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福永均の「繊維の泉」、始まりました。
はい、始まりました。
突然です、突然です。
こんにちは。
こんにちは。
先に僕からご説明だけしてます。
今日、新たなココログでインスタライブとYouTube撮影とラジオ番組を一挙に撮っております。
ちょっと目のやり場に困るときがあるんですけど、
まあまあまあまあ、その辺は皆さん楽しんでいただければと思います。
ちょっとライブに関してはコメントが拾えなくなる可能性もあるんですけど、
基本的に今日は、僕と福永社長でやりとりをいつも通りなんですけど、やっていくという。
そこは何も変わらず。
そこは何も変わらず。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日はですね、リクエストが多かった。
石川君のことを、ちょっと根掘り葉掘りと。
リクエストなんですか?
リクエストを。
もうお前のことはどうでもいい。
石川君のリクエストが多数来てまして。
そうなんですね。知らなかった。
こっそりね。こっそり来てたんで。
ちょっと今日は、うちの石川君のことを、僕がインタビューする。
めちゃめちゃ怖いですね。
やっていきたいと思います。
よろしくお願いします。
まず、生まれ。
生年月日は言うたっていいの?
生年月日は特に隠しておけ。
年齢差しようもなく。
生まれは平成2年の2月16日。
なので今年、ちょうどこの前の2月で32歳になりました。
まだまだ若手ですね。
ですかね。はい。
そんな32歳の石川君。
幼少期から学生時代までは、どのように過ごされていたのかな。
どのように。
まずずっと僕、生まれも育ちもですね。
ここ泉工業のある常用市に生まれてから。
常用市内で引っ越しはあったんですけど。
どこからどこに。
青谷から頼んだ。
白いローカルの場所。
全然わからない。
わかる人だけ。
常用市民にしかわからない。
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そうなんですよ。
歩いていける距離があった。
それを小学校の時に。
まあ一応転校という形であったんですけど。
中学ほぼ知ってる。
そんなこんなで。
小、中、高校も近くの高校に行って。
大学も京都。
近くの高校で常用工房?
いや、ではないんですけど。
そこは田辺の。
ありがとうございます。
家から通える。
チャリです。
チャリです。
大学も京都府内の大学に行ったので。
ずっと京都から出てないという感じでしたね。
大学までも京都出ずに。
出ずに。
中学までは常用です。
高校で隣町に行って。
そのうちで大学は京都府内。
そうです。京都愛が。
なるほどね。
そんな学生時代を。
そうです。
スポーツは?
スポーツは?
サッカーを小学校3年生の時に始めまして。
部活として高校までやって。
中学も?
中学も小、中、高をやって。
大学も一応部活ではないんですけども、
サークルで一応やってたという感じです。
小学校時代はサッカーで飯食うでぐらいは思ってた?
たぶん元々思ってなかった。
そういう上手いところで選ばれてたりしたら、
もしかしたら目指してたかもしれない。
そういうこともなく。
単にサッカーを愛する青年。
そんな感じでやってましたね。
でもある程度サークルとはいえ大学までサッカーをやってた。
そうですね。やってたことは。
サッカーのことはまるわかり?
どうですかね。
サッカーが好きなんで、それは今も変わらず。
どこまで知ってるかは比べられないですけど、
ある程度は知ってると思う。
ひいきのチームとかひいきのなんちゃらみたいなものはない?
それがよく言われる。
サッカーのことがわからない。
それはよく言われるんですけど、
京都には京都サンガーっていうチームが一応Jリーグ。
今J1やろ?
今今年J1。
僕はあんまり偏ったチームの好きとかなくて、
見るのは好きなんですよ。
日本代表の試合とかちょうど今日あるんですけどね。
この後ワールドカップの切符をかけた戦いが。
予選?
予選ですね。最終予選の。
確か今日勝ったら決まるみたいな感じ。
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あれダゾーンなんですよね。
ダゾーンってネットのあれ。
最近ダゾーンの独占結構してて。
そうなんだ。ダゾーンで見なあかんねん。
そうなんですよ。
ダゾーンお金かかんやん。
見てないんですけど。
見てんやん。
なんじゃそれ。
ダゾーンお金かけてまでがちょっと。
やってないんですけど。
好きなチームは特になく。
日本代表見たりとか海外の試合をYouTubeで見たりとか
いうのは結構好きで見てるんです。
なるほど。
テレビで無料で見られるやつは見るで。
そうですね。
なるほど。
そんな感じ。
そういうサッカー愛なんやね。
そうです。そういうサッカー愛ですね。
なるほど。
サッカーやっててよかったなっていうのは。
超無難なというか回答になっちゃうかもなんですけど。
サッカー通じてできたチームスポーツなんで。
団体競技とかね。
友達はそれでできましたし、今でも昔の高校の友達とかと
たまに趣味でフットされたりとかはするので。
それが一番の良かった点かなと思います。
どこ?守備?
どこ?守備って言うのあれ?
ポジション。
ポジション。
ポジションはディフェンスが最終的には好きでしたね。
守りやね。
守りですね。
あんまり性格的にもガツガツいけるタイプじゃない。
まあ、やってた時もあったんですけど。
わかるわかる。
タイプ的にあった。
守りの方。
守りのでもなんかもうガタガタのような気がする。
知らない。
実際もう人間的だもんね。
なるほど。
就職活動始まりました。
始まりました。
石川君の就職活動の頃は氷河期?
いやと思いますね。結構僕は厳しかった時代だと思う。
いわゆる氷河期の時代に就職活動を行った。
では就活の出来事を少し話してください。
これは泉工業の話にもつながるかもしれないけど、
僕もともとファッションが好きで、
よく服とか買いに行ったんですけど、
延長線上というか、
そのままファッション業界とか、いわゆる繊維業界、
泉工業もしたんですけど、
僕は新卒で就職したくて、受けまくってたんですよ。
なるほど。
多分初めの何ヶ月かは、
繊維業界、ファッション業界、アパレルも含め、
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だけを何十社か受けた。
何十社か?
何十社。
今となればこの泉工業に入ってから、
ここ受けたなとかも結構あるんですけど、
それで何十社受けたんですけど、
結局決まらずそこも。
なるほど。
その時、泉工業受けてなかったんですけど、
大阪の繊維商社とか、いろいろ受けて、
ティーサダさんとか受けましたね。
結構受けて、結局…
経営泉アパレルも受けた?
受けました。
言いましたもんね。
行ったもんな。
行きましたね。
結局決まらず、
時間はどんどん経っていくんで、
ちょっとこれはやばいなって、
絞ってられへんなってなって、
最終、地元の…
家からあんま出るつもりはなかった。
実家からは。
京都からは出へん。
京都からは出ない。
家から通いなかった。
川の会社を、営業職の人が受けて、
業界は絞らず、
近場の営業職というところで、
いろいろ受けて、
最終的には機械部品を扱っている商社に
内定が決まって、そこにまずは入りました。
新創生。
はい。
なるほど。
世界の人々に飾る楽しみをお届けする、
泉工業株式会社 福永ひとしの繊維の泉。
この番組は提供、
後染ラメイトメーカー 泉工業株式会社、
プロデュース・製作 キラテン、
ナビゲーター 潤天堂でお送りしました。