周囲の期待と人生脚本
こんにちは。明治大学で生涯学習講座の講師をしています、遠藤美保です。
この番組では、社会人や学生向けの生涯学習講座を10年以上行ってきた私が、日常生活でも活かせる心理学を、ポッドキャストでお伝えしていきます。
今回のテーマはこちら。
周囲の期待と人生脚本。今回は、周囲の期待と人生脚本に関するお話です。
お伝えしている心理学ですが、皆様にとっての日常的で身近な話題とも自然とつながっています。その見方、活かし方をご紹介します。
今回は、周囲の期待と人生脚本。期待から受ける影響を知り、なぜ今そんな行動をとっているのか、理解するヒントにつながります。
第3回目、子どもの自分が書き、今も従っている人生脚本。こちらの内容ともリンクしながらお伝えしていきます。
皆様は期待されるってお好きですか?
全く期待されないと寂しいものの、期待されすぎると重荷だったり、期待されるからこそそれが力になって頑張れたり、人によって期待に対する反応は様々かと思います。
書くいう私はといえば、あまりに期待されすぎるとそれに応えられない時、がっかりされるのが本当に嫌で、早め早めにちょっとですね、小刻みに期待をこう微妙に裏切りつつガス抜きをしたりする、そんな癖があったりします。
皆様はいかがでしょうか。
第3回目で、人生脚本は3歳から6歳ごろでかなり詳しく書き加えまして、7歳までにはほぼ書き上げられるというふうにお伝えしましたけれども、この時点では要点を書き上げるイメージです。
それを12歳頃までにはブラッシュアップしまして、あれこれそこに加えて、思春期になる頃にはより具体的に更新をしているというふうに言われています。
そして書いたことも忘れ大人になった今も従っている、それが人生脚本、人生計画、とも言われているものになります。
ちなみに最初の頃、この要点を書き上げる頃というのは感情と直感を使っています。
子どもの頃の感情と直感なので、かなり飛躍している可能性が高いです。
あることと結論がポーンとこうつながるような、そこにやはりですね、大きな意味を持つのが周囲の期待というものではないかと思います。
期待に応えてもう世界はバラ色、あるいは期待に応えられなかったらもう本当に世界の終わりだ、それぐらい極端な結論に結びついてしまうかもしれないそんな時期ということです。
期待に応えられず、がっかりされると嫌なので、最初にそう言いましたけれども、相手ががっかりしたからといって一体何が問題なのかということなんです。
どうしてそんなに気になるのか。
ここにですね、子どもの頃の感情と直感が入っているかもなというふうに思うんです。
期待に応えられないと見捨てられる、世界が終わる、そんなふうに子どもの頃感じたのかもしれません。
だからこそ、周囲の期待に特別な意味を感じてしまっているのかなと思います。
皆様はいかがでしょうか。
期待に応える行動
例えば期待を裏切る、そんな言葉がありますけれども、これもかなりな言葉かなと思います。
どうやら期待に応えるのが良い、という、社会からのというとちょっと大げさでしょうか。
そういったですね、周囲からのメッセージが込められているのかもしれないなというふうに感じます。
そして子どもの頃の私たちは、そういったメッセージを読み取って自分の脚本に組み込んでいるのではないかなと思います。
期待、褒め言葉などなど一見すると良さそうなんですけれども、そこに縛られるとちょっと苦しいかなと思います。
少なくとも期待っていうものに対して持っている自分のこの脚本については、どんな脚本を持っているのかというのはちょっと意識しておくといいのではないかなと思います。
というのも、私たち脚本を書き上げますと、それを強化する行動を繰り返します。
現実に合わない場合はそれを書き換えればいいんですけれども、なかなかそれに気がつかないまま、現実に合わなくなっていてもそれにも気がつかないまま、どんどんどんどんそれを強化する行動を繰り返してしまう、そんな特質があります。
周囲の期待に応える、これすごく大きな意味ももちろんあるんですけれども、日常的な身の回りでどんな例があるかなって考えてみますと、先回りして気を利かせて行動する、そんな対応はすごく評価が高いと言いますか、気が利くねっていうことでよく評価を受けるんじゃないかなと思うんですけれども、
実はこの辺りも、周囲の期待に応えるという、そういう脚本がつながっているんじゃないかなと思います。
そして、いつもこれが建設的に良い形で現れていればいいんですけれども、自分ではこの気を利かせるという行為がどんどんどんどんエスカレートしたとき、目の前の現実に合わなくなっていてもそれでもこうやってしまう。
これはですね、やはりちょっと脚本に巻き込まれすぎていて、目の前の現実に合わないのであれば書き換えればいいのに、なかなかそういう小回りが効かない、そんな脚本の特質が見えてくるかなと思いますので、私の、また身近な例を挙げてみたいと思います。
あるとき、何人かでお食事に行きました。
その参加していた人たちが、どの人もすごくいわゆる気が利く人たちで、それでお食事に行ったんですけれども、その選んだお店がいけなかったのか、あるいはお店は良かったんだけれども、たまたまそのときそうだったのか、今となってはちょっとよく分かりませんが、どういうことが起きたかって言いますと、
最初にですね、まとめて注文を出したんですけれども、そうすると普通お店だったらですね、何皿かテーブルの上に並んで、それをこうみんなで取り分けたりとかしながらわきあいあいと会が進むっていう流れだったかと思うんですが、なぜかそのお食事会の時はですね、一皿ずつ来るんですね。
一皿テーブルに来て、そしてしばらく次の注文品が来ないんですね。本当に一皿だけ来るんですけれども、そうするとその気の利く人たちが、我先にと言わんばかりに取り分けてくれるんですね。
それぞれのお皿に取り分けてくれるんですけれども、なんて言うんでしょう。それぞれ取り分けられてしまうと、机の上がですね、寂しいじゃないですか。何にもなくなっちゃってちょっと寂しいなって私なんか思ったので、その一皿来て取り分けられちゃってからのお皿。
また次の一皿が来て取り分けられちゃってからのお皿っていうのが、2、3回繰り返されたんですけれども、ちょっと私はですね、なんか寂しいなっていう気もありましたし、あと自分のペースで食べたいなという気持ちもあったので、いやちょっと取り分けなくてもいいんじゃないですか?っていうふうに言いました。
ところがその時はですね、それぞれの人にどう言われたかって言いますと、いいのいいのいいの気にしないで、っていうふうに言われました。
私の頭の中ではクエスチョンマークでした。
えっと~、気にしてるわけじゃなくて、空っぽのお皿がテーブルの上にポツンって来るのが、なんていうか、絵的にちょっと辛くてというか、あと自分のペースで食べたいという思いもあって、そんなこう、
なんて言うんでしょうかね、我先にと言わんばかりに取り分けられる、その状況が辛くて、いやあの大丈夫ですっていうことを言ったんですけれども、どうやら遠慮してるっていうふうに思われたらしく、いや本当大丈夫なんですって言ってもですね、全然その後もその調子でずっと取り分けられてしまった、そんな回がありました。
今回の例を少し解説してみたいと思います。
周囲の期待に応えるというと、すごく大きな話から小さな話までいろいろあると思うんですが、このですね、気を利かせて行動するというのも、これもですね、周囲の期待に応えることの一つだと思います。
そしてこの気を利かせて行動するっていうのは、日常的に周りの人に評価をされやすい行動なので、やはりですね、そのあたりを自分の脚本の中に具体的な行動として織り込んでいる方も多いんではないかなと思います。
周囲の期待との関わり
そしてこの気を利かせる行動というのが効果的に使われている間はいいんですけれども、例えば今回の例のように、本当は相手は望んでいないのに相手が期待しているんだというふうに思い込んで、そして自分の気を利かせるという行動を繰り返して強化している場合、
これはやはりですね、ちょっとこのくらいであれば笑い話で済むレベルかもしれませんけれども、これがどんどんどんどんエスカレートして、本当に相手が望んでもいないのに自分の思いだけで何かこう突っ走って行動してしまうようなことがあった場合には、やはりそこはちょっと見直しをかけるポイントなのかなというふうに思います。
そもそも周囲の期待というところでいくと、相手が本当にそう思っているんだろうか。確認もしていないのに過剰に適応しているだけなんじゃないだろうか。そんな視点がちょっと必要ではないかなと思います。
またですね、これ自分自身にとっても辛くなるときももしかしたらあるかもしれません。というのもこの脚本行動、普通建設的に使われているときはいいんですけれども、自分にとっても何か問題が起きているときには、やはりですね、この脚本自体を見つめ直して、必要に応じて書き直すというようなことが必要なんではないかと思います。
この気を利かせるという例でいきますと、例えばですね、自分自身がすごく体調を崩していて、それどころではないのに気を利かせて周りのためにこうあれこれお世話をしたりとか、どんどんどんどんですね、面倒を見たり何かしてあげたりサービスしたりというようなこと。
これ自分自身の体調も顧みないで、そしてそれをどんどんどんどんしてしまっている。これはですね、やはり建設的ではない。現実的に少し見直しをかけた方がいいところなのに、それなのにどんどんどんどんそれがエスカレートしているとしたら、そうしたらそれはご自分自身の脚本をちょっと見直すタイミングなのかもしれません。
期待に応えられないとなんだか本当に申し訳ないようなすみませんという気持ちになったりする方いらっしゃいますでしょうか。
そうするとその方にとってはこの期待っていうものの意味がやはりすごく大きいんじゃないかなと思うんですけれども、これは個人への期待、あるいはその職業に対する期待、あと自分自身に対する期待などなどいろいろな期待があると思うんですが、
これ本当にですね、脚本というものの中に組み込まれていますと、この流れるプールの中に身を置いているかのように、そこがぐおーっと大きな流れの渦になって勢いがあるんですよね。
なかなかそこから出るっていうのが流れるプールの中に入っている状態だとなかなか思い至らないというか、そこが自分にとって自分を追い込んでしまうようなつらいことにつながる場合もあるかと思います。
期待されるというのは、自分の存在を認めてもらえていることでもあるので、非常にありがたいものだと思います。ただ、そこに縛られすぎてしまって、もし自分が苦しくなる、あしかせになるようなのであれば、それは見直すタイミングかなと思います。
期待をエネルギー源にできるような付き合い方ができれば最高かなというふうに思います。では、今回覚えていただきたいポイントは、周囲の期待と人生脚本。まずは気づくこと、そしていつもと違う変化を味わってみませんか。
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来週も火曜日の朝6時に更新されます。お相手は遠藤美保でした。ありがとうございました。