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メタ音声配信ラジオ、こんにちは、いわみです。
3月2日の火曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今日、一日雨の予報だったんですけども、
この辺は晴れ間が出てきて、かなりもう暑いですね。
皆さんのところはいかがでしょうか。
今日、話してみたいことは、
とあるネットの記事を読んで興味深かったので、
その記事の紹介と、
自分の感想みたいなのを話してみたいと思います。
ネットの記事なんで、誰でも読めるもので紹介もします。
リンクも貼っておきますけど、
これは紹介というよりも、
自分が噛み砕くために喋ってみるみたいな、
そういう配信になりますけど、何の記事かというと、
作家の橘明さんのコラムというのかな、
多分定期的に連載されているものだと思うんですけど、
橘明さんって、金融というか経済のこととか、
人類学のことみたいなのがよく発信されていて、
本もたくさん出されているので、
ご存知の方も多いかもしれませんけど、
橘明さんの最近の何日か前に配信されたコラムがすごく面白かったので、
それに関して話してみたいと思います。
まずそのコラムのタイトルを読み上げてみようと思うんですけど、
これ結構人によっては不愉快で過激なタイトルなので、
橘明さんそういうの多いですけど、
それをご承知の上ですね、
なるべくそれで聞きたくないと思って、
立ち去らないでほしいと思うんですが、
人類は見知らぬ敵を殺して楽しむように進化した、
自己家畜化した人の道徳性と邪悪さ、
橘明の日々コクコクというタイトルなんですけど、
細かい内容に関してはこの本の記事を読んでいただければと思うんですけど、
大体の内容としてはですね、
人間というのは他の動物に対してですね、
例えばオラウンタンとかチンパンジーに比べて、
暴力性がちょっと抑制されているというですね、
そういうのも含めて自己家畜化というふうに書いてあるんですけど、
それが起こった原因みたいなのが考察されていて、
とある人類学者のチンパンジーとか何かを研究している人の説らしいんですけど、
反射的な暴力性は抑制された代わりに、
能動的な暴力性が増大したというですね、そういう説なんですよね。
これがどういうことかというと、つまり何かをやられてですね、
そういう野蛮な暴力性というのは減ってきたけど、
その代わりですね、例えば仲間と結託して誰かをおとしみに入れたりとか、
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自分との共同体とは違う共同体に攻撃を仕掛けたりとか、
要は虐殺とか戦争とかそういうことなのかなと僕は読んでいて思ったんですけど、
これをですね、どう思うかというのは人それぞれだと思うんですけど、
僕も決してこの説とか、橘明さんってこういうことを結構書きますけど、
別に布味にして信じているわけではなくて、一つの説としてですね、面白いなと思って、
この記事には人間の暴力性とそれを抑圧する仕組みとして、
自慢と傲慢をですね、人間かは本能的に嫌うという例が書いてあって、
ちょっと細かい内容は記事を読んでほしいんですけど、
とある外部の人間がですね、とある集団に大きな牛をプレゼントしたそうなんですね。
喜んでもらえると思ったらその集団をですね、
すごくプレゼントに対して否定的なですね、すごく痩せているとか、
こんなの食べる場所がないみたいな、そういうことを言われて送った人はショックを受けたっていう話があったんですけど、
これはですね、長老か何かに後で言われたことによると、
一人だけ目立った成果をあげる人間が出ると、その人間はですね、どんどん自尊心を増して、
そうすればやがてですね、他の者への攻撃につながるっていう、
だから男たちは思い上がりとかを決して許さないんだっていうですね、そういう話だったんですけど、
これを現代に置き換えてみると何かなと思うと、
特に日本なんかは、日本人は出る杭は打たれるとか、
枠からはみ出たものを排除する同調圧力が強いなんて言われますけど、
この記事を読む限りこれは別に日本人特有の考えではなくて、
割と人類にですね、ある考えというか性質なのかなっていう気もしたんですよね。
僕は日本人以外の特性はあまり知らないんですけど、
そう言われた方がちょっと、雨が降ってきましたね、ちょっとうるさくなるかもしれませんが、
日本人だけではなくて人類の特性と言われた方がちょっと納得がいくなって思ったんですよね。
つまり、昔の例えば原始時代とか、もう少し文明を持った社会でもいいんですけど、
