか、
そういう本質的な話をできるように対話をメインにやっていて。
多分なかなかそれって後継じゃないとなかなか話せないというか。
そうでしょうね。
確かに伝えても分かってもらえないとかがちょっと遠慮したりね。
そうなんですよ。
分かるみたいなのがよくあるんですよね。後継同士っていうのは。
あるあるみたいな。
そこで対話を重視してて、
ゲストの方呼んで、
ゲストの方呼ぶんですけど、
あくまでもメインは後継さんなんで、
本当にゲストの方は話題提供してもらうぐらい。
ゲストの方自身は後継さんですか?
後継さんの場合が多いですね。
そうじゃない場合もあるんですね。
そうじゃない場合もないかな。
企業方は後継のコラボとか?
僕もだんだん対話型はゲストを呼んで、
みんなでグループワークでちょっと喋るみたいなのがやってたんですけども、
僕もそれだけじゃ物足りない。
いろんな形をやりたいなと思ってたんで、
そのピッチ型のイベントをしてみたり。
それが今啓太さん言ってくれた後継と企業化がピッチをするみたいな。
そこで互い01なのか、
家業があるのを1から100にするのかっていうところでは違うんですけども、
その挑戦してるっていうところに関しては同じだと思ったので、
ちょっと挑戦というテーマで、
今挑戦してることを後継と企業化がぶつけ合うみたいなことをやったりとか。
おー面白い。
その組み合わせもあるようでないですね。
意外とそうなかったんで。
あとはやっぱり11月にやった後継縁日っていうイベントは。
私行けなかったんですね。
啓太さん。
僕はなんと打ち上げから参加するという。
打ち上げ終わってからってこと?
終わってたんですよ。
6時までやってるって出てたんで、
5時ぐらいに行ったらほぼ終わり際で、
これから打ち上げですみたいなところだったんですけど、
打ち上げから参加して終わって。
いいタイミングで。
すごい大盛況というか、
200人ぐらい来られたって。
そうです。あれは本当にありがたかったですね。
あれに参加した知り合いに言われたんですけど、
後継縁日ってちょっと古臭いというか、
そういうイメージがあるけども、
モノディーさんってすごいポップにしてますよね、
みたいなことを言ってくれたんで。
それはでも感じる。
それがすごい、そういうふうに周りに映ってるんだと思ったのが、
僕はすごい良くいいなと思って。
後継って面白そうみたいな、
盛り上がってそう感を醸成したいんですよね。
知ってます知ってます。
私、移住組で九州出身なんですけど、
京都に来る前は東京で3年ぐらい働いてて、
地元の福岡と東京で働いてたとき、
後継の方に会うってほとんどなかったんですよね。
結構私は割と外に出るタイプなんですけど、
京都に来てから一気にモノディーさんがいらっしゃるっていうのもあるんですけど、
すごい身近に。
そうですよね。
それは京都はそうなんですか?
それとも最近、モノディーさん効果ですか?
その辺のビフォーアフター知らなくて。
京都何代目とか多いですよね。
やっぱり多いですよね。
多いと思います。
やっぱり多いっていうのはありますよね。
そうですね。
でも中小企業の数だけ後継はいるので。
そうか、そうですもんね。