共同体においてですね、一人の男が例えば大きな獲物を一人で捕らえるとか、
そういうことをしてですね、すごく仲間の尊敬を集めたとしますよね。
その時点まではまだいいですけど、その後でそれが続くと、
その力の強い男はですね、だんだん自分の知、なんていうか認識をですね、
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上に持っていって、それがやがてその仲間への迫奪とか、暴力に繋がるってですね。
これは多分現代の家庭においても、なんていうか社会においてもあるような光景だと思うんですけど、
それで本題というか、人間の自己家畜かっていうキーワードと、
見知らぬ敵を殺して快楽を得るように進化したっていう、
物議を醸し出しそうな意見なんですけど、
これに関しても、記事を読んでもらった方が正確に理解できると思うし、
僕の読んだ感想とか解釈を話してみますと、
現代の社会に置き換えるって考えると、
自己家畜化された人の方が社会的に成功しやすいっていうのはですね、
僕はあるなというのは思いまして、
自己家畜化っていうのはですね、要するにさっき言った反応的攻撃性っていうのを抑制された人間っていうのは、
やられても、例えば殴られても殴り返さないとか、
殴り返さないとか、悪事ができる環境でもやらないっていうですね、
悪事っていろんなレベルがありますけど、人の悪口とかちょっとした盗みとかそういうのあると思いますけど、
そういうのを人の評判っていうのもあるけど、つまり抑制できて、
その代わりですね、能動的攻撃性が発達した、増幅された人、
これは別に人類全員がそうだと僕は思ってなくて、やっぱりグラデーションがあると思うんですよね。
僕はどっちかっていうとですね、その能動的攻撃性がそんなに高くないって自分で読んだと思ったんですけど、
これは僕の勝手な意見なので。
世の中を見てみると、社会的に成功しているような人たち、
もしくは経済的に豊かな立場にあるような人たちっていうのはですね、
やっぱりその能動的攻撃性が隠された能動的な攻撃性っていうのは強い人が多いんじゃないかなって思ったんですよね。
つまりですね、表だって攻撃とかはしないけれど、
分からないように落としめたりとか、
トトを組んでというか、自分には害のないように相手を攻撃するみたいなですね。
割と僕はそういうの嫌いなんですけど、
でもそういうのができるというか、やる人の方が社会的にというか経済的にも成功している人間は多いっていうのは、
なんとなく感覚としても分かることなんじゃないかなと思うんですけど、
そこでですね、その違いなんですけど、
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別にそれは社会的に成功するようにそういうふうに行動しているわけではなくて、
そこに快楽を感じるか感じないかっていう割と個体の問題なのかなと思ったんですよね。
つまり人間は戦争とかするのは大体男性ですけど、
そこには自分の共同体以外のコミュニティに対して残虐になるという特徴があって、
そこには別にそういう仲間を守らなきゃとかそういう意思ももちろんありますけど、
もっと根源的な快楽というか、そういう欲望が影響しているっていうことだと思ったんですよね。
最初にも言ったように、別にこの説に僕は信用しているとか、新しい発見があったとかそういうことではなくて、
説として面白いなって思って、それを噛み砕くために自分で喋っているっていうことなんですけど、
もう一つ言えることがあるとしたら、こういう歴史でも人類学でもいろんな説があって、
正しいって言えるものって基本的にないと思うんですけど、時代によって説って変わってくるし、
このコラムの途中にも1年くらい前の別の記事で、
人類が稲作というか濃厚するようになってから定住が始まったというのは間違いだったという記事があるんですけど、
それも読んでもらえればわかると思うんですが、
つまり狩猟最終の時代から人類は定住していた証拠が見つかったらしいんですよね。
だから定住して人間が狩猟しなくなったっていうのは、説としては間違っていたっていうですね。
こういうの面白いなって、普通に僕は説として自分の中でインストールするのは好きなんですよね。
そういう人のいろんな考え方を自分の中に取り入れていくと、
その中で自分の行動とか考え方っていうのがだんだん作り上げられていくと思うし、
最後グダグダになりましたが、とても面白い記事だったのでお勧めしますという内容でした。
そんな感じで終わりにしたいと思います。
今日も良い1日を過ごしてください。
聞いていただいてありがとうございました。
さよなら。また明日